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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

まるで難民のようだ!?

2007-01-08 10:16:58 | つぶやき
「ガーラ湯沢」での出来事。
ゴンドラが動かずスキーヤーが足止め。
強風のためにゴンドラが運転停止。
そのため、大勢のスキー客が下山できず、
長時間にわたって待機させられた。

なかには、自力で下山した人もいるようだが、
多くの人間はスキー場の施設やJRの駅構内で、
「苦痛」を強いられた、とのこと。

今朝の「朝日」の記事の中。
56歳の女性の発言「まるで難民のようだった」と。
これを何の考えもなく、記事にする新聞記者。
その感性に目を疑った。

この女性の発言は、まあその場での、素朴な感想だったのだろう。
スキーを楽しみ、いざ下山となったらこの不始末か。
施設管理者、営業姿勢に対するたぶんに不満の声であったのだろう。
そのことを責めてもしかたがない。
年齢・実名入りのコメントなんだから。
せっかくの連休。スキーを楽しんできたのに最後がこれではと・・・。

だが、「難民」という言葉。
どういう状況に置かれた人々に対して、用いられるのか。
戦場と化してしまい、住む場を失ってしまった人々。
飢餓のために、生きる手段を求めて放浪せざるをえない人々。
政治的迫害のために、故郷や故国を離れざるをえなくなってしまった人々。・・・

まさに生きることの極限状態、死と隣り合わせの状況。
その中で、苦しみ逃げまどう。
おそらく世界中にはこうした人々が何千万と存在している。

たかが半日。暖かい施設内にとどまって、
食事も支給され、(「ご飯にスープをかけた」と食事の不満も載せていたが)
ある意味不測の事態の中で、一応の対応策をとってもらっていた。
強風でゴンドラが止まったら万事休す、
というレジャー施設の管理運営にも、大きな手落ちはあるけれど。

小生が若い頃、山登りではこうした天候のために、
山小屋や避難小屋で停滞せざるをえなかったこともしばしば。
居合わせた登山者と不安の中で、乏しい食事を分かち合い、天候の回復を待った。
そうしたことを思い合わせても、なんという想像力の欠如した発言かと思う。

「難民」に自分をなぞらえること。
世界中で深刻な「難民」。
そのことへの思いやりのない感性の持ち主なのかも知れない。
それを責められないのは、
日本人の多くが、そうした世界の厳しい実体に、
あまりにも目や耳などの五感を働かせなくなってしまったからではないか。

むしろ、そうした記事を掲載する新聞記者に、
最も大事なそうした想像力・感性が働くなっていることを憂うるのだ。

数日前、日米軍事関係者から、
もし北朝鮮が崩壊したら、
何十万という「難民」が日本に来る
というシミュレーションを公表した。

まさか、この記事を受けて、
こうした発言を載せたと思いたくはない。
「難民」というシビアな言葉を、
その裏付けもあいまいなまま、
掲載する記者に小生は失望する。
コメント
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