おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その1。鳰(にお)・かいつぶり。古利根きらめき通り。ゆりのき橋。川久保公園。葛飾。(「中川」を遡る。第4回目。)

2022-06-14 20:56:58 | 中川を遡る

今回、「大落古利根川」の起点まで歩くことに。橋がけっこうあり、左岸、右岸の歩きやすい土手道を探りながら歩くことにします。

「藤塚橋」からしばらく右岸(西側)を。「古利根きらめき通り」・「古利根川緑道」。

左岸(東側)は桜並木が続く道。右岸は日差したっぷりで暑い! 

古利根の 水なめらかに 鳰進む (高野素十)                              

                             ※鳰(にお)=かいつぶり。冬の季語。

                              鳰の海=琵琶湖の古名。

「万葉集」には、 

鳰鳥の 潜(かづ)く池水 心あらば 君に我(あ)が恋ふる 情(こころ)示さね 《大伴坂上郎女》

※「鳰鳥の」は「葛飾」の枕詞。

鳰鳥(にほどり)の葛飾早稲(わせ)を饗(にへ)すともその愛(かな)しきを外(と)に立てめやも

                                         《作者不明・東歌》

(「Wikipedia」より)

カモの子?もしくはカモの仲間? いえいえ、まったく関係ないです

全長26cm。夏羽では首は赤茶色、冬羽では黄茶色です。足には各指にみずかきがあり、潜水は大得意で、足だけで泳ぎます。小魚、ザリガニ、エビ類、大きな水生昆虫などを食べています。日本では全国に分布しています。
水ぬるむ春、池や沼や湖で、そこに浮いていたかと思うとアッという間にもぐってしまい、あちらの方でポッカリ浮かびあがる潜水の名手。カモなどと一緒にいると、カモの子供に見られてしまうことがありますが、親鳥です。水草を積み重ねて水面に浮巣をつくり、夏のはじめ、綿毛のようなかわいいヒナを連れて泳いでいます。
琵琶湖の古名は「鳰(にお)の海」で、鳰―カイツブリは昔から知られていたようです。

(この項、「サントリー日本の鳥百科」HPより)

※「古利根きらめき通り」には、案内板の下部に、このように、主に古利根川や春日部にちなんだ俳句が掲載されています。すべてが当地で詠まれたものではないようですが、歩きながら、果たしていくつ気がつくか? 楽しみです。

 古利根川の遊歩道(古利根きらめき通り)には、いくつかの案内板があります。案内板の下半部に注目していただきますと、主に古利根川や春日部にちなんだ俳句が書かれています。すべてが当地で詠まれたものではありませんが、松尾芭蕉、正岡子規、高浜虚子、水原秋桜子、加藤楸邨等々の俳句は、川歩きをする人々へ心の彩りを与えてくれます。

 春日部来訪者で1、2を争う著名人といえる松尾芭蕉(1644~1694)は、同行していた弟子の曽良の日記によると、元禄2年(1689)『奥の細道』の行程で日光道中粕壁宿に一泊したと考えられています(今日は何の日)。芭蕉が当地で詠んだ作品はありませんが、案内板には、大和国で詠まれた「草臥て 宿かるころや 藤の花」が選ばれています。想像をたくましくして、藤の花で有名になった現代の春日部へ、もしも芭蕉が訪れたとすると、このように藤花を愛でて句を詠んだかもしれませんね。

 古利根川と古隅田川沿いを実際に歩いたのは、近代俳句では著名な2人の人物、水原秋桜子(1892~1981)と加藤楸邨(1905~1993)です。旧制粕壁中学校(現県立春日部高等学校)へ昭和4年(1929)に新任で国語教師として赴任した加藤楸邨は、中学校の同僚教師に勧められて俳句を始め、安孫子医院(閉院)に月2回ほど東京から往診に来ていた水原秋桜子から俳句の指導を受けていました。句会が終了すると二人は古利根河畔を散歩して、俳句について論じあっていたといいます。加藤楸邨は、昭和12年に辞職し、俳句を志すため大学に進学し東京へと移ります。この間8年、夫人や子供たちとともに、古利根川と古隅田川の河畔を歩いたことでしょう。夫婦で散歩していて、生徒たちにからかわれたというエピソードも伝わっているようです。

(この項、「春日部市教育委員会・郷土資料館」ポータルサイト」より

※「藤塚橋」の補足(上記の解説板に「さんぞうの渡し」と記されています。

 

昭和17~18年                    昭和25年ごろ

橋が架けられる以前、藤塚橋を挟んで上流には「三蔵の渡し」、下流には「藤塚の渡し」と呼ばれる渡船場がありました。古利根川と庄内古川に挟まれた豊野村にはこのほかに、古利根川には「地蔵坊の渡し」「彦太(平方)の渡し」「戸崎の渡し」が、庄内古川には「永沼の渡し」「水角の渡し」「倉田の渡し」という渡船場がありました。藤塚橋より下流の「地蔵坊の渡し」は、古利根川右岸に地蔵が祀られていたことにちなんだもので、渡し舟は藤塚村本田下組の人々の寄付で造船され、村の人たちによって管理されていたそうです。渡し賃は下組の人は無賃、組以外の人からは一銭くらいをもらっていたそうです。藤塚橋が架橋される昭和初めまで渡し舟があったといわれています(『春日部市昔むかし』)。藤塚橋は、一ノ割駅に直接通ずる橋として利用されましたが、「三蔵の渡し」「藤塚の渡し」の中間点にあたり、事実上、二つの渡船場を継承する橋として架けられたともいえるでしょう。

(この項、「春日部市教育委員会・郷土資料館」HPより)

やっと木陰が。

                   前方は「ゆりのき橋」。

              

                       その先、左には、「川久保公園」。

川久保公園は、埼玉県春日部市のほぼど真ん中の緑町にある大落古利根川の河川敷を整備して作られた公園です。園内には、珍しい石で作られた滑り台やベンチ、モニュメントがあります。
また、河川敷の水辺の自然をそのまま利用したビオトープがあり、多くの野鳥や水場に生きる生物を観察することが出来ます。
その他に、河川敷側の園路は春には桜が綺麗に咲きますので、桜を見ながらの気持ちいいお散歩やお花見がおススメです。
親子連れや仲間同士でのんびりと過ごすのに適した公園です。(「」HPより)

釣り人の姿。

             対岸も緑豊かな「牛島古川公園」。

東武野田線(アーバンパークライン)橋梁。

全線、ほぼ単線です。

牛島人道橋。

「中川合流点から13㎞」。

          ハンゲショウの群生地のようです。どれがそれなのか、分からず。

※ハンゲショウ は、ドクダミ科ハンゲショウ属に分類される多年草の1種である。カタシログサ ともよばれる。水辺や湿地に生え、高さ1メートルに達し、葉は互生する。夏に小さな花が集まった細長い総状花序をつけ、その周囲の葉が白く変色する 。東アジアから東南アジアに分布し、日本では本州以南から報告されている。

                    (「Wikipedia」より)

春日部市立東中学校。

この付近の1880年代のようす。

                                          「葛飾郡」とある。

葛飾郡は下総国の西端に位置する、南北に長い広大な郡で、南は東京都墨田区・江東区・葛飾区・江戸川区、千葉県市川市・船橋市西部、北は埼玉県杉戸町、茨城県五霞町に及んでいた。

※現在も杉戸町は、北葛飾郡となっています。

この地域は、東に「庄内古川(現中川)」と西に「古利根川」に、はさまれた微高地になっている。


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