おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書「取り返しのつかないものを、取り返すために・大震災と井上ひさし」岩波ブックレフト

2011-07-26 21:05:26 | つぶやき
 このブックレフトは2011年4月9日におこなわれた「鎌倉九条の会」主催の「憲法のつどい2011鎌倉」での講演を、加筆し収録したもの、と「はじめに」に書かれています。この会の呼びかけ人のひとり、井上ひさし氏が亡くなってちょうど1年目にあたる日に「井上ひさしの言葉を心にきざんで」と題しての集いでした。
 その直前、3月11日東日本を襲った巨大地震、津波さらには福島第一原発事故が起こりました。井上ひさしを生み、育てた東北地方の大惨禍をどう受け止め、どう生きていくかを考える、別の言い方をすれば、どうメッセージを発していくか。ちょうどそのタイミングに合わせ
たかのような講演会だったようです。
 今回の講演は、日本の(日本人の)今後の生き方(方向性)を示唆する内容がありました。「九条の会」という言葉を聞いただけで(見ただけで)毛嫌いする方もいますが、その内容をよく吟味し、一人一人の今後の生き方・価値観の再検討とも重ね合わせながら、講演内容を読み取ることが大事なような気がします。
 表題の「取り返しのつかないものを、とりかえすために」は、大江健三郎氏の講演中の言葉です。
 大地震と大津波で多くの人々が死に行方がわからない。家族にとっても友人にとっても、死者は、もう取り返しのつかない処へ行ってしまいました。原発事故でも、作物の種を蒔けない、牛や豚を飼育できない・・・、取り返しのつかないことが起こってしまっています。海も汚染されてしまった・・・。子ども達の未来についても、取り返しのつかない出来事がなされています。
 こうした状況の中にあって、大江さんは、井上ひさしの戯曲「父と暮らせば」(これはヒロシマの原爆を扱った作品のうちでも傑作の一つです)の終幕の場面(原爆で死んだ)父と(生き残った)娘との会話を通じて、両者の心情(死んだ父の思いを取り戻し、父もまた娘の未来に希みを託す。「おとったん、ありがとありました」)の機微を引用しながら、
 「この国びとのなかで、その取り返しのつかないことを『取り返してやろう』という心の働きが、しっかりあると思う。そういう人たちの、というより私らみなの心の働きが実って、原発の事故のもたらしたものと対抗してゆけば、30年後、50年後、大人になった子供たちによって、ありがとうございました、と言われ、また私たちが将来の人たちにたいして、ありがとうございました、言うことができるようになりうるかもしれない。それを、私は望む、願う、憲法の「希求する」という言葉でいいたい。」
 と。
 政治がすっかり機能不全に陥ってしまっている、今の深刻な状況の下で、私たちの出来るささやかことでも何か行動すること、共感することによって、「取り返しのつかない」ことになってしまっている被災された(大地震で、大津波で、原発事故で)人々との心のつながりも生まれてくるのではないでしょうか。それはこの国の(国びとの)未来をしっかりと見つめることにもなっていくでしょう。
 この集いには、大江氏の他、内橋克人、なだいなだ、小森陽一氏が参加し、発言しています。
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