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11月15日(水)。晴れ。
今回は、富士見駅から歩いてとちの木集落のはずれ、一里塚まで(11:00)。ここから出発。
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「重修一里塚碑」。
江戸から47里目(48里目? )。後方に見える小山が現存の一里塚。その傍に「甲州街道コース」と記された道標が立っています。
土地としては「塚平」と呼ばれる地区に位置しています。
少し集落に入戻ったところに、「甲州街道」の解説板があります。
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しばらく進むと、旧道は立入り禁止の私有地にぶつかるので。左に折れてその先を右折、太陽光パネルがたくさん設置された敷地を横目で見ながら進んで行きます。
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(11:13)回り込むと「原の茶屋」地区に。
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「富士見駅」からの道と合流。
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ここまでのちょっとした道筋。何となく熊が出てきそうな雰囲気を感じました。帰ってから調べてみたら、このもっと山奥の林道に熊の目撃情報があったようです。
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(11:18)集落の中ほどに「富士見公園」があります。
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公園由来
明治37年11月、左千夫は甲州御嶽歌会の後を韮崎より馬車で入信し、上諏訪にて赤彦と初対面した。明治、大正時代の日本短歌会をリードする二人の劇的な出会いである。
この頃よりアララギ同人の富士見来訪多く、明治41年10月富士見油屋歌会に来遊した左千夫は、「財ほしき思いは起る草花のくしく富士見に庵まぐかね」と原之茶屋の一小丘に立ちて、「ここは自然の大公園だ。自然を損わぬように公園を作りたい。」と腹案をもらされた。
村人は、赤彦を通じ左千夫に設計を依頼し、明治44年左千夫の指示を受け、富士見村や原之茶屋の協力によって富士見公園は出来上がった。
早春の芽吹きから、花、新緑、鮮やかな紅葉と四囲に高峰を望むこの公園は詩歌の里としての希い多く、左千夫歌碑が大正12年に、赤彦歌碑は昭和12年に、昭和40年に茂吉歌碑の建立を見るに至り3基の句碑と共に歌碑公園として、文学愛好者の訪れが絶えない。
アララギ派歌人のゆかりの公園で、伊藤左千夫・島木赤彦・斎藤茂吉・森山汀川等の歌碑があります。
このほかにも、芭蕉句碑が公園入口付近にあります。元禄7年芭蕉が箱根を越えたときに読んだ句です.
眼にかゝる ときや殊更 五月不二
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しばらく公園内を散策。
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草に入る 光れる水や 秋晴るゝ
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さびしさの極みに堪へて天地に寄する命をつくづくと思ふ
※碑の書は島木赤彦のもの。
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高原尓足乎留而目守良無加飛騨乃左加比乃雲比曽武山
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富士さして蒲公英並ぶ野路哉
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郭公者国之最中尓鳴機乎里而?羅比久日能?萬寸
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水海之冰者等計而尚寒志三日月乃影波爾映呂布
※碑の書は斎藤茂吉のもの。
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四阿のところで小休止。紅葉も見事で、しっとりと落ち着いたたたずまいのすてきな公園です。
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(11:31)旧道歩きの再開。沿道のおうちの屋根に独特の飾りが目につきます。
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「雀おどし(おどり)」と呼ばれる棟飾り。本棟造(ほんむねづくり)という長野県の中信地方から南信地方にかけて分布する民家の形式で、切妻造り妻入り、ゆるい勾配の屋根、雀おどしと呼ばれる棟飾りが特徴だとか。これから先、目にすることになりそうです。
集落のようす。
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「明治天皇駐輦之處」碑。
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注:駐輦(ちゅうれん)
(「輦」は天子の乗り物) 天子が行幸の途中で車を止めること。
その先に「明治天皇御膳水」。
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民家の横に「常夜燈」。
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句が刻まれたちょっとユニークな常夜燈。
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(11:36)集落のはずれには 道祖神や筆塚。
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