おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

オカンの嫁入り

2022-03-19 10:40:20 | 映画
「オカンの嫁入り」 2010年 日本


監督 呉美保
出演 宮崎あおい 大竹しのぶ 桐谷健太 絵沢萠子
   林泰文 斎藤洋介 綾田俊樹 春やすこ
   たくませいこ 友近 國村隼

ストーリー
大阪。月子と陽子は、母ひとり子ひとりで仲良く暮らしてきた親子。
ある日の深夜、陽子が酔っ払って若い金髪の男・研二を連れて帰ってくる。
何の説明もないまま玄関で眠りこける二人。
翌朝、ケロッとした顔で陽子が言う。
「おかあさん、この人と結婚することにしたから」……
あまりに突然のことにとまどう月子は、とっさに家を飛び出し、隣の大家・サクのもとへ向かった。
月子が生まれる前に、陽子は夫・薫と死に別れており、ずっと「薫さんが、最初で最後の人」と言っていた。
しかも、研二は30歳で態度もヘラヘラしていて、元板前だというが、今は働いていないらしい。
納得がいかない、というよりも母の行動が理解できない月子は、サクの家に居座り続ける。
「月ちゃんがいない家に同居はできない」と研二は庭の縁側の下で寝泊りする。
そんな中、陽子に対しても、研二に対しても頑なに心を閉ざし続ける月子に、陽子の勤め先、村上医院の村上先生は、これまで誰にも話すことのなかった陽子との秘密を告白、月子を驚愕させる。
それを聞いて渋々だが、陽子の結婚を了承することにした月子。
ところがある朝、陽子と研二が二人で衣裳合わせに出かける間際、陽子が倒れてしまう。
緊急搬送され、診断結果は軽い貧血。
ホッとする月子であったが、次の瞬間、医師から受け止めがたい現実を突き付けられる。
月子は、陽子を白無垢の衣裳合わせに連れて行くことを決意。
由緒ある神社の静かな衣裳部屋で、白無垢に身を包んだ陽子が三つ指をついて月子の前に座る。
涙をこらえ、これまで決して話すことのなかった本音を、陽子が月子に語り始めた……。

寸評
京阪電車が度々登場するだけで親近感がわいてくる。
登場する駅は京阪電車の牧野駅なのだが、もう少し大阪よりだったらもっと親近感がわいただろう。
ストーリー自体はそれほど驚くようなものではなく、よくある母と娘のドラマといった感じで新鮮味はない。
それでも堅実な脚本と演出で、あらゆる層の観客が一応の満足感を得ることが出来る作品になっている。
母と娘のごく自然な親子愛に触れて、誰もが温かな気分になれると思う。

陽子と月子の家庭は母子家庭で、陽子は女手一つで月子を育ててきた。
その為に、普通の親子に比べれば陽子と月子の結びつきは女同士だけに強いものがあったと思う。
そこに母の結婚相手として若い研二が現れたことでその関係にひびが入る。
特に一人娘である月子の動揺が描かれるが、その様な内容はごくありふれた母と娘の物語である。
母娘の関係がギクシャクする中で、それぞれの微妙な心理を巧みに描き出していく内容である。
ずっと一人で来た母が連れてきたのが若い金髪の男で、30歳にして無職と言うのがちょっと変わった設定だ。
あっけらかんとした母親の陽子を演じるのが大竹しのぶ、一見気の強そうな娘の月子を演じるのが宮崎あおいなのだが、特に粋がるところもなく彼女たちによく回ってくるワンパターン的な演技を堅実にこなしていた。

月子はセクハラで会社を辞めている。
加害者の男が月子との天秤で、謹慎期間があったとはいえ会社に残り、月子が退職を促された恰好だ。
女性に対する理不尽な対応なのだが、その事を声高に叫んだりはしていない。
しかし月子はセクハラ男から受けた駅の自転車置き場の出来事がトラウマとなって電車に乗れなくなっている。
月子が社会で生きていくためには乗り越えなくてはいけない障害で、母親と一緒になってトラウマを克服するシーンがあるのだが、セクハラ事件と言い、トラウマといい、何かこの物語の中で宙に浮いた感じを受ける。
改札口のシーンは親子が揃って、一歩前に踏み出すエピソードとしては少し弱いような気がする。

主演の二人は勿論だが、サクちゃんと呼ばれている大家さんの絵沢萠子がいい役をやっている。
大阪のおばちゃんとして、月子を迎え入れ、時として励まし、陽子の理解者でもある。
僕はこの映画では絵沢萠子が彼女の存在感あってのことだがいちばん儲け役だったと思う。
医院の院長役の國村隼と共に絶妙のスパイスになっていた。

白無垢を着たがっていた陽子が、月子が結婚を認めてくれるようになって衣装合わせに出かける。
始まってから白無垢を着たいと言い続けていたので、この映画のクライマックスとなっている。
呉監督は観客の涙を無理強いしない演出で、押しつけしないさわやかな感動を呼び起こしている。
桐谷健太の研二が板前だったということもあり、食事のシーンが度々出てくる。
特別な料理でなく家庭を意識させるための食事シーンであったと思う。
大家さんは大阪のおばちゃんらしく「じゃこ食べるか?」と言ってはいってくる。
昔はお隣さんとそんな交流が当たり前のようになされていたが、最近では珍しくなってしまった。
最後の食事シーンは余韻を残した。