あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

現代日本人の日常の真理(自我その149)

2019-07-05 21:13:09 | 思想
人間の心の中には、深層心理と表層心理が存在する。常に、深層心理が、まず、活動し、感情・気分と行動の指針を生み出す。人間は、表層心理が、それを意識して行動する場合と意識しないで行動する場合がある。表層心理は、それを意識した場合、深層心理の指針に同意する場合と同意しない場合がある。同意するのは、深層心理の指針通り行動すれば、後に、自分に良いことが待ち受けているように思われるからである。端的に言えば、他者から、好評価・高評価が得られる可能性が高いからである。同意しないのは、深層心理の指針通り行動すれば、後に、自分に悪いことが待ち受けているように思われるからである。端的に言えば、他者から、悪評価・低評価が与えられる可能性が高いからである。言うまでもなく、表層心理が同意すれば、人間は、深層心理の指針通りに行動する。表層心理が同意できない場合、表層心理は、その感情・気分を抑圧して何の感情・気分も無いようにしたり別のものにしようとしたり、その行動の指針を抑圧して何もしなかったり別のことにしようとする。しかし、深層心理が強ければ、表層心理の抑圧は功を奏さず、人間は、深層心理の指針のままに行動する。表層心理が、深層心理の生み出した感情・気分や行動の指針を意識しないで、人間が行動する場合、無意識の行動と呼ばれている。つまり、人間は意識や意志の動物だと言われているが、実際は、意識や意志という表層心理は、感情・気分も行動の指針も、自ら、生み出すことはできない。表層心理のできることは、それを抑圧して、無にしようとしたり、別のものにしようとするだけなのである。つまり、主体は、深層心理にあるのである。ラカンの「無意識は言語によって構造化されている。」という言葉は、深層心理の力のと働きの大きさを表現している。もちろん、「無意識」とは、深層心理を意味する。「言語によって構造化されている」とは、思考することを意味する。人間の思考は、言語を使って論理的に行われるからである。「構造化されている」というふうに、受動態になっているのは、深層心理の活動は、人間が意識していない世界で、行われているからである。人間は、自分で意識して、自分の意志で、すなわち、表層心理で、感情・気分や行動の指針を生み出していないのに、無意識のうちで生まれた、すなわち、深層心理が生み出した、感情・気分や行動の指針を自分のものとしている。だから、人間は、それらに、自分を動かされるのである。もちろん、表層心理が、深層心理が生み出した感情・気分や行動の指針を意識し、それらを抑圧し、無にしようとしたり、変更しようとし、それが功を奏する場合もあるが、主体が、深層心理にあるのは、揺るがない事実なのである。人間には、喜怒哀楽という代表的な感情があるが、深層心理は、喜や楽という快楽の感情を求めて行動の指針を出し、喜や楽という快楽の感情を維持するために行動の指針を出し、怒や哀などの不快な感情から解放されるために行動の指針を出すのである。深層心理は、快い気分を維持するために行動の指針を出し、不快な気分から解放されるために行動の指針を出すのである。また、人間には、生来、深層心理の敏感・鈍感は決まっている。つまり、この世には、生まれつき、深層心理が敏感な人と鈍感な人が存在するのである。深層心理の敏感な人は、心が深く傷付きやすく、精神が大きく動揺しやすい。深層心理は、その心から解放されるために、過激な行動の指針を出しやすい。もちろん、表層心理は、後の他者からの悪評価・低評価を危惧して、それを抑圧しようとする。しかし、深層心理が敏感であるということは、深層心理が強いということであるから、深層心理の指針通りに行動するが多い。そして、案の定、悪い結果を招き、他者から悪評価・低評価を招き、いっそう、心が傷付き、重い気分に陥ってしまうことが多い。そして、何度も失敗を重ねて行くうちに、交流の範囲を限定したり、人付き合いを避けたりするようになる。なぜならば、深層心理の敏感、鈍感に関わらず、人間にとって、他者からの評価は絶対だからである。それが、対他存在という人間のあり方なのである。対他存在とは、人間の、他者から好評価・高評価を受けたいという思いで、他者の自分への思いを探っている生き方である。人間は、いついかなる時でも、対他存在のあり方をしている。もちろん、人間が対他存在であるのは、深層心理が、他者の評価によって自分の価値を測るという、自分を対他化するという見方をしているからである。深層心理には、対他化の他に、対自化(他者に対応するために、他者の狙いや目標や目的などの思いを探る見方)と共感化(他者を、味方として、仲間として、愛し合う存在とする見方)があるが、人間は、社会的な動物であるから、他者からの視線・評価は最も気にし、深層心理は、対他化の作用が最も大きいのである。だから、人間は、会話をしていても、互いに、相手を見ているようで、実際は、相手の自分に対する評価を最も気にして、相手を見ているのである。深層心理の対他化の働きは、ラカンの「人は他者の欲望を欲望する。」(人間は、他者の思いに自らの思いを同化させようとする。人間は、他者から評価されたいと思う。人間は、他者の期待に応えたいと思う。)という言葉に集約されている。さて、深層心理による行動の指針も、他者からの評価を受けることを目的として出されることが多い。ハイデッガーは、「人間は、既に、投企されている。」と言う。「投企」とは、行動を意味する。「投企されている」とハイデッガーが表現したのは、人間が、表層心理で、意識する前に、深層心理が、既に、行動の指針を打ち出しているからである。深層心理が、思考し、既に、投企する方向に向かっているのである。後は、深層心理が、それを意識し、実行するのである。しかし、行動する、投企すると言っても、基盤の無い所で、それは存在しない。絶対に基盤が必要なのである。構造体と自我が、その基盤なのである。構造体・自我の存在しない所に、深層心理による投企、そして、それを表層心理が受けての行動は存在しない。人間は、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持って活動している。具体的には、構造体と自我の関係は、次のようになる。家族という構造体には父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体には、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体には、社長・課長・社員などの自我があり、仲間という構造体には、友人という自我があり、カップルという構造体には、恋人という自我があるのである。人間は、一人でいても、常に、構造体に所属しているから、常に、他者との関わりがある。自我は、他者との関わりの中で、役目を担い、深層心理が投企として行動の指針を出し、表層心理がそれを行動とするのである。それでは、自我を動かす思いとは何か。それは、先に述べたように、他者から評価されたいという思いである。他者から評価されると、大きな満足感・喜びを覚えるからである。人間は、自我の働きが、他者から、好評価・高評価を受けると、気持ちが高揚するのである。逆に、自我の働きが認められず、他者から、悪評価・低評価を受けると、気持ちが沈み込むのである。当然のごとく、自我は、他者から、好評価・高評価を受けることを目的として、投企し、行動するようになる。他者からの評価が、絶対的なものになってくるのである。しかし、投企、行動がうまく行かないことがある。学校に行って、どれだけ勉強しても成績が上がらず、同級生たちと仲良くしようとして、逆に、いじめにあっていたり、会社に行けば、上司から毎日のように叱責されたりする。現代日本において、人々は、皆、自分は自由だと思って、暮らしている。自分の判断で行動ができ、失敗は自分の責任だと思っている。だから、絶え間なく、ストレスを感じ、それがたまる一方で、そこから一向に解放されないのである。毎日、自分の無力を嘆き、そして、ストレスをため込んでいくのである。このような時の解決法として、学校や会社に行かないようにするか、学校や会社の出来事は自分以外にも誰にもあることだと軽く考えたり、学校や会社での出来事は夢の中のことのように軽く考えれば良いのである。しかし、学校や会社に行かないことは不安だから、行ってしまうのである。そこで、深層心理は、自らの心を、鬱病、離人症、統合失調症などに罹患させるのである。鬱病になれば、心が重くて、外出できず、学校や会社に行けないのである。離人症になれば、学校や会社で自分の身に起こっていることが、他の人に起こっているように、現実感覚は無くなるのである。統合失調になれば、学校や会社で自分の身に起こっていることが、夢の中で、起こっているように、現実感覚は無くなるのである。しかし、確かに、学校や会社でのストレスは避けられるが、心が重くて、日常生活全体が苦しくなり、現実感覚が無いから、日常生活をきちんと営めなくなるのである。