本日のメインは徳川家康所縁の鴨江寺。
こちらのお寺はかつてあの善光寺阿弥陀三尊像を
お迎えしたという由緒ある立派なお寺のようです。
【善光寺阿弥陀三尊像】
川中島の戦いにより善光寺を我が物にした武田信玄は、
甲斐の法城寺に移し、その後、甲斐善光寺を創建。
武田家を滅ぼした織田信長は安土城下伊奈波に移すが、
本能寺の変の後は次男信勝が甚目寺に移したという。
しかし徳川家康がすぐに鴨江寺に移すが、
家康の枕元に御本尊が「余は善光寺に帰る」と告げたので、
甲斐善光寺に戻したという。
更に豊臣秀吉が氏寺の御本尊とすべく、甲斐から京都に迎えたが、
秀吉の夢の中に御本尊が現れ「余は信濃へ帰る」と告げたので、
42年振りに信濃善光寺へ戻られた流転の歴史があります。
錚々たる武将が欲した善光寺御本尊。
現代人より遥かに生死が身近で、極楽浄土を願っていたからこそ、
阿弥陀如来にすがって欲しがったのであろう。
所在地:静岡県浜松市中区鴨江4丁目17番1号
宗派:高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:不明
開山:行基
札所:浜名湖岸新四国八十八ヶ所霊場、遠州不動霊場、浜松手引観音霊場、遠州七福神
【歴史】
今から千三百年ほど前、遠州地方の民話で知られる芋堀長者が
観音堂を建てたいと願っております時、行基菩薩様が東国へ来られました。
長者は行基に文武天皇の勅願所として観音堂を建てる事を願い出て、
大宝二年六月十八日ついに帝の特許があり創建。
天正11年、徳川家康は善光寺如来を鴨江寺にお迎えしました。
爾後慶長二年四月二十七日に後陽成天皇の勅により
山城国方広寺に移されるまでの十余年、
善光寺如来は鴨江寺でお祭りされていたのです。
鴨江寺観音堂は豊臣秀吉の世の慶長十三年火災で一端消失しましたが、
その時のお堂の規模は七間四方であったと記録に残っています。
江戸時代に入って元和二年、徳川家康によって
柱数十本を下し給うて観音堂が再建されました。
その堂内に安置されていた宮殿が弁天堂の宮殿として現在も残っています。
空襲で焼失したお堂は戦後すぐの昭和22年に再建され、
昭和62年の大改修を経て現在に至っています。
この観音堂(本堂)と昭和34年建立された弘法大師拝殿、
更に昭和54年建立に建立された成田山不動堂と呼ばれる三つの大堂が、
それぞれの因縁を持ちながら現在の鴨江寺を形作っています。
【仁王門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fc/9530a160eaa08707bfa01ea43173edd1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/23/b900de632590cde178c74bcdbf84bfb8.jpg)
2002年に建立されたそうですが、
立派な仁王門です。
無料駐車場が境内にありました。
【仁王像】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ef/5f883e6fc7f6e94dc31c31068e8c9bc4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/ab/292a25fdd5efc4160d93c1b11cd84670.jpg)
【山門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/03/4c90524692c0729eac1d955aadcd2c8c.jpg)
仁王門の他に山門もありました。
資金は潤沢なようです。(笑)
どうやら伽藍は朱色に統一されているようですね。
【成田山不動堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/58/359b8c2606a46e48b493ec20de97e7d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/47/e7c9450699d193e4a9a39e89371d71e6.jpg)
ガラス越しですがお不動さんが見れました。
こちらに寺務所があり御朱印をいただけます。
【八角堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ea/60831e59ec99ce478ad2860f3511dfa1.jpg)
天井部分に鐘楼を釣るようなものがあったので、
鐘楼堂なのかと思いましたが違うようですね。
【地蔵尊・阿伽井戸】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/2e/7f2f619263628629d8de29e9c93fd275.jpg)
【中門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/c0/8daf92526db8ff91788c66f9c617e1ca.jpg)
【鐘楼堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/67/36ebf5a547e686d16a0b1cb29ee5183e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/2d/eade70172d29faa1082e809c9991b0bc.jpg)
【観音堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/3c/ab9d6367bce35822a5349bfd6cb70b85.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/37/a591a231e57403305bb109142b079b8f.jpg)
これまた凄い建築です。
礼拝堂に入って本堂内を見ようとしましたが、
金網が邪魔でほとんど見えませんでした。
祈祷をしないと見れないようです。(泣)
聖観音菩薩、善光寺如来、聖徳太子が祀られているそうです。
【円空仏】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/02/23e6d00e6367267f2f6a232a0583a5e2.jpg)
これは研究家の方が造られたそうです。
【弘法大師堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/ae/77f9630b25dca6bf3fe874fa2588d32d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/9f/a38f12d051aa5f6dce9c781637adb975.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e2/7a8d07d8a111f801ba0846383daf1710.jpg)
こちらは堂内に入ることが出来ました。
ありがたや ありがたや。
【御堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/a5/385924a16a2e961abb829a2c8d2c44d9.jpg)
【弁天堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/f3/2cbcd7f1b1ea1cfd8c7e50ed180f639d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/92/76162cc9b5ce2d16c0bccad9b0a05b7c.jpg)
遠州七福神のひとつである弁天様が祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/03/0fcaa6d62877dbd6966d051cb2495441.jpg)
橋の欄干部分が像になっていて、
近所の子供が見て喜んでいました。
【納骨堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/2b/7c74d8729f9ee9b0f11ac70b49b6e3f3.jpg)
【御朱印】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/95/b52d894fd2817abcc72efc5c3d29bb64.jpg)
3種類の内、奥ゆかしく2種類をいただきました。
こちらのお寺はかつてあの善光寺阿弥陀三尊像を
お迎えしたという由緒ある立派なお寺のようです。
【善光寺阿弥陀三尊像】
川中島の戦いにより善光寺を我が物にした武田信玄は、
甲斐の法城寺に移し、その後、甲斐善光寺を創建。
武田家を滅ぼした織田信長は安土城下伊奈波に移すが、
本能寺の変の後は次男信勝が甚目寺に移したという。
しかし徳川家康がすぐに鴨江寺に移すが、
家康の枕元に御本尊が「余は善光寺に帰る」と告げたので、
甲斐善光寺に戻したという。
更に豊臣秀吉が氏寺の御本尊とすべく、甲斐から京都に迎えたが、
秀吉の夢の中に御本尊が現れ「余は信濃へ帰る」と告げたので、
42年振りに信濃善光寺へ戻られた流転の歴史があります。
錚々たる武将が欲した善光寺御本尊。
現代人より遥かに生死が身近で、極楽浄土を願っていたからこそ、
阿弥陀如来にすがって欲しがったのであろう。
所在地:静岡県浜松市中区鴨江4丁目17番1号
宗派:高野山真言宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:不明
開山:行基
札所:浜名湖岸新四国八十八ヶ所霊場、遠州不動霊場、浜松手引観音霊場、遠州七福神
【歴史】
今から千三百年ほど前、遠州地方の民話で知られる芋堀長者が
観音堂を建てたいと願っております時、行基菩薩様が東国へ来られました。
長者は行基に文武天皇の勅願所として観音堂を建てる事を願い出て、
大宝二年六月十八日ついに帝の特許があり創建。
天正11年、徳川家康は善光寺如来を鴨江寺にお迎えしました。
爾後慶長二年四月二十七日に後陽成天皇の勅により
山城国方広寺に移されるまでの十余年、
善光寺如来は鴨江寺でお祭りされていたのです。
鴨江寺観音堂は豊臣秀吉の世の慶長十三年火災で一端消失しましたが、
その時のお堂の規模は七間四方であったと記録に残っています。
江戸時代に入って元和二年、徳川家康によって
柱数十本を下し給うて観音堂が再建されました。
その堂内に安置されていた宮殿が弁天堂の宮殿として現在も残っています。
空襲で焼失したお堂は戦後すぐの昭和22年に再建され、
昭和62年の大改修を経て現在に至っています。
この観音堂(本堂)と昭和34年建立された弘法大師拝殿、
更に昭和54年建立に建立された成田山不動堂と呼ばれる三つの大堂が、
それぞれの因縁を持ちながら現在の鴨江寺を形作っています。
【仁王門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/fc/9530a160eaa08707bfa01ea43173edd1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/23/b900de632590cde178c74bcdbf84bfb8.jpg)
2002年に建立されたそうですが、
立派な仁王門です。
無料駐車場が境内にありました。
【仁王像】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ef/5f883e6fc7f6e94dc31c31068e8c9bc4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/ab/292a25fdd5efc4160d93c1b11cd84670.jpg)
【山門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/03/4c90524692c0729eac1d955aadcd2c8c.jpg)
仁王門の他に山門もありました。
資金は潤沢なようです。(笑)
どうやら伽藍は朱色に統一されているようですね。
【成田山不動堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/58/359b8c2606a46e48b493ec20de97e7d8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/47/e7c9450699d193e4a9a39e89371d71e6.jpg)
ガラス越しですがお不動さんが見れました。
こちらに寺務所があり御朱印をいただけます。
【八角堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ea/60831e59ec99ce478ad2860f3511dfa1.jpg)
天井部分に鐘楼を釣るようなものがあったので、
鐘楼堂なのかと思いましたが違うようですね。
【地蔵尊・阿伽井戸】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/2e/7f2f619263628629d8de29e9c93fd275.jpg)
【中門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/c0/8daf92526db8ff91788c66f9c617e1ca.jpg)
【鐘楼堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/67/36ebf5a547e686d16a0b1cb29ee5183e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/2d/eade70172d29faa1082e809c9991b0bc.jpg)
【観音堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/3c/ab9d6367bce35822a5349bfd6cb70b85.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/37/a591a231e57403305bb109142b079b8f.jpg)
これまた凄い建築です。
礼拝堂に入って本堂内を見ようとしましたが、
金網が邪魔でほとんど見えませんでした。
祈祷をしないと見れないようです。(泣)
聖観音菩薩、善光寺如来、聖徳太子が祀られているそうです。
【円空仏】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/02/23e6d00e6367267f2f6a232a0583a5e2.jpg)
これは研究家の方が造られたそうです。
【弘法大師堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/ae/77f9630b25dca6bf3fe874fa2588d32d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/9f/a38f12d051aa5f6dce9c781637adb975.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e2/7a8d07d8a111f801ba0846383daf1710.jpg)
こちらは堂内に入ることが出来ました。
ありがたや ありがたや。
【御堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/a5/385924a16a2e961abb829a2c8d2c44d9.jpg)
【弁天堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/f3/2cbcd7f1b1ea1cfd8c7e50ed180f639d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/92/76162cc9b5ce2d16c0bccad9b0a05b7c.jpg)
遠州七福神のひとつである弁天様が祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/03/0fcaa6d62877dbd6966d051cb2495441.jpg)
橋の欄干部分が像になっていて、
近所の子供が見て喜んでいました。
【納骨堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/2b/7c74d8729f9ee9b0f11ac70b49b6e3f3.jpg)
【御朱印】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/95/b52d894fd2817abcc72efc5c3d29bb64.jpg)
3種類の内、奥ゆかしく2種類をいただきました。