蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

秋の小舟

2012年09月28日 | 季節の便り・花篇

 木漏れ日の下に紅紫色の小さな舟を吊り下げて、山の秋が揺れていた。吹く風に瑞々しいススキが青空を掃き、その足元にノコンギクとイヌタデが色を添える。菊池渓谷を駆けあがり、外輪山のスカイラインに届く少し手前の道端で、玄関の紹興酒の壺に飾るススキを採った。残暑が未練がましく振り向いた暑い日差しも、もう此処まで登れば山の秋風が吹き払ってくれる。群生するツリフネソウが一段と日差しに映えた。

 モニター企画「1泊2食お一人様半額7000円」という抽選に当たり、熊本県・山鹿温泉で50余年の歴史を持つ老舗割烹旅館「寿三(すみ)」に泊まった。我が家を出て筑紫野ICから九州道をひた走って菊水ICで降りる1時間余り、80キロ弱の行程である。明治44年の杮(こけら)落しにさかのぼる古い芝居小屋・八千代座には度々訪れていたが、山鹿温泉に泊まるのは初めてだった。海鼠塀の風情の廊下の奥の一室、古くはあるが控えの6畳にすでに床をとってある8畳の純和室で寛ぎ、5階の展望大浴場で痛む肩を癒した。今日も先客一人というほぼ独り占めの浴場で、少しぬるめの湯に珍しく長湯した。(それでも、家内の入浴時間の半分ではあるのだが…。)

 工夫を凝らした夕飯を完食し、下を向けないほどの満腹感がこの歳では少し苦しい。「料理の品数を少なくして質を上げたシニアコースが出来るといいね」と贅沢を囁き合う。それでも、「馬刺しのカルパッチョ風サラダ」や「馬筋のシチュウ」は珍しく、1合5勺の冷酒で舌を洗いながら「これで7000円は安いよね!」と、年金生活者夫婦の会話は至って現実的である。
 やすむ前にもう一度、今度こそ独り占めの夜更けの温泉を楽しむのもいつものパターンだった。

 翌朝、3度目の入浴後朝食を済ませ(我が家ではいつも食パン半分で済ませるのに、旅先の朝ご飯を必ずお代りをする家内の胃袋の不思議!)車を宿に預けて、足湯のある湯の端公園から八千代座まで、豊前街道の風情をひろい歩いた。千切れ雲が流れる真っ青な秋空に、八千代座の屋根が映える。自家焙煎の「タオ珈琲」で、汗まみれの身体を冷ましながらお好みの酸味の効いたモーニング・コーヒーとしゃれ込み、菊池経由阿蘇外輪山に向かった。

 少し霞んだ阿蘇五岳を右に遠望しながらスカイラインを走り抜け、小国に降りた。蕎麦街道の「吾亦紅」が今日の昼食…何となくドライブのパターンが決まってきたようでおかしい。
 この道を選んだのは、もう一つの訳がある。小国から左に折れて数キロ走った谷あいに「鍋ヶ滝」という、ちょっと見てみたい滝があった。滝壺の裏が洞窟になっており、そこを回遊する遊歩道が作られて、流れ落ちる水しぶきを裏側から見るという珍しい滝である。
 整備された階段を120段あまり下った渓谷に、その滝があった。少し水の飛沫を浴びながら裏から激しい水しぶき越しに見る日差しは一見に値した。先日の「原尻の滝」と違って、此処は紛れもなく夏でも涼しいに違いない。今度は、孫たちをここに連れて来よう、と頷き合う。そういえば、深いトンネルを歩いてナイアガラ瀑布の壮絶な水しぶきを裏から見たのは、もう何年前だろう?

 つづら折れの階段の傍らにも、いまツリフネソウが真っ盛りだった。秋を運ぶ小舟が、ゆっくりと風に揺れながら櫓をこいでいた。
               (2012年9月:写真:秋風に揺れるツリフネソウ)

台風一過

2012年09月21日 | 季節の便り・虫篇

 唐突に秋が来た。

 九州の西の海を北上して行った大型台風16号の陰に隠れるように、秋が忍び寄っていた。台風一過、突然訪れた秋風は冷いほどに涼しく、直前まで夜風の蒸し暑さにクーラーを入れていたのに、いきなり窓を閉めて布団にくるまる夜を迎えた。無愛想な季節の急変に、姦しいほどに夜を騒がせていた虫の声までが戸惑いがちにかそけくなった。10度前後急落した夜気に、「虫も身体を壊したんじゃない?」と家内が心配するほどの変わりようである。
 躊躇いながら、振り向きながら夏が去り、行きつ戻りつの中にいつの間にか変わりゆく季節の移ろい……そして、気が付いたら水道の水が暖かく感じられて、秋の空気に変わっていた……それが、日本の秋の足取りだった。何だろう、この情緒ない激変は?

 
 庭に20余りの白い彼岸花が立った。真っ赤な彼岸花は何故か墓場を思わせる不吉な風情だが、植えた記憶もないのに庭に立ち始めた白い彼岸花は、年毎に株を増やして秋を演出してくれる。酷暑にサボっていた草毟りを二日がかりで終えてスッキリした庭に、幾つもの秋が忍び寄っていた。
 水引草が小さな赤い穂をいたるところに立てている。したたかな雑草の強さが心地よくて繁るに任せているが、毟り難いのは立原道造の詩のせいでもある。詠われたあの村が何処にあるかは知らないけれども、夢がいつも帰っていく気がするのだ。植木鉢の中では、金水引の黄金色が映える。
 ヤブランが庭石を飾る。垣根のラカンマキに這わせたカラスウリの実が、少し色づき始めた。ベニバナアセビやツクシシャクナゲが、もう来春の花の蕾を育てている。一面のユキノシタの中に立ったシュウメイギクが蕾を綻ばせ始めるのは、もう間もなくだろう。そして、多分今年最後の月下美人が2輪、ゆっくりと頭を擡げ始めている。

 16号台風の吹き戻しがようやく収まった夕べ、縁側の外壁に一匹のカメムシが止まっていた。初めて見る色形が気になって、ネットで幾つもの図鑑を開いてみたが、どうしても同定出来ない。
 確信はないが、台風のあとに、南に住む日本にいない昆虫が風に乗って迷い込むことがある。或いは、と思いながら、敢えてそれ以上の追及をやめた。名も知らない迷虫なんて、ちょっぴり夢があるではないか。
 数年前、沖縄本島から八重山に分布するアカギカメムシを、我が家の庭で見付けたことがあった。亜熱帯化しつつある今の日本では、それほど驚くほどのことではないのだが……それでも、小さな発見は嬉しかった。

 計画停電という電力会社の恫喝に振り回されながら、予想通り何事もなく猛暑の夏を終え、「脱・原発」という言葉が、政財界の思惑の中で実態の見えない泡沫のように利用されて秋が来た。
 国境の海で不気味な騒乱が続くというのに、相変わらず利権金権、党利党略、私利私欲、国民や国への慮りなど微塵も考えていない愚かな政治家たちが、重要案件の審議も放り出して代表選びの茶番を演じ、怒りと苛立ちが次第に諦めに薄められていく怖さ……。もう後ろを振り返って懐かしむ余裕などない私たちの世代、今日をひたむきに重ねる向こうに、残り少ない余生の輝きを探すことに頓着する日々である。築かず、ただ平然と迎えるだけ……だから、もう怖いものはない。

 サンマが美味しい季節である。レモンを絞り、大根おろしを添えて、口いっぱいに広がる秋を味わうことにしよう。
                (2012年9月:写真:未知のカメムシ)

秋、歩む

2012年09月05日 | 季節の便り・花篇

 久し振りの邂逅だった。本当に、何年振りだろう?昔……もう、昔と言っていいほどに時間が過ぎてしまった。山仲間のN夫妻と、万年山(はねやま)に登った。山頂近くの牧場の傍らまで車で上がれるから、頂への道は登山というよりも、むしろ高原散策。山野草の花時には外れた寂しい尾根に、たった一輪のこの花が風に揺れていた。初めて見る花だった。その時の写真は、今もバックアップしたUSBメモリーの何処かで眠っている。以来、小国の「きよらかーさ」の入り口の鉢で一度、我が家の近くの花屋の軒で一度、いずれも少し草臥れて萎れかかった惨めな姿に接したことがあっただけで、ひと昔の時間が過ぎた。

 9月の声を聴いて、俄かに陋屋を囲むコオロギの声が濃密になってきた。そんな一日、秋風が欲しくて高原ドライブに出た。湿気を帯びた空気が空を鈍く曇らせ、秋晴れとは程遠い天候に、山の稜線も雲間に沈んでいく。走りあがった大分県飯田(はんだ)高原・長者原の駐車場に車を停め、今にも雨の滴がこぼれそうなタデ原湿原を覗いてみた。早くも瑞々しいススキの穂が出揃い、温度計は20度を示している。高原は紛れもなく秋を謳い始めていた。
 ビジターセンターの脇の小道を少し下ると、いきなり迎えてくれたのがこの花だった。マツムシソウ(松虫草)。淡い紫のグラデーションが溜息の出るほど美しい山野草である。マツムシが鳴くような環境で咲くから名づけられたという、何とも無粋なネーミングは、この花の美しさに似つかわしくない。花の終わったあとの坊主頭みたいな姿が、仏具の伏鉦(ふせがね、その響きが松虫を思わせることから俗称・松虫鉦という)に似ていることから名づけられたという説の方が、まだ頷ける。

 年々歳々、いつも同じ場所・同じ木陰で巡り合う花たちも嬉しい。しかし、それにもまして、思いがけず何年振りかで再会する花が齎す感動は又別格である。20輪ほどの群生が、湿り気を帯びた秋風の中で今を盛りと咲き誇っていた。傍らにはワレモコウ(吾亦紅)が立つ。生け花に使われる吾亦黒と言いたいほどにくすんでしまった花と異なり、新鮮な濃い赤がその名前の由来を納得させる。山萩も今盛りだった。足元をベニバナツメクサ(紅花爪草)のピンクが、少し小道をたどった先にはコウゾリナ(剃刀菜)の黄色が彩る。ススキの穂を凌ぐように、何本ものヒゴタイ(肥後躰・平江帯)が青紫の珠を掲げる。端境期と思ってさほど期待していなかっただけに、何だか得をしたみたいなウキウキ気分だった。

 男池(おいけ)に走った。緑のトンネルが薄暗く感じられるほどに空模様が怪しくなる。家内と義妹を男池の湧水に送り込む頃、雨が来た。ひと掬いの湧水を口に含んで戻った二人を拾って慌ただしく長者原に戻り、ビジターセンターのベランダに置かれたテーブルを借りて、いつものコンビニお握りの弁当を食べた。雨はやがてやみ、湿原の一面のススキの上を風が走り、三峰を雲に沈めた三俣山、霧に紛れて噴煙を上げる硫黄山、雲の間に消える星生山が墨絵のようなたたずまいを見せる。
 歩み始めた秋は日毎足取りを速め、いつしか山巓から紅葉が降りてくるだろう。久しぶりに出会ったマツムシソウの姿をしっかりと瞼に焼き付け、立ち寄り露天風呂に向かって峠道を駆けのぼった。
                 (2012年9月:写真:マツムシソウ)