私が全有連と「こめ」の取り組みを始めて17年が経過しました。私自身、一日一日、そして一年一年を大切にしながら農業に携わってきましたが、月日の経つのが、こんなにも早いものだ今更ながらに思っています。
私は農業に従事する前、農家の次男坊という事もあり、横浜の石川島播磨重工に勤務し、大型タンカーの修理を7年間ほどやっていました。その後、「縁」あって地元に戻り、妻と一緒になり就農しました。昭和52年(1977年)、25歳の年でしたが、当時を振り返ってみるとき、本当に農業に活気があり良き時代でした・・・、いまも懐かしく思い出されます。
さて、私が「全有連」と出会ったのは80年代後半、地元の仲間と一緒に「農業を考える会」を組織し、学習や生協との産直活動をやっていた頃です。それまでは、問題意識もないままに慣行栽培で稲作を行い「こめ」を作っていましたが、全有連代表から、環境と人間の健康を考えた「こめづくり」をやってみないかとの誘いを受けました。当時、稲作の主流をなしていた栽培方法を疑問ももたず絶対視していましたから、驚きを持って話を聞いたことを、今更ながらに懐かしく思い出されます。
しかし、そうはいっても栽培方法を変えるというのは、いまの時代では考えられないほど勇気がいることでした。農薬を散布しないことにより、隣の家の田圃に迷惑をかけないのだろうかなどなど、心配は一杯ありました。それでも、17年がたって過去を振り返ってみる時、一年一年が無駄だったとは私自身思っていません。試行錯誤を繰り返しながら、土作りのための努力、農薬を減らすために導入した温湯消毒機や動力除草機などは、今では私の稲作においては自然のものです。いまでは全国どこでも、土作りや農薬を減らすことで産地をアピールしているようですが、環境にも人間にも健康にとっても良い事だと思っています。
さて、いま私の集落では、国が平成19年から実施する「品目横断的対策」にゆれていますが、全国の農村どこでも同じようなことになっているのではないでしょうか。
個人で4ヘクタール以上、集落営農組織で25ヘクタール以上の条件を満たさなければ国の交付金の対象にしないという政策によって、集落そのものが揺れています。この政策の実施が、ようやく増えつつある大豆の生産を減少させ、また、減農薬から農薬の大量散布に繋がるのではないかと危惧しています。
私はこれまで農業をやってきて、家族農業こそが、「持続的農業」を続ける最も基本的な農業形態だと思っています。時代が変わろうとも、私自身の農業に対するポリシーを大事に、農業を続けていこうと思っています。
私と仲間の「こめ」を食べていただいている多くの皆さん、今後ともよろしくお願いします。
全有連 稲作連合会 掘純雄
私は農業に従事する前、農家の次男坊という事もあり、横浜の石川島播磨重工に勤務し、大型タンカーの修理を7年間ほどやっていました。その後、「縁」あって地元に戻り、妻と一緒になり就農しました。昭和52年(1977年)、25歳の年でしたが、当時を振り返ってみるとき、本当に農業に活気があり良き時代でした・・・、いまも懐かしく思い出されます。
さて、私が「全有連」と出会ったのは80年代後半、地元の仲間と一緒に「農業を考える会」を組織し、学習や生協との産直活動をやっていた頃です。それまでは、問題意識もないままに慣行栽培で稲作を行い「こめ」を作っていましたが、全有連代表から、環境と人間の健康を考えた「こめづくり」をやってみないかとの誘いを受けました。当時、稲作の主流をなしていた栽培方法を疑問ももたず絶対視していましたから、驚きを持って話を聞いたことを、今更ながらに懐かしく思い出されます。
しかし、そうはいっても栽培方法を変えるというのは、いまの時代では考えられないほど勇気がいることでした。農薬を散布しないことにより、隣の家の田圃に迷惑をかけないのだろうかなどなど、心配は一杯ありました。それでも、17年がたって過去を振り返ってみる時、一年一年が無駄だったとは私自身思っていません。試行錯誤を繰り返しながら、土作りのための努力、農薬を減らすために導入した温湯消毒機や動力除草機などは、今では私の稲作においては自然のものです。いまでは全国どこでも、土作りや農薬を減らすことで産地をアピールしているようですが、環境にも人間にも健康にとっても良い事だと思っています。
さて、いま私の集落では、国が平成19年から実施する「品目横断的対策」にゆれていますが、全国の農村どこでも同じようなことになっているのではないでしょうか。
個人で4ヘクタール以上、集落営農組織で25ヘクタール以上の条件を満たさなければ国の交付金の対象にしないという政策によって、集落そのものが揺れています。この政策の実施が、ようやく増えつつある大豆の生産を減少させ、また、減農薬から農薬の大量散布に繋がるのではないかと危惧しています。
私はこれまで農業をやってきて、家族農業こそが、「持続的農業」を続ける最も基本的な農業形態だと思っています。時代が変わろうとも、私自身の農業に対するポリシーを大事に、農業を続けていこうと思っています。
私と仲間の「こめ」を食べていただいている多くの皆さん、今後ともよろしくお願いします。
全有連 稲作連合会 掘純雄