蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

「鼻の絆創膏」……いただき!

2020年04月30日 | 季節の便り・花篇

 気温が俄かに20度超えとなって、戻り寒波を跳ね除けた初夏がようやくやってきた。黄砂の飛来で空の青さは少し白けているが、背中の温もりはなんとも心地よい。
 さぁ、「不毛の戦い」始まりの銅鑼が鳴った。先日の庭木の裏の大掃除に続き、足腰の鈍い疲れが取れたところで、庭にチョボチョボと生え始めた雑草の始末に、午前中を費やした。コロ付きのガーデン・チェア-に腰を預けて前後左右に転がしながら、日照りが続いた後の硬くなった地面をスクレーパーで根こそぎ剥ぎ取っていく。これから秋が深まる迄、2か月に一度ほどの雑草との「不毛の戦い」が続くのだ。
 しかし、無心に土と触れるのは格好のストレス解消になる。額に流れる汗を拭いながら、2時間ほど雑草と戦って過ごした。

 早朝散歩の途中、先日不思議な蕾を見付けた玄関先を見ると、「シラー・ベルミアナ」が見事に咲いていた。あの奇怪な蕾から想像もつかない、美しい花だった。
 ご主人の出勤を見送りに出た奥さんに誘われて、お庭を見せていただくことになった。洋風に設えられた花壇は丁寧に手入れされ、肥えた土にいろいろな花が咲き誇っていた。庭のベンチで珈琲まで淹れていただき、小一時間話が弾んだ。
 帰り際に、以前頼まれていた包丁研ぎを思い出し、一本預かることにした。さすがに、包丁を下げたままで散歩はまずいだろう。散歩は改めてということにして、いったん帰宅した。

 一昨日、お江戸に住むエッセイストの友人から電話が架かってきた。
 「マスクが届きました。小さ過ぎてあまり役に立ちそうにないし、顔のデカい主人が着けると、マスクというより、まるで鼻の絆創膏です」 
 「それ、ブログ・ネタにいただきます!」

 こんな寸足らずで、汚れなど不良品が多いマスクを、思い付きのように配り始めた。使われた税金466億!どんな根拠で業者を定めたのか、またまたお友達のルートなのかという疑念が湧く。
 「アベノマスク?」
 「アベノオトモダチマスク?」
 国会中継を見ていると、「アベノマスク」をしているのは、殆どご本人だけである。いかに、宙に浮いた思い付きだったのかが露呈して、滑稽極まりない。声を嗄らして答弁するアベの姿は老残!
 慌てて回収し始めたという。国内メーカーに発注し直すとか?いずれにしろ、我が家に届くのは随分先になりそうだが、そんな「アベノマスク」なんか要らない!
 「しかしなァ、このマスクには1万円札が10枚、付録でついてくるらしいよ。将来、要介護となった時の、尿漏れパッドにでも使わせてもらうことにしようか?洗って何度も使えるそうだし」と、カミさんと笑い合った。もう、笑うしかない。
 コロナに殺されるのはイヤだ!アベの愚策のせいで殺されるのは、もっとイヤだ!!

 室井佑月の「思いつきか」という記事を、ネットで見付けた。
 「……安倍政権は医療費を削減させ病院の数を少なくし、研究などに使われていた費用も大胆に削ってきた。そのことも今回、慌てる要素の一つになっている。
 もう、安倍さんにはお辞めになっていただきたい。彼の思いつきは、かなりの確率で失敗している。人もたくさん亡くなっている今、責任を取るつもりもない彼が頭でいいんだろうか?
 布マスク配布とか(妊婦用では不良品が多かったらしいね。布はウイルスを通すしね)、急に学校を一斉に休校とか(その後感染者が増えたんですけど)、人との接触を8割減らせといってSNSで人気歌手とコラボした、ご自身が家でくつろぐ動画を投稿とか(いや、そういうことじゃなく、どのようにしたらそうできるのか? またその間の生活はどうするのか?を教えて欲しいんですが)。

 彼のいってることに、根拠らしい根拠が見えてこない。まるで、思いつきのよう。その思いつきに税金が使われる。あたしたちも、振りまわされる。
 そして、今は情報が大事なのに、バレるような嘘も平気だ。……」

 昨日の西日本新聞の「ニュース川柳」である。
      新品の 汚れマスクは 洗えます

 嗚呼、また書いてしまった(泣)
                   (2020年4月:写真:シラー・ベルミアナ)

季節と歩く

2020年04月27日 | 季節の便り・花篇

 何だ、これは!奇異な、それでいて不思議な感動を呼び起こす造形美に戸惑った。
 毎朝の散歩は全く同じコースなのに、日々何か新しい発見がある。体感温度にも、日差しにも、吹く風の揺らぎにも、明らかな変化がある。真冬の午前6時半は凍えるほどに寒く、手がかじかむほどに冷たい。薄明にも遠く、まだ真っ暗だった。だから黄色のウインドブレーカを羽織って、車から自衛する。裏山から日が昇るのは9時過ぎだった。

 同じ時間なのに、今ではもう日の出が過ぎて、歩く背中をほんのり温めたり、真正面からの光がまぶしくて、目をそばめさせたりする。移ろう足取りは少しずつなのに、季節は立ち止まることなく歩き続けていた。ウインドブレーカーも、白い袖の着いた黒地に替えた。
 道路の右側を歩いていたのを左側に変えてみるがけでも目線が変わり、町内の屋並みの壁際や庭先に、思いがけない花を見付けたりする。
有酸素運動の速足と、クールダウンのそぞろ歩きを交えながら、僅か30分あまり3千数百歩の日常生活圏巡りを楽しむ毎日だった。

 最後の坂道を一気に登り上がって角を曲がると、我が家までは150メートルほどの仕上がりとなる。右手の玄関先、かつて自治会長をやっていた頃、子供会でお世話になっていたIさん宅……いつも、季節ごとの花々で飾られているお宅である。
 不思議な花の蕾を見付けた。早速、彼女にメールして名前を尋ねた。
 「紫の大きな蕾でしょ~。私も名前がわかりません。宿根草で、毎年この時期にステキな花を咲かせてくれます。何とも言えないステキな紫で、私も好きなんです」

 初めて見た蕾だった。勿論、花が咲いた時の姿も想像がつかない。わからないとなると、気になる。このままでは落ち着かない。山野草の図鑑はいろいろ持っているが、これはどう見ても外来の園芸種である。
 夕飯後、ネット検索を始めた。季節で探し、外来種で探し、園芸種で探し、ながら見のテレビのドラマの筋が見えなくなった。幸か不幸か、今は潰すのに困るほど、時間だけはたっぷりある。
 最後に、「紫色の花」で検索した。とんでもないほどの花の写真が並ぶ中に、遂に見付けた!
 「シラー・ペルミアナ」 Scilla peruviana 青紫の小花が傘状に集まって(散形花序をなして)咲く。シラーの中ではやや大型になる種。
  学名:Scilla
  科名 / 属名:キジカクシ科 / ツルボ属(シラー属)科名は、ヒアシンス科、ユリ科で分類される場合もある。

 シラーは星形や釣り鐘状の小花が、房状や穂状(散形花序または総状花序)に咲く。ユーラシア大陸、南アフリカ、熱帯アフリカに100種以上の原種があり、開花期や休眠などの特性は種によって異なる。数種の原種(ペルビアナ、シベリカなど)と園芸品種がよく知られ、花壇やコンテナ、切り花などに利用される。

 早速、彼女にメールして教えた。弾んだ返事が来た。
「そうです!そうです!とても難しい名前ですね!覚えられるか心配です(笑)」
 毎日の散歩が楽しみになった。少しずつ開いていく花が、いったいどんな造形美を見せてくれるのだろう。咲いたら、もう一度ブログにあげよう。
                          (2020年4月:写真:シラー・ペルミアナ)


あるアメリカの姿――日米の違い

2020年04月25日 | つれづれに

 CaliforniaのOrange Countyに住む娘からメールが来た。ファーストフード店に行った時の印象である。日米の意識・行動の違いが浮き彫りになる。東京は、もうニューヨークの惨状を批判出来ない。日本は、もうアメリカの対応を笑えない。

 「当然今はTo Go(テークアウト)しかやってないけど、ここはもともと大人気店で、平時から食事どきは車の長蛇の列。で、機械越しのオーダーじゃ時間掛かるから、数名の注文聞き係が車の列を廻ってくるのね。マスクじゃ注文復唱聞き取りにくいからと、この写真みたいな対策。顔に注目!
他、カードの受け渡しもしなくていいよう、携帯式のカードリーダーを使ってくれて、お互いにカードに触らずスキャン出来る。(勿論ネットでのオーダーもあり)
 紙袋に入れたバーガーの受け渡しも、うっかり手が触れ合わないよう、紙袋を更に大きなトレイに入れて、お店の窓越しに出してくれて、車からお客さんが紙袋を取り出す。
 お店側はみんなマスクと手袋してるけど、客側がそうとは限らないから、この対応だと働き手も安心だよね。

 食料品もレジのところには大きなプラスティック衝立があって、万が一客がマスクしてなくても大丈夫になってるし、自分のエコバッグは持ち込めないようになったし、食良品はマスクしてない客を拒絶もできるようになったし、ホント色々ちゃんとしてくれてる。
 食料品も、ネットで買って配達して貰えるしね
 アメリカって凄いんだなと、コロナで初めて感じたかもだ!」

 「こっちはもともと薬局でもマスクとか滅多に売ってない国だから、当然今もどこにもなくて。 Home Depotで売ってる埃除けの作業用マスクとか速攻品切れだもんね。

 アメリカって一括りにするとすごく危険そうだけど、感染者の殆どはNY(ニューヨーク)だし、CA(カリフォルニア)もLA(ロサンゼルス)近辺だから、 こっちの方はあまり心配しすぎないで。
 ホントやっぱ土地が広いし、車社会だけあって、Social Distanceを守れないような事がないし、ネットで何でも買えるから、人がいるとこに出なきゃいけないのって、食材買う時だけだよ。 幸い冷蔵庫大きいから、買い物も10日に一度位でいいし。
 レストランやファーストフードの配達も、人に会わずに済むようネットで買って、ドアの外に置いていくシステムだし、To Go(テークアウト)の窓口も人が接触しないよう徹底してるし、 ホントOC(オレンジカウンティ―)だったらよっぽど馬鹿な事しない限り、感染しようがないんじゃないかと思ってしまう。もともと食べ物扱う人は、手袋してる国だから、衛生の徹底は早いし完璧。 こんな方法もあるあるんだ〜って「目から鱗」な感じよ。
 改めて、この辺に住んでいて良かったって思う。

 だから、心配し過ぎないでね。 正直日本の方が怖いから。岡江久美子さんのとことかびっくりだった。 クドカンさんは完治出来て良かった!こっちもトム・ハンクス夫妻は無事完治したし、いいニュースもあるよね。

 収入がない人は大変だけど、コロナ自粛待機期間は光熱費もかなり安くして貰えるし、補助金として数回、払った税金から少し戻されたし… これからもまだ何回か戻ってくるみたい。こういう措置が早いのも、アメリカって凄いなって思うよ」

 多くの言葉は要らないだろう。トランプのような大統領でも、州知事や市長がしっかりしていれば、こうなる。アベのような無能な首相だから、知事や市長には、もっと奮起してもらわなければ。

 昨日、マックにドライブスルーでハンバーガーを買いに行った。さすがアメリカ資本、娘のメール通りの対応が既に出来上がっていた。
 安心感に包まれて食べたダブルチーズバーガーが、一段と美味しく感じられた。
                        (2020年4月:写真:アメリカのファーストフード店員)

7ミリの気付き

2020年04月23日 | 季節の便り・花篇

 未練がましい戻り寒波が、真っ盛りのコデマリの花をしなうように大きく揺する。気温が1ヶ月逆戻りした。いっそのこと4ヶ月戻して、コロナ以前の世界に戻れたらと思う。仕舞い込んでいた冬物の下着を、また引っ張り出す羽目になった。
 
 「夏野菜の苗を植えています。新玉ねぎを掘りにいらっしゃいませんか?」という誘いのメールが届いた。丁度、病院に行く予定があった。定期的にもらっている薬だから、予め電話しておくと、殆ど待つことなしに処方箋が受け取れる。コロナが齎した新しい制度である。
 全国で病院での集団感染が多発し、一番怖い「三密」が病院ということになって、やはり躊躇うものがあった。待合室に人影は疎らで、マスクで武装して受付に診察券と後期高齢者健康保険証を出すと、1分後には会計で呼ばれ、診察ナシで処方を受けることが出来た。入る時と出るときに、アルコールで手指を消毒する。薬局で薬を出してもらう時も同じだった。

 そのまま観世音寺まで車を走らせ、車を置いて裏の日吉神社脇の畑を訪ねた。途中の草叢に、レンゲソウや濃い紫色のスミレを見付け、ガラ携のカメラを向ける。一面に拡がるイモカタバミが、濃いピンクの絨毯を拡げていた。
 Yさんご夫妻と亜・濃厚接触しながら、畑を案内してもらった。黒いマルチを敷いた畝に、茄子、胡瓜などの苗を植え付ける作業中だった。程よく土からせり上がった玉ねぎを抜かせてもらった。「ビールのお伴に最高!」と、新しい簡単レシピをご主人が伝授してくれる。
 まだ青く、ぷっくり膨らんだイチゴ、群れるように集う晩白柚の蕾、可愛い無花果や枇杷の実……日差しに包まれて、少し早めのスナックエンドウを一掴み摘ませていただき、厚かましく豌豆入りのお握りまで2個いただいて、畑を辞した。
 「来週あたり、豆刈りに来てください!」というお誘いを、カミさんへの土産にいただいて帰った。

 戻り寒波は明日迄続くという。そんな中、太宰府で二人目のコロナウイルス感染者が出た。風俗店、病院、リハビリセンター、クルーズ船、役所……集団感染は所を選ばない事態になってきた。医療崩壊も、既に始まっている。救急車が受け入れ先を盥回しにされるケースも増えている。待機中の自宅や、路上で死んだ人も10人を超えた。間接的にコロナに斃れる不安さえ漂い始めた。
 そんな最中に出た「アベノマスクに不良品発生!」のニュースには、もう呆れる気力もない。

 戻り寒波の朝でも、ストレッチを済ませた後の身体はポカポカと温かく、早朝の散策も汗ばむほどである。石穴稲荷の参道脇に、見かけない花を見付けた。7ミリほどの小さな花が、かすかに紫色を帯びて一面に咲き敷いている。意識しないで見過ごしていただけなのだが、こんな可愛い花があったなんて、想定外の発見だった。蓬に似た葉の先端に咲くミリ単位の小さな宇宙が、「コロナ籠り」に倦んだ心を明るくしてくれる。何だろう、この花は?
 蓬と言えば、太宰府天満宮土産の、蓬を練りこんだ香り高い梅ヶ枝餅が、昔は毎日売られていた。しかし、野生の蓬を摘む人手が少なくなり、今では蓬粉を練りこんだ香り薄い梅ヶ枝餅が、道真公の誕生日(6月)と命日(2月)に因む毎月25日に売られるだけである。

 重い夜の闇が、近くの杜から時折フクロウの声を届けてくる。行きつ戻りつしながら、ゆっくりと季節が歩んでいた。
                              (2020年4月:写真:名も知らない花)

濃厚接触に憧れて

2020年04月19日 | つれづれに

 週刊誌に「大自然との濃厚接触」という一行を見つけた。「これだ!」と思った。

 暗雲立ち込める巷の喧騒をよそに、人っ子一人いない自然の風の中を歩く。蹲り腹這いになって、小さな野の花にカメラを向ける……そんな日々を、もう20年も続けてきた。由布高原に、男池の畔に、九重高原・長者原の湿原の木道に、群馬県・嬬恋の原野に、阿蘇の草原に、そして近場の博物館裏の散策路に、加えて我が蟋蟀庵の庭の片隅に、落としたシャッターの数は、もう数えきれないほどになった。

 昆虫写真は、高校生の頃から撮り続けていた。昆虫採集を早めに卒業し、やがて食草と共に採取して育て、羽化の姿を写真に撮って放す……そんな、わくわくする「自然との濃厚接触」を趣味にしてきた。
 そして、小さな野の花に開眼したきっかけは、庭の片隅に無造作に咲いているユキノシタを蹲って撮ったことだった。立った目線では、無造作に咲いている地味な花だったのに、カメラのファインダーに捉えた絵は繊細で美しかった。自然が織りなす見事なまでの造形美は圧巻だった。山野草に詳しいカミさんの親友を師と仰いで、一気に高原の山野草探訪にのめり込んでいった。
 山歩きも高齢者ばかりとなり、若い人たちの自然との濃厚接触が少なくなった。山歩きをしていた青春の頃、出会うのは若者ばかりだった。山ウドを教えてもらった高齢者との出会いは、貴重な記憶である。

 座り、蹲り、腹這いになって目を凝らすと、そこには全く異なった自然が拡がっていた。17~85ミリのズーム、60ミリのマクロと接写レンズ、70~300ミリの望遠、しかもこの望遠は接写機能がついているから、羽のある蝶や昆虫も、離れたところから接写することが出来る優れものである。
 しかし、全部担ぐと、けっこうな重さになる。歳を重ねて、その重さが肩にこたえるようになった。しかも、20年使い続けたカメラの調子が、3年ほど前からおかしくなった。シャッターがなかなか落ちないのだ。その都度、レンズを着け直したり、電源を入れ直したりを繰り返して、やっとシャカッ!と落ちる。シャッターを落とすときは息を止めているから、何度もこれを繰り返していると息切れして喘ぐ有り様である。そのせいで、シャッターチャンスを逃すことも多くなった。羽のある蝶は、花に長くはとまっていてくれない。
 一度修理に出して、目が飛び出るほど(新しいコンパクトカメラが買えるほどの)高額修理代に泣いたことがある。新調した方が早いには違いないのだが、残された余生の時間を考えると無駄な投資とも思われ、喘ぎながら騙し騙し使い続けている。
 最近、家電品や台所用品などを買い替えるとき、いつも感じる惑いである。「あと10年もちます!」といわれて、「そうか、こいつは俺より長生きするのか…」と。「5年寿命の物、ありませんか?」、と本気半分で尋ねて業者を苦笑させることになる。

 久し振りにカミさんに「これ、何を撮ったの?」と言わせた。我が家の庭で、帝王の座を占める父の形見の松の古木である。日ごろ何気なく見ていた新芽に接写レンズを向けると、こんな写真になる。芸術写真を撮っているつもりはない。これこそ、「大自然との濃厚接触」である。
 淀川が満開を迎え、昨年の父の日に次女が贈ってくれた羽衣ジャスミンが、タワー仕立ての鉢の中で細長いピンクの蕾をいっぱい着けた。開花迄、あと数日だろう。長く伸びたコデマリが、白い花房を風に委ねて揺れている。

 濃い黄砂が、景色を曖昧に霞ませる週末である。
                                   (2020年4月:写真:松の新芽)

雛桔梗

2020年04月16日 | 季節の便り・花篇

 ヒナギキョウ、可愛い花だった。20年来山野草を追っかけてきたが、初めての出会いだった。博物館導入路の道端の草叢の間に数本が風に揺られていた。
 帰って早速「九州の野の花」図鑑「春編」を開いてその名前を知った。(季節別色別で花を探せる、優れものの図鑑である。もう、使い込み過ぎてページがばらけかかっている)帰化植物である。ネットの解説に、「北アメリカ原産。1931年に横浜市で帰化が報告され、その後、関東地方以西で散発的に見いだされている」とある。

 束の間のコロナ離れの癒しの時間を共有しようと、カミさんを誘って「野うさぎの広場」まで歩いた。運動不足で少し脚力が落ちているカミさんをいたわり、いつもよりゆっくりと歩く。
 マイストックの枯れ枝を2本取り、広場への道を歩く。カミさんが、友達から掛かって来た電話に応えながら歩ける速さである。
 無人の空間に、珍しく一人歩く中年のご婦人がいた。道を尋ねられ、距離を置きながら答えるついでに、「行き止まりに小さな広場があります。たまに野うさぎが遊ぶ姿を見たり、駆け上がる猪に出会うこともあります。私の秘密基地で『野うさぎの広場』と名付けました。この山道は『囁きの小径』と言います。」と話したところ、「使わせてもらっていいですか?」と尋ねてくる。短歌を詠みに訪れたという。

 木漏れ日の下には、足の踏み場に困るほどハルリンドウが散り咲いていた。うらうらと注ぐ日差しは温かく、シートを敷いてミルクティーで喉を潤す。キュルキュルと、小鳥を呼ぶ笛を鳴らす。幾本か立ち残っている蕨を摘む……いつも通りの時が流れるうちに、広場の向こうで歌を詠んでいたご婦人は、いつの間にか姿を消していた。いい歌が出来るといいな。

 不幸にして、心地よさは長くは続かない。桜見で散々叩かれたのに、またアキエがバカをやったらしい。「コロナで予定がなくなったから」と、感染拡大中の大分県・宇佐神宮に参ったという。ろくにマスクも着けない50人ほどのツアー客と共に。女房ひとりコントロール出来ない男が統べる日本の不幸!
 マスクが配られ始めたらしい。「小さすぎて、不安」という反響が出ていた。そういえば、最近総理だけがやけに小さなマスクをして登場している。鼻の頭と口元がやっと隠れるようなマスク姿に、周囲との違和感を覚えていた。そうか、これが件(くだん)の「アベノマスク」か!

 所得制限なしに、全国民に10万円を配ることが急遽決まりそうだ。公明党からの強い申し出に、総理が押し切られたらしい。その公明党が、「支持団体からの強い要請がある」という。見え見えの選挙対策ではないか。その額12兆円!所得が減ったところに支給するはずだった30万円をやめるというから、この右顧左眄する朝令暮改・支離滅裂の場当たり政策に開いた口がふさがらない。少なくとも、年金生活の我が家には不要の金である。
 安倍よ、お前さんも10万円もらう気かい!必要性と緊急性を、もっと真剣に見ろよ!

 最後に、15日付の西日本新聞「春秋」を転載する。マスコミは、こんな毅然とした国政批判の姿勢を失ってはならない。

 「あなたはルイ16世か」とこき下ろされた。安倍晋三首相が投降した動画である。星野源さんの歌に合わせ、自宅のソファーで愛犬をなで、お茶や読書を楽しんでいる▼新型コロナの感染防止に、率先垂範で外出自粛を訴えた。「いいね」の一方で、厳しい声も。「家でくつろいでいたら食べていけない」「休業で仕事を失った」「店がつぶれそう」「早く感染確認の検査を受けさせて」…苦境にあえぎ、支援を求める人々から、首相の「無神経ぶり」への反発が次々と▼優雅にも見える動画がフランス革命時の国王夫妻を連想させたか。王妃マリーアントワネットは「パンがなければお菓子を食べればいいのに」と言ったとされる。貧困と食糧難に苦しむ国民を尻目に、ベルサイユ宮殿で優雅に過ごした王妃と、花見自粛のさなかに桜を愛でながら会食を楽しんでいた首相夫人は、どこか重なる▼ルイ16世は無能ではなく、政治には積極的だった。だが、対応が後手に回ったり、中途半端だったりし、財政を悪化させるばかり。革命が勃発した日、「何もなし」と日記に書いて寝てしまった。当事者としての感覚はかなりずれていたようだ。▼在宅動画といい、466億円をかけた全世帯への布製マスク2枚配布といい、こちらもピントは、ずれ気味か▼星野さんの人気に乗っかった演出より、自宅でくつろぐことすらできない国民に寄り添う指導者の姿が見たい。

 そんな姿は、多分永遠に見られないだろう。雛桔梗に癒された後だけに、醜いっ政治の世界に腹立たしさだけが一段と加速した。
 そして今日、緊急事態宣言は全国に発せられる事態になった。遅きに失した。
                               (2020年4月:写真:路傍の雛桔梗)

善意の手作りマスク

2020年04月12日 | つれづれに

 ――雨が降る。風が吹く、もう遠くに霞んでしまった冬将軍の引き摺る踵を垣間見せながら、小さな戻り寒波が冷たい雨と風を送り込んで来る――

 大気に漂うコロナウイルスを、吹き払い希釈する恵みの雨風と思えば、家籠りする身には特に不自由もない。

 Stay at Home と、またまた横文字・カタカナ文字の氾濫である。クラスター、オーバーシュート、ロックダウン等々。「家にとどまる」「集団感染」「爆発的患者急増」「都市封鎖」という分かりやすい日本語があるのに、政治家や学者やマスコミは、何かというとカタカナ文字を使いたがる。かつての「西洋かぶれ」や「舶来品珍重」を思い出す。偉そうに聞こえるとでも思っているのだろうか?
 さすがに、もう現実のものになった「医療崩壊」にあたるカタカナ文字は登場してない。
 ネットのある記事にこんな記載を見つけて、ウンウンと頷きながら笑ってしまった。笑ってる場合じゃないのに……。
「母国語である日本語を柔軟に扱う能力がない男を、首相として重んじることは到底できない」

 諸外国から、日本の対応の甘さを指摘する声が相次いでいる。
 「この状況は各国の経済だけではなく、我々が享受している文明そのものを破壊しかねない、恐ろしく、終わりが見えない“戦争状態”なのです。
 相手はどこにいるのかわからず、避けようと思っても忍び寄ってくる……。恐ろしい亡霊のような、しかし破壊力は爆撃以上の恐怖の塊なのです。」

 マスクが店頭から消えて既に2か月以上になる。乏しくなった在庫は最悪の事態に備えて取り置きし、使い捨てのマスクを殺菌用石鹸で押し洗いして、熱風で乾かして再利用していた。不織布だから、洗ったら効果がなくなることは承知しているが、無いものは無いのだ。ウイルスの遮断は出来ないとしても、自らの飛沫で他人に迷惑を掛けまいと思っていた。

 耐えるしかない「コロナ弱者」の高齢夫婦は、このところ温かい善意に包まれて幸せな気分に浸っている。いつも新鮮な野菜を届けてくれるY農園の奥様から2度にわたって、博多に住む家内の従弟の奥さんから、そして東京に住むその娘さんから、相次いで手作りマスクが届いたのだ。それぞれの模様の生地と「デザインで、縫った人の手の温もり・心の優しさまで伝わってくるマスクの数々である。
 その善意が嬉しくて、涙が出そうだった。
 実は……東京から送られて来たのには、ある裏話がある。彼女のFacebookに、「手作りマスクを縫いました!」という書き込みがあった。早速、半ば冗談、半ば本気で「良かね~、欲しか~!」とコメントを入れたところ、早速それに応えて手作りし、送ってくれたのだった。
 とりどりのマスクを並べ見ながら、「よし、これで乗り切れる!」という、確信にも似た思いが沸き上がってくる。政治家の思惑の及ばない市井の片隅で、一人一人がこうした善意に守られて懸命に生きているのだ。
 四百数十億を掛けたパフォーマンスの、アベノマスクなんか要らない!

 2月12日に、博多駅前の公証人役場に公正証書遺言状を巻きに行って以来、JRにも西鉄電車にも乗ってない。既に雌伏2か月、忍耐の日々はまだまだ続く。ワクチンや治療薬が確立しない限り、数か月どころか数年、あるいは第2波、第3波という国際的波状感染で、もっと長い間戦いが続くかもしれない。
 日々の生活のあり方を、そして「命」というものの尊さを、改めて見詰め直す時が来ている。

 ――雨が降る。風が吹く、もう遠くに霞んでしまった冬将軍の引き摺る踵を垣間見せながら、小さな戻り寒波が冷たい雨と風を送り込んでくる――
                         2020年4月:写真:善意の手作りマスク)

ふうたんぬるか~ッ!

2020年04月11日 | つれづれに

 カリフォルニア州ロサンゼルス南のオレンジカウンティ―に住む次女から、今朝こんなメールが来た。
 「今日の発表で、Orange Countyは自宅待機が5/15日迄延びた。既に、Californiaでは自宅待機が、無期限になってるから、こっちも5月中旬までは確実に自宅待機だろうね。
 幸い、この自宅待機令で光熱費が上がってるから、補助金が出ることになった。」

 カリフォルニア州知事の打つ手は、見事なまでに果断且つ迅速である。だから、ニューヨーク州に比べ、感染者も死者も、十分の一というほど少ない。
 このメールを読んだ博多っ子のカミさんが、開口一番「日本のやり方は、ふうたんぬるか~ッ!」と言った。
 「ぐずぐずしてる。とろい。どんくさい。ワンテンポ遅れている。まるで見当違いのことをしようとする」といった意味合いの博多弁である。

 6日の月曜日に来たメールは、こうである。
 「こっちも更に厳重警戒になって、Laguna Beachは「入っちゃいけません」ラインをサーファーが無視するから、ついに道路際にビッシリ網張ってね、 今まで開いてた海に直接面してない芝生エリアや、Parkも全クローズになった。
 当たり前だけどLagunaの街中のお店屋さんも、レストランも全部クローズで… Dead Townみたくなってるよ。 ホテル客もビーチに降りられないし… ずっとPolice見回りしてるし、1番厳重だと思う
 Salt Creekって、何度か一緒に歩いたサーファーの大会あるビーチは、Parkingは全部クローズだけど、地元は停められるストリー・トパーキングがわかるから、数年振りに開発前のローカル・オンリーのいい雰囲気が戻って来てる。(今は、通常時は日本みたいな混み方だから) なので海見たい時は、あっちに行ってるよ。 だけど今日からまた4~5日雨だ〜。 今年は更に異常…雨ばっかで寒い… やっとプール温水になったのに。
 歩いて買い物に行ってたStater Broは、品物はだいぶ戻ったけど(久々にパンが色々あった!) エコバッグ持ってっても、「触れないから」ってカートに戻されて自分で詰めなきゃいけなくなった。

 Trumpさんも、急に一般健康人にもマスク奨励始めたし… 少し前まで医療関係者、食料品関係者、お年寄り中心で、公共機関使う狭い都市以外はマスクは出来るだけ元気な人はしないように言われてたのに〜。
 マスクすると、アジア人がWalkingでもないのに、カメラ持って観光気分でウロつくからかえって迷惑なんだよね。 Social Distancing守らないし、集団で練り歩くし… コロナ以来、ますますアジア人嫌いに拍車かかってくわ。
 そして、うちから1番近くのあの角っこのスタバ…ドライブスルーがないから、まだTo Go(テイクアウト)のみの時は開いてたけど、ドライブスルーのみになってしまって… ついに撤退決まって潰れた… 。めちゃくちゃ使ってたし、ゴルフ帰りのシニアの憩いの場だったのに〜。」
 マスクを買い置く習慣なんてないし、もう何処にも売ってないから、仕方なく娘は西部劇の銀行強盗のように、バンダナを巻いて買い物に行っているという。マスクの代用として、認められているそうだ。

 様子を見ながら、徐々に規制を拡げていこうとする政府に、「初めに広げておいて、様子見ながら徐々に規制を緩めていくのが本当の危機管理」と言った都知事は正しい。それでも、話し方の迫力の無さはどうだろう!「ございます」なんてカッコつけてる場合じゃないだろう!

 アメリカは悲惨なことになっている。黒人、ヒスパニック、メキシカンなど、貧しい人たちの罹患・死亡が圧倒的に多い。日本のような健康保険制度がないから、貧しい人たちは高額な医費療を払えず、座して死を待つことになる。ニューヨークでは、離島に溝を掘って、死者の棺を大量に並べて埋めていた。
 日本でも、コロナで死んだら、遺族は別れの面会も出来す、そのまま火葬場に送られ、お骨になってからしか会えないという。葬儀を断る葬儀社も出始めた。

 「滅びの笛」は、いよいよ身近に聞こえ始めた。こんな緊急時に「ふうたんぬるい」政策を繰り返していていいのだろうか?????
 「政治的判断」の陰に「選挙目当て」がちらつく。自粛を要請し続けている総理が、毎晩のように恒例になっていた会食を、漸く取りやめたらしい。日本の政治家のレベルは、目を覆うほどに低劣である。

 「怪盗コロナマスク」で買い物に出た。「必要な」、「急ぎの」、「最低限の」、食料品の買い物である。緊急事態宣言発令後、初のウイークエンドである。残念ながら、マスク無しや、2メートルという「社会的距離」を守らない客も多い。
 ローソンのレジに、透明なビニールの遮蔽カーテンが引かれたのが、唯一の前進だった。

 地球上を覆いつくす不気味な影、それを少しでも明るくしようとするかのように、中天に今年最大のスーパームーンが玲瓏と揺るぎ出た。3日前の夜だった。
                    (2020年4月:写真:4月8日のスーパームーン)

怪盗コロナ参上!!

2020年04月09日 | つれづれに

 時間の問題と覚悟はしていたが、遂に太宰府市で感染者1号が出た。60年代女性の会社員という。市のホームページによると、症状、経過、行動歴はこうである。
 3月22日 発熱(38度)があったため、A医療機関を受診
 3月23日 症状が持続し、A医療機関を再受診
 4月 3日 発熱と解熱を繰り返したため、B医療機関を受診
 4月 4日 発熱(39度)、咳があったため、B医療機関を再受診
 4月 6日 症状が持続したため、A医療機関を再受診し、肺炎あり、
       筑紫保健福祉環境事務所の帰国者・接触者相談センターに連絡し、検体を採取。
 4月08日 PCR検査の結果、新型コロナウイルス陽性が判明し、県内の感染症指定医療機関に入院予定。
・海外渡航歴なし
・発症後は終日マスクを着用。
・現在の症状:咳、倦怠感あり。
・濃厚接触者:家族3名について調査中。

 発熱から陽性請確定まで、実に17日間も掛かっており、その間2つの医療機関を5回も訪れている。これが、今の日本のコロナ対応の実態である。
 濃厚接触者が家族だけとは思えないし、どの地区の、どの医療機関なのかが全く分からない。
今、病院に行くのが一番怖い。信じられないような軽率且つ無責任な医者のニュースも相次いでいる。命を賭して治療にあったっている全国の医療関係者に対し、全く申し訳が立たない醜態である。
 武漢での発症まで、毎日のように大型クルーズ船を降りた数千人の中国人が訪れていた太宰府天満宮だから、今まで発症がないのが、むしろ不思議だった。
 しかし、いざ感染者が出てしまうと、こんなAとかBとか伏せられると、全ての病院に近寄れないことになる。
 勿論、感染者や検査が遅れた医療機関をバッシングするつもりは毛頭ないが、無防備で自己防衛の手段も限られた住民、ましてや高齢者にとっては必要最低限の情報である。いいのかな、こんなことで?
 美容院の帰りに立ち寄った行きつけの鮨屋の大将が、「どうも西の方らしかですよ」と言った。幸い、我が家は太宰府市の東の方である。

 4月に入ってからの80代以上の感染者は僅か4%、最も多いのが30代、次いで20代、40代という。働く人が少ない世代だし、不要不急の外出自粛を一番忠実に守っている世代だから当然の結果であるが、重篤化・死亡を怖れるのもまたこの世代なのである。そして、コロナウイルス性肺炎の死者の7割強が男性なのである。

 美容院も休業に入るという。そうなると、多分理髪店(我々の世代には「床屋さん」というほうがしっくりくる)も休みになるのだろう。ホームセンターでバリカン買って、カミさんに坊主頭にしてもらうことになりそうだ。
 緊急事態宣言で、食料品店などを除き、次々に休業・閉店に追い込まれている。寿司屋の大将も「1か月が限度ですたい。それ以上長引いたら、もう店閉めるしかなかですもんね!」と嘆いていた。
 「手ぬるかですもんね!テーブル叩いて訴えるぐらいのことばせな、あげなてれ~とした話し方で、誰が言うこと聞くもんですか!」

 次々に店が閉まっても、銀行は営業を続けるという。慌てておろすほどの大金はないが、この際コロナマスクで顔隠して、銀行強盗でもやるか……「怪盗コロナ参上!!」
 そんな戯言を言いながら、カミさんと助六をつまんでいた。
                             (2020年4月:写真:怪盗コロナ)
 

寄り添う命

2020年04月07日 | 季節の便り・花篇

 昼ごはんを済ませて降り立った庭先で、降りかかる日差しの中をアゲハチョウが舞った。今年初めての訪れだった。

 緊急事態宣言が出された。まさかと思っていたが、福岡県も道連れにされ、明日への不安が一段と濃くなった。遅きに失した感は否めない。首都圏を脱出した学生が、帰省先で集団感染を引き起こしたり、50代以下の感染が広がっている。新型コロナウイルス性肺炎が日本に上陸したとき、真っ先に懸念したのは、カラオケ、スナック、パブ、キャバクラ、飲み屋などだった。そんなことも気付かなかったのかと、またムラムラが起きる。

 今日は忘れよう。不要不急の外出ではない。大自然の中を歩くのに、何の躊躇いもない。蝶に誘われて、午後の日差しの中を歩き始めた。
 いつものコースでしかないのだが、少し足取りが重い。博物館裏の散策路、自称「囁きの小径」で、早くも道教え(ハンミョウ)が迎えてくれた。カエルの声が一段と冴える中を、ムクドリが地を這うように飛び過ぎていく。本当に、人っ子一人居ない静寂である。腰でリンリンと鳴る「ニアミス防止の鈴」に、跳び離れるカップルもいない。時折激しい風が奔り、枯葉の渦が真正面から襲い掛かる。

 西洋石楠花が、少しけたたましいほどの満開である。木陰のマイ・ストックの枯れ枝を拾い、山道を辿った。小さなスミレが枯葉の間から微笑みかける。辿り着いた秘密基地「野うさぎの広場」で、期待していたハルリンドウの群落が迎えてくれた。早速腹這いになってカメラを向けた。
 朽ちた枯れ枝の間に、8輪ものハルリンドウが寄り添って咲いていた。もう、言葉がなかった。今日の散策のブログは、この写真だけで何も要らない!落ち葉に埋もれながら、這いずるように写真を撮り続けた。
 寄り添う姿に、心が弾む。こんな大自然に抱かれていると、改めて命の尊さを実感する。ガラ携でも写真に撮り、博物館環境ボランティアの「五人会」の仲間たちや、カミさんを中心に集まる歌舞伎仲間たちに写メした。コロナ・ブルーに負けないように、「ご自愛下さい」と言葉を添えた。

 木漏れ日の下は、思ったより風が冷たい。ハルリンドウに囲まれて腰を下ろし、シジュウカラやホオジロの声を聴いていた。
 早速、返信が来る。
 「ありがとうございま~す!秋の竜胆と違って、枯葉を踏みながら、ソーッと探さないと見過ごしそうですもの!枯葉を踏む音まで聴こえて来そうでしたよ。竜胆さん、静かに待っていてくれたのですね!
 ワイワイ騒いでいるのは人間だけ。自然の流れに沿って、慌てることなく、与えられた命を生きているのですね♪拘りのない生き方、憧れます。
 今日も、好い一日になりました♪」

 冷えた珈琲で喉を潤し、肌寒くなって木漏れ日の広場を後にした。山道を抜けて車道に出ると、少し西に傾いた春の日差しが懐かしいほどに暖かかった。瞼の裏に温もりを溜めながら歩く帰り道は、足取りまで軽くなったようだった。クスノキの新芽が、ブロッコリーのようにモコモコと湧き始める季節である。

 朝から歩いた歩数は、11,000歩を超えていた。高齢者とは言わせない!コロナ弱者とも言わせたくない!!
 いつまで続くかわからない人類の試練である。命を寄り添わせながら、マスクなしで歩ける日々が戻ることを信じて、青空を見上げていた。
                       (2020年4月:写真:寄り添うハルリンドウ)