蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

蟋蟀庵、倒産!

2021年01月31日 | つれづれに

 三寒四温というより、体感的には四寒三温、想定外に長く生き過ぎて干乾び始めた老体には、今年の寒さは一段とこたえる。帯状疱疹後神経痛は、2年を過ぎても和らぐことなく、右腕右肩から背中にかけて、たまにお茶碗を落としそうなほどに痛む。経験しないとわからない痛みだが、極力考えないようにしているし、日常生活を極度に脅かすほどのものではない。

 何事もなく睦月が晦日を迎えた。先日、「4月上旬並み」という温かさに誘われて、カミさんを誘い天神山散策に出掛けた。
 団地を抜けて89段の階段を上れば、九州国立博物館。その右脇の歩道を回り込んでいくと、博物館メイン入口への車道に出る。今日は、「野うさぎの広場」への曲がり角は通り過ぎて歩みを進めた。
 200メートルほど歩くと、太宰府天満宮の右側を屏風のように囲む天神山の散策路と接するところがある。並行した道の敷石をひょいと跨ぐだけで、もうそこは天神山を巡る道路である。
 枝垂れ梅の蕾はまだ固いが、期待して見下ろした根方の草むらの中に、オオイヌノフグリが散らばるように咲いていた。早春の先駆けを、毎年ここで確かめることにしている。もうすぐ、スミレもその中に混じり始めることだろう。
 車道を少し歩くと、散策路への急坂が始まる。この散策路はアップダウンが少なく、息を弾ませることなく「山道気分」を味わうことができる。途中には、2か所ほど私の秘密基地もある。
 冬日にしては日差しが強く、汗ばむほどの光が降り注いで、冬枯れの木立を縫う道にくっきりと木漏れ日の陰影を落としていた。

 やがて、天開稲荷の赤い鳥居にたどり着く。入口(裏口)を守るお狐様が、「鬼滅の刃」ファッション!ここを下って20分ほど歩けば、「鬼滅の刃」の聖地のひとつ「竈門神社」がある。その近くにある地鶏料理の店のオヤジも、「鬼滅の刃」の半纏を着ているほど、このところ「あやかり」が多い。
 御神籤を引いた。年末の幸先詣りでは「吉」だったのに、今回は「小吉」に格下げになった。「中ぐらいなりおらが春」が、幸を使い果たして、更に「ささやかな春」になってしまった。

 赤い鳥居の林立する石段を潜って下り、有名な「お石茶屋」の緋毛氈の縁台を縫って、天満宮の梅園に降りた。梅の蕾はまだまだ固い。神頼みの受験生たちの三密の混雑を避けて、博物館のエントランスに抜けた。
 ただ1本、数輪の花を綻ばせた白梅が、この日の唯一の梅花だった。

 庭にたくさん赤い実を着けていたマンリョウ(万両)が、いつの間のか素っ裸にされていた!塀の陰や、庭の隅にこぼれていたヤブコウジ(十両)の実も一個もない。冬枯れの庭に、鮮やかな実をいっぱいにつけるマンリョウは、正月のめでたい縁起物である。小さな実を穂のように立てていたナンテンも、一粒残さず丸裸にされていた。
 多分、ヒヨドリの仕業である。1本でも見つかればもうおしまい。数羽がやってきて、あっという間に食べ尽くしてしまう。山に木の実の実りが乏しいのだろうか?「野うさぎの広場」への散策で、どんぐりが異様に少ないのを実感していた。そのとばっちりが蟋蟀庵にも及んだ。

 ン十万両の財産を失い、こうして蟋蟀庵はコロナ禍のもとに、倒産の憂き目を見る羽目になった。「小吉」どころか「大凶」の中に、さあ如月が始まる。

 緊急事態宣言は、まだまだ解除される見込みはない。人事権をひけらかして恫喝し、ビビった官僚に書かせた文章をたどたどしく読むしか能のない総理、自分の言葉で話す度に炎上し、小気味よいくらい支持率が下がっていく。この転落のカーブを、ぜひコロナ感染者減少のモデルにいただきたいものだ。
                   (2021年1月:写真:天開稲荷の「鬼滅の狐」)
 

歩き初め

2021年01月16日 | つれづれに

 文字通り、凍り付くような数日だった。積雪12センチ、蹲(つくばい)の滴りが、雪に覆われるツララとなった。南国九州と言っても、北部九州は裏日本気候であり、関東の青空に比べると、鈍色の福岡の冬空は暗く重い。
 僅か20メートルほどの坂道の為に、この程度の雪が積もると車が上がってこない。そのまま凍てつくから、タクシーや宅急便は勿論、救急車もチェーンを巻かないと上がって来られないのだ。
 息を潜めるように耐えて数日、酷寒は長くは続かなかった。気温が上がり雪解けが始まると、今度は雪爆弾が一晩中炸裂する。屋根に積もった雪がずり落ち、時折ドスーンと落下する。物干し竿を2本跳ね飛ばし、ラカンマキの垣根をバキバキと折って雪の塊が落ちる。迂闊に軒下に立つと、2階の屋根から落ちる雪塊に大怪我しかねない。雪国で雪下ろし中の転落や埋没事故死が続いているが、南国九州でも油断するとただでは済まない。

 温もりが戻ったところで、運転免許証の更新に出掛けた。いつも行くゴールド免許更新所は街中の地下にあり、後期高齢者講習を受けた自動車学校から、「密になるし換気も悪いから、福岡自動車試験場に行くように」と勧められた。マイカーで30分、閑散とした試験場で申請書を書き、更新手数料2,500円を払い、写真を撮られ、10分ほどで新しい免許証が交付された。
 取得したのは昭和38年11月30日、社会人になった年の冬だった。昭和という年号が、もう通用しない。1963年、57年前のことである。当時は、中型免許(8トンまで)を取得すると、自動的に大型自動二輪の免許が付いてきた。だから、今でもその気になればナナハンの大型バイクに乗ることもできる。(実は、高校生の頃、学校のグランド1周、無免許で走ったことがある。公道じゃないから、まぁ時効ということで……。)
 
 新たな免許証の有効期限は2024年(令和6年)2月18日まで。その時、コロナにやられていなければ、私は85歳を迎えている。だから自分なりには、最後の免許更新のつもりでいる。
 返納しても、生活に不自由ない社会になっていることを祈ろう。

 唐突に春が来た!数日前の「最高気温0度」から一転、17度を超える4月初めの桜満開の気温になった。コロナ籠り・冬籠りに倦んだ身体を奮い立たせて、カミさんと今年の「歩き初め」に出た。
 市の図書館の駐車場に車を置き、御笠川沿いの遊歩道に出る。雲一つない青空である。2か月余り後には、この道は満開の桜のトンネルになる。降水少なく、水量の減った川面に、昼下がりの日差しが眩しいほどに照り返し、吹く風に無数のさざ波が川面を覆う。その中をコガモの夫婦が掻き分けて泳ぎ、時折シラサギが羽音高く羽搏いて飛ぶ。
 冬枯れの土手に色彩は乏しいが、温かい日差しが何よりのご馳走だった。朱雀大路まで歩いて右折、大宰府政庁跡の広場に立った。毎年愛でる早春の花・シナノマンサクの蕾もまだ固く、わずかに黄色い芯を覗かせるだけだった。
 たまに行き過ぎる人の心象の為にマスクはしているが、この殆ど人気のない広場の空気の中に何の不安があろう!
 
 裏道を抜け、イノシシ防護柵に囲われた畑地の間を歩いた。道端に早くも咲いているオオイヌノフグリ、青空のかけらを散り敷いたような、早春の使者である。観世音寺に参って、図書館の駐車場に戻った。1時間半あまりの「のんびり散策、」5,000歩あまりの春風の先取りだった。

 一日限りの先駆けの春の後、再び寒波がやってくる。三寒四温を重ねながら、ゆっくりと春の足音が近づいていた。

 ――二兎を追う者は一兎も得ず。感染防止と経済を回すことはトレードオフ(二律背反)の関係にあり、両立を目指す菅政権の政策は不可能を強いるもの。リーダーシップなき首相は経済界にとっても“お荷物”でしかない――
 
 そんな記事をネットで見ても、もう腹も立たなくなった。麻痺し始めている自分が、少し恐ろしくなる昨今である。
         (             2021年1月:写真:照り返す川面のさざ波)