こちらが表に出ているときは、察知するや鹿はサーッと逃げてしまうので、
これまでは姿を見かけても、せいぜいが白いお尻の後姿だけでした。
家に居ても音を聞くだけで窓から姿を見るようなことも殆どなかったのですが、
最近になってガラス戸越しですが、はっきり姿を見る機会が3回もありまして。
一番最近は朝の散歩か、雌鹿2頭が連れ立って来ていました。
その前は、やはり朝に雌鹿が単独で立ち止まっては食事しながら、
庭の境界にしているツバキに沿って楽しげに横ぎって行くのを見ました。
最初に見たのは確か3月の上旬で、立派な角をもった雄鹿が、
木の幹に絡まった蔓を引っ張っりおろしてはムシャムシャ食べているのを、
気付かれないように、そっと、じーっと二階の窓から観察したときでした。
時折、食べるのを止めて私の方をジーッと見ているようでもありました。
あちらに、どんなふうに見えていたのか。それはわかりませんが、
気配とか痕跡だけ知るときよりも、無心な姿をじっくり見てしまった後では、
やはり無下には追っ払えないという気持ちは強くなるようですね。
鹿は神聖な動物であるという古来からのイメージも、知らず知らず、
私の思考と感情と行動に影響を与えていることもあるでしょう。
高く大きく育ったネムの木の大ぶりの枝が朽ち落ちているのを見つけました。
このところの隣の雑木林からの侵入を塞ぐのに恰好の長さです。
ちょっと遮って。気休めになるかならないかですが、今はこんなところかなあと。。。
こちらの思考と感情、人間の心の営みが現象には影響するような気もして、
まあ楽しみながら大らかに、鹿と私の双方を観察したいものだと思います。
