あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

自我の欲望を誠らしく話す人にだまされてはいけない「ギャラより高い交通費」。(自我その167)

2019-07-26 17:54:24 | 思想
吉本興業(吉本興業ホールディングス株式会社)の岡本社長は、7月22日の会見で、「タレント、社員を含めて、吉本興業は、全員が、家族、ファミリーであると考えています。」と語った。「人間関係がベース」の会社なのだと主張する。だから、書面契約を交わさず、口頭契約にしていたと言う。書面契約は水臭いというわけである。あきれ果てた主張である。しかし、現代社会においても、このような詭弁がまかり通っていた会社が存在するのである。言うまでもなく、会社が芸人に対して書面契約をしなかったのは、高額の上前をはねるためである。高額のピンハネをするためである。法外に高額の上前・ピンハネが露見するのを恐れて、書面契約を交わさなかったのである。吉本興業は、「若者の夢を叶える会社」という触れ込みで、NSC(吉本総合芸能学院)で、若者から年間54万円もの授業料を納めさせ、芸人からは、法外に高額の上前・ピンハネを掠め取ってのし上がった会社なのである。いわば、吉本興業は、若者・芸人の生き血を吸って、肥え太った会社なのである。しかし、資本主義という経済体制において、吉本興業の経営陣だけが労働者を搾取することを考えているのではない。全ての資本家階級・経営陣が考えていることなのである。現代日本においても、資本家階級・経営陣は、日本の若者・外国人労働者を搾取している。それは、ブラック企業と言われている。しかし、吉本興業は、ブラック企業と呼ばれたことは一度も無い。しかし、吉本興業は、ブラック企業と同じことをしていたのである。つまり、吉本興業がブラック企業であると露見したのである。「若者の夢を叶える会社」であるはずの、日本最多の芸人を抱える、有名な吉本企業がブラック企業であったことに、マスコミも大衆も驚いたのである。そもそも、資本主義は、封建体制下に現れ、18世紀のイギリスの産業革命によって確立され、それが、ヨーロッパ、アメリカ、そして、日本に広まったものである。初期の頃は、日本でも戦前もそうであったが、全ての企業はブラック企業であった。しかも、国家権力は、警察や軍隊や暴力団を使って、そのブラック企業を守ろうとした。それに対して、ドイツの哲学者、マルクスは、労働者(プロレタリア)に、団結して、資本家(ブルジョア)に対して革命を起こして、私有財産制の否定と共有財産制の実現によって、貧富の差の無い、共産主義社会を実現するように呼びかけた。全世界の労働者(プロレタリア)が、Iその呼びかけに応じて、各国で、共産主義革命運動が起こった。成功したのは、ソ連、中国、北朝鮮、キューバなどの一部の国であったが、各国の権力者や各企業の経営者(資本家)は、共産主義革命運動に恐れを成し、企業を、経営者(資本家)の権利だけを認めるブラック企業形態から、労働者の権利も認める開かれた企業形態に変えていった。日本の企業も、戦前は、国家権力、警察、軍隊、暴力団によって、ブラック企業だったが、戦後は、アメリカの力で、労働者の権利も認める開かれた企業形態に変えられた。しかし、労働者(プロレタリア)自らが勝ち取った権利では無いので、吉本興業などのブラック企業が残ったのである。労働者(プロレタリア)自らが団結して勝ち取らない限り、ブラック企業形態は残存するのである。吉本興業には労働組合が無い。吉本興業がブラック企業であり続けているのは当然のことである。ちなみは、マルクスは天才である。資本主義の正体を暴き、共産主義革命の必然性を説いたところには、一点の狂いも無い。よく、テレビ番組で、東大生や東大出身者を天才と呼ぶが、彼らは天才では無い。単に、日本の受験競争に勝ち抜いただけである。マルクスと彼らの才能は、天と地のほどの差がある。安倍源基は、東京帝大法学部法律学科卒業であるが、戦前の特高部長時代、小林多喜二など、数十人を拷問死させている。岸信介は、東京帝大法学部法律学科卒業であるが、戦前、満州国実業部部長時代、アヘンを売りさばき、戦争を起こした東条内閣の商工大臣であり、戦後、A級戦犯から解放され、首相となり、60年安保闘争時には。デモ隊を抑えようとして、自衛隊だけで無く、暴力団まで使おうとした。佐藤栄作は、東京帝大法学部法律学科卒業であるが、沖縄返還時に、密約で、アメリカに多額のお金を払い、沖縄に、核を持ち込むことも、核を置くことも、認めている。そして、日本国民と共に世界の人々に対して、アメリカに非核三原則を守らせるとだまし、ノーベル平和賞を受賞している。現在、テレビ番組のクイズ番組によく出る東大生の二人が、交際していた女性に、妊娠中絶させている。ところで、天才のマルクスであるが、構造体における、深層心理から起こる自我の欲望に気付かなかった。それは、マルクスの活躍以後、フロイトの無意識(意識や意志という表層心理では無く、人間が直接に意識できない、深層心理が人間の心を動かしている)の思想、ニーチェの力への意志(他を征服し同化しいっそう強大になろうという意欲)の思想が現れたために、マルクスがそれらに気付かなかったからである。マルクスは、どのような国になろうと、たとえ共産主義の国家になろうと、権力者は自我の欲望に基づいて行動することに気付かなかったのである。だから、マルクスは、ソ連という共産主義国家の構造体でも中国という共産主義国家の構造体でも、共産党幹部という政治権力者が自我の欲望に基づいて独裁政治を行い、北朝鮮という共産主義国家の構造体でも、金一族が政治権力者という自我の欲望に基づいて独裁政治を行うなどということは考える由も無かったのである。さて、次に、構造体と自我について、三つの特徴を挙げ、それを吉本興業という構造体に当てはめて考えていこうと思う。第一の特徴として、人間は、いついかなる時でも、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持って行動しているということである。それでは、構造体とは何か。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、何か。自我とは、構造体における、自分のポジションを自分として認めて行動するあり方である。吉本興業という構造体について言えば、社長・会長・社員・マネージャー・芸人などの自我があるのである。第二の特徴として、自我は構造体の存続・発展に尽力するということである。それは、構造体が消滅すれば、自我も消滅するからである。だから、人間にとって、構造体のために、自我が存在するのではない。自我のために、構造体が存在するのである。吉本興業という構造体について言えば、現在の岡本社長・大崎会長の吉本体制を支持している芸人たちが、現体制批判者を非難するのは、吉本興業が消滅してしまうと、芸人という自我を失う虞あるからである。第三の特徴として、人間は、構造体において、自我を主人にして、深層心理が対他化・対自化・共感化のいずれかの機能を働かせて、行動しているということである。対他化とは、他者から好評価・高評価を受けたいと思いつつ、自分に対する他者の思いを探ることである。対自化とは、自分の目標を達成するために、他者に対応し、他者の狙いや目標や目的などの思いを探ることである。共感化とは、何か。共感化とは、自分の力を高め、自分の存在を確かなものにするために、他者と愛し合い、敵や周囲の者と対峙するために、他者と協力し合うことである。往々にして、人間は、自我の力が弱いと思えば、対他化して、他者の自らに対する思いを探る。人間は、自我の力が強いと思えば、対自化して、他者の思いを探り、他者を動かそうとしたり、利用しようとしたり、支配しようとしたりする。人間は、自我が不安な時は、他者と共感化して、自我のの存在を確かなものにしようとする。吉本興業という構造体について言えば、経営者側は、書面契約をせずに、自我の立場を優位にして、芸人たちを対自化して、支配しているのである。芸人たちは、自我の立場が弱いから、経営者側に対して、自らを対他化して、気に入られようと振る舞ってきたのである。芸人たちは、互いに共感化して、経営者側に、書面契約などの権利を要求すべきだったのである。確かに、吉本興業は、ブラック企業であり、経営者側は、芸人に対して書面契約をせずに、法外に高額の上前・ピンハネをかすめたのは、とんでもないことである。しかし、誰が、吉本興業の経営者になろうと、芸人に対して書面契約をせずに、法外に高額の上前・ピンハネをかすめただろう。なぜならば、人間は、どのような構造体であろうと、自我の力が強いと思えば、対自化して、他者の思いを探り、他者を動かそうとしたり、利用しようとしたり、支配しようとするからである。第三者の権力が介入するか、芸人たちが、共感化して、待遇改善を求めなければ、事態は動かないのである。今回、マスコミが騒ぎ、公正取引委員会が、書面契約にするように促したから、書面契約の流れができたのである。しかし、それに対しても、岡本社長は、希望する芸人に対しては書面契約をすると言い、依然として、書面契約の無い状態の旨味に執着し、それに固執しているのである。希望者だけということにすれば、芸人に圧力を掛けて、希望しないという選択をさせることができるからである。また、岡本社長は、会社とタレントとのギャラ配分について、「ざっくりとした平均値で言っても、5対5か、6対4です。」と語ったが、芸人たちは、自らの経験を挙げて、「9対1」、「8対2」なのでは無いかと反論している。かつて、「ギャラより高い交通費 大きなお金は会社側 小さいお金は芸人に おもしろそうに稼いでる」と、明石家さんまが、吉本興業の芸人たちのギャラ事情を、自らの経験を踏まえて、自虐的に歌っていた。言うまでもなく、多くの日本国民に親しまれている、童謡「こいのぼり」の「屋根より高い鯉のぼり 大きい真鯉はお父さん 小さい緋鯉は子供たち おもしろそうに泳いでる」の替え歌である。もしも、岡本社長の言う通りならば、この替え歌はできなかったはずである。また、大谷由里子という、吉本興業の元マネージャーの女性が、テレビの情報番組に、頻繁に登場し、「売れっ子になれば、書面契約になります。」と言っていた。しかし、友近も、ハリセンボンの春菜も、コロコロチキチキペッパーズのナダルも、書面契約はおろか、口頭契約すらしていないと言う。他の売れっ子芸人も異口同音に言う。一人として、書面契約は、もちろんのこと、口頭契約すらしていないと言う。吉本興業の芸人たちは、グッズの売り上げ、単独ライブ、興行、テレビ出演料の全額を知らず、明細を渡されること無く、雀の涙ほどのギャラに甘んじてきたのである。大谷由里子は嘘を付いているのである。彼女は、かつては、吉本興業に勤め、マネージャーとしての自我があり、言わば、吉本興業の共犯者だったから、嘘を付くのである。テレビ局は、吉本興業に自我のある者、自我のあったものを、コメンテーターとして呼ぶべきでは無いのである。なぜならば、自我の欲望に基づいて、嘘を付き、解説するからである。テレビ局は、政治解説者の人選も誤っている。その政治解説者とは、安倍晋三や自民党国会議員と仲間になっている田崎史郎である。田崎史郎は、彼らと仲間を作り、友人という自我を持っていることに喜びを感じている。だから、田崎史郎は、定期的に、彼らと会食し、彼らから情報を得られたとことを自慢げに話す。政治権力者たちと友人になった政治評論家は、政治評論家では無い。なぜならば、権力者と友人になれば、権力者の批判ができないからである。だから、田崎史郎は、安倍晋三、安倍政権、自民党を擁護する発言を繰り返す。と金は、顔を真っ赤にして、彼らの批判者に対して、彼らを擁護する。単なる支持者ならば、そういう人も存在するだろう。しかし、このような人は政治評論家では無い。このような人を情報番組によく呼ぶテレビ局もどうかしている。おそらく、テレビ局の上層部も、安倍晋三や自民党国会議員と仲間になり、友人という自我を持っているのだろう。