倉賀野駅を過ぎると、最初の踏切が「日光例幣使街道」、その次の跨線橋が「旧中山道」。
二つとも歩いて通過しましたが、どのあたりだったか、確認できず。
※「日光例幣使街道」と「中山道」。(「例幣使街道」を歩いたときの記録。)
倉賀野宿・「中山道」との分岐点。
右が「中山道」、左が「日光例幣使街道」。
「常夜灯」。正面「日光道」右側面「中山道」左側面「常夜燈」。
「道標」。正面「従是 右 江戸道 左 日光道」。
JR線を越えます。
※「中山道」歩きのときの記録。
「←倉賀野宿1.3㎞、→新町宿3.9㎞」。
「高崎線」の上下線を跨線橋で越えて行きます。
・・・
さて、列車は、「烏(からす)川」を越えます。
「ザ・ガーデンゴルフクラブ」。
烏川の河川敷にある。
「烏川」。
烏川は、その源を群馬、長野の県境にそびえる鼻曲山(1654m)に発し、榛名山の西と碓氷丘陵の東の斜面境を東南方向に流れ、平野部に入ってから碓氷川、鏑川、神流川の西毛の三大河川を合わせて利根川に合流しています。流域面積は470km2、流路延長は61.8kmです。
(「国土交通省」HPより)
※烏川の名の由来水源の地形が唐臼(中国の臼)に似ており「カラウス川」と呼ばれたとの説、また傷ついた日本武尊を烏が現在の烏川水源に導いて救ったから・・・など、烏川の名の由来には諸説がある。
「北藤岡駅」先で、高崎線と離れていきます。
「高崎線」。
田園地帯をゆく。
「上越・北陸新幹線」。
「群馬藤岡駅」。
「神流(かんな)川」。
神流川は、三国山の西側より多野山地へ曲がりくねりながら流れ、下久保ダムを通り、群馬県と埼玉県の県境を流れ、新町地先で烏川に注いでいます。流域面積は407km2、流路延長は87.4kmです。(「同」HPより)
「丹荘(たんしょう)駅」。
丹荘駅の住所は埼玉県児玉郡神川町植竹。では、「丹荘」という駅名はどこからきているかというと、武蔵七党の一つ丹党の荘園があった地域に由来する。丹党は古代豪族多治比氏の末裔で、天慶年間(938〜947)に丹治武信が武蔵国に流されたのが祖という。武信はのちに許されて帰京したが、孫の峯時が秩父郡石田牧の別当となって土着、以後武蔵国西部から群馬県にかけて広がった。八高線でも丹荘駅の次は群馬県の群馬藤岡駅である。
丹党は児玉党ともに武蔵七党の中では大きな勢力を持ち、一族はこの付近の地名を名字として名乗った。江戸時代の摂津麻田藩主青木家が丹党の子孫を称しているなど、丹党の末裔という武家は多い。
(この項、「」HPより)
※1947年(昭和22年)から約40年間、後に上武鉄道となる日本ニッケル鉄道(日丹線)の起点駅で、1941年9月に日本ニッケル工業(現・朝日工業)~丹荘駅間6.1kmを結ぶ路線として開業。廃線跡は、「健康緑道」という遊歩道になっている。
(「Wikipedia」より)
「児玉駅」。
実りの秋、間近。
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