あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

深層心理の罪(自我その160)

2019-07-16 20:03:38 | 思想
人類が存続している限り、この世から、戦争が無くなることはない。人類が存続している限り、この世から、殺人が無くなることはない。人類が存続している限り、この世から、犯罪が無くなることはない。なぜならば、人間は、自我の動物だからである。人間は、自己の動物ではなく、自我の動物だから、戦争を起こし、人を殺し、犯罪を起こすのである。人間は、自己の動物ではなく、自我の動物だから、戦争を起こすことに加担し、人を殺すことに加担し、犯罪を起こすことに加担するのである。自己判断という言葉がある。自己判断とは、人間が、自らの良心に従って、主体的に判断することを言う。主体的という言葉の意味を、広辞苑では、「ある行動や思考などをなす時、その主体となって働きかけるさま。」という説明した後、わざわざ、「他のものによって導かれるのではなく、自己の純粋な立場において行うさま。」という説明を加えている。まさしく、「純粋な立場」の位置にいる人間でなければ、「他のものによって導かれ」て、主体的な判断ができないのである。つまり、「純粋な立場」の位置にいる人間しか、自己判断ができないのである。現在、よく使われる「第三者委員会」とは、「純粋な立場」の位置にいる人間の集合体を意味する。しかし、人間は、日常生活において、「純粋な立場」の位置に立つことは、極めて稀れである。だから、自己判断する機会も、極めて稀れにしか訪れないである。また、自己で判断することがあったとしても、その判断が力とならないことがほとんどなのである。つまり、人間は、日常生活において、「ある立場」の位置にいて、「あるもの」に導かれて、判断し、行動しているのである。この「ある立場」とは自我であり、「あるもの」とは深層心理によって引き起こされた自我の欲望である。つまり、人間は、日常生活において、自我に基づいて、深層心理によって引き起こされた自我の欲望に導かれて、判断し、行動しているのである。しかし、現在の日本社会で、唯一、自らの良心に従って、主体的に判断し、その判断が力になることが公的に認められた人が存在する。それは、裁判官という、裁判所に所属し、裁判を行う権限を持つ特別職の国家公務員である。裁判官だけが、自己判断できるのである。しかし、その裁判官も、歴代の裁判官はその当時の自民党政権に媚びを売り、現在の裁判官は安倍晋三首相に媚びを売り、裁判官という地位の保身と立身出世という自我の欲望のために、政権寄りの裁定を下してきている。嘆かわしい限りである。さて、それでは、自我とは、何か。自我とは、構造体における、自分のポジションを自分として認めて行動するあり方である。それでは、構造体とは何か。それは、人間の組織・集合体である。人間は、いついかなる時でも、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持って行動しているのである。構造体に所属していない行動は存在しない。自我を持たない行動も存在しない。構造体と自我の関係については、具体的に言えば、次のようになる。日本という構造体では、総理大臣・国会議員・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体では、父・母・息子・娘などの自我があり、夫婦という構造体では、夫・妻の自我があり、学校という構造体では、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体では、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体では、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体では、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体では、友人という自我があり、カップルという構造体では恋人という自我があるのである。それでは、自我の欲望とは何か。自我の保存・評価(他者からの評価)・発展と構造体の保存・評価(他者からの評価)・発展に向かって行動することである。自我を持っている人は、そのポジションの役目を果たそうという自我の行動とその構造体の存在価値を、他者から認めてほしく思っているのである。これが、自我の欲望である。つまり、自我が為す行動は、自我の欲望を満たすためにあるのである。この欲望は、すばらしい行為や業績を生む場合と悲劇・惨劇・非人間的な行動を生む場合がある。日本という構造体においては、日本人という自我を、中国人や韓国人に知らしめるために、無人島の尖閣諸島や竹島の領有権を主張するのである。森友学園問題・加計学園問題事件で、安倍晋三首相が犯罪を犯していると、誰もが知っているのに、マスコミは厳しく追及せず、官僚は共犯者となり、且つ、国会で嘘を証言し、東京地方検察庁特捜部が動かないのは、安倍政権を恐れているというだけでなく、安倍政権に媚びを売ることで、自らの現在のポジションを守るだけでなく、立身出世しようというという自我の欲望から来るのである。安倍晋三首相・麻生太郎副首相が、特定秘密保護法案を強行採決したのは、岸信介元首相(安倍晋三首相の祖父)・佐藤栄作元首相(岸信介の実弟)・吉田茂元首相(麻生太郎副首相の祖父)がアメリカと交わした密約が国民に知られることを恐れたことが一因である。子孫という自我が、このような犯罪的行為を起こすのである。鳩山由紀夫元首相は、当時の兼原信克・外務省国際法局長、高見沢将林・防衛省防衛政策局長などの6人の高級官僚の裏切りにあい、首相を降りざるを得なくなった。しかも、兼原信克、高見沢将林の2人は、現在、安倍晋三政権の官房副長官補である。高級官僚の自我の欲望は、立身出世以外に無いのである。日本人という自我を持った人たちは、ワールドカップ・オリンピック・世界選手権大会などで、日本チーム・日本人選手が出場すると、日本国という構造体を他者である世界中の人々から評価してもらいたいために、応援するのである。しかし、飛行機事故があって、死者が出ても、日本人が含まれていないとわかるやいなや、飛行機事故そのものの関心が薄れていくのである。家族という構造体においては、息子という自我を持った人は、家族という他者に褒められようと思って、成績・クラブ・運動会などで努力するのである。しかし、父・母という自我を持った人は、息子や娘がいじめ自殺事件の加害者になると、父・母という自我と家族という構造体を、他者から傷付けられたくないから、その事件の原因を自殺した生徒やその家族に押し付けるのである。学校という構造体においては、担任教諭・教頭・校長は、自らの自我を傷付けられたくないから、いじめ自殺を隠蔽し、その原因を事故や病死にしようとするのである。会社という構造体においては、社員から社長まで、オリンピックで自社に属する社員が選手として出場すると、自社を他者から評価してもらいたいために、応援するのである。しかし、上司が部下に対してセクハラ・パワハラを行っているのを見ていても、社員たちは自らの自我を守るために、見て見ぬふりをするのである。仲間という構造体においては、仲間に属する一人が悩んでいると、友人として、悩みを聞き、共に、解決策を考える。しかし、仲間に属する一人が仲間外の生徒を嫌っていると、仲間という構造体から追い出されたくなく、仲間に属する生徒たちから評価されたいために、自分も、いじめに加担するのである。カップルという構造体においては、恋人いう自我を持った人は互いに愛情を感じ、幸福である。しかし、自分が愛情があるのに、相手から別れ話を持ち出されると、カップルという構造体が壊れる辛さから、相手を罵って傷付け、時には、ストーカーになって、殺人を犯す者まで現れるのである。このように、人間は、悪事に繋がる自我の欲望に圧倒され続けている。それは、深層心理が、常に、自我の欲望を生み出して、人間の心を動かしているからである。人間は、自分の意志で、心を動かすことはできない。人間は、意志や意識という表層心理で、心を動かすことはできないのである。人間は、無意識のうちに、心が動いているのである。それを、人間は、時には、表層心理で意識し、時には、表層心理の意志で抑圧するのである。しかも、人間は、眠っている時でも、深層心理が心を動かしているのである。だから、人間は、夢を見るのである。だから、人間は、夢をコントロールできないのである。ところが、多くの人は、深層心理の存在を認めようとしない。なぜならば、自分は、自分の意志の下で行動し、意識して行動していると思っているからである。いや、そう思い込もうとしているのである。自分自身を、自分の意志の下で、意識して行動する、自己判断できる、主体的な存在者だと思いたいからである。だから、ますます、深層心理の支配下に属し、自我の欲望によって、動かざるを得なくなるのである。真摯に、深層心理、そして、自我の欲望に向き合わなければならないのである。そうでなければ、人間は、これまで通り、深層心理によって引き起こされた自我の欲望から脱却できないのである。このままでは、フーコーは、「人間は、波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう。」と言ったが、そのような事態は訪れないのである。