蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

野生との再会

2016年10月19日 | つれづれに

 山から紅葉便りが届く時節というのに、異常な夏日が還ってきた。
 山茶花がホロホロと花びらを散らし、夏の苛烈な暑さに耐えたホトトギスが群がり咲いている。落ち葉が散った陰から、隠れていた蝉の抜け殻や、旅発った後の蝶の蛹の殻が顔を覗かせる……ふと蘇る夏の記憶に、かすかな懐かしさを覚える時節でもある。

 「体育の日」のウォークラリーで山道を1時間半歩いた翌日から、ドッと夏の疲れが出て1週間身体の不調に悩まされた。遅まきの夏バテである。どんよりとした気怠い1週間からようやく蘇り、体力確認の為に歩きに出た。
 団地を抜けていると、何処からともなくキンモクセイが匂う。この花は風に乗って微かに匂う程度がいい。かつて汲み取り式便所の時代、その汚臭を紛らわす為に便所の近くに植えられることが多かったというキンモクセイ、だから今でもトイレの消臭剤にこの匂いがよく使われる。子供時代に刷り込まれた記憶から、家内は今でもキンモクセイの香りを苦手とする。

 階段を登りきったところにある九州国立博物館は、まだ開館30分前なのに特別展「京都高山寺と明恵上人」の「鳥獣戯画」を観る観客で賑わい始めていた。それを横目に散策路にはいる。
 イノシシはまだおとなしいらしく、冬場掘り返されていたのり面や湿地も、穏やかな秋の風情で落ち着いている。のり面にセイタカアワダチソウが蔓延りはじめ、その根方にピンクのフモトタデ、水色のツユクサ、黄色のツワブキの花が彩りを添え、小さなヤマトシジミが僅かな蜜を吸っていた。仄暗い木陰を、キマダラヒカゲがハタハタと舞う。その脇を黒いヤマカガシがスルスルと抜けていった。マムシも多い湿地である。
 そういえば、つい先ごろ、家内の友人が自宅の庭でマムシに嚙まれ、1週間以上入院する羽目になった。熊、猿、猪、鹿、穴熊……近年、野性と人間のニアミスが増えた。親しい友人のY農園の畑の柵も、イノシシに破られたという。「丹精込めた畑が、荒らされなくてよかったですね!」と慰めながら、どこかで「野性の逆襲」を応援している自分がいる。
 此処は穏やかな大自然の懐、兵士と兵士の戦いを「これは武力の【衝突】であって、【戦闘】ではない」と、児戯にももとる詭弁を弄する愚かな総理も防衛大臣もいない。自然保護の基本は「共存」であって、戦いではない。

 微かにせせらぎの音を響かせる湿地に、薄紅色のミゾソバが咲いていた。かつてイノシシに荒らされる前は、まるでピンクの絨毯を敷き詰めたように咲き誇っていたのに、今では堀り残された僅かな株が花を開くだけである。しかし、いずれまた絨毯を広げる時が還ってくるだろう。自然は必ず輪廻する。
 檜の木立を縫う階段を抜けて、「野うさぎの広場」への山道にはいる。孟宗竹の陰に隠しておいた「マイ杖」の枯れ枝を半年ぶりに拾って、いつものように山道に落ちた枯れ枝を払いのけながら歩いた。不用意に踏みつけると、踝や膝を傷めかねない太さの枯れ枝である。後で通る人の為に、道を片付けながら歩くのが習慣になっている。
 ショルダーバッグに提げたカウベルがカランコロンと鳴る。自称「イノシシ除け」だが、実はもう一つ隠れた目的がある。以前、山道を折れた瞬間、抱き合っていたカップルが慌てて跳び離れたことがあった。すれ違いながらお互いに気まずい思いをして以来、予告のベルを響かせてニアミスを防止する目的もあって、立山で小さなカウベルを買って来た。

 突き当りを登り詰めたところに、私の秘密基地「野うさぎの広場」がある。訪れる人も稀な空間だから、木々の間は女郎蜘蛛がいたる所に巣を広げている。潜り抜け、払いのけながら、いつもの「マイベンチ」の倒木に辿り着いた瞬間、目の前5メートルほどのところを2頭のイノシシが走りぬけた。
 怖さはなかった。一別以来の再会である。「ヨッ、元気だったかい?」と心で呼びかけながらマイベンチに座り、サーモスの氷をカラカラと鳴らして水を飲んだ。
 シャツの袖を捲りあげた腕を、夏日の復活で息を吹き返した哀れ蚊が刺す。鳥の声もなく、木立を過ぎる秋風と蟋蟀の鳴き声に包まれながら、しばし野性の息吹に浸っていた。

 来た道を戻り、博物館の雨水調整池の傍らに立つ四阿で休んだ。気が付けば、ジーパンの膝から下にびっしりとイノコヅチの種子が張り付いていた。こうして、新たな土地にイノコヅチが勢力を広げていく。大自然の逞しさである。ひとつずつ取り払いながら見ると、四阿の柱に「クマバチの巣があります。驚かさないようにゆっくり移動してください」という張り紙がある。
 此処にも、ひとつの野性があった。
                 (2016年10月:写真:「野うさぎの広場」)