蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

露天風呂の嵐

2009年05月31日 | 季節の便り・旅篇

 淡い錆色の湯が豊かに溢れる湯船に首まで浸かり、目の前で弾ける雨だれを見詰めながら、吹き荒れる風の音を聴く。頭を叩く雨の冷たさが妙に心地よく、渦巻く湯煙りに包まれて広い露天風呂を独り占めしながら、高原の嵐に身を委ねていた。1年振りの九重高原コテージは、山開きを目前にした平日の今が格好の狙い時である。

 週間天気予報で晴れと確かめて予約を入れたのに、定まらない大気のイタズラで直前になって風雨と変わった。今更変更するのも癪だったから、気まぐれな山の天候の僥倖を当てにして車を出した。筑後小郡インターから大分道に上がり、日田インターで降りる。日差しはまだ残っていたが、高速道の吹流しが真横に流れ、時折ハンドルを取られるほどの烈風が横殴りに吹き付ける。緊張のドライブで二日間の山旅が始まった。
 日田インターから、いつもの梅の大山町、杖立温泉、小国のコースでなく、先日2度の一人走りでようやく確かめた「ファームロードわいた」に駆け上がる。湧蓋山麓を縦横に駆け巡る広域農道だが、ワインディング・ロードのツーリングを楽しむドライバーやバイカー以外、知る人はまだ少ない快適なドライブ・コースである。ダイナミックな起伏と緩やかなカーブが続く道には、平日のこの日は走る車も少なく、殆ど独り占めのマイ・ウェイだった。
 途中、「フラワーパークあまがせ」の何ということもないお花畑で時間をつぶし、小国・玖珠を結ぶ道路に出た所で、手打蕎麦「優心」で地鶏蕎麦の昼餉を摂った。この頃から、無情にも予報どおりの空模様に変わり始めた。瀬の本から牧の戸越えして長者原に下り、初夏の自然探求路を歩いて新緑に染まる計画を断念、早めにコテージに向かうことにした。
 「ファームロードわいた」を走り切って、黒川温泉経由瀬の本高原に出た。雲が降りてくる。風が吹き募る。コーヒー・ブレイクを「あざみ台」と決めて竹田方面に向かう道を駆け上がる頃から、いよいよ風雲急を告げる気配となり、微かに見える阿蘇五岳の山影も、辛うじて根子岳だけが窺われるまでに視界が落ちていた。コーヒーを喫み終えて車に戻る時、雨が来た。

 2千円グレード・アップした本格的な会席料理は、竹山料理長のお品書き付きの鄙には稀な豪華な夕飯だった。このコテージに、一人の夢追い青年がいる。彼は、ニュージーランドを訪れて自分の牧場を持ちたいという夢を抱き、憧れを暖めながら、ここで働いてお金を貯めている。仕事の合間を盗んでわざわざ1年ぶりの挨拶に来てくれた彼は、焼肉部門のチーフに起用されていた。「ハイ、すこしずつ夢に近付いてます!」と答える笑顔が輝いていた。
 グレード・アップして地ビールの生を1杯飲んでも、締めて1泊2食1万円でお釣りが来る。広い露天風呂の向こうに九重高原が雄大に広がり、真正面の彼方に阿蘇五岳を望むお気に入りの宿である。鍵の手に並んだたくさんのコテージの設備は決して豪華ではないが、山歩きの基地として、また家族連れの癒しの宿として、捨てがたい山宿である。そして、何よりも料理がいい。
 
 夜更け、吹き募る風の中を再び露天風呂に浸かった。コテージが揺れるほどに吹き荒れる風の音に包まれ、暗い夜空から吹き散る雨に濡れながら、こんな山旅も時にはいいなと思った。湯船の傍らにはエゴノキが今真っ盛り。風に吹かれた花が湯船に浮かび、雨だれにほしいままに弄ばれている。
 翌朝、見事に晴れ上がった真っ青な初夏の空を背景に、久住連山が眩しく立ち上がっていた。しかし、それは束の間の晴れ間。やがて牧の戸越えで、濃密な霧に巻かれる緊張のドライブが待っていた。男池まで下ったが、肌寒い中に山野草の花時も過ぎ、ほうほうの態で車に逃げ戻り、再び霧の牧の戸を越えて、ファームロードを駆け下り、「岳の湯温泉」の立ち寄り露天風呂で青磁色の湯を楽しんで、旅を終えた。嵐に吹かれ、梅雨の気配を遠くに感じる旅だった。
             (2009年5月:写真:久住高原の朝)
  画像は<カミさんの"観たり聴いたり旅したりhttp://okuni-n.typepad.jp/blog/をクリック。

初夏

2009年05月10日 | つれづれに

 八朔の下陰に佇み、耳を澄ませる。……昨年、裏作だったのか実の数も大きさも物足りないままに終わった。それでも味だけは例年通りの美味しさで、孫達に送ってやれるほどの実りではあったのだが……。お礼肥えに骨粉と油粕をたっぷり根方に施肥して待った今年、驚くほど沢山の花をつけた。ここ数日、健気なマルハナバチが2匹、羽音を唸らせながら終日せっせと受粉をしてくれている。懐かしく、嬉しい羽音である。受粉を終わった花は、花びらと雄蕊を雪のように根方に散らし、朝晩の掃き掃除が私の日課となった。花びらと雄蕊を散らした雌蕊の根本には、小さな八朔の赤ちゃんが日ごと数を増していく。収穫の秋を夢見ながら、いつまでもマルハナバチの羽音を聴いていた。

 1000円渋滞のゴールデン・ウイークの狂乱も去った。眩しい日差しの中に全身を委ねていると、いつ終わるともなく続く新型インフルエンザ騒動も遠い別世界の出来事である。残念ながら、娘が楽しみに待っていた7月の渡米もとりあえず見送った。秋のメキシコ・ロスカボスのダイビングに期待を掛けながら、静観する日々である。

 強い初夏の日差しが青葉に照り映え、訪れる蝶たちの姿も頻りになった。アゲハチョウ、モンシロチョウ、キチョウ、カラスアゲハ……セセリチョウが慌しくツツジの蜜を吸って、一瞬の訪ないで風に飛ばされるように青空に消えた。時折、ジャノメチョウが木陰に舞う。今年一番のツマグロヒョウモンが庭先をかすめた。庭のあちこちに飛んだスミレの株を幾つもプランターに集めて、食餌の用意は出来ている。やがてプランターのパセリに、キアゲハの幼虫も忽然と姿を現すことだろう。

 連休を先取りして、由布高原、国東半島を訪ねた。いつもの由布湿原は、ニホンサクラソウが一面に花開き、遠目にはピンクの絨毯のように美しかった。心無い花盗人や踏みにじる狼藉者を防ぐためか、花群の周囲にロープが張り巡らされているのが痛々しい。エヒメアヤメ、ジロボウエンゴサク、ヤマエンゴサクが散り咲いているが、このところの乾燥のせいか、今年はバイカイカリソウの姿が乏しい。吹き募る強い山風を避けるように、岩陰や窪地に隠れ潜むように数輪が可憐なランタンを提げていた。雲ひとつなく晴れ上がった青空を背景に、由布岳の姿が雄雄しかった。
 花を愛でた後は、いつもの木立のレストラン「ムスタッシュ」でのランチである。木漏れ日の落ちるテラスでマスターとの会話を楽しみながら、緑の風に吹かれて命を洗った。
 午後は、杵築の古い街並みを散策し、連休前の閑散とした明礬温泉連泊の、のんびり旅である。毎日、青磁色の露天風呂は独り占めだった。

 国東が荒れていく。家内の足を労わりながら、ゆっくりと泉福寺、両子寺、文殊仙寺を巡った。30年ほど前に訪ねた頃は、どこも車の離合に苦労するほどの狭い地の道だった。放射状の谷筋ごとに、奥深い山肌に佇む古寺には、深山幽谷の静寂と風情があった。今は舗装道路が張り巡らされ、いたるところに無造作に道端に置かれていた野仏の姿も殆ど見られない。数知れない野仏が持ち去られたという。両子寺も観光化してしまった。300段を超える険しい石段を登り詰める文殊仙寺……私の十二支の守りである文殊菩薩に因む古寺は、国東に数ある寺院の中でも最も好きなお寺だった。イワタバコが岩盤に群生し、巨岩古木に囲まれた静寂の空間に身を置く一瞬は、法悦にも似た貴重な時間だった。その文殊仙寺のすぐ傍まで、道路拡張工事が進んでいた。
 出来るだけ多くの人達に触れさせたいという考え方もあるだろう。しかし、苦労しなければ行きつけない静寂があってもいい。そこに行かなければ見られない仏があってもいい。高嶺にあってこそ美しい花があってもいい。……人の営みは、破壊なしには叶わないのだろうか。
 仁王像は、沈黙の中に何を語ろうとするのか、緑の静寂の中にただ時を超越して佇んでいた。

               (2008年5月:写真:両子寺仁王象)