蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

青空の錦糸卵

2022年02月28日 | 季節の便り・花篇

 「もう、そんな季節なんだ!」

 抜けるような青空だった。数日前の酷寒が嘘のように、今日は一気に3月中旬の陽気という。今朝は氷点下0.2度、そして午後2時の今、温度計は16度を示している。この16度を超える温度差に、老骨は軋むばかりである。
 1年前の今日、2年前の昨日と、手帳を繰るたびに、年々落ちていく体力、衰えていく行動力を思い知らされる。昨年末から、何となく不調が続き、例年になく寒さが肌に沁みるようになった。この温度で、何で!?と自分を叱咤しながら、気が付いたらもう2月が去ろうとしていた。逃げる2月が、今年の長い長い酷寒を詫びるように、一気にひと月近く季節を呼び寄せて走り去って行く。
 日脚は間違いなく長くなり、暗闇で詣でていた石穴稲荷のお狐様も、もう早暁の明るさの中でキリっと見詰め返してくる。1年300日は歩こうと、秘かに自分に強いてきた。今年6冊目の「太宰府市歩こう会」の一枚50ポイントの集印手帳が、残り30ポイントを切った。好調不調、気温と共に体調も乱高下した1年だったが、何とかその誓いを全う出来そうである。

 玄関前の石段と石畳、玄関や裏口や庭先への上がり框、廊下、トイレ、浴室など、我が家の内外に11本の手摺が付いた。カミさんも私も、年齢的に時たま足元がおぼつかなくなることがある。加齢に逆らって気持ちだけ若ぶっていても、身体は容赦なく老いの坂を下っていく。
 長女の迅速な(半ば強制的な)行動で、ひと月前に介護保険の「要支援」(カミさんは2,私は1)の認定を受け、何とバレンタインデーに専門業者が訪れて、我が家はアッという間に手摺だらけになった。陋屋「蟋蟀庵」を「手摺庵」と改名したくなるほど、必要なところに手摺がある。おまけに、ベッドからの起き上がり補助手摺まで、レンタルで借りることになった。娘が「転ばぬ先の杖!」と強調する。
 しかし、この安心感は何だろう!?特に、深い浴槽を出入りする度に感じていた不安が、2本の手摺で嘘のように消えた。紛れもなく、「転ばぬ先の杖」の存在感だった。

 坐骨神経痛で整形外科通いのカミさんを送った序でに、ずっと気になっていた写真を撮りに車を走らせた。観世音寺の駐車場に車を停め、県道沿いの道を戒壇院、学校院跡と辿り、大宰府展示館前を過ぎて、大宰府政庁跡に出た。南門跡の東側に、早春の頃から訪ねる一本の木がある。錦糸卵のような花を青空に広げて、今年もシナノマンサクが春を謳っていた。
 ネットで確かめる―――支那万作。別名キンロウバイ(金楼梅)、英名Chinese witch hazel、開花期は1~3月。他の花木に先駆けて「まず咲く」ことを語源とするマンサクよりも、さらに早く咲く。前年の枯葉を枝に残したまま越冬し、その状態で開花することから、花が葉の陰に隠れていることも多い。
 黄色いリボン状の花弁が四方へ広がり、その付け根にある萼は紅色になる。厳冬期に咲く花には甘い香りがあり、ひと足早い春の訪れを告げる。花の後には乾いた果実ができ、熟すと自然に裂ける。
 葉の展開は花後で、葉の直径は8~15センチほど。マンサク同様に左右非対称だが、より大きい。枝から互い違いに生じ、葉の両面、若い枝には綿毛があるが、葉の裏は特に毛が多い。秋には綺麗に黄葉する―――

 花言葉は、『呪文』『魔力』『霊感』『不思議な力』『神秘』『ひらめき』、どの言葉をどう読むか、人それぞれであっていい。私は、『神秘』を選ぼう。早春のまだ冷たい木枯らしの中で、錦糸卵のような花が群れ咲く姿は、不思議な惹きつける魅力を持っている。

 2012年12月、左肩腱板断裂の修復手術を受け、1~2月の厳冬期を病室で過ごした。足腰は何ともないから、朝夕のリハビリ以外の時間を持て余していた。時折外出の許可を得て、左腕を三角巾で吊ったままコートを羽織って散策に出た。冬枯れの政庁跡で、真っ青な冬空に向かっていっぱいの花を拡げるシナノマンサクは、病院暮らしに倦んだ身に、何よりもの慰めだった。
 時に、「市民の森」(「春の森」、「秋の森」)まで足を伸ばし、近づく春の気配を探した。過ぎ去った10年の豊かな日々に思いを馳せながら、少し元気をもらって帰路に着いた。

 高齢者を貪ろうとするオミクロン株の脅威、狂気に駆られた独裁者のウクライナへの侵略、一つ間違えば人類滅亡へのリスクさえある。「滅びの笛」を不気味に聴く日々は、一向に治まる気配がない。
                      (2022年2月:写真:シナノマンサク)