鈴木清順さんが逝去。前衛的な作品・作風が魅力的でした、改めて。以下、再掲。2012/12/07。
鈴木清順監督作品。生と死の狭間を遊興する二人を取り巻く女性達。
サラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』のレコードが再生されているシーンから始まる。内田百閒の作品をもとにして構成されている。
ドイツ語学者・青地豊二郎はとある海岸で友人の中砂糺(元同僚。女性を殺して海に投げ込んだ罪で警官や漁民に追求されているときに)と落ち合い、二人で旅をする。3人連れの盲目の門付け芸人たちの登場(画面の後半では子供達になっている)。
青地と中砂は宿をとり、葬式を終えたばかりの小稲という芸者を呼び、中砂との肉体関係が成立する。歳月が流れ、結婚した中砂を訪れた青地は、新妻の園を見て、あの旅で呼んだ芸者の小稲と瓜二つなのに驚く。
青地は作曲家サラサーテが自ら演奏している「ツィゴイネルワイゼン」のレコード、この盤には演奏者のサラサーテが伴奏者に喋っているのがそのまま録音されている珍品だそうだ、それを聞かされる。中砂は青地にその話の内容を訊ねるが、青地にも、それは理解出来なかった。
中砂は再び旅に出る。その間に、中砂の妻の園が豊子という女の子を産む。青地は青地の妻・周子の妹で入院中の妙子を見舞う。妙子は幻想をよく見るらしく、周子と中砂の密会を告げる。
その後、中砂から園の死と乳母を雇ったという。中砂家を訪れた青地は、乳母を見てまたしても驚かされた。死んだ園にそっくりな、芸者の小稲だった。
再び旅に出た中砂は、旅の途中で薬物中毒によって死ぬ。
ある晩、小稲が青地を訪ね、生前に中砂が貸した本を返して欲しいとやって来る。難解なドイツ語の原書だった。またしばらくして小稲がやって来て、「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを返して欲しいと言う。青地はそれを借りた記憶はなかったが、周子が中砂からそのレコードを借りて穏していたことが分り、数日後、青地はそれを持って小稲を訪ねる。
父・中砂を記憶していないはずの娘の豊子が毎夜彼と話をするという。家を出た青地は豊子に出会った。意味不明(台詞回しが怪しくて)の言葉を発する。豊子は死んだはずだったが・・・。
内田百閒原作の「サラサーテの盤」を、生と死、時間と空間、現実と幻想のなかを彷徨う物語として、田中陽造が脚色し、鈴木清順監督が映画化した作品。(「Oricon」データベースより)ということになるのか。
原作である内田百閒の作品自体(登場人物の名は、映画と同じく「中砂」。)も、夕刻時分の、夢か現かまどろみの世界のようで、語り手のみならず読者も背筋が寒くなるような印象。さすが内田ワールド、短編ながら独特の奥行きをもっていて、次第に語りの世界に引きずり込まれる。
映画は、ストーリー云々ではなかった。ところどころにちりばめられたエロチックな描写(中砂の目に入ったゴミを真っ赤な舌でなめ取る。はだけた胸に点々と浮かぶじんましん。腐った桃にかぶりつく。これらはすべて周子の映像。大谷直子はそれほどインパクトのある演技は最初の方だけだったのが、残念)。一方では、海岸の砂に半身を埋めてヨガのポーズをする中砂・・・。監督が心のおもむくまま(幻想)に描いた作品、という感想。
撮影場所が鎌倉、「切り通し」(冥界につながるというイメージなのか)の雰囲気がよく出ていた。大収穫。
《配役》
中砂糺:原田芳雄
中砂園、小稲(二役):大谷直子
青地豊二郎:藤田敏八
青地周子:大楠道代
妙子:真喜志きさ子
先達(盲目の門付け芸人):麿赤児
鈴木清順監督作品。生と死の狭間を遊興する二人を取り巻く女性達。
サラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』のレコードが再生されているシーンから始まる。内田百閒の作品をもとにして構成されている。
ドイツ語学者・青地豊二郎はとある海岸で友人の中砂糺(元同僚。女性を殺して海に投げ込んだ罪で警官や漁民に追求されているときに)と落ち合い、二人で旅をする。3人連れの盲目の門付け芸人たちの登場(画面の後半では子供達になっている)。
青地と中砂は宿をとり、葬式を終えたばかりの小稲という芸者を呼び、中砂との肉体関係が成立する。歳月が流れ、結婚した中砂を訪れた青地は、新妻の園を見て、あの旅で呼んだ芸者の小稲と瓜二つなのに驚く。
青地は作曲家サラサーテが自ら演奏している「ツィゴイネルワイゼン」のレコード、この盤には演奏者のサラサーテが伴奏者に喋っているのがそのまま録音されている珍品だそうだ、それを聞かされる。中砂は青地にその話の内容を訊ねるが、青地にも、それは理解出来なかった。
中砂は再び旅に出る。その間に、中砂の妻の園が豊子という女の子を産む。青地は青地の妻・周子の妹で入院中の妙子を見舞う。妙子は幻想をよく見るらしく、周子と中砂の密会を告げる。
その後、中砂から園の死と乳母を雇ったという。中砂家を訪れた青地は、乳母を見てまたしても驚かされた。死んだ園にそっくりな、芸者の小稲だった。
再び旅に出た中砂は、旅の途中で薬物中毒によって死ぬ。
ある晩、小稲が青地を訪ね、生前に中砂が貸した本を返して欲しいとやって来る。難解なドイツ語の原書だった。またしばらくして小稲がやって来て、「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを返して欲しいと言う。青地はそれを借りた記憶はなかったが、周子が中砂からそのレコードを借りて穏していたことが分り、数日後、青地はそれを持って小稲を訪ねる。
父・中砂を記憶していないはずの娘の豊子が毎夜彼と話をするという。家を出た青地は豊子に出会った。意味不明(台詞回しが怪しくて)の言葉を発する。豊子は死んだはずだったが・・・。
内田百閒原作の「サラサーテの盤」を、生と死、時間と空間、現実と幻想のなかを彷徨う物語として、田中陽造が脚色し、鈴木清順監督が映画化した作品。(「Oricon」データベースより)ということになるのか。
原作である内田百閒の作品自体(登場人物の名は、映画と同じく「中砂」。)も、夕刻時分の、夢か現かまどろみの世界のようで、語り手のみならず読者も背筋が寒くなるような印象。さすが内田ワールド、短編ながら独特の奥行きをもっていて、次第に語りの世界に引きずり込まれる。
映画は、ストーリー云々ではなかった。ところどころにちりばめられたエロチックな描写(中砂の目に入ったゴミを真っ赤な舌でなめ取る。はだけた胸に点々と浮かぶじんましん。腐った桃にかぶりつく。これらはすべて周子の映像。大谷直子はそれほどインパクトのある演技は最初の方だけだったのが、残念)。一方では、海岸の砂に半身を埋めてヨガのポーズをする中砂・・・。監督が心のおもむくまま(幻想)に描いた作品、という感想。
撮影場所が鎌倉、「切り通し」(冥界につながるというイメージなのか)の雰囲気がよく出ていた。大収穫。
《配役》
中砂糺:原田芳雄
中砂園、小稲(二役):大谷直子
青地豊二郎:藤田敏八
青地周子:大楠道代
妙子:真喜志きさ子
先達(盲目の門付け芸人):麿赤児
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