大震災と原発のいたましい事故から一年がたちました。先日の対話集会では粟野信治君から震災で応援いただいた皆さんへの御礼の言葉と近況報告の中で被災地の苦悩の話もありました。安全な農産物をつくり健康的な生活が営めるようにと有機農業に人生を掛けたのが4年前です。しかし、就農してみると毎年の異常気象や害虫の発生などで生産の喜びを味わうことなく大災害に遭遇してしまいました。大きすぎた被害に有機農業を断念し . . . 本文を読む
▼24年も山形に住んでいて今年の雪は特別です。来た当初は温暖化で降雪もさほどではなく、屋根の雪下ろしも庭木の冬囲いもここ天童では見かけない光景でした。いつまでも溶けない根雪や雪の壁もよそごと。
それでも雪が降り始めると春を待つ気持ちが募ったものでした。
▼それが一月に入り、本格的な雪が降り始め中旬に大雪が続いたとき、抗うというよりも快く受け入れる、という気持ちになったのは意外でした。とうとう雪 . . . 本文を読む
今年の雪はことのほか多く屋根の雪下ろしをする家族の姿が見えます。そんな中で大寒が過ぎると春野菜の準備に入る農家が多く種屋さんも忙しくなります。
昨年は、皆さんから温かい心を、たくさんの義援金をお寄せいただき、私たちは勇気づけられうれしい絆を頂戴いたしました。そのようなお礼もあって、今年はみなさんに山形山の野菜をいっぱい食べていただこうとたくさん種を準備しました。
これまでの山形山農場は . . . 本文を読む
新年おめでとうございます。昨年があまりにも不幸な年であっただけに新年を迎えても『おめでとう』と心から言えない人がたくさんいます。
天災の無情は誰もが知り、その覚悟の備えはあるものの、あれほどの大きな震災に襲われるとは多くの人の脳裏に想定されていなかった。
数千年の時間をかけて築き上げた豊かな生活の基盤が簡単に破壊され、しかも広範囲に大打撃を被ってしまった。まだ生活のために働く職場も、子ど . . . 本文を読む
▼被災地の人口が大きく減少し始めています。被災三県で6万5千人減と報じられています。東日本の沿岸部に多くの企業が集合していて、そのほとんどが壊滅的な打撃を受けました。6割とも伝えられる失業者はこの一月に失業手当が打ち切られ、再就職の道は閉ざされています。中でも自営業者には何の支援策もないままだったことも報じられました。
▼被災した農業者も同じ立場です。宮城県仙台市、海沿いに田畑や家屋敷のあった相 . . . 本文を読む
全国有機農法連絡会「土の声」2010.04より
■米の表示はブラックボックス
食政策センタービジョン21 主宰 安田 節子
生産者が直接消費者に販売する米は未検査米と呼ばれます。
JAS表示制度のもと、未検査米は米袋に品種・産年・産地(三点セット)表示ができません。流通業者に売り渡すときに受ける検査を受けた米だけに、三点セット表示ができます。では検査米はどんな検査を受けているのでしょうか。 . . . 本文を読む
全国有機農法連絡会「土の声」2010.01より
■農業政策を二つの神話から解放せよ 大野和興(農業ジャーナリスト)
自公政権に代わって登場した鳩山政権が抱える重要政策課題のひとつに農業問題がある。ここ二十年、グローバリゼーションの嵐が農業と農村に襲いかかり、農産物価格の下落と農村雇用の縮小というかたちでむらのくらしを直撃した。農村の困窮化は農村票の反乱となって、これまで農村を地盤としていた自 . . . 本文を読む
文/伊庭みか子氏
安全な食と環境を考えるネットワーク事務局長。同時通訳・翻訳、国際会議等のコーディネーター。
今、加速する地球の温暖化の中、世界中が気候変動による異常気象現象に見舞われる一方、干ばつや洪水を一因とする食料不足で、世界の食料危機は悪化の一途を辿っています。国連によると毎日飢餓やそれに関わる原因で2万5千人もの人々が命を失い、いわゆる飢餓人口は10億人に達する勢いです。一方、政府は . . . 本文を読む
7月28日より4日間にわたって開かれた「農業学校」には6名の小中学生が集いました。彼らの汗と感動が野菜となって実りました。
「あれ?きょうは野菜の日じゃないよね」と子供たち。よくよくあて名を見るとあて名が子供たちの名前になっており、大喜びで箱をあけたところ、自分たちの育てた野菜たちでした。
「キャベツなんてあんなにか細い苗だったのに。カリフラワーもブロッコリーもこんなに大きくなって」といと . . . 本文を読む
私が全有連と「こめ」の取り組みを始めて17年が経過しました。私自身、一日一日、そして一年一年を大切にしながら農業に携わってきましたが、月日の経つのが、こんなにも早いものだ今更ながらに思っています。
私は農業に従事する前、農家の次男坊という事もあり、横浜の石川島播磨重工に勤務し、大型タンカーの修理を7年間ほどやっていました。その後、「縁」あって地元に戻り、妻と一緒になり就農しました。昭和52年 . . . 本文を読む