おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

江分利満氏の優雅な生活

2022-03-06 08:49:13 | 映画
「江分利満氏の優雅な生活」 1963年 日本


監督 岡本喜八
出演 小林桂樹 新珠三千代 矢内茂 東野英治郎
   英百合子 横山道代 中丸忠雄 松村達雄
   天本英世 江原達怡 北あけみ 平田昭彦

ストーリー
宣伝マンの江分利満氏(小林桂樹)は今日もキャッチコピーをひねりだし、終業のベルでみんなが帰りだすと呑み相手を探すが、彼と呑むと荒れるのが目に見えているので誰も一緒に行きたがらない。
結局一人で何軒もはしごし、方々でクダを巻いて帰るのが彼の常だった。
彼は妻・夏子(新珠三千代)、息子・庄助(矢内茂)、年老いた父親・明治(東野英治郎)と一緒に暮らしている。
ある日、いつものように呑んでいると、男女の2人組に声を掛けられ、そのままの流れで一緒に飲み明かして帰路についた次の日、ポケットに覚えの無い名刺が入っているのが見つかり、一応連絡を取ってみると昨日一緒に飲み明かした二人が訪問してきた。
二人は雑誌社の編集者で、呑みがてら彼に原稿の依頼をしていたのだ。
江分利には全く記憶がなかったのだが、二人の情熱に根負けしてしぶしぶ原稿を引き受けた。
家に帰って原稿に向かっても一行に筆は進まなかったが、様子を見に来た妻といろいろと話しているうちにアイデアが浮かんだ。
原稿が載るのは婦人雑誌なので、女性が知らない平凡なサラリーマンの生き様を書くことにした。
江分利の小説は社内でも世間でも評判になり、一部の男性社員からは「酔って管を巻いているような小説」だと評され編集者の二人は大喜びする。
また3人で呑みにいくと、江分利は「もうこれ以上は書けない」と言いはるのだが、2軒3軒と回っているうちに「絶対に傑作を書いてみせるぞ!」となってしまう。
次の題材は主に自分の両親のことについて書いた。
書きたいままに淡々と書いていた江分利の小説「江分利満氏の優雅な生活」が直木賞を受賞した。
ささやかな祝賀会が終わり、2次会、3次会となったが一人二人と人数が減っていく。
次の日、普段通り出勤した江分利満氏の優雅な生活がまた始まるのだった。


寸評
後のサントリーとなる寿屋には社長の佐治敬三の元に、開高健、山口瞳、柳原良平、坂根進、酒井睦夫など、今から思えばそうそうたるメンバーが参集していた。
佐治敬三や開高健などの強烈な個性の持ち主がサントリーの社風を作ったと思うが、社長の佐治は宣伝部にいる彼らを遊ばせていたと言う話を聞いたことがある。
山口瞳の直木賞受賞作「江分利満氏の優雅な生活」を原作としている本作だが、ここで描かれている宣伝部の雰囲気は映画の世界だけのものではなかったのだろう。
主人公の江分利満は仕事をしているのか、大して役に立っていないのかよくわからないサラリーマンである。
仕事が終われば飲み歩いているようで、奥さんからは週に一度の御前様も許されているようだ。
題名通り優雅な生活を送っているようだが、父親の借金もあり暮らしは楽ではない。
しかし妻の新珠三千代はきわめておおらかな良妻賢母で、彼女を妻に持った江分利を羨ましく思う。
山口瞳の奥様をモデルとしているなら、彼が直木賞を受賞できた陰の功労者は奥様だろう。

江分利は飲み屋で懇意になった雑誌社の人と酔った勢いで執筆の約束してしまい、本人に記憶がない安請け合いが直木賞受賞に繋がっていく。
こういう場所で知り合った人脈とか、同僚との飲み屋談義から取引が出来たりアイデアが生まれたりする。
僕も社会人時代は飲み屋での本音トークに随分と助けられたり方針を決定したりしたものだ。
社内での杓子定規な会議では案外と核心を付いた議論が出来なかった経験もあるのだが、それは僕も江分利と同じ飲んべえだった為かもしれない。
描かれていく途中ではアニメーションや合成技術、ストップモーションやスローモーションの多用などが見られ、この作品にちょっと風変わりな雰囲気をもたらしている。
江分利は直木賞を祝ってくれた会社の同僚と飲み歩き、店が変わるたびに次々と同僚が去っていく中で、彼は構わずに持論を展開し続ける。
酔っぱらってクダを撒いているように見えるこのシーンはやたらと長い。
自己を吐露するこの長大な終盤の場面は、エンタテインメントに徹してきたそれまでの描き方っとまったく違い、僕は感心するより戸惑ってしまった。
それまでも時代背景を語るためにニュース映像が挟み込まれ、学徒動員など戦争に対する批判めいたものを感じさせていたのだが、この終盤は明らかに異質だ。
特殊なシーンとなっているだけに僕はここに岡本喜八の戦争を通じた思いを垣間見る。
江分利は高度成長期の真っただ中を生きており、苦しいながらも優雅な生活を送っている。
しかし今、江分利が優雅な生活を送っていられるのは戦争で死んでいった彼らの犠牲があってこそなのだ。
若者よ、気概を持て。
過ぎ去ったかつての時代の者たちが持っていたと思われる、”日本の為に、社会の為に”と言う精神を思い起こせと叫んでいるように思えた。
日本は経済成長を遂げて、砂利道はいつの間にか舗装道路に変わっていった。
物質面は比べようもないくらいに満たされていったが、目に見えない精神の部分はどこかに置き忘れて来てしまったのかもしれないなと思う今日この頃である。