私のふるさとは四国香川県、母の里は風光明媚な津田の松原に面する小さな漁村です。私が物心ついたころはまだ戦後の混乱が少し落ち着き始めたころ、漁村の若者たちは戦争に駆り出されその多くが帰らぬままに村の年寄りや女たちが地引き網漁を中心に伝馬船を使って湾内で細々と量を続けていた時代です。
祖母ひとりが暮らしていた粗末な藁屋は美しい津田の海を見降ろす岬にあり、小島の点在するすべてが湾内のような瀬戸内海に突き出していました。そのような海を見て育った私は「水平線」という言葉は知っていてもそのイメージは描けぬまま育ったのですが、金沢に住むようになりようやく島のない海と水平線を見たとき、その広さに感動さえしたことを今も覚えています。

そのときの感動が私を日本海の海岸に引き寄せるのでしょうか・・・? 冬になり山里が雪に閉ざされるようになるとよく海岸の風景を見にゆきます。写真は昨年の12月に見た夕景です。
二人でいつまでも海を眺める人影が印象に残った夕景でした。





祖母ひとりが暮らしていた粗末な藁屋は美しい津田の海を見降ろす岬にあり、小島の点在するすべてが湾内のような瀬戸内海に突き出していました。そのような海を見て育った私は「水平線」という言葉は知っていてもそのイメージは描けぬまま育ったのですが、金沢に住むようになりようやく島のない海と水平線を見たとき、その広さに感動さえしたことを今も覚えています。

そのときの感動が私を日本海の海岸に引き寄せるのでしょうか・・・? 冬になり山里が雪に閉ざされるようになるとよく海岸の風景を見にゆきます。写真は昨年の12月に見た夕景です。
二人でいつまでも海を眺める人影が印象に残った夕景でした。




