おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

煙突の見える場所

2022-03-13 10:39:12 | 映画
「煙突の見える場所」 1953年 日本


監督 五所平之助
出演 上原謙 田中絹代 芥川比呂志 高峰秀子
   関千恵子 田中春男 花井蘭子 浦辺粂子
   坂本武 三好栄子 中村是好 小倉繁

ストーリー
東京北千住のおばけ煙突、それは見る場所によって一本にも二本にも、三本にも四本にもみえる。
界隈に暮す無邪気な人々をたえずびっくりさせ、そして親まれた。
足袋問屋に勤める緒方隆吉(上原謙)は、両隣で競いあう祈祷の太鼓とラジオ屋の雑音ぐらいしか悩みがない平凡な中年男だが、戦災で行方不明の前夫をもつ妻弘子(田中絹代)には、どこか狐独な影があった。
だから彼女が競輪場の両替えでそっと貯金していることを知ったりすると、それが夫を喜ばせるためとは判っても、隆吉はどうも裏切られたような気持になる。
緒方家二階の下宿人、ひとのいい税務署官吏の久保健三(芥川比呂志)は、隣室にこれまた下宿する街頭放送所の女アナウンサー東仙子(高峰秀子)が好きなのだが、相手の気持がわからない。
彼女は残酷なくらい冷静なのである。
一家の縁側に或る日、捨子があり、添えられた手紙によれば弘子の前夫塚原(田中春男)のしわざである。
戦災前後のごたごたから弘子はまだ塚原の籍をぬけていない。
二重結婚の咎めを怖れた隆吉は届出ることもできず、徒らにイライラし、弘子を責めつけた。
泣きわめく赤ん坊が憎くてたまらない。
夜も眼れぬ二階と階下のイライラが高じ、とうとう弘子が家出したり引き戻したりの大騒ぎになった。
騒ぎがきっかけで赤ん坊は重病にかかり、あわてて看病をはじめた夫婦は、病勢の一進一退につれて、いつか本気で心配し安堵しするようになった。
健三の尽力で赤ん坊は塚原の今は別れた後妻、勝子(花井蘭子)の子であることがわかり、当の勝子が引き取りに現われた時には、夫婦もろともどうしても赤ん坊を渡したくないと頑張る仕末である。
彼らはすつかり和解していた。
赤ん坊騒ぎにまきこまれて、冷静一方の仙子の顔にもどこか女らしさがほのめき、健三は楽しかった。


寸評
4本の煙突と同じように主要な四人が登場して小市民の生活が繰り広げられる。
あばら家のような2階建ての借家に住んでいるのが上原謙と田中絹代の夫婦で、2階の二部屋を芥川比呂志と高峰秀子にまた貸ししている。
そのこと自体に不思議なものを感じてしまうが当時はそれも有りだったのかもしれない。
煙突が見る場所によっては一本にも二本にも、三本にも四本にも見えるように、登場する人々は時と場合によって違った態度を見せる。
上原謙は平凡な人のよさそうな中年男で妻の田中絹代と仲睦まじい生活を送っているが、田中絹代が自分に内緒で競輪場のアルバイトをしていたことに立腹する。
おまけに赤ん坊が登場してからは田中絹代に辛く当たるようになり、パチンコ通いをするダメ男になる。
赤ん坊の大きさと弘子との結婚生活の時間を考えれば、弘子の子ではないことは明白だと思うのだが、この男の慌てぶりは何処から来るものなのかと思ってしまう。
田中絹代は不幸な過去を忘れるように今の生活を幸せと感じていて夫に感謝し愛しているが、赤ちゃんが登場してからの夫の変節ぶりに離婚を決意し自殺を試みたりしてしまう。
しかし謄本を見る限り塚原との間には子供がいたようで、一体あの子供はどうなったのだろう。
弘子は子供を捨ててきたのだろうか、死んでしまったのだろか、弘子はその子のことをどう思っていたのだろう。
高峰秀子は一番しっかり者で、優柔不断な人たちを叱ったり元気づけたりする頼りになる女性だが、家主夫婦が宵の口からイチャついている場面に出くわすと黙って睨みつけたように潔癖すぎる性格でもある。
税務署に勤める芥川比呂志は正義感は強いのだが、問題解決する能力や忍耐力には欠けていそうな男だ。
それぞれが人として相反する気持ちや言動を見せるのだが、それこそ人間そのものであろう。

芥川比呂志は上原謙夫婦の為に、「これはもはや個人の問題ではない、正義の問題なのだ」とおせっかいを焼くことになるが、当の上原謙はそんなことはお構いなしにパチンコで景品をせしめていい気になっている。
感謝がないと愚痴る芥川比呂志に、「正義の問題なんでしょう?家主らの感謝の有る無しは関係ないじゃない」と高峰秀子がぴしゃりと言い放つ。
そうなのだ、感謝がないことを愚痴るくらいならしなければいいのだ。
人に対して良かれと思ってやったことに対して、返礼やら感謝を求めてはいけないのだ。
なになにしてやったのに、という思いは親切を押し売りする人の奢りだ。
主要人物の他にも高峰秀子の友人の女性、赤ん坊を捨てた別れた夫婦なども登場するが、がけっぷちの生活ながら何とか踏ん張っている人たちである。
いつも聞こえるのは赤ん坊の鳴き声で、それは生きようとする力の表現である。
田中絹代が自殺未遂を起こし泣き崩れた時に、それまで泣き叫んでいた赤ん坊が泣きやむ。
大人と赤ん坊が逆転した瞬間だった。
カメラワークとして顔の超アップが随所で見られる。
手前に画面からはみ出しそうな顔のアップがあり微妙な表情を見せ、その奥にいる人物が映り込んでいる。
オーソン・ウェルズが「市民ケーン」で見せたパン・フォーカスの日本版のようなカットで新鮮味があった。
最後は全てがハッピーエンドとなるのだが、人間のエゴと心変わりを描いた良質な風俗映画である。