右手、線路の向こうは丘陵。
成田線・国道356号は台地の裾を縫うように進む。
バス停「側高(そばたか)青年館」。この先に、「側高神社」の大きな看板。
左手は利根川堤に続く田んぼ。
水準点。これも民家の敷地内にある。「海抜2.0m」。
「側高神社入口」。
奇祭「髭撫祭(ひげなでまつり)」で知られる側高神社は、香取神宮第一の摂社です。香取神宮の祭神である経津主命と縁故の深い神を祀った神社ですが、その主祭神は神秘とされて明らかにされていません。
鳥居をくぐって拝殿へと向かう石段の脇には、「四季の甕」と呼ばれる石段が並んでいます。石段の側から春の甕、夏の甕、秋の甕、冬の甕といい、夫々の甕の水量が四季折々の降水量を示すとされています。
この神社は利根川を見下ろす台地に建立されていますが、はるか昔は香取ヶ浦と呼ばれる広大な内海が眼下に広がっていたであろうと想像されます。そして境内には樹齢500年を超えるといわれる夫婦杉があり、さらに太さ7.4mもの杉のご神木も見事に聳え立っています。
本殿は寛文五年(1665)の建立で、独自の構造を持つ本殿は当地域ではほかに例がなく、昭和57年に千葉県の有形文化財に指定されました。
毎年1月第2日曜日に行われる髭撫祭は今から約800年前、鎌倉時代の建保二年(1214年)に始められたと伝えられています。大倉村中の氏子を氏族別に18組に分け、18当番の各組が毎年交互に2組ずつ祭り当番・請当番として奉仕するしきたりで、祭当番引き継ぎの行事として執り行われます。当日、神前に注連縄(しめなわ)を張り、鶴亀遊ぶ蓬莱山(ほうらいさん)を飾り、両当番は西と東に分かれて酒を飲み合います。年番のみが髭をつけています。紋付羽織袴という古式の礼装に威儀を正し、荒筵(あらむしろ)の上に著座し、二人ずつ交互に出て七引き合いの杯事を行い、初献より七献目(満献)まで、一杯・三・五・七・七・五・一杯と定められています。この定められた杯を飲み干したのち、年番は請年番に酒を勧めるため立派なひげを撫でます。これは「もっと飲め」という合図で、請年番は断れないしきたりになっています。これが「ひげなでまつり」といわれる所以です。見事に飲み干す度に勇者を褒めはやす鬨(とき)の声が新年早々の側高山に湧き上がり、今なお昔ながらの手振り床しく、五穀豊穣、子孫繁栄を祈念して引き継がれているのです。貴重な伝統文化であり、昭和52年に市の無形民俗文化財に指定されました。
(この項「」HPより)
「東関東自動車道」の橋梁。
利根川河畔を望む。
田植えを終えたばかりの水田が広がる。
この踏切際に道標「飯沼観世音江八里」があるようですが、車の行き来が激しく確認できず。
バス停「丸峰入口」。
成田線上り電車が通過。
この1本後の電車に乗るつもりです。しかし、膝の痛みがますます激しく、やっと歩いている感じ。
丘陵が迫ってきます。
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