蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

ニホンカワウソ、絶滅!

2012年08月28日 | つれづれに

 殆ど諦めながらも、気持ちの何処かに「もしかしたら…」という一抹の期待があった。分かっていても、言わないでいて欲しい言葉がある。クニマスのように、1940年に原産地である田沢湖で、酸性水の流入によって絶滅と見做されていたものが、卵が放流されていた西湖に生存していることが、2010年にサカナくんによって確認された例もある。
 国の特別天然記念物で「絶滅危惧種」に指定されていたニホンカワウソについて、環境省は28日、生息を30年以上確認出来ていないことから絶滅したと判断し、「絶滅種」に指定した。…そんなニュースがテレビで流れた。イタチ科、体長1メートル前後。魚やエビを好み、戦前は全国に生息していた。しかし、毛皮目当ての乱獲や河川の汚染で生息地が破壊されるなどの理由により、その数が激減。1979年に高知県須崎市で生きた姿が目撃されたのを最後に、その後国内では目撃例がない。
 現役最後の6年、担当していたエリアの一つ・高知県を巡ると、仁淀川を渡る度に「この川には、きっと今もニホンカワウソがいます」と誇らしげに主張する社員がいた。そして、その言葉を信じたがっている自分がいた。日本だけでも、絶滅種110種、絶滅危惧種3,430種…実に膨大な種類の生き物たちが滅んでいき、さらに滅びつつある。自然の摂理で絶滅に向かった種もいるだろう。しかし、人間の文明が破壊した環境の中で、心ならず滅亡させられた種のなんと多いことだろう。
 ニホンオオカミ20世紀初頭、エゾオオカミ1900年頃、カンムリツクシガモ1913年、キタタキ1920年、リュウキュウカラスバト1936年、ニホンアシカ1940年、トキ2003年、ニホンカワウソ2012年、ダイトウリス2012年…年々加速する絶滅へのステップ。ヤンバルクイナやノグチゲラも既に危うい。
 地球で最も有害な生き物は、人間とウイルスという。その人間も、自ら吐いた毒に染まり、絶滅への坂道を転がり始めている。制御出来ない核エネルギーを、性懲りもなく使い続けることを宣告し、そのツケを数万年後に遺して悔いることのない愚かな為政者たち…苛立ちが連鎖を生み、歳のせいかと嘆息しながらも、もう見ることのないニホンカワウソを想う午後だった。

 
 台風14号が台湾の西でUターンし、再び先島諸島を窺っている。沖縄本島を吹き荒れた15号が九州の西の海を北上して、この辺りも時折突風と驟雨が奔る。台風一過・秋立つ期待もままならず、湿度が増した不快な空気の重みの中に8月が去ろうとしている。
 いつの間にか蝉の声も疎らになり、生まれ遅れたアブラゼミが1匹、雲の切れ目の束の間の晴れ間にせわしげに鳴いていた。何年も何年も暗い土の中で過ごしたのに、今頃出てきても、もう伴侶に巡り合うことも叶わないだろう。
 夜が落ちると、カネタタキが真っ先に涼やかな音色で鳴き始める。裏戸の辺りではエンマコオロギの声も転がり始めた。ガラス戸の裏にカベチョロ(ヤモリ)が張り付いて、電燈に寄る虫を待っている…いつも通りの夏から秋への移ろいの点景である。

 猛暑に叩かれ苛まれ、少し疲れた今年の夏だった。
               (2012年8月:写真:高原で見た花・未詳)

孫といた夏

2012年08月21日 | 季節の便り・旅篇

 美しい空だった。秋空の眩しいほどの紺碧に、夏雲と秋雲がせめぎ合い、それを分かつように数本の飛行機雲が突き抜けていく。その下に広がる東洋のナイアガラ「原尻の滝」。幅120メートルにわたって、高さ20メートルの滝が幾条も落ち、縮尺を忘れれば確かに昔訪れた壮大なナイアガラ瀑布を偲ばせる。大分県豊後大野市緒方町の大野川水系緒方川にある滝。「日本の滝百選」のひとつである。
 目に映る景色はいかにも涼やかで、滝壺の霧を含んだ川風が肌寒いほどの冷気を運んでいるかのように見える。ところが、ところが……滝壺を少し離れて見下ろす位置に古い木造の吊り橋「滝見橋」が掛かり、上流の沈下橋を含めて、滝を一巡出来る遊歩道が作られている。しかし、そよとも風が吹かないお盆明けの暑熱の午後、滴る汗にまみれながら、照りつける苛烈な日差しに喘いでいた。
 小さな山に囲まれた周辺の田園風景は、溜息が出るほどに心落ち着く鄙びた里山の佇まいである。暑さ苦手の孫たちと辿りながら「う~ん、此処は、春か秋だね!」とネを上げる。

 沖縄でのダイビング・ライセンス・チャレンジの前に、孫たちが太宰府にやって来てくれた。高一と中一の孫娘、春に横浜で会ったばかりなのに、成長期の女の子の変化が眩しい。6人でレンタカーに乗り、久住高原コテージに1泊のドライブ旅行を娘が計画してくれた。往路、小石原焼の窯元を訪れる。宝珠山村と合併して東峰村となり、工芸展でもかつての「小石原村」という表示はなく、「東峰村」と記されるのが少しさびしい。二つの窯元で器を物色するうちに雨が奔った。
 やや不穏な空模様である。先日の豪雨で叩かれた傷跡が残る山道を日田に下り、ファームロードWAITAを九重に向かう。今回の運転は娘、私は助手席でナビしながら、普段はゆっくり見られない周辺の景色を楽しんだ。
 途中、なじみの蕎麦屋「宝処三昧」でお昼を済ませ、少し戻って喫茶店「ザ・カップル」でソフトクリームや飲むヨーグルトでデザートと決めた。落雷でしばらく停電も経験。

 夕刻着いた久住高原コテージの露天風呂で雄大な高原風景を見ながら寛ぎ、孫たちとトランプの「大富豪」や「神経衰弱」で遊び、夕食は勿論いつもの焼き肉コース。
 夜9時、奇跡的に雲が晴れた。申し込んでいた「星空ウォッチング」は、満天の星と、壮麗に流れる天の川を仰ぐ最高の演出となった。蠍座がもう低く横たわり、中天を流れる天の川を、白鳥座が首を伸ばして西に飛ぶ。星座物語を聴きながら幾つかの星々や銀河を天体望遠鏡で見せてもらう。お隣の(と言っても230万光年離れた)アンドロメダ銀河の淡い光芒、三重連星の神秘的な輝き、銀河中央部の眩しいほどの星の煌めき……これが、孫たちと過ごした夏だった。幾つもの流れ星に歓声を上げながら、高原の夜が深まっていった。

 コテージから小一時間、豪雨禍の竹田の町をめぐる幾つかのトンネルを抜けた向こう、山間から落ちると思って探していた「原尻の滝」は、田園風景の広がる平地の目線から下に落ちていた。
 「道の駅たけた」で大分名物のだんご汁やカレーでランチ、娘や孫たちは「ソフト王国たけた 三つ星ソフト スタンプラリー」にハマり、沿線の「グリーンピア天神」の「黒大豆ソフト」、「道の駅たけた」の「イチゴソフト」、「スカイパークあざみ台」の「かぼすソフト」を食べ巡ってご満悦だった。
 外輪山の一角の大観峰で小休止して焼きトウモロコシを食べ、小国から杖立温泉経由日田から大分道に乗り、鳥栖で降りて夕飯に「うな勇」で鰻を食べて……慌ただしい束の間のグルメ旅(?)で、孫たちの「太宰府の夏」が終わった。

 翌朝、一家4人は慌ただしく沖縄に向けて飛び立っていった。娘にとっては懐かしい沖縄料理の数々が、またフェースブックに連なることだろう。
 ジジババの寂しい夏の終わりが待っていた。
                    (2012年8月:写真:原尻の滝)

浅葱色、林間に舞う

2012年08月07日 | 季節の便り・虫篇

 遠い遠い昔である。まだ純粋でひたむきに虫を追っかけ、虫を殺す標本作りに何の疑問も持たない中学生だった。「人間一人に、昆虫の個体数5億匹」と言われても、今では虫を殺すに躊躇いがある。
 一年間、殆ど欠かさず毎日学校近くの西公園という小さな山に通い詰めた。捕虫網、捕まえた蝶を納める三角紙と三角ケース、木の幹に押し付けて落下するカブトムシやクワガタを捕獲する半円形の網(これらは全て手作りだった)甲虫類を包み込むタオル(虫かごなどに何匹も一緒に入れるより、タオルの糸に絡ませて包む方が傷みが少ないことを、いつの間にか経験から学んでいた)などの装備に身を固め、公園内を隅から隅まで歩き回っていた。
 時間帯によって、いつも同じ場所で、同じ種類の蝶が、同じ方向に飛ぶ「蝶道」の存在も知った。木立の奥の目立たないところに立つクヌギの木を我が物と定め、早朝訪れてカブトムシ、クワガタ、カナブン、クロキマワリ、お気に入りのヨツボシケシキスイなどの甲虫類や、アオスジアゲハ、ルリタテハ、キマダラヒカゲ、クロヒカゲ、ゴマダラチョウ、ジャノメチョウなどの蝶類をほしいままに採集した。時には、キイロスズメバチを狙って不用意に網を押さえ込み、指を刺される痛い痛い失敗もあった。毎日の採集記を、いっぱしの大人ぶって東京の同人誌に投稿したりもしていた。

 この蝶を初めて捕虫網に吸い込ませたのも、そんな夏の日の午後だった。タテハチョウ科マダラチョウ亜科アサギマダラ。ためらいなく胸を押し潰して殺し、帰ってから展翅台に虫ピンとパラフィン紙のテープで留めて翅の形を整えて、やがて数日後、固まった標本をこれも秋田杉の薄板で手作りした標本箱に収めた。以来、私にとっては、めったにお目にかかれない貴重な蝶のひとつだった。褐色の翅の中を、浅葱色の鱗粉のない半透明な模様が覆う美しい蝶だった。

 お盆間近の九重・飯田高原・長者原。36度を超える暑熱から逃げて、すっかり生い茂った「タデ原湿原」の木道を抜けた。シモツケソウと盛りを過ぎたユウスゲを横目に、木立の中の自然探究路にはいった。梢を揺らす風音もなく、小さなせせらぎの音と、時折シジュウカラの声が降るだけの静寂の中を、それでも汗に濡れながら歩いた。1000メートルを越える高原でも、まだ25度の真夏である。
 探究路が過ぎるあたり、多分ヒヨドリソウと思われる白い花に舞い、蜜を吸う蝶の群れがいた。ここにも、かしこにも、曇り始めたやや薄暗い樹林のあちこちで、4~5匹ずつ群れている。「あっ、アサギマダラ!」初めて見る群舞だった。薄青色の透き通りそうな翅に、一瞬に60年近い歳月を飛び越え、歳を忘れてときめいた。

 虫マニアでなくとも、けっこうこの蝶のファンは多い。わざわざ庭にアサギマダラが好むフジバカマを植えて、渡りの途中立ち寄る姿を愛でる。
 その名前、その姿に似合わず、長距離移動を繰り返す実にタフな蝶である。気温の上昇と共に北に向かって飛び、秋になると気温の低下と共に暖かい南方へ移動を始め、遠く沖縄、さらに八重山諸島や台湾にまで海を越えていく。京都から海を渡って与那国島・久部良岳まで、実に 直線距離にして2246キロもの飛翔が確認されたこともある。

 懐かしい出会いだった。家内と二人、時を忘れ、延べにして20匹余りのアサギマダラと戯れていた。帰り路、牧の戸峠を越える頃、高原を雨が奔った。立ち寄った貸切家族露天風呂、雨の向こうに美しい湧蓋山の稜線が雲に見え隠れして、湯船の傍の梢の先に、秋の先触れの淡い彩りが忍び寄っていた。今日は、アメリカの娘の誕生日。そして、明日、暦の上の秋が立つ。
             (2012年8月:写真:飯田高原のアサギマダラ)