あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

支配する、戦う、従う、狂う、死ぬ。(自我その157)

2019-07-13 17:45:56 | 思想
人間は、いついかなる時でも、漠然と生きることはできない。無意識(無意識的)にしろ、意識して(意識的)にしろ、次の五つのうちの、いずれかを選択(決断)して、行動している(行動する)。五つの行動とは、支配すること、戦うこと、従うこと、狂うこと、死ぬことである。確かに、漠然と生きているように見える時もあるが、それは、無意識に、従うこと、すなわち、現在の構造体に従うことを選択して、行動しているのである。また、人間は、いついかなる時でも、常に、ある構造体に所属し、ある自我を持って活動している。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、構造体における、ある役割を担った自分のポジションである。具体的には、構造体と自我の関係は、次のようになる。日本という構造体には、総理大臣・国会議員・官僚・国民などの自我があり、家族という構造体には父・母・息子・娘などの自我があり、学校という構造体には、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体には、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体には、店長・店員・客などの自我があり、電車という構造体には、運転手・車掌・客などの自我があり、仲間という構造体には、友人という自我があり、カップルという構造体には、恋人という自我があるのである。人間は、一人でいても、常に、構造体に所属しているから、常に、他者との関わりがある。自我は、他者との関わりの中で、役目を担わされ、行動するのである。それでは、自我を動かしているのは、何か。それは、深層心理である。しかし、それを、表層心理だと勘違いしている人が非常に多い。多くの人は、自分は、自らの意志で生き、自らの意志で行動し、自らの行動を意識し、自らの感情を意識して暮らしていると思っている。しかし、そうではない。意志や意識という表層心理は後発の動きなのである。まず、深層心理が思考し、感情と行動の指針という欲望を生み出し、それによって、人間は動き出すのである。先発の動きは、深層心理によって引き起こされるのである。意志や意識という表層心理は、深層心理の動きがあった後で、初めて、動き出すのである。しかし、一般的には、意志や意識が重要視され、深層心理は、例外的な動きとして、捉えられている。しかし、真実はそうではない。常に、深層心理が思考し、感情と行動の指針という欲望を生み出すのである。その後、表層心理が、それを意識する時と意識しない時があるのである。表層心理で深層心理の行動の指針を意識せずに、人間が行動すれば、それは、無意識の行動と呼ばれている。表層心理が、深層心理が生み出した行動の指針を意識して、そのまま行動すれば、意志による行動と呼ばれる。表層心理が、深層心理が生み出した行動の指針を意識しながらも、行動した後のことを憂慮して、行動を止めることがある。それは、心理学では、抑圧と呼ばれ、一般的には、我慢と呼ばれている。しかし、表層心理が抑圧しようとしても、深層心理の生み出した感情が強いために、抑圧が功を奏さず、そのまま、行動することがある。それは、結果的に、犯罪に繋がることが多い。ストーカーによる犯罪がこれである。さて、深層心理の欲望は、どのように、生まれてくるのだろうか。どのようなものが作用しているのだろうか。深層心理の欲望は、深層心理自らが持っている、対自化・対他化・共感化の三作用のいずれかによって生まれてくる。対自化とは、人間が、物や動物や他者に対した時、それをどのように利用するか、それをどのように支配するか、彼(彼女)がどのように考え何を目的としているかなどと考えて、対応を考えることである。物や動物や他者に対して、征服欲・支配欲の視点から観察し、できうれば、征服欲・支配欲を満たしたいと思っている。対他化とは、人間は、他者に対した時、自分が好評価・高評価を受けたいという気持ちで、彼(彼女)が自分をどのように思っているか、相手の気持ちを探ることを言う。言わば、被征服・被支配の視点である。共感化とは、敵や周囲の者に当たるために、他者と協力したり、友情を紡いだり、愛情を育んだりすることを言う。敵や周囲の者と対峙するために、他者と愛し合ったり協力し合ったりして、自分の力を高め、自分の存在を確かなものにすることが目的である。ところで、一般に、人間は、他者に対した時、自分の自我(ポジション)が相手より強い・優位であると思えば、相手を対自化して、相手の思いを探り、相手を動かそうとしたり、利用しようとしたり、支配しようとしたりする。人間は、自分の自我(ポジション)が相手より弱い・優位であると思えば、自らを対他化して、相手が自文のことをどのように思っているか探る。人間は、自我が不安な時は、他者と共感化して、自我の存在を確かなものにしようとする。このように、人間は、常に、深層心理が対自化・対他化・共感化の三化のいずれかの機能を働かせて、自我の安定・拡充を図っているのである。そして、自我の安定・拡充を目的として行動する形態が、支配すること、戦うこと、従うこと、狂うこと、死ぬことの五つの行動なのである。それでは、次に、この五つの行動類型が、どのような場合に起こるか、考えを進めていきたいと思う。まず、支配することであるが、それは、支配者階級の深層心理の対自化の働きによって生まれてくる。日本・学校・会社・店などの構造体において、総理大臣・校長・社長・店長などの支配者階級グループが、自らの自我の安定・拡充を図り、自らの描いた構造体の発展のために、被支配階級グループの国民・教諭と生徒・社員・店員などをどのように利用し、どのように支配するかを考え、彼らがどのように考え、何を目的としているかなどを考慮して、対応を考え、行動するのである。もちろん、根本は、征服欲・支配欲を満たすことである。次に、戦うことであるが、被支配者階級グループの深層心理の共感化の働きによって生まれてくる。日本・学校・会社・店などの構造体において、被支配階級グループの国民・教諭・社員・店員などが、力を合わせて、総理大臣・校長・社長・店長などの支配者階級グループに対して、自らの人権擁護・待遇改善・パワハラやセクハラの防止を求めて、デモ行進・ストライキ・団体交渉などをすることである。次に、従うことであるが、日本・学校・会社・店などの構造体において、被支配階級グループの国民・教諭・社員・店員などが、現状に不満はあるが、不満を唱えると、構造体から追放される可能性があり、支配者階級グループを変えても、現状より良くなると思えず、現在、何とか暮らせていけるので、現在の支配者階級グループの指示を受け入れるのである。ニーチェの言う「永劫回帰」の生活である。仲間という構造体を形成している、友人という自我の者たちも、カップルという構造体を形成している、恋人という自我の二人も、現在の生活形態に従い、互いに、共感化して、友情を紡いだり、愛情を育んだりして、自分の力を高め、自分の存在を確かなものにしようとしている。家族という構造体における父という自我も、かつては、支配者階級グループに属し、家族を対自化し、支配して暮らしていたが、現在は、家族と共感化して、現在の家族形態に従わなければ、認めてもらえない。ところが、時代錯誤の、幼稚な父は、家族を対自化しようとして、反発され、幼児虐待などを行うのである。愚かにもほどがある。最後に、狂うこと、死ぬことであるが、それは、深層心理の対他化の結果が作用している。先に述べたように、人間の深層心理には対他化の働きがあり、常に、他者から自我(自分のポジションとしての働き)に対して、好評価・高評価を受けたいと思って暮らしている。他者から、自我が好評価・高評価をもらえれば嬉しいが、他者から、自我が悪評価・低評価を与えられたならば心が傷付くのである。これが、精神の損傷、プライドであり、精神的な苦痛をもたらすのである。表層心理は、苦痛から脱するために、プライドの損傷を回復させる方策を考えようとする。しかし、苦痛を除去しようと考えても、適当な方法が考え出されず、いろいろと方法を考えて実行しても効果が無く、酒などを試しても効果が無くて、苦痛がそのままだったならば、人間は、どうするだろうか。残された道は三つしか無いのである。一つ目は、苦痛そのものを感じないようにさせる道である。二つ目は、苦痛を覚えさせる現実を忘れるようにさせる道である。三つ目は、死ぬ道である。一つ目の苦痛そのものを感じないようにさせる道は、人間が、意識して(表層心理で)考えた方法で、覚醒剤や麻薬などの違法薬物を体内に取り入れる方法である。身も心もぼろぼろにされるのがわかっていながら、覚醒剤や麻薬などに手を出す人が後を絶たないのは、苦痛がそれほど激しい人が多いことを示しているのである。つまり、表層心理が、自らを狂わせたのである。二つ目の苦痛を覚えさせる現実を忘れようにさせる道は、深層心理が採用した、我々を、鬱病・離人症・統合失調症などの精神疾患に罹患させ、現実から逃避させたり、現実を認識させないようにする方法である。つまり、深層心理が、我々を狂わせたのである。三つ目の死ぬ道は、言うまでもなく、自殺する方法である。この方法を採用する人は、苦痛がひどく、苦痛から解放される可能性が全くなく、この苦痛から、一刻も早く、解放されたいがためである。