Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

妙蓮寺(2013年3月2日参拝)

2013-04-26 | 洛中法華21ヶ寺
以前参拝して御朱印をいただけなかった興聖寺へ向かうも、
山門が閉まってる。

なんでやねん。(泣)


気を取り直して興聖寺近くの妙蓮寺へ。



所在地:京都府京都市上京区寺之内通大宮東入妙蓮寺前町875
宗派:本門法華宗
御本尊:十界曼荼羅
創建:永仁2年(1294)
開山:日像
開基:柳屋仲興
札所:洛中法華21ヶ寺


【沿革】
宗祖日蓮大聖人より帝都弘通宗義天奏の遺命を受けた日像聖人が遺命を果たす為、
鎌倉より京都へ上られた時、五条西洞院の柳酒屋は深く聖人に帰依し、
未亡人は邸内に一宇を建立して聖人を請じ卯木山妙法蓮華寺と称した。
これが妙蓮寺の縁起である。

その後、たびたびの法難にあったが応永年間(1420年頃)本勝迹劣、
本迹一致の論争を契機に妙顕寺を退室した日慶聖人によって
柳屋の地に本門八品門流として再興された。

その後、寺域を堀川四条に移し皇室ならびに伏見宮家と関係深い日応僧正を迎えるに及び、
皇族始め足利将軍義尚等の参詣多く、また今出川家の公達日忠聖人は、
三井寺より改宗して当寺に投じて学室道輪寺を創立し、本化教学の道場を開く。
ここにおいて当寺の法運は隆昌を極め、山門の様式も格式高いものとなった。

天文5年(1536)には法華宗の隆昌を妬む比叡山天台宗を筆頭に
諸宗の僧俗10万人によって襲撃され、妙蓮寺をはじめとする日蓮聖人門下21本山は、
ことごとく灰燼に帰し堺に立ち退いた。
 
天文11年(1542)大宮西北小路に復興され、天正15年(1587)には、
豊臣秀吉の聚楽第造営に際して現在地に移転した。
当寺は1k㎡の境内に塔頭27ヶ院を有する大寺院であったが、
天明8年(1788)の大火によって、そのほとんどが焼失し僅かに宝蔵・鐘楼を残すのみとなった。

寛政元年より漸次復興して現在に至り塔頭8ヶ院を残す。


【山門】


日蓮系法華宗としてはなかなか良い雰囲気を感じる。

それもそのはず、
文政元年(1818)に禁裏(御所)より拝領したものだそうです。


【鐘楼堂】


袴腰鐘楼はやっぱりいいですね。


【本堂】


1789年に敦賀本妙寺の祖師堂を移したものだそうですが、
本堂を見ると最近改築されたものと推測出来ます。


【日像上人像】



【庭】


桜が咲いたらさぞかし美しいことだろう。

でも私はその時期に神社仏閣は出来るだけ参拝しないようにしている。
何故なら私は桜で着飾った神社仏閣よりも普段のありのままを見たいから。


【庫裏】


こちらで御首題や拝観受付をしています。

このお寺では500円を支払えば十六羅漢石庭や秀吉が寄進した臥牛石が拝観可能。
更に300円追加すれば収蔵庫や長谷川等伯の襖絵が拝観可能。

うーむ、合計800円か。
なかなかヘビーですね。

だから長谷川等伯だけを見に来る人も結構いるとか。

私は長谷川等伯に興味は無いですが。


尚、京都のお寺には珍しく素泊まり3800円で宿泊出来ます。

お金が無くてお寺の雰囲気を感じたい方は是非。(^^
十六羅漢の庭園無料見学の特典付きです。


「ひとりでうろつく京都(β版)」というブログでクリスマスイブに
男ひとりで素泊まりされている様子が書かれていますのでご紹介しておきます。(笑)

http://aloneagainorkyoto.com/2011/2011-12-24-myourenji-01/


【刀痕】




庫裏の柱にありました。


御首題は上人が留守で書置きも品切れでしたのでいただけませんでした。

またの機会にいただきに訪れたいと思います。


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