蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

サイボーグ証明書

2018年09月27日 | つれづれに

 9月25日、術後ほぼ2ヶ月過ぎて、主治医(執刀医)による初めての術後検診を受けた。
 快晴の青空は次第に高く、雲の佇まいにも猛々しさはなくなってなっては来たものの、まだ未練がましい残暑の居坐りが感じられる午後だった。駐車場に車を置いて病院に辿る並木道にも、退院の頃の姦しい蝉の声は気配もなかった。
 自動再来受付機で登録を済ませ、中央放射線部で待つこともなくレントゲン写真を2枚撮り、整形外科の待合室に戻る。五分後には、カミさんと二人で主治医の前でレントゲン写真に見入っていた。左股関節を骨盤から大腿骨に到るまで、4つのチタン合金部品と、セラミック部品、骨盤に深々と刺さるビスの影が白く写っている。サイボーグの部分解剖図である。
 「順調ですね。骨盤にビス止めしたチタン合金のカップも隙間がなくなり、順調に骨盤との同化が進んでいます。軟骨代わりのセラミックのライナーも、ずれなく納まっているから問題ありません。次回は、2か月後の11月27日、同じ時間に来て下さい。」
 回復の太鼓判を押され、やはりホッとした二人だった。あとは、リハビリを重ねて、大腿部と臀部の筋力を鍛え、作動範囲を徐々に拡げ、併せて腹筋や背筋も強くしなければならない。

 お願いしたら、こんなカードを手渡してくれた。クレジットカード大の紫色のプラスチックカードに、「PATIENT CARD」と印字されている。

I have an artificial joint implanted
in Hip or/and Knee
These inplants may actiate a
metal detection device
「私は股関節・膝関節に金属インプラントを使用しています。
このインプラントは、金属探知機に反応します。」

 そして、裏面には人体図と手術部位、患者名、病院及び医師名がサインされている。そう、これは航空機搭乗時の金属探知機による検査で、必ず反応してブザーが鳴った時の証明書である。称して「サイボーグ証明書」(これは私の命名)。海外の空港でも通用すると言われたが、多分もう海外に旅することはないだろう。3冊目の10年パスポートも、もう失効していることだろう。
 55年目を迎えた「運転免許証」、11年目の「スキューバダイバー・ライセンス」と並ぶ、3つ目の証明書である。(因みに、国や行政がやいのやいのと急き立てて取らされた「マイナンバーカード」は、太宰府市では単なる身分証明書代わりにしかならない。いずれは、何でもこれ一枚で済むようになると言われて2年前に作っていたから、先日印鑑証明を取りに行ったら、「これは使えません。印鑑証明カードをお持ちください」と、けんもほろろの応対だった。2年も経ってもこんな有様である。これが国のやることであり、帳面消ししかやらない行政の実態である。まだ、取得率は30%という記事を最近見た覚えがある。)

 溜まった夏の疲れが、秋風に少しずつほぐれていく。「貯まっても困らないのはお金だけ」……そんなセリフを吐いてみたいなと自笑し、無駄に溜まるいろいろなものを持て余しながら、本気で「断・捨・離」を始めなければと思う。80年近く生きてきた証しは、様々な想い出も溜めてしまっている。断ちがたいものを断ち、捨て難いものを捨てるのは、それなりの覚悟が要る。諦めが要る。悲哀が残る。若い者は、それを「年寄りの未練」という。
 よしよし、お前さんたちも歳を取ってみるがいい。

 体重も、ほぼ手術前の理想体重57.4キロに復帰した。術前検査で、身長が1センチ低くなっており、「これが歳を取るという事か」と少し寂しさを感じていたが、術後の説明で主治医曰く、「左足が少し短くなっていましたから、1センチ少々長くしておきました」
 骨頭ボールを載せた楔状のステムを、コンコンコンと大腿骨の空洞部分に打ち込む際に調整出来るらしい。こうして、サイボーグは元の身長を取り戻した。

 30分ほどで、秋風の中を走り帰った。秋刀魚が美味しい季節である。今夜は秋刀魚にしよう。
                  (2018年9月:写真:サイボーグ証明書)

彼岸花

2018年09月19日 | 季節の便り・花篇

 浅いうたた寝から覚めた。観ていたテレビ映画の筋は全く分からなくなっている。週3回40分のリハビリはけっこうハードで、終わった後は、よくこんな有様になる。
 午前中のリハビリを終えた後のお昼は、昔懐かしいマルタイの棒ラーメン……私たちの世代にとって、受験勉強の夜食はいつもこの棒ラーメンだった。真冬の深夜、エアコンもない部屋で丹前を頭からかぶり、何も入っていない棒ラーメンを啜る。「丹前」も、もう今では死語になった。ネットには綿入れの褞袍(どてら)と出ている。「褞袍」という言葉さえが死語である。
 そんな半世紀以上昔の食べ物が、いつの頃からか再販されるようになった。黄色いボンカレーと並ぶ日本のファーストフードのはしりかも知れない。チャーシュー、もやし、ゆで卵、紅ショウガ、海苔を載せ、いりごまと胡椒を振って……あの頃に比べ、なんと贅沢なことだろう!

 5時半過ぎに目覚める。外はまだ薄明。ヒグラシも、もう鳴かない。布団を剥ぎ、退院以来愛用している抱き枕を下におろして、ベッドの上で30分の筋トレ・ストレッチで身体を目覚めさせる。6時25分からテレビを見ながら、椅子に坐ったままでラジオ体操を15分。
 今週から、朝のリハビリ・ウォーキングの距離を延ばした。かつて6年間自治会長を務めた我が自治区一周から、隣りの自治区まで拡げて30分で3000歩。小さな山や谷を拓いた団地だから、緩やかな坂道もある。杖を突いて1ブロックゆっくり歩くことから始めて1ヶ月、もう杖なしで速足にも耐えるようになった。坂道も問題なく、唯一階段の上りに左足の力不足を感じる程度である。ただ、何故か座る姿勢が馴染まないのか、立ち上がって歩き始める数歩、鼠蹊部と左の一本傷の上辺りに疼痛が出る。
 
 一か月を過ぎた今日、理学療法士による回復状況のチェックの後、医師に診断を仰いだ。
 理学療法士の書いたデータ―があまりに達筆(?)過ぎて、医師が「読めん!」と嘆きながら読んでいるのが可笑しかった。耳で聞きながら説明を受けた私の方が解るようで、翻訳すると、こうなる「股屈曲、伸展、外転、外旋、膝屈曲、伸展、足背屈等が改善、筋力も増強、歩行力も向上している。但し、端坐位からの起立動作及び歩行初期2~3歩に軽度の疼痛がある」……こうして、もう暫く(1ヶ月?)リハビリを継続することになった。
 まだ少し不安があったから、どこかホッとしている自分が居た。6年前の左肩腱板断裂修復手術は、5つ孔をあけただけの内視鏡手術だったのに2ヶ月入院し、その後4か月リハビリに通った。今回の方が遥かに傷は大きいし、手術内容もも大掛かりである。僅か1か月半で解放される筈がない。
 リハビリの目標欄には「山道を歩けるようになりたい」と書かれている。医師が言う「山道は石がごろごろしているし、でこぼこしているから、あまり歩かん方がいいですよ」
 いやいや、私は諦めない!「もう暫く、我慢します」と言って帰ってきた。来月には、秋風に吹かれながら御笠川沿いの道を歩いて観世音寺を訪ね、自信がついたら「野うさぎの広場」への山道を辿るつもりでいる。

 厳しい残暑が続き、今日も31度を超えるという。秋のお彼岸が近く、庭のあちこち20本の白い彼岸花が立った。ネットによれば、正しくはシロバナマンジュシャゲ(白花曼珠沙華)というらしい。シロバナヒガンバナとも呼び、ヒガンバナの雑種とされている。定説ではヒガンバナとショウキラン(ショウキズイセン)が自然に交配されて生まれたとされている。日本のヒガンバナは不稔性(タネが出来ない)なので、稔性(タネが出来る)のある中国原産のコヒガンバナが親とも言われている。
 花の姿はヒガンバナに似ているが、シロバナマンジュシャゲのほうが、花びらの反り返りや縁のフリルがゆるい。秋に花が咲いて、冬の間に葉が生長し、初夏には葉が枯れ、秋に花が咲くまで休眠する。不稔性で基本的にタネは出来ない……まだまだ知らないことが多いと思い知った。

 3鉢の月下美人に、合わせて9輪の蕾が育っている。多分、今年最後の花になるだろう。酷暑の中で逞しく葉が伸び、ひとまわり以上大きくなった。形見分けで譲ったY農園のご自宅でも、きっと同じタイミングで幾つかの蕾が育っていることだろう。

 この気怠さ、リハビリ疲れだけではなく、痛めつけられた猛暑の祟りでもあるのだろう。湿気を膨らませて、雨が近付いている。
                      (2018年9月:写真:白花曼珠沙華)