こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

絵に描いて、安心?

2014年04月18日 | 無意識の世界
願っても叶わなかった願望も、たくさんあったはずです。
はずですとは他人事みたいですが、
叶わなかった願いを抱いていた自分というのが、今はとても遠くに感じるし、
叶わなかったことが残念だとも思わない。今となっては、
叶わない方が自然で当然、宇宙のバランスに適っているというものです。

絵に描いた餅。ひと言で言えばそういうことなのだと思います。
当時は、その願いを絵に描くことで安心を得ていたと思うのです。

そのことを願う自分に安心していたのだとすると、
もしも、そのことに気付くことができていたならば、
それを願わない自分に不安を覚えるのは何故?という、
とても有意義な自問自答がはじまっていたことでしょう。

自問することで、この願望は本望ではないことが意識できたかもしれません。

本望でないことを錯覚することが心の安定に繋がるとすれば、
そのときはそれを生きる他はないのだし、それでよいのだと思いますが、
(それはそれで宇宙のバランスに適っているのでしょうし…)
ただ、いつでも錯覚ばかり繰り返して生涯、本当の願望を生きることがないとしたら、
せっかくこの世に生まれてきたのに、残念です。

本望であれば、“願わない自分に不安を覚える”などという感覚が入り込む隙はなく、
叶ったイメージを楽しみ幸福曲線を味わうことは、ごく当たり前のことでしょう。

実現させるべく行動するかどうかはともかくとしても、
自分の願望がどこからきているものなのか。
真正な願望か、それとも絵に描いた餅なのか(防衛機制なのか)?

人生を残念に終らせないためにも。時々に自問してみるのは有意義なことかと思います。
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