おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「死と滅亡のパンセ」(辺見 庸)毎日新聞社

2012-09-04 23:50:02 | 読書無限
 辺見さんの出身地が昨年の3月11日の大震災で壊滅した。その時まで行き来し、親しんでいた故郷。多くの人の命を奪い、懐かしい土地を一瞬うちに奪い去られたという現実の「出来事」への言語による痛切な総括。未来への言葉を紡ぐため自らを励ましながら、屈折した思いを語る。
 特に震災後の言論界が詩人も小説家も評論家も自己規制のもとで画一的な言動を吐いていることへの厳しい批判、ともすればそれに屈服してしまいそうな自らをも「叱咤激励」しながら言論活動。脳出血で倒れ、ガンに冒されまだまだ不自由な身体とも対峙しながら「闘う」作者のすさまじい「思い」をひしひしと感じる。
 以前から気になって読み進めていた作者であった。続けざまに病で倒れ、死というものに否応なしに向き合ってきた作者の言論活動。昨年の東日本大震災、福島第一原発事故、その直後、なすすべもなく右往左往した政治、経済・・・。それが人ごとではなく、自らのこれまでの生き様、言論戦への「総括」にもつながっていく、という視点。
 「よいひと」吉本隆明の言動批判、堀田善衛「方丈記私記」の記述作法批判など、また桜本富雄さんの文学者の戦争責任追求の諸作に関わって、震災以降の言論状況が新たなファシズムを内包していることへの指摘、さらには自身の詩集「目の海」にもふれながら渾身の(といっては失礼だが)の「パンセ」。「思い」とは、「思」であり「想」であり、人を含む生きとし生きるものへの「愛」(根源的な)である。
 
 『パンセ』(仏: Pensées)。晩年のブレーズ・パスカルが書きつづった断片的なノートを彼の死後に編纂して刊行。「パンセ」とは「思想」「思考」の意。初版は、1670年。
 多様性(人間の欲望の構造、個人と共同体の問題、他者の存在によって想像的な自我が生ずること、認識と視点・言語との関係、テキスト解釈の問題、等々)をもち、鋭く重要で深遠なテーマが扱われている。「人間は考える葦である」・・・。
 辺見さんが自らの著作に「パンセ」と名付けた意味もそこにある。
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