転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



神戸の別院もこのような雰囲気だった。
遠目にはニコライ堂の系統のものかと思った(汗)。

Trackback ( 0 )




飛雲閣を見るつもりだったが入れなかった。
写真は国宝・唐門。

Trackback ( 0 )




西本願寺。

我が家は浄土真宗本願寺派に属しているので
こちらが総本山ということになるが、私は個人的には、
どこでなければいけないという感覚は持っていない。

主人と結婚していなければ、私は門徒にもなっていなかったと思うが、
元来、親鸞の教えの源流はひとつだったと思っているし、
更に辿るなら、何宗でなければならないということすらないだろう。

来年は、かねて心にかかっている『歎異抄』を読みたいと思っている。

*********

東本願寺では「はとまめ」を販売していて、
たくさんの鳩が境内やお堂の屋根にいたが、
西本願寺では一羽も見かけなかった。
これが一番大きな違いだった(爆)。

Trackback ( 0 )




我が家は安芸門徒(浄土真宗)なのだが、
娘は「お東さん」にも「お西さん」にも実際に行ってみたことがなかった。
それで観光を兼ねてお参りすることにした。
東本願寺に行って、「西があるのだから、これでまだ半分」かと、
私も改めて圧倒された。

それにしても、組織が巨大化すると、
人間の理想というのはどうしても保守派・急進派に
別れてしまうものなのだろうか。
表千家と裏千家じゃないが、本願寺も東西に別れていて
それぞれに主張や特色が違っていて、
興味深いけれども、残念な気持ちも正直なところ感じる。

Trackback ( 0 )




みんなが音楽で清志郎を語ってくれて
しかも誰も過去形ではなく現在進行形で。
とても鮮明に清志郎を感じることのできる映画だった。
清志郎ひとりのステージを記録するより
このほうが様々な角度から、とても立体的に
清志郎を表現することができたのだと思う。

それにしてもチャボは本当に特別な人だったのだと改めて感じた。
いつも、ステージの清志郎とチャボの間柄というのは、
変な意味でなく(笑)恋人同士か何かのように、
お互いが無くてはならない存在に見えていたのだが、
名曲「夜の散歩をしないかね」は、こうして聴くと、
まさに清志郎とチャボが二人で歩く歌だったんだなあ……。
チャボが、今も清志郎のことを楽しく優しく言葉にしてくれて、
とても微笑ましく、嬉しく、切なく思った。

Trackback ( 0 )




私ひとり先にホテルを出発し、まずは朝10時から
テアトル梅田にて映画「グレン・グールド」。
本編の音楽はどれもグールド本人の演奏なのだが
いきなりベートーベンの田園で始まったのには驚いた。
当たり前のことだが、グールドは最初からバッハとシェーンベルクばかり
弾いていたわけではなかったのだ。
副題にあるグールドの「内面的世界」に触れることより
私にとっては彼のピアニストとしての様々な可能性を
感じることができたことのほうが、目からウロコの驚きだった。
2011年の今になって、本当に今更なのだけれど。

さて、映画のあとは、大阪駅で家族と落ち合い、
京都まで行って昼食を取った。
それから東本願寺と西本願寺にお参りし、
本能寺も見学して(このあたりの詳細はまた後ほど)、
娘がお友達のリクエストだったサンケイの「大阪ラーメン」を買い、
夕方また大阪に戻ってきた。

阪神百貨店内の中華料理店で夕食を取り、その後は再び家族別行動になり、
……今、私が何をしているかというと、梅田ブルク7の待合室に座って、
清志郎の映画「ナニワ・サリバン・ショー」の開始を待っているのだ。
広島で見ることの出来なかった映画を二本とも大阪で。
ああ、有り難いことだ。
ただひとつ残念だったのは、「ナニワ・サリバン・ショー」のパンフが
すでに品切れになっていたことだ。
もう上映期間も終わりの、こんな時期まで来られなかったのだから
出遅れなのはわかっていたのだが、それにしても悔やまれる(涙)。

Trackback ( 0 )




朝から洗濯したりゴミ出ししたり忙しかったが
どうにか片付けて家を出てきた。

ああ休暇の始まり。
一年間頑張った自分にご褒美(殴)。

娘は昨夜までに冬休みの宿題を終わらせた。
ゆえに今夜は、スナック菓子を食べながらBASARAを見ながら
更にラノベを読みながら、ホテルの夜を満喫している。
主人はどこかでディナーを楽しんでから到着する予定だ。

Trackback ( 0 )




昨夕は、あれから宅配業者さんが無事に荷物を取りに来てくれて、
28日に大阪着を請け負ってくれたので、安心した。
昨日は朝から、墓掃除や庭掃除など、寒いところで作業をすることが続いたので、
夜は夕食後、お風呂に入って早く寝るようにしたつもりだったのだが、
今朝は起きてみたら、またなんだか左下腹部が時々痛くて、
どうもやり過ぎたかな(汗)と、今更だが、やや後悔した。

しかしとりあえず体は元気のようだし、思い煩っていても仕方が無いので、
きょうも年末の片付けを続けることにした。
とにかく日が無いし、今やれることはやっておかないと、どうしようもない。
それでまず、朝は娘に手伝わせて家じゅうに掃除機をかけ、風呂を掃除し、
仏像二体と舅姑の遺影を置いているチェストの上の埃を払って
お正月用の鏡餅をお供えした。

それから昼食を済ませ、娘の学校の制服をクリーニングに出しに行き、
郵便局で振り込みを二件やって、年賀はがき追加分を50枚購入し、
その足でいつもの美容室にまわって、髪を切って貰った。
頭がさっぱりしたところで、更に近くのATMで年末年始のために現金をおろし、
スーパーで夕食の買い物をし、パン屋さんで明日の朝食用のパンを仕入れ、
最後に家の近くの内科に寄った。この時点で午後3時10分だった。

「はは。年の暮れ、最後の最後まで医者通いですか(^^)」
と先生は仰った(先日よりお元気そうだったが咳をなさっていた)。
ああ、いいんだよ、もう、どーせ私は心気症予備軍だよ(--#)。
明日から三泊四日で旅行に行かねばならないことを話し、
お腹を壊したり腹痛を起こしたりすると困るからと訴えて、
痛み止めブスコパンと整腸剤ビオフェルミン、下痢止めアドソルビン、
それに鎮痛剤ロキソニンを、だいたい一週間分ほど出して貰った。

それで、さきほど帰宅してコーヒーを淹れ、
買ってきたクリームパン(^^)をオヤツに一息入れたところだ
(↑要らんことをするから腹痛になるのだ、とお医者様から叱られそうだが)。
このあとは、玄関に門松の紙を貼って注連飾りを吊さなくてはならない。
それから最後にトイレ掃除をして、今夜の夕食のあとはレンジ台を磨いて。
あと、明日は年内最後の資源ゴミの日だから、それもまとめておかなくては。
そうだ、明朝出発までに洗濯をして浴室に干し、生ゴミの始末もしないと。
……これで、もう、忘れているものは、ないだろうか?
自分の体力の配分を考えて、今年は特に、割と早くから、
片付けや掃除などに着手していたつもりだったのだが、
結局やっぱりこの期に及んでジタバタじた気分になるのは、相変わらずだった。
まったくどうして、年末になると毎年、こんなに焦ってしまうのか(^_^;。

Trackback ( 0 )




ツアコンころもんが、例によって28日から大阪三泊四日の旅を計画していて、
年末の掃除や後片付けも前倒しなので、そろそろ忙しくなってきた。

まず昨日は、ほぼ一日で年賀状を完成させ、今朝投函した。
プリンターが機嫌良く仕事をしてくれたので、本当に助かった。
今年も、家族の写真を使い、何か自筆で一文は書き入れるようにして
どうにかクリスマスの晩には仕上げることができた。良かった(T_T)。
接点は年賀状だけになってしまった友人知人もあるが、
それだけに、年に一度のやりとりは楽しみだし、
今後もできるだけ長く、そのようでありたいものだと思った。

さて、それで、きょうは午前中のうちに舅姑の墓掃除・墓参りをし、
お正月用にいつもより大きな菊を供えてお線香を上げてから、
更に佐伯区の舅宅へ行って、庭掃除をした。
簡単に済ませようと思ったのに、やり出すと熱中してしまい(アホか)
しばらくして気がついたら雪がモウモウと舞っていた。
いかん、枯れ葉を何袋集めても終わらん、このままでは体が冷えてしまう、
と我に返って、最後は適当なところで切り上げ、戸締まりをした。
玄関に門松の紙も貼りたかったが、近所中まだどこも貼っていなくて、
舅宅だけというのは、いかにも『留守にします』という感じがして、
かえって不用心だと思い、やめた。

舅宅からバスで中区まで戻ってきたら、気温は低めながら明るい晴天で、
雪がモウモウということは、こちらでは、なかった(汗)。
やはり舅宅と市街地では、標高差がかなりあるということが実感できた。
そのままバスセンターで夕食用の買い物その他の用事を済ませて
T.M.R.三原公演のとき話題になった、『八天堂のくりーむパン』
期間限定で販売されていたので、これも娘のために購入し)、
マンションに帰り着いたら、もう昼過ぎで、
寝坊の娘もさすがに起きていたので、昼食(娘は朝食か)をふたりで食べた。
その後、娘を指導しつつクリスマスツリーの片付けをふたりでやり、
娘はそれから、自室に戻って、寝……ではなく、冬休みの宿題続行。

私のほうは、旅行中の家族の着替えなど荷物を段ボールに詰めて、
一足先にホテル宛てに発送しておかなければならなかったので、
荷造りをし、宅配便業者に電話をかけて手配をした。
ホテルや旅館などを宛先とした荷物は、宿泊予定日の前日発送では駄目で、
二日前に発送しないと、宅配業者さんに受け付けて貰えないのだ
(ということを以前の旅行のときに学んだ)。

↑今ココ

Trackback ( 0 )




先日、近所のスーパーでマグロを買ったら、
『クロアチア産』と書いてあり、感動した(笑)。
なんとこいつは、アドリア海から渡ってきたマグロだったのか。

クロアチアというと、私にとってはポゴレリチ関連の話題ばかりで、
ほかのことで注目する機会が少なかったのだが、
調べてみると、クロアチアのマグロはなかなか有名なのだった。

大使館レポート クロアチア共和国(外務省)
TUNA QUEENの産地紹介 クロアチア(TUNA QUEEN)

アドリア海は、瀬戸内海を思わせるような風景で、
小島がたくさんあり、マグロの養殖に適した地形になっているのだそうだ。
冬場に冷え込み、水温が適度に下がることも、
身の締まったマグロを育てるのに良い環境であるらしい。
養殖事業は96年に本格的に始まり、大半が日本へと輸出されている。
……娘が95年生まれだから、クロアチアのマグロ養殖は、
うちの娘の年齢とほぼ同じくらいの歴史があるのだね(笑)。

ということで、有り難く頂きました。美味しかったです(^^)。

Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »