ぎなた読み

2013年03月20日 | 日記
ぎなた読み、って、最近は使わない言葉でしょうか。文章の区切り目を誤って読むことです。昔の教科書に載っていた「弁慶がなぎなたを持って...」という文章を「弁慶がな、ぎなたを...」と読む子どもがよくいたことから来ている、と小学生の頃聞きました。
歌には歌詞が付いているので、意味が通じるように歌わないといけません。しかし、イタリア語やドイツ語の歌詞は私たちには呪文みたいなものですから、単語の途中で息継ぎをしてしまったり、歌詞を読み間違っていたり、詩の意味内容と合わない表現をしてしまったり、ついうっかりおかしなことをやらかすことも多々あります。でも、外国語は聴く人にもあんまりわからないし(笑)、全体的に雰囲気が出ていればOKかな、とも思います。
今日、女子高校生が、かの有名なイタリアの歌「オーソレミオ」をレッスンに持ってきました。題名の下に「我が太陽よ」と日本語の題が書いてあります。「この曲、どんな意味の歌?」と訊くと、困ったような顔。イタリア語の歌詞の下に邦訳歌詞がついていたので、それを読んで少しイメージをふくらませてもらいました。イタリア語の単語の意味はsoleとbellaぐらいわかればよしとして、単語の途中でブレスをしないように、と注意してもう一度歌ってもらうと俄然イキイキした歌になりました。
母語の歌の場合、言葉に関しては外国語の歌よりラクなはずですが、なまじ言葉がわかるだけに深く考えずに歌うので、非常に曖昧にしか理解していないこともあるようです。以前、オーストリアで声楽のマスターコースに参加した時、「klein Marie(小さなマリー)」という可愛い小品のレッスンを受けていたオーストリア人の女子大生がいました。ごくごく分かりやすいドイツ語の歌でした。「草の上のマリー、草花はみんな彼女より背が高い。私は不安になった。マリーがどこにも見えないの。クローバーの茂みの中でマリーをなくしちゃった。青いアスターや白い釣鐘草、金色のキンポウゲの花々の間に...あっ、あそこに見えるのは何?あれはアスターじゃない、小さな頭だわ。マリーが見つかった!」というもの。講師の先生に「マリーって何?」と訊ねられた彼女、今日の高校生のように困った顔をして黙っていました。先生が「お人形よ!」と言うとハッとした様子。どこの国でも、若い人は歌詞の意味などあまり深く考えずに歌っているのかもしれません。私も若い頃は日本歌曲を何も考えずに歌っていたような気がします。文語調の歌詞の曲はきっと「ぎなた読み」のように歌っていたことでしょう。
5月のリサイタルでは、方言や職人言葉などの入った、ちょっと毛色の変わった日本歌曲を歌おうと思っています。若い頃は全く食指が動かなかったのですが、この頃そういう曲を無性に歌いたくなってきました。年を取るのも良いものですね。

ウィンナワルツ

2013年03月18日 | 日記
「オハイエくまもと とっておきの音楽祭」が24日に迫ってきました。昨日は本番前の最後の練習日だったので(合唱団の話です)、並び方の練習なども含め、全曲通しての練習をしました。
ア・カペラの「野ばら」とユニゾンの「ふるさと」はさすがに自家薬籠中ですが(本当??(笑))、「流浪の民」は何度やってもなかなか手の内に入らず、発音、アゴーギク、ハーモニー、色々おぼつかなくて大変。それでも、昨年ステージに乗せただけあってそれなりには形になっています。あとは、久しぶりに引っ張り出してきた「ウィーン我が夢の街」と「メリー・ウィドウ」のワルツですが、ウィーンの香り高いこの2曲を皆さんすごく楽しんで歌って下さっています。とてもいい感じなので欲が出て、我が団にはダンスの心得のある方が数名いらっしゃるので、「ウィーン我が夢の街」の16小節の間奏の時に2組のペアに踊ってもらうことにしました。あまりスペースもないし、本格的なステップを踏むは難しいと思いますが、試しにちょっと踊って頂くと何とも優雅な雰囲気。他の皆さんも気分が乗ってきて、左右に体を揺らしながら高らかに歌い上げていかれます。これはいいぞ、と内心ちょっとホクホクしながら練習を終えました。メンバーの方たちから「うちの団、なかなかいい線行ってますよ」とか「今日はよく声が出てましたね」という声が聞こえてきましたが、私もそう思いました。
合唱は技術の向上ももちろん大切ですが、皆が「練習が楽しい」と思えることが一番大事です。いそいそと練習に出かけて行き、練習後は鼻歌交じりの上機嫌というのが理想ですね。個人レッスンもそうかもしれません。生徒さんに「来てよかった~」という気分で帰って頂ければベスト。そんなレッスンを目指したいと改めて思った日でした。

発音(承前)

2013年03月16日 | 日記
日本語の「ウ」の母音が西欧語の「u」と違うことは先日書きましたが、「エ」も歌う時に注意が必要な母音です。「エ」は口角から息が漏れやすいのです。昨日、今日と個人レッスンの生徒さん達に「「ア」の時と同じ口角の位置で、「ア」の時と同じように舌を平らにしたまま上へ持ち上げ、舌の両側を上の歯の列にくっつけて「エ」と発音して下さい」と言いながら練習してみました。日本語話者は「舌を持ち上げる」ことに慣れていないので難しいのですが、しばらく奮闘して頂くうちに、体をしっかり使えば舌が持ち上がることがわかってこられます。「「エ」という発音がこんなに難しいとは思いませんでした」と皆さんおっしゃいます。舌が上がっている時には下腹部に緊張があるので、歌っていて歌詞が「エ」の母音になったら下腹をぐっと引き上げるようにします。
ロングトーンで「アエアエ...」と「エアエア...」の練習をして舌の動きがスムーズになったら、2度の音程や5度の音階で練習します。さらにロングトーンで「アエイオウ」、「イエアオウ」、「ウオアエイ」の練習をします。母音が変わる時、口角を動かさずに舌を動かすようにします。母音の変化は明瞭に出るように、しかし響きが変わらないように気をつけます。「母音一つにこれほど体を使うんですね」と汗だくになりながら言われたSさんの感想が印象的でした。「欧米人が体力がある理由がわかりました」というMさんの言葉も。日頃からこれだけ体を使ってしゃべっていれば(しかも欧米人はよくしゃべりますからね)体力もつくでしょう。トレーニングとして、この体の使い方で毎日一分間、新聞か何かを音読なさるようお勧めしています。

発音

2013年03月14日 | 日記
日本語は音声学的に特殊な言語なのだそうです。口の奥を開けずに口先だけで喋るという点で。そういう言語は、日本語の他にはオセアニアの少数民族の言語ぐらいしかないと聞きました。私はその方面の知識はあまり持ち合せませんが、確かに英語やドイツ語などの欧米語は口の奥を開け、舌をよく使って発音します。その時横隔膜も連動するので、喋る時と歌う時の体の使い方がそれほど違わないわけです。日本語は横隔膜をほとんど使わずに喋ります。そして、喋る時に下あごに力が入ります。以前にも書きましたが、数年前、ドイツでの声楽の講習会で「日本人は下あごに力が入っている」、「日本人は口が半分しか開いていない」と指摘されたことがあります。しかし、ドイツ人の先生にはその直し方がわからないのですね。そこで私が上半身を前屈させて首の力を抜き、横隔膜をしっかり使って声を出してみせたら、「その声よ!どうしてそうなるの?」と驚かれ、これは下あごの力を抜く方法の一つです、と言ったら「勉強になったわ、ありがとう」と感謝されました(笑)。
それはともかく、日本人が歌う外国語の歌が何となく日本語風に聞こえてしまう大きな理由は、口の奥が開いていないこと(つまり下あごに力が入っていること)、そして舌の動かし方が不十分なこと、この2点です。日本人の「ウ」の発音はドイツ人やイタリア人の耳には「ユ」に聞こえるそうです。これは口の奥が開いていないことが原因です。以前、ドイツでドイツ語の研修に参加した時、フォネティックス(音声学)の個人レッスンでドイツ語の文章を音読させられ、「あなたの「ウ」の発音は日本人離れしている。どうしてドイツ語の「ウ」ができるの?」と訊かれたことがあります。日本人は「ウ」の発音ができない民族だと思われているんだな、と再認識させられました。
昨日、Hさんがレッスンに「Moon River」という英語の歌を持って来られました。まず第一声の「ムーン」という発音が日本語的に聞こえます。そこで、「オ」と発音してもらって、「オ」を伸ばしながら唇を尖らせるようにしてもらうと、英語の「ムーン」に聞こえてきました。すごくお腹を使っていらっしゃるのがわかります。次の「リヴァー」は、日本語に無い「r」の発音から始まります。舌先を上へ持ち上げてずーっと奥の方へ巻き込みますが、その時舌先が上あごに付かないよう上あごを引き上げます。そして「イ」の発音は口角を横へ拡げず、「ムーン」の時と同じ口の形で舌だけを少し前へ出すような感じで持ちあげます。この2つの単語だけで、神経も体も相当使います。外国語の歌を歌う時はよほど意識していないと、つい日頃の癖が出てしまいますから。
「ウ」を深くすることと「イ」の発音を唇ではなく舌で作ることを徹底していくうちに、Hさんの「Moon River」はだんだん英語らしく聞こえてきました。一語一語の発音に気をつけながら一曲歌い終えるとかなり消耗したようですが、これが欧米人の発音であり、体力である、と身を持って感じられたようです。外国語を喋ったり歌ったりする時は、日本語の時とは全く体の使い方が異なることを常に意識しないといけませんね。

受験生

2013年03月12日 | 日記
合格発表の季節ですね。生徒さんや身内に受験生がいる年は(ほぼ毎年ですが)気持ちが落ち着かない時期です。声楽の試験は、まず風邪をひかないことが絶対条件。とにかく体調管理が最も重要です。そしてメンタル面では、「あがる」という厄介な現象をコントロールする精神力が必要です。声楽は器楽と比べて勉強を始めるのが遅いこともあり、入試では「伸び代」を見るので、基礎力と素質があれば大体OKのようですが、その素質の一つに「緊張しても実力を発揮できる」という項目があります。人前で歌うのですから緊張するのは当たり前ですが、その緊張状態を楽しみ、自分をアピールする余裕があれば大丈夫。また、そういうタイプでないと歌うたいにはなれません。しかし、かく言う私自身、高校生の頃は本当にひどいあがり症でした。受験の時も、緊張のあまり歌っている間中ずっと声が上ずりっぱなしで、こりゃダメだと思って合格発表を待たずにさっさと熊本へ帰ってきてしまったものです。音大に入ってみると、周りはやっぱり立派な声のネアカな人たちばかりでした。適性から言えば決して歌には向いていなかった私ですが、結局「歌が好き」ということが最も根本的な素質のようで、相当な遅咲きではありましたが、時間と場数を重ね、今ではあがらずに歌えるようになりました。ですから、歌が好きなら諦めることはないのです。
しかし、素質とともに大切なのが基礎力。音大入試には、専科以外にも副科ピアノ、聴音、楽典、新曲視唱、コールユーブンゲン、英語、国語などの試験があります。最近はコールユーブンゲンや新曲視唱の試験のない音大も多いようですが、基礎的な勉強ができていないと入った後が大変です。また、専科にも基礎があります。ピアノで言えば、鍵盤を押さえるだけならネコでもできるけれど、フィンガリングや重心移動などの力学的な基礎が身に付いていなければピアノを弾きこなすことはできないのと同じで、声楽も、声は誰でも出せますが、広い音域を複雑なリズムや言葉を伴って音楽的に表現するためには発声の基礎訓練が不可欠です。しかし、ちゃんと練習しないと弾けない器楽と違い、普段しゃべる時と同じ「声」を素材としている声楽は大した訓練は必要ないような錯覚を起こしがちです。きちんとした発声を身につけるには、やはりきちんとしたメソッドとレッスンの積み重ねが必要で、基礎は一夜にして成らず、です。受験生よ、大志を抱きつつ足許をかためよ!地道な努力を怠るなかれ。
若い人を教える時には、基礎の大切さを伝え、理解してもらうことが最初の仕事のようです。