蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

残照

2017年02月18日 | つれづれに

 「俺たちは、毎日歳を取っていく。だから、今が一番若いんだ」

 あるドラマの中のセリフに、妙に納得してしまった。人生の下り坂は、もう止めることは出来ない。坂道が尽きて何処で崖っぷちを越えるか、それは誰にも予測は出来ない。だから、いつの間にか日々を受け身で送っていた自分がいる。
 この言葉で、何となく前向きに明日を考えることが出来るようになった。言葉の持つ力である。

 作曲家船村徹が亡くなった。84歳、私にとって決して遠い年齢ではない。
 春日八郎「別れの一本杉」、村田英雄「王将」、島倉千代子「東京だよおっ母さん」、美空ひばり「哀愁波止場」「みだれ髪」、北島三郎「風雪流れ旅」「北の大地」、鳥羽一郎「兄弟船」、細川たかし「矢切の渡し」……5000曲を超す作品の中で、いずれもNHK紅白歌合戦などでお馴染みの演歌である。若い頃は「ど演歌」に意識して背を向けていた。「あんなものは、年寄りが聴くもんだ」と。しかし、実はどこか心の奥で郷愁に似た思いを感じながら、こっそり斜めに聴いていた記憶がある。
 最近の若い歌手たちの、歌よりも顏(イケメンという頼りない草食系男子の面体や、可愛いさだけを売り物に、舌ったらずに喋る自意識過剰な幼女)や踊り(カマキリのように細い太もも出して飛び跳ねていれば、そこそこアイドルとしてもてはやされ、わけもなく身体を動かしまわっているだけの、芸術性も何もない体操もどきのダンス)が、テレビを席巻しているのを見ていると、妙に「ど演歌」が恋しくなってくる。
 感じるのは「日本語の美しさ」の枯渇である。語り尽くさず、行間に想いを沈めた詞(言葉)の情感が喪われた。シンガーソングライターが蔓延りはじめてからだろうか、先に作った曲に、無理やり幼稚な言葉をはめ込んだだけの歌が増えた。詞(言葉)を大切にする曲作りは、フォークの時代で終わったのかもしれない。改めて読むと、演歌の詞には、確かに「日本語」がしっかりと息づいている。
 船村徹が、こんな言葉を残して逝ったと新聞に出ていた。
 「日本語はかわいそうなことなっている」「子供たちに英語なんて教えるより、ちゃんとした日本語を教えるのが大事」
 
 歌だけではない、漫画を原作にした他愛ない今風のイケメン・ドラマばかり見せられると、「水戸黄門」のような単純な勧善懲悪ものは別としても、「鬼平犯科帳」や「雲霧仁左衛門」のような、しっかり考証した本格的時代劇が懐かしくなってくる。
 逞しい肉食系の男の、練り上げられた演技を観たい!しっかり肉がついて成熟した大人の女の、匂うような美しい立居振る舞いを観たい!

 ……と、これは今日より明日、明日より明後日と、少しずつ若さを失っていく男のささやかな抵抗である。

 4月を思わせる季節外れの温暖な日々が数日続き、わが家の紅梅白梅も一斉に蕾を開き始めた。慌て者のホソヒラタアブが、まだ固い蕾のキブシの花房の周りでホバリングしていた。来週の戻り寒波で弱らなければいいがと、老婆心ならぬ老爺心で心配しながら、陽だまりの温もりを楽しんでいた。

 アメリカの娘が、ヨセミテ国立公園の「炎の滝」の写真を送ってくれた。ある季節、ある日の夕暮、稀に夕日が滝を照らし、奔流が真っ赤に染まって炎のようになるという。
 今が一番若い我が人生にも、まだまだ夕日に照らされて、真っ赤に燃える瞬間が訪れるのかもしれない。
 そろそろ蟋蟀庵の冬眠から覚めて、私も蠢きはじめよう。3月6日の啓蟄を待たずに……。
           (2017年2月:写真:ヨセミテ「炎の滝」)