おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

男はつらいよ 寅次郎純情詩集

2022-03-29 09:39:47 | 映画
「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」 1976年 日本


監督 山田洋次
出演 渥美清 倍賞千恵子 京マチ子 檀ふみ
   前田吟 下絛正巳 三崎千恵子 太宰久雄
   佐藤蛾次郎 笠智衆 浦辺粂子 吉田義夫

ストーリー
「とらや」の連中は朝からそわそわしている。
というのは、担任の先生が産休のため、代わりに、美しい雅子先生がやって来るからである。
「こんな時に寅が帰って来たら大変なことになる」と一同が噂している最中、雅子先生の後から、寅が平和な顔をしてブラリと帰ってきた。
あきれる皆をよそに寅は持前の饒舌で雅子先生の相手をし、家庭訪問をメチャクチャにしてしまった。
さくら夫婦はカンカンに怒ってしまった。
寅に反省を求めようと、皆がまちかまえている所へ、バツの悪そうに寅が帰って来た。
それからは、例の通りの大喧嘩を引き起こし、寅は再び旅に出てしまった。
数日後、寅は紅葉美しき信濃路を旅していた。
寅はここで昔世話した旅役者の一行に偶然出会い、その晩、寅はドンチャン騒ぎの散財をしたところ、翌朝になって旅館に無銭飲食がバレて、警察のやっかいになってしまった。
知らせを受けたさくらは寅を引きとりに来て、さすがの寅も後悔してションボリ柴又へ帰ってきた。
そんな折も折、雅子先生が綾という美しい、しかも未亡人の母親をつれて、「とらや」にやって来た。
綾は由緒ある家柄の未亡人だが、昔から病気がちで、ほとんど家にとじこもっていた。
綾と寅は昔からの顔なじみであった。
そんなある日、寅は夕食に招待され、綾に捧げる寅の慕情はつのる一方であった。
しかし綾の病気はすでに悪化していて、ある日、綾は眠るようにしてこの世を去った。
明けて昭和五十二年のお正月。
帝釈天の参道は、初詣客でいっぱいで、とらやの連中はてんてこ舞いの忙しさ。
そんな頃、寅は雪に覆われた山々を背にした、田舎の小学校に転任した雅子先生を訪ねていた。


寸評
前段は満男の家庭訪問騒動と、寅さんの無銭飲食騒動だが、特に無銭飲食騒動が笑わせる。
寅さんは信州最古と言われる別所温泉で、馴染の旅役者とであい、車先生と慕われ彼等に散財する。
もとより金のない寅で、警察のお世話になりさくらがその尻ぬぐいにやって来る。
ところが警察でお世話になっている寅さんがすっかり我が物顔でいる様子がとても可笑しい。
出前はとるわ、署員にコーヒーをおごるわ、ベテラン警官とは友達状態であり、さくらはあきれるが、見ている僕たちは可笑しくてしかたがない。
渡辺巡査の梅津栄が人のいい田舎の巡査をほのぼのと演じていて好感が持てた。
婆やの浦辺粂子さんも好感が持てたし、ベテラン俳優は何気ない演技を上手いと感じさせる。

18作目となるとあの手この手も底をついてきて、今回の新趣向は寅さんとマドンナの別れが死に別れとなること。
相手はすっかり貫禄がついた京マチ子である。
最初は満男の臨時担任となった雅子先生の檀ふみだったのだが、さくらが弾みで「娘さんぐらいの先生はどうかしている、せめてお母さんぐらいの年齢なら応援して上げれるけど」と言ったところへ現れるのが、落ちぶれ資産家のお嬢様であった綾だったのだ。
おばちゃんに「さくらちゃん…大変なこと言っちゃったねえ」と言われるが、後の祭りである。
その後も何かと綾の家を訪ねようとする寅が「行っちゃいけないかな」とさくらに聞くと、さくらはつい「あまり迷惑にならない程度なら…」と言ってしまい、再びおばちゃんに「ちゃんと言わなきゃだめだよ」と釘を刺されるが、これまた後の祭りである。
度々繰り返されたやり取りだが、それらはすべて、綾の体調急変で駆けつける時の伏線だったことがわかる。
旅芸人が見せる不如帰の芝居も伏線となっていたことにも気が付く。

綾は世間知らずのお嬢様育ちだったし、長期療養と3年もの間入院していたので世間ずれしている。
印刷工場社長の梅太郎はとらやではしゃぐ綾をみて「世間ばなれしている…」とつぶやくが、それは寅さんに対しても言っているようだった。
ちょっと浮いたような演技だったけれど、京マチ子が精一杯の喜劇役者ぶりを見せていた努力は買える。

綾の柳生家は落ちぶれていたので彼女は政略結婚で資産家と一緒になったのだが、愛はなく旦那も死んだので実家に戻ってきた身の上で、愛されるということを知らない。
寅の思いを感じていた綾の気持ちを娘の雅子先生が語るのだが、やけにしんみりさせる。
僕などは涙が流れてしようがなかった。
当初は真面目なシーンにとどまっていたのだが、この頃になるとお涙を頂戴するような演出になっている。
この作品ではマドンナの悲劇や絶望を過剰に表現せず、寅のやさしさや、さくらの思いやりに重点を置き、絶望の中でもユーモアを忘れず、とらやの人々が人の気持ちに寄り添っているからこそ泣けるのである。
マドンナが死んでしまうなんて禁じ手だと思うのだが、寅が無償の愛を提供する姿に感動した。
喜劇なので寅の奉仕活動は源公に雑用をさせるなどだが、源公も婆やにかかれば「可愛い坊やだね」となるので、このシリーズはそんな市井の人々の思いやりの気持ちの上に成り立っていることを痛感したのである。