この日暖かな陽射しが山形に満ち、震災12年目を迎えた私たちを包みました。毎年この日に集い、福島からの被災者の人たち、支援する人たちが復興を誓う日です。
ここ3年はコロナ禍の中、祈りの日も規模を縮小し参加者も少なくなっていました。今年もまだコロナが終息したわけではなく、復興記念事業への一般参加も50名と限定し、事前申込制です。私たち実行委員会もズーム会議で諸々を進めます。
12年たち私もスタッフも高齢化しました。夜間の運転も難しくなり、今年からは当日の役割分担も辞退しそれぞれ自由参加にしました。
私はいつもこの場で会う、福島の被災者の方と山形市役所で待ち合わせ。「千年和鐘」をついて追悼しました。記念式典には山形県知事(代読)、山形市長からは「被災地と連携しながらともに歩み、真の復興に向けた取り組みを続ける…」とあいさつがありました。ピーク時には5800人超の被災者を受け入れたことを語り、いまもなお故郷に戻れない方がいることも語られました。
福島の友人とはこの一年のことを語り合い、千年に一度の大震災のこと、今もなお故郷に戻れない原発の爆発についてその悔しさを語らいます。
原発の爆発があって被害被災が拡大したこと、いまも「慰謝料で潤っている」と言われることの口惜しさも口にします。
山形ではこの日各地で追悼や復興の祈念事業がありました。中でも酒田では追悼式の他「福島の事故を忘れるな」「3.11原発たくさんだNOO!さよなら原発ウォーク」が酒田市内で行われ市民50人が行進しました。 思いは同じです。