無意識日記
宇多田光 word:i_
 



先日書いたこのエントリ

【晴れても当たっても尚憂鬱な朝】
https://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary/e/ae05af7e8f520696386170cac81a9a4b

の中の

「10万円の席と学割の併用とかできたらよかった」

の部分の記述にツッコミが入った。嬉しいねぇ。実をいうとこのエントリ、あんまりにもチケット販売についての論点が多過ぎるもんで、様々な要点だけ抽出して書き並べただけのものだったので、個々の詳述については後回しにしていたのだ。こうやって言ってもらえると、書き下すタイミングが出来て非常に助かる。有難うございます。

ツッコミの要旨というのは、「10万円の席」も「学割」も、特定の層に対する優遇であって「ファンクラブを設けない平等の精神」に反する、ということでいいのかな。これについては、2つの論点がある。

ひとつめ。もともと、『UTADA UNITED 2006』でてるざねさんが「最前列と最後列や見切り席で同じ料金というのはいかがなものか」という問題意識を提起してS席とA席が設けられたのが事の発端。つまり、なにをもってして公平(fair)或いは平等(Equal)と呼ぶのかの認識については議論の幅があるということ。一律料金にして運任せにするのが平等だし公平だと捉える人も居れば、払ったお金の分だけの利得を得るのがフェアだと言う人もいる。前者は機会の平等(購入前の利得の期待値が全員同じ)、後者は商取引の結果に対する合意度、納得度だね。ここでは購入後の利得に対する公平感と言い換えておけばいいか。

これについては、この日記ではずっと「全席フルオークションが望ましい」という原理主義的なことを書いてきている。一席ごとに競売すれば、S席A席みたいな「大雑把な」括りが生む不平等感…アリーナ最後列より2階最前列の方が距離はそんなに変わらないのに見晴らしがよくて嬉しい、みたいな事態にも極力対応できるからね。勿論、局所的な不相応な価格の高騰も見込まれるので完璧な方法ではないのは百も承知ではあるけれど。そしてそれ(フルオークション)ですら、全然実現されていないので理想論でしかない。

だけど、そういう理想論についてであってもなお、「お金がすべてなの?」という立場もあるだろう。親が資産家で大金を苦も無く捻出できる人と庶民とで、同じ金額が同じ価値をもつわけでもない。とはいえ、そこは社会人として現実を受け容れよう、という言い方もできはする。

だが未成年については、どうにも言い訳がたちづらいのではないか、というのがひとつめの論点なんですよ。そもそも未成年は、成年、大人によって労働に制限がかけられている。かなり国際的に児童労働というのは問題なので、それに伴って彼らは一律に、自由に収入を得ることができない。「親の脛をかじるのが正当化されてラッキー」と思う人もいるだろうけど、一方で「既に市場で価値のあるものを提供できるのに今すぐ稼げないのは嬉しくない」と思う子たちもあるだろう。

そういう状況において、そうね、今回のSFツアーのチケット代、16500~27500円というのは、彼らにとってえらい大金じゃない? それは彼らが怠惰だからとかそういう理由で出しづらい金額なのではなく、そもそもまともに働かせて貰える立場にないから高額なのであって、それを考慮すると大人と同じ料金で観ろっていって売り出すのってめっちゃ不公平じゃないか?というのがひとつあるんですよ。個人的な見解として。

だったらどうするか。学生証提示などを条件にして割安なチケットを彼らに売ろう、というのはひとつの(ある程度妥協的な)対案にはなるのではないかと。でもじゃあその分の損失をどうするのか。本来得るべき収益の分、今さっき「めっちゃ不公平じゃないか?」って疑義を呈した大人たちに払ってもらうのが筋ってもんだろ、という意味で「10万円のチケット」というアイデアを出すわけですここで私は。学割分、有志の大人に負担してもらえばいいんじゃない?と。

これがもし大方のコンセンサスのとれてるアイデアであれば、成年向けの(一般の)チケット全体に満遍なく学割分の補填額を割り振ればいいんだけど、恐らく現状から察するに「いや、学生だろうと同じ料金を払って観ろよ。というか大人になってから楽しめ。」と主張する人もかなりの数にのぼると思うので、「全員に割り振り」というのは異議が唱えられると予想される。だからこその10万円。まぁわかると思うけど、この金額は象徴的なものであって具体的に計算して出した額じゃあない。

まぁ、10万とか出すんならせっかくなので、抽選無し即当選するとか、最前列付近を買えるとか、スペシャルなお土産がもらえるとか、ミート&グリート参加券も付与するとか、いろんなおまけをつけて見栄えを整える、ってのもひとつの手だろうし、「学割を負担した大人として誇れる」というのをタテにして他の標準額のチケットと同じ扱いにしてもいいけれど。或いは、10万円のチケットの枚数上限を柔軟に設定して、その分学割の枚数も変動させるとか、いろんな手があるだろうね。そこはそのときのデザイン次第。

ということで、何が言いたかったかというと、「何がフェアなのかのコンセンサスがとれてない中で、私は"労働制限されてる未成年に成年と同じ額を払わせるのはフェアではないから成年側がある程度負担した方がいい”」という立場をとるので、この「10万円と学割の併用」っていうアイデアを出そうとしていた、っていうこと。反対の極端として、「総ての席を総ての人に大して一律料金で売る」という方法も存在して、それは確かに機会の平等という意味では一理あるけれど、宇多田ヒカルに関しては、てるざねさんが推し進めてきたように(そして他のアーティストも同時代的にそうしてきたように)、席によって料金を変えるのがフェアだろうという思想で今までツアーをしてきてるので、私はそれをさらに推し進めて拡大した考え方でアイデアを提案してきてるとこなわけです。


で。ふたつめ。ここが結構大事で、更に踏み込んで言うと、私は「優れたコンサートは若いうちにこそ観て欲しい」という願望が、あるんですよ。こちらは、ファンクラブがどうのとかフェアとかイコールとか公平とか平等の話では、ないのですわ。若いうちに観た方が、主観的体験としては圧倒的に価値が高い、というか影響力がある、という想定。実際、25年もやってきてると、宇多田ヒカルに感動してこの仕事に就きましたという人がもう実際にヒカルと同じ職場に現れてきてる、っていう事態が実例としてあるわけでね。つまり、まわりまわってヒカル本人に好影響を与える可能性が増大するんですよ、誰かが若い頃にヒカルに感動してくれると。それは音源やらメッセージやらでもいいけど、やっぱライブ・コンサートで実際に観て感動してくれるってのは大きいだろうな、と。なので、それもあって「10万円と学割」みたいなアイデアを採用して、若い人たちに沢山みてほしいなという願望が強い。でもま、これに関してはやっぱり疑義も多いだろうな。「苦労して大人になって自分で稼いでやっと観れる、という方が望ましい」というのもわかるしなぁ。働くのに身が入るもんね、好きなアーティストの生歌唱、大人になったらいっぱい堪能したいから、今のうちに沢山勉強や努力をするんだ!って意気込むのもまた若い頃のモチベーションだもんね。


ということで、結局、「何をフェア/イコールだと感じるか」について、そこまで大きなコンセンサスがとれてない領域だから様々なアイデアを出す余地がある、というのがチケット販売に関する現状なのだと、i_さんは思うのでした。重ね重ね、問題提起に加担してうただき、感謝の念にたえません。ありがとうございました。

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Unknown (Unknown)
2024-05-17 08:56:09
第二回口頭弁論。
 
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