蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

幸先詣で

2020年12月27日 | つれづれに

 除夜の鐘を撞かなくなって久しい。嘗ては、紅白歌合戦の終わりを待って太宰府天満宮脇の光明寺に駆けつけ、篝火に温められながら並んで、午前零時を待って鐘を撞いて天満宮に初詣でをした。住職が交代してから、その風物詩は一方的に打ち切られ、山門が開くことはなくなった。
 108つの煩悩を払う……余韻に身を預けながら手を合わせる瞬間の引き締まった緊張感と安心感は、年越しの我が家にとっての貴重な一瞬だった。
 118もの虚偽の答弁が発覚しても、全て秘書のせいにして議員辞職しない政治屋(政治家とは、恥ずかしくて言えない!)が蔓延る日本は、医療崩壊の前に既に政治崩壊を起こしている。昨日の新聞に「アベノホオカムリ」、「スガモホオカムリ」という諷刺漫画が出ていた。その滑稽さに笑うより、情けなさが先に立った。ブログに転載しようと思ったが、あまりもの醜さに折角のエッセイが汚れそうだからやめにした。
 「国内感染者最多!」の文字が紙面に踊る。「新規入国全面禁止!」のトップ見出しが危機感を煽る。感染力を増した変異ウイルスが、すでにイギリスから流入を開始している。専門家は、「水際作戦が、いつも1週間遅い!」と指摘する。政策・対策は全て後手後手、ホオカムリする政治屋に、この災禍をとどめる能力はない。
 この人口7万2千あまりの小さな太宰府市でも連日感染者が増え、82人を数える。これ以上、どう用心すればいいのだろう?28名ものクラスターを出した掛かりつけ医の病院は、幸い対策を終えて診療を再開した。ホットひと安心である。

 数年に一度の寒波が、年越しの日本列島を覆う。直前に穏やかな日差しを浴びながら、カミさんと初の「幸先(さいさき)詣で」に出掛けた。今年、コロナ対策として初詣での三密を避けるために神社が提唱し始めた新しいお参りのスタイルである。
 広島護国神社によれば、「幸先よく新年を迎えられますように」という願いをこめて、「年内に神様へ今年1年間の神恩を感謝し、新たな年のご加護を願う」というもので、新年の『幸(さち)』を『先(さき)』に戴きましょう」という意味だという。辞書によると、「幸先(さいさき)」とは、よいことが起こる前兆、吉兆。事を始めるときに当たって何かを感じさせる物事。前兆。縁起。「幸先がいい」「幸先がわるい」とある。
 太宰府天満宮でも、12月1日から縁起物の取り扱いを始めている。

 考えることは皆同じなのだろう。歳末の平日にしては、結構な人出だった。馴染みの店で梅が枝餅を買って、心字池の畔の日溜りで食べた。過去・現在・未来の赤い太鼓橋を渡り、1年間我が家の息災を守ってくれた「子年」の「福かさね」を返納し、手を清めて山門を潜り本殿に立った。受験生の合格祈願の先取りだろうか、昇殿して祝詞(のりと)を受けている人たちもいる。縦に数本の列が並び、それぞれ間隔を開けて順番を待っている。此処にも、コロナ除けの秩序があった。
 二礼二拍手一礼に、欲張りすぎるほどの願いをこめて頭を垂れた。「丑年」の「福かさね」を求め、御神籤を引いた。私は「吉」、カミさんは「小吉」と出た。よしよし、おらが春は中ぐらいがいい。
 既に年末休館に入っている九州国立博物館への長いエスカレーターに乗り、家路についた。「幸先詣で」と共に、今年の「歩き納め」でもあった。
 東の空に、面白い雲を見付けてカメラを向けた。眩しいほど青い冬晴れの空をバックに、髪をなびかせて走る少女の横顔とも、見ようによっては、「コロナよ鎮まれ!」と叫ぶアマビエに見えないこともない。アップにすると、幸四郎が眉根を寄せて叫んでいるようにも見える。

 「詣で納め」、「歩き納め」、そして、これをもって今年の「ブログ納め」としよう。

 今朝、今年最後の散髪をした。スッキリと新年が来ますように!!!
                            (2020年12月:写真:師走の空に)

師走の訪問者

2020年12月18日 | つれづれに

 コロナに追い詰められる師走に、駄目押しのような厳しい寒波が押し寄せてきた。早暁、まだ暗い中のウォーキングでも小雪がちらつき、手袋に浸み込むように、そして厚く着込んだパーカーを突き刺すように、氷点下の鋭い寒気が絡みついてくる。軽いアップダウンが続く30分の町内ひと周りのウォーキングだが、ペンライトで足元を照らしながら、息が弾むほどの速足で一気に歩き続けると、家に帰り着いた頃には少し汗ばむほどに温まっている。
 しかし、寒い!寒がりの私は、歳と共に一層の寒がりになり、とうとう裏フリースの温かパンツを買って来た。コロナ籠りの運動不足に飽食が重なり、腹囲が2センチほど増えているのに少し慌てる。理想体重まで2キロほど減量しなければならないのだが、「食うよりほかに、やることもなし!」の日常では、これがなかなか難しいのだ。

 趣味で続けてきた読書会も、「伊勢物語」の半ばを過ぎたところで中断、気功教室も当分の間休講、町内の年末行事のクリスマス・コンサートも餅つき大会も中止、代わりに、福祉の団体「ひまわり会」から、高齢者の会「花想会」の会員世帯にマスク21枚ずつが配られてきた。
 これほど「予定」がない師走も珍しい。年賀状も200枚書いて、15日に投函した。300枚を恒例にしていた年賀状も、「初春を寿ぐ」というより「生存確認」の様相を呈してきたし、高齢化で賀状欠礼の通知も増えた。喪中欠礼も相次ぎ、次第に送る相手が少なくなってきた。そこで、多少の不義理を承知で、数年前から200枚に減らすことにした。
 世の中全体で賀状が減る一方、「鬼滅の刃」を印刷した賀状が200万枚売れたとか?!

 越年の我が家に恒例の「おでん」の材料として欠かせない、生の牛筋とアキレスをそれぞれ1キロ肉屋に依頼した。お節料理も出来合いを発注した。お歳暮も済ませた……こうして、1年の「納め」の行事が片付いていく。何か、納めたくても納められないことが幾つもあるような気がして、未練が残るというよりも、むしろ無かったことにしてしまいたい令和2年の年の暮れである。

 西鉄電車に乗らない日々が10ヶ月を超えた。福岡の繁華街・天神て、いったい何処だっけ?と言いたくなるほどご無沙汰して、すっかり大宰府原人に先祖返りしてしまった。「昔を思い出して、四つ足歩行に戻ります」というような戯言を友人たちに送ったりしながら、今日も鈍色の冬空を見上げていた。
 2週間後、82本目の「冥土の旅の一里塚」が立つ。振り返れば霞むほどに立ち並ぶ一里塚も、いずれは卒塔婆で尽きるだろう。

 スッと庭を横切る影がある。地上1メートル辺りを、寒椿から蝋梅の辺りに影が掠める。そうか、もうその季節なのだ。
 蜜柑を二つ割にして、庭先の灯篭の上に並べた。待つこと数分、「チチッ!」と鳴きながら、二羽のメジロが飛来して啄み始めた。我が家の冬の風物詩である。買った蜜柑は、半分ほどはメジロたちに振舞われる。
 キョトキョトと、周りを警戒しながら、二羽が交互に蜜柑に下り立っては嘴を突っ込む姿は、冬籠り・コロナ籠りの憂さを振り払う、何よりの癒しだった。
 買い替えたカメラを向けた。200ミリ望遠レンズのデビューである。

 買い物をして戻った夕方、二つ割の蜜柑は、丸ごと姿を消していた。多分、カラスの仕業だろう。石穴稲荷の杜の頂には、数百羽のカラスが巣食っている。早暁のウォーキングの道すがら、街灯の明かりでごみ袋をつつくカラスを見かけることも少なくない。頭のいい鳥である。下手に追っ払ったりしたら、後日頭をつつかれたりもする。

 日差し戻った。今日も二つ割りした蜜柑を並べてやろう。
                       (2020年12月:写真:訪れたメジロ)

withコロナという幻想

2020年12月14日 | つれづれに


 国民に納得できる説明もなく、中途半端で、ちぐはぐで、遅きに失する対策がうろうろしている間に、第3次感染拡大が年の瀬を追い詰めている。総理も、都道府県知事も、何が足を引き摺っているのか、GoToキャンペーンの足を止めようとしない。
 感染防止と経済活動との両立を「withコロナ」という言葉遊びで包み込んで継続しようとしているが、裏付けの対策もなく叫び続けた「勝負の3週間」も空しい言葉遊びに終わり、予想通りコロナを抑え込むことは出来なかった。
 ある学者が、「withコロナなど、あり得ない!」と言い切っていた。同感である。そんな中途半端な政策で潰すことが出来る程、ヤワなウのイルスではない。
 ネットにあった。「ガースー」などと、馬鹿な自己紹介で笑いを取ろうとしたスガが、ムック本(雑誌のような作りをした単行本)、「菅義偉の人生相談大」を出したという。人力について日々研究するコラムニスト・石原壮一郎氏が皮肉たっぷりに叩いていた。いくつか引用させてもらう。

……もしも今「日本でもっとも悩みを相談したくない人は誰か?」というアンケート取ったら、かなり高い確率で、この方がトップになるのではないでしょうか。菅義偉首相、72歳。今年9月に総理大臣に就任して以来、コロナ禍に苦しむ日本国民に、失望感やもどかしさやイライラを頻繁に振りまいています。

……現状では菅首相と国民とのあいだで、十分なコミュニケーションが取れているとは言えません。政府の人たちは「お答えを差し控える」がすっかり口癖になり、平気でコミュニケーションを遮断するようになりました。説明の必要性はわかっているようなので、きっと事態は改善していくはず。改善しないとしたら、それは説明できない理由があるか、説明する能力がないかのどちらかです。

……愛読書だというマキャベリの『君主論』から、「恐れられるよりも愛されるほうがよいか、それとも逆か。……二つのうちの一つを手放さねばならないときには、愛されるよりも恐れられていたほうがはるかに安全である」という言葉を引用しています。
 合点がいきました。菅首相がこんなに無愛想で、不思議なぐらい見ているものの神経を逆なでするもの言いをするのは、自分が嫌われ役になって、バラバラになっている国民の心をひとつにまとめようとしているんですね。なんという深慮遠謀。そういうことなら遠慮はいりません。敬意を表しつつ、正直な感情を抱かせてもらいましょう。

 私の右手の薬指に、「コロナ除けリング」が輝いている。アマビエより効能が大きいと信じて(何かを信じるしかないから)、毎日嵌めている。
 15年前、 前年に三菱重工長崎造船所で建造され、就航したばかりのピカピカのクルーズ船で、10日間のアラスカクルーズを楽しんだ。まだクルーズが「贅沢」「リッチ」「ステイタス」などと言われていた時代で、11万6千トンのこの船は。当時としては最大クラスのクルーズ船だった。乗客は3500人(今は改装されて2700人)のうち、日本人は僅か35人しかいなくて、裕福な欧米の白人が殆どだった。タキシードとイブニングドレスが眩しいフォーマルナイトのディナーは、本当に別世界の贅沢だった。
 かつて脱日常を楽しむための憧れだったクルーズも、今ではアジア系の格安クルーズ船が蔓延り、ビジネスホテル並みの「買い物船」に堕してしまった。

 私たちが、生涯最高の経験をしたクルーズシップ、その名をダイヤモンド・プリンセス(Diamond Princess)という。そう、横浜港でコロナのクラスターが発生し、不本意にも一躍有名になった船である。客室の7割がオーシャンビューであり、私たちは少し贅沢をしてバルコニー付き船室でアラスカ沿岸を旅した。
 環境規制の厳しいアラスカ湾でも運航するために、ガスタービン発電機も設置し、また最新鋭の排水処理システムも採用していた。
 2014年には、日本市場向けに大規模改修を行い、展望浴場や寿司バーなどが新設され、近年の運行スケジュールは、日本人向けの日本発着のクルーズを担当している。

 実は、現在「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれている船体は、もともとは「サファイア・プリンセス」という名で建造開始されたものだった。しかし、当時「ダイヤモンド・プリンセス」と呼ばれていた船体が造船所内で火災事故を起こしてしまい、修復作業や作業再開に日数がかかりすぎ納期が大幅に遅れ、運航会社にとって支障が出るため、仕方なく姉妹船で無事に建造中だった「サファイア・プリンセス」と呼んでいた船体の方を「ダイヤモンド・プリンセス」という名前に変更し、火災事故が起きた船体の名称を「サファイア・プリンセス」へと変更した、という経緯がある。曰く付きの船なのである。

 外国船籍の船にはカジノがあり、キャッシュ化が許されている。一夜、スロットマシンを楽しんだ。ラスベガスみたいに、一攫千金を賭けるわけではなく、あくまでも旅の楽しみだから、ジャックポットは期待出来ないにしても、そこそこ勝たせてくれる。
 少し豊かになった懐で、船内の売店に寄って記念の指輪と、リバーシブルの暖かいパーカーを買った。

 この冬、何の根拠もないのだが、自分で「コロナ除け」と決めてこの指輪を嵌め、パーカーの黄色い面を表に出して、早暁のウォーキングに出ている。
 今朝は、木枯らしの先駆けの冷たい風が吹いていた。石穴稲荷のお狐様に手を合わせて、一日の平穏とコロナ退散を祈った。
 万丈の波乱を孕んで、令和2年があと2週間ほどで終わろうとしていた。なかったことにしたい1年だった。
                       (2020年12月:写真:コロナ除けリング)