蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

闇夜の鏡

2020年05月30日 | つれづれに

 風薫る五月晴れも今日まで、明日から梅雨に向かって曇天が続く。その雨の指先を首筋の辺りに感じながら、見ごろを迎えた天満宮の菖蒲池を訪れた。いつもなら、肩越しに伸びあがって見るほど人が溢れる池の周りも、時節柄人影は疎らだった。静寂に包まれた花菖蒲の景色はいい。観光って、何だったのだろう?……ふと、そんな疑問が沸いてくる。色とりどりの花の静かな佇まいに癒されて、帰路は無人の博物館のエスカレーターを上った。

 朝方の散策から、もう1万歩以上を歩いた疲れで午後の転寝を貪った夕方、アベノマスク(鼻の絆創膏)が届いた。宛名もなく、無造作にポストに投げ込まれただけである。これが件(くだん)のアベノマスクか!想定通りというよりも、思っていた以上に矮小で貧弱なマスクだった。
 「みなさまへ」という挨拶が添えられているが、「一部の地域に新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が出されました」という文言に、「いつのことだよ!」と失笑する。それほど時間がかかったということだ。466億+検品費用8億!この膨大な無駄遣いを無にするわけにもいかないから、市役所に届けて寄付することにしている。

 その朝、西日本新聞の署名コラム「風向計」に、タイミング良い記事が載っていた。特別論説委員・井上裕之氏の執筆である。題して、『「鏡」が曇ってませんか』。今日も、一部転載させていただく。

……忘れたころにやってくるのは天災だけではないようだ。
 アベノマスク。待っても一向に届かないし、市販品が出回り始めたので忘れかけていた。それが25日、ポストの中に入っていた。新型コロナウイルス封じ込めへの緊急宣言は同じ日に全面解除された。家族はぽかんと口を開けていた……

……安倍晋三首相らに心得ておいてほしい別のキーワードがある。 
 「三鏡」。リーダーに必要な「銅の鏡」「歴史の鏡」「人の鏡」の三つを指す。中国唐代の名君、太宗の言行録で記されている……

……「銅」は当時の鏡で、そこに映る顔が元気で明るい表情かチェックすること、「歴史」は過去の出来事から学ぶこと、「人」は部下の直言や忠告を受け入れること。これらは現代にも通じる要諦である、と……

……人は権力の地位に就くと、自身の姿が見えなくなる。在位が長期化すると、付託された権力を私物のように錯覚する。過信や慢心は人相にも表れる。学ぶべき過去に背を向け、側近をイエスマンで固めて独善に走る。失敗が重なると、非を取り繕おうとして朝令暮改に陥り、混乱のあげく人心は離れていく-。
 今の国政に照らすとどうか。未曽有の事態への対処に試行錯誤が伴う。それは当然として、感染爆発は取りあえず回避された。それでも内閣支持率は急落している……

……政府からすれば、何よりも諸対策が的確だったと言いたいのだろう。しかし、それは今後の推移を見てからの話。現段階で最も高い評価を受けるべきは国民の努力だろう。
 「鏡」はあるか、仮にあっても表面は曇ってはいないか。為政者の窮地は、自らの使命と職責を忘れたころにやってくる……

 頷ける記事だった。闇夜に鏡を見ても、そこには何も映らない。そこに光を当てることこそ、私たち国民の使命であろう。

 東京、北九州で、第2波が不気味に蠢き始める夕べだった。
                           (2020年5月:写真:アベノマスク)


皐月の風に

2020年05月28日 | 季節の便り・花篇

 5月が逝こうとしていた。数日続いたスッキリしない天気のあと、眩しい五月の青空が戻ってきた。早朝散策も半袖で寒くない。どこか遠くの空から、ホトトギスの囀りが落ちてくる。今年の初鳴きだった。

 コロナ自粛のお蔭で、家中の片付けが捗る。漸くアルバムの整理を終えた。それでも、まだ30冊ほどが残ったが、あとは相続人の娘たちに委ねよう。
 黒ずんだ日よけの簾を新調し、日差しを浴びて脆くなった寝室の障子を張り替えた。40年来、松か竹の図柄だったのを、気分転換に「花吹雪」という名前に誘われて選んでみた。父から学んだ一段毎に張るのを習慣にしていたが、初めて一枚張りに挑戦してみた。なるほど、はるかに簡単である。しかし、その分、達成感も乏しかった。舞い散る桜の花びらが予想以上に可愛らし過ぎて、さながら新婚さんの寝室みたいになって苦笑いする。
 故障していた玄関のドアホンも今日取り換えを終わった。庭の10株余りの躑躅が、色とりどりに満開を迎えた。紫陽花も花時を迎えつつある。夕顔の苗を植え、友人が届けてくれた風船カズラもプランターに移植した。こうして、初夏が快調に走り抜けて行く。

 西日本新聞朝刊のコラム「春秋」、この筆者はただ物じゃない!引用する言葉の数々に、多分野の知識への造詣の深さを感じて心地よい。昨日の記事も、心のうちで快哉を叫びながら読んだ。そのまま転載させていただく。

 <入髪(いれがみ)でいけしゃあしゃあと中の町>と江戸の川柳に。かつらを着け憎らしいほど平然と町を歩いている—。いけしゃあしゃあの「いけ」は接頭語。「しゃあしゃあ」は水が滑らかに流れる擬音で、「洒蛙洒蛙」とも書く。蛙の顔に水をかけてもけろりとしている場面が浮かぶ▼令和の川柳なら<小マスクでいけしゃあしゃあと永田町>。政府が全世帯に配る布マスク。「小さい」と不評で異物混入騒ぎも。店頭にマスクが出始めた今も届かない世帯は多い。「困っているときに欲しかった」とぼやく声も▼一方、安倍晋三首相は「品薄状態を解消し、価格も下がった」とアベノマスク効果を強調する。実際は、民間がいろんなルートで輸入したマスクがだぶついているのだそうだ。▼東京高検検事長の定年延長を巡っても。前代未聞の閣議決定と法の解釈変更で正当化した人事だ。ツイッターの抗議が殺到すると、首相は「法務省が提案した」と言いだした。▼当の検事長は賭け麻雀で辞任。「余人をもって代え難い」逸材のはずが。検察庁法改正が頓挫したら、一括提案の国家公務員法改正まで見送りに。首相はしゃあしゃあと「法案を作った時とは状況が違う」▼「蛙鳴蝉嗓(あめいせんそう)」とばかりに批判をけろりと受け流すのは一強政権の得意技。もり・かけ問題で自信を深めたか。ただし、今回はネット世論という蛇ににらまれた蛙かも。ほら、内閣支持率がストンと。

 マスコミは、この辛口が命。張り替えた障子のように、気持ちをスッキリさせてくれる。モリ・カケ・サクラ・アベノマスク・クロカワ……この男の神経は、いったいどうなっているのだろう?コロナは「一時的に」落ち着いて来ているが、傲岸不遜のアベの災禍は益々深刻の度を深めている。
 ドアホンを取り付けてくれた近くの電器店が「店には、今日アベノマスクが届きましたよ」という。我が家には、まだ来ない。来ても、速攻で市役所の寄付箱(回収箱)に収めに行くだけだが。

 皐月の風が、心地よく庭先を吹き抜ける。梅雨前線が虎視眈々と北上の機を伺い、やがて豪雨禍の季節が迫っている。さらに、夏は一段と猛暑という予報も出た。生きるのに厳しい一年だが、耐える気力に衰えはない。
 我が家は23日、結婚55周年を迎えた。似非新婚の寝室で爛漫の桜吹雪に包まれながら、今宵もいい夢を見よう。
                         (2020年5月:写真お:気に入りの躑躅の花)

蘇る少年時代

2020年05月22日 | 季節の便り・虫篇

 4月並みの気温に逆戻りした朝、梅の葉先に蓑虫を見付けた!オオミノガの蓑虫だった。
 何年振りだろう?かつては、払いのけるのに煩いほど何処にでもぶら下がっていた。しかし、外来寄生種のオオミノガヤドリバエによって、1990年代から急速に姿を消していった。
 このハエは、オオミノガの終齢幼虫を見付けると、その食べている葉に卵を産み付けて幼虫に食べさせ、口で破壊されなかった運のいい卵だけが体内で孵化する。最近では、オオミノガヤドリバエ自体に寄生する蜂が見付かっているというから、自然界の生存競争は厳しい。
 子供の頃、蓑虫から幼虫を揉み出し、千代紙や毛糸などを切った中に這わせて、色とりどりの蓑を作らせて遊んだ。そんな記憶を持つのは、もう高齢者だけだろうか?喪われていくものが多いのは寂しい。
 ミノガの雌は一生成虫の蛾になることはない。蛆状のまま蓑の中で過ごし、蓑の下からお尻を突き出してフェロモンで雄を呼び寄せて交尾して命を繋ぎ、産卵した卵に包まれて一生を終える。

   蓑虫の 父よと鳴きて 母もなし    虚子
 季語では「蓑虫鳴く」と扱われている。「父よ父よ」と鳴くとの言い伝えがあるのは、一説によれば、これは秋の深い頃まで「チン、チン、チン」と鳴くカネタタキの鳴き声と混同したものと言われる。「鬼の捨子」、「木こり虫」とも。

 「断捨離の」過程で、中学時代・昆虫少年だった頃の、採集や観察レポートの束が出てきた。読み始めたら、当時の思い出が泉のように湧き出してきて止められなくなった。ウ~ン、これは捨て難い!
 家から歩いて15分、母校の小・中学校の裏山が西公園という小山だった。昆虫少年の日々は365日通い詰めたり、早朝5時半や夜の10時過ぎに一人で訪ねるなど、昆虫採集の日々を重ねていた。
 時には、福岡市南部の平尾山に夜中の2時半に自転車でカブトムシを採りに行ったり、ひと晩テントを立てて樹幹に白布を張り、アセチレン灯を焚いて蛾やゾウムなど数十匹を集め、合間に近くの樹林を巡って、カブトムシを30匹以上採った記録もある。猛烈な藪蚊に苛まれた徹夜の採集だった。

 どの場所でどんな蝶や蜻蛉や甲虫類を採ったかを記録した、西公園の緻密な手書き地図も残っている。
 春は桜に酔客が騒ぎ、秋は紅葉に染まる西公園での多感な思春期の日々の記録……遊び、学び、導かれ、やがて大人への階段を昇って行った想い出深い場所だった。

 「……昭和28年7月28日午前7時30分、家を出て西公園に向かう。今日の目的は、主に鱗翅目(蝶類)にあるので、採集網、三角紙包、三角缶、それに用心のためのピンセット、小箱を1個持って出かける。(註:何もない時代であり、これらは全て手作りだった)
 天気快晴、風ナシ。絶好の採集日和である。去年歩き回った細い坂道を上り、右に折れる。間もなく、櫟や楢の甘酸っぱい樹液の匂いが漂ってくる。去年の記録ではこの辺りが最も昆虫が多かった。樹に近づくと、ヒメジャノメ、ヒメウラナミジャノメ、それにキマダラヒカゲ、ゴマダラチョウがパッと飛び立つ。早速バタバタと捕らえて三角紙に収める。
 樹液に首を突っ込んでいたカナブン、アオカナブン、シラホシハナムグリ、ヨツボシケシキスイも用意してきた小箱に投げ込んだ。もう1本の樹のところで、キマダラヒカゲ、ヒメジャノメ、ヒメウラナミジャノメをそれぞれ数匹ずつ捕える。
 再び最初の樹に戻り、ルリタテハを初めて捕らえることが出来たのは嬉しかった。やがて、別の坂を下り七曲りに出る……」
 
 数十ページに及ぶ黄ばんだレポート用紙に当時のときめきが蘇り、感傷に耽って夜が更けた。
 ……いつの間にか、昆虫少年に戻っている自分が居た。
                            (2020年5月:写真:蓑虫)

雨あがりに遊ぶ

2020年05月20日 | つれづれに

 雨あがりの早朝散歩の途上、ご町内の塀に若いツクシマイマイが角を立てながらゆっくりと這っていた。近づく梅雨の匂いが一段と濃厚になる時節である。梅雨になれば、彼(彼女でもある)は、産卵期を迎える。
 腹足綱有肺亜綱に属する陸生の巻き貝の一種である。螺旋形の殻は右巻きが多いという。「雌雄同体」という不思議な生き物で、交尾をすればお互いが卵を産むことが出来る。
 2対4本の触角を持つ。長い方(大触角)の先端に「目」があり、小触角が「角」と呼ばれる部分である。明治44年(1944年)に尋常小学唱歌として1年生の教科書に掲載された「かたつむり」の歌の、「めだま」と「つの」はこれに当たる。
     でんでんむしむし かたつむり
     おまえのめだまは どこにある
     つのだせやりだせ めだまだせ
 では、「やり」とは何だろう?……暇に任せてネットサーフィンで遊ぶことにした。
 「やり」とは、「恋矢(れんし)」と呼ばれる器官であり、通常は頭の下に隠れていて見えないが、交尾期になると「恋矢」を出し、相手を刺激して交尾を促すという、これも不思議な器官である。

 生き物の世界には、いろいろな「不思議」があって飽きさせない。「春の女神」と呼ばれるギフチョウは、交尾を終えると雄が蛋白質の分泌物を出して雌の生殖器に付着させる。それが固まると袋状の付属物となって、交尾が不可能になるから、雌は生涯にただ一度しか交尾出来ない。
 中世のヨーロッパで、十字軍に従軍する兵士が、妻や恋人の貞操を守るために貞操帯をさせて出征したという習慣は、こんなところから学んだのだろうか?しかも、雄は何度でも交尾が出来るという、なんとも男に都合のいい理屈である。(尤も、男用の貞操帯もあったというから可笑しい。)。

 カタツムリ、カタツブリ、蝸牛、マイマイ、マイマイツブリ、ででむし、でんでんむし……異名の多い生き物である。

 「カタ」とは、「固」、または「笠」からの音変化と言われる。「ツブリ」とは、巻貝のこと。
 「マイマイ」も、由来が二つ。子供が、カタツムリが角を振る様子を見て「舞え舞え」、もう一つは、殻の渦巻きの「まきまき」。
 蝸牛……「蝸」の1文字で「かたつむり」と読むが、「牛」という字をつけたのは、カタツムリの触覚を見て「牛のような角がある」とされたことからきている。
 でんでんむし……角が「出る出る」から「ででむし」の音変化。

 狂言にも「かたつむり」があると知った。出羽の羽黒山から来た山伏が、大和の葛城山で修行を積んでの帰り道、竹藪の中でひと眠りしていると、そこへ主命で長寿の薬になるという「かたつむり」を求めにきた太郎冠者と出くわす。
 太郎冠者は、「かたつむり」がどんなものか知らないまま、黒い兜巾をいただいた山伏を「かたつむり」と思い、声を掛ける。山伏は太郎冠者をからかってやろうと、ほら貝を見せたり角を出す真似をして見せるので、太郎冠者は山伏を「かたつむり」だと信じこみ、主人のもとへ連れて行こうとする……。

 「蝸牛角上の争い」……中国の故事である。取るに足らない狭い所で、つまらないことのために争い合うことをいう。カタツムリの右の角(つの)の上にある蛮氏の国と、左の角の上の触氏の国とが、互いに相手の地を求めて争って戦い、数万の死者を出したとある、『荘子』「則陽篇」の寓話による。『白氏文集』にも、「蝸牛の角の上に何事をか争う、石火の光の中に此身を寄せたり」などとあり、人間の身を石火のように儚いものに例えている。
 国会の与野党の討論を聞いていると、そんな気がしてくる。

 市川猿之助がスーパー歌舞伎に仕立てた「ONE PIECE」には、「電伝虫」という生き物が登場するらしい。電波(念波)で仲間と交信する性質を持つ、カタツムリのような姿をした生物。個体を識別するための番号があるようで、それに目をつけた人間が受話器やボタンを取り付けたことで、特定の電伝虫と交信し、電話のように使用することが可能になったというオハナシ……。

 高校生の頃、エスカルゴというフランス料理のことを知った親友が、蝸牛を何匹も採ってきて煮込んだところ、溶けてしまって食べられなかったという……これはワライバナシ……。

 一匹のツクシマイマイが遊ばせてくれた、コロナ籠りの半日だった。
                      (2020年5月:写真:ツクシマイマイ)

不都合な真実

2020年05月17日 | つれづれに

 雨あがりの少し湿っぽい日差しの下で、青い蝶が飛んだ。昨年の父の日だっただろうか、アメリカに住む次女が送ってくれた鉢、クマツヅラ科のクレロデンドルム「ブルーウイング」の花である。「蒼い翼」、或いは「青い蝶」と呼ばれるアフリカ原産の花が、何となく南米のモルフォ蝶を偲ばせてお気に入りの一つになった。寒さに弱く、一度は枯らしてしまったのを、数年後に又贈ってくれた。

 今日の話は、この可憐な花には全くそぐわないのだが……市から特別定額給付金10万円の申請書類が届いた。早速記入して投函した。辞退することも考えた。しかし、国庫に取り込まれたら、いったいどこに使われるのか今の政府は信じられないし、消費に回した方が誰かの役に立つだろう。
 「未使用のマスクや、国から支給される布マスクについて、ご寄附をお待ちしております。医療機関や介護施設、学校関係などで活用させていただきます」というチラシが同封されていた。よしよし、やっとアベノマスクの行き先が決まった。しかし、役に立つかどうか甚だ疑問はある。その所以を、ネットに挙げられていた週刊朝日オンライン限定記事(今西憲之)を一部抜粋引用する。これが466億円も掛けたアベノマスク(鼻の絆創膏)の実態である。唖然とし、絶句するしかない。(以下、引用)

アベノマスクの国内製造業者が激白、売っているサージカルマスクの方が安くて性能いい」

 政府が5000万世帯に配る予定の通称「アベノマスク」(布マスク)に不良品が見つかった問題で、厚生労働省は5月14日、参院厚労委で、自治体から返品された布マスクの検品費用が約8億円かかることを明らかにした。
 厚労省によると、アベノマスクは政府から受注を受けたメーカーなどが海外から仕入れたものがほとんどで、4月末時点で自治体に配布していた約47万枚のうち約4万7千枚に異物混入、汚れなど不良品があったと返品されたという。
 だが、アベノマスクの検品作業をしたアパレル業者はこう証言する。
 「30万枚を検品して合格品は13万枚、不良品は17万枚近くあった。不良品が多く世帯に配る布マスクが足りなくなり、国内で慌てて埋め合わせの布マスクを生産しています」
 本誌は中部地方で布マスクを製造している工場経営者をインタビューすることができた。一問一答は以下の通り。
 ――いつから製造しているのか?
 「4月20日過ぎからの予定が、材料の納入が遅れて5月に入ってから生産を始めた。製造枚数は10万枚までいかない程度だね」
 ――生産のための仕様書(本誌で4月28日配信)や動画(本誌で5月8日配信)はあるのか?
 「仕様書や動画もきたよ。この通りやれってね。そもそも新型コロナウイルスで大騒ぎする前は、日本で布製マスクなんてほとんど生産していない。仕様書を見てもよくわからない。動画の見よう見真似で板の上に大きなガーゼを置き、ペタンペタンと折りたたんで、ゴムをかけてマスクの型にしてゆく。簡単そうに見えて、最初はなかなかうまく作れなかった。初めてやった時は1時間に10枚とか15枚しかできなかった。慣れたら何十枚と作れるようになりました。まさにペタンペタンという作業だ」
 工場の中で数人の女性たちが、1枚の大きなガーゼをペタンペタンと折りたたんでいる様子が見えた。
 ――納期が当初、5月20日だったのに10日に早まったと聞いている。
 「ゴールデンウイーク返上で夜10時くらいまで仕事しました。うちは場所も広くないけど、多い時は社員や外国人の技能実習生など20人近くがアベノマスクを作りました。完成品は袋詰めしなきゃダメだしね。まさに三密の中での仕事だ。窓を全開にしてましたが、『アベノマスクを作っているのがばれないように』とお達しがあったので、少ししか窓を開けられなかった」
 ――海外で生産したアベノマスは不良品の山と聞いた。
 「そのようです。不良品の割合が半分と聞く。海外でこれ以上、生産してはダメだと、国内に切り替えて、我々のような零細企業に仕事がまわってきた」
 ――国内の生産だと品質は間違いないか?
 「海外の生産ほどの不良品は出ないと思う。ただ、そもそもペタンペタンとやる原始的な作り方のために不良品が多く出ているのではないかと思います。1枚のガーゼを折りたたむので、小さなゴミや糸くずなどが内側に、混入するリスクがあります」
 ――アベノマスクの品質はどう思うか?
 「布マスクは1枚のガーゼを折りたたんでいるだけ。一般的にドラッグストアやコンビニで販売されているサージカルマスクの方が、安くて性能はいいと思う。一度、自分で作った布マスクを洗って試したら、縮んでしまい、使い物にならなかった。」

 あまりにもお粗末なアベノマスクだから、実は「寄付」を名目にして、「回収」に掛かってるのかも!……拭い難い疑心暗鬼。
                        (2020年5月:写真:青い蝶「ブルーウイング」) 

うっぷん晴らし

2020年05月15日 | 季節の便り・花篇

 絶えず緊張感がある。マスクなしで歩ける自由な環境にあるのに、どこかに閉塞感がある。 日常生活圏内の狭い中に「閉じ込められ感」が、いつも気持ちの底にある。
 雌伏10年という言葉がある。わずか3ヶ月なのに、苦難や挫折をあまり知らない現代人は、もう悲鳴をあげ始めている。日本人は心身ともに脆弱になってしまった。
 そんな中で、39県で緊急事態宣言が解除された。宣言延長から、僅か10日、専門委員会に丸投げして自分の哲学を持たないアベが、また得意気に記者会見を行った。
 コロナウィルスよりも、この醜顔を見る方が精神衛生上良くない。これまで散々嘘と隠蔽と改竄を送り返して責任を取らないヤツだから、アベが何を言っても信じることが出来ない。専門委員会さえ、自分の息のかかった者だけを任命しているのではないか?……そんな色眼鏡で見てしまう。現に、検察庁法を改定して検察官の定年を延長しようとする問題で、慎重意見を述べた委員が委員会から辞めされられているらしいし……。アベが、「疑惑逃れが動機ではない」と弁解すればするほど、益々嘘っぽく聞こえてしまう。
 緊急事態宣言解除の根拠も、あと一つスッキリしない。第2波、第3波を繰り返すのは必至だろうが、国民の命より経済優先……裏返せば、権力へのしがみ付き、次の選挙の票読みを優先するのが政治家であり、常識に疎い人種である。アベノミクスも崩壊、オリンピックも殆んど開催不能、憲法改正も無理、せめて非常識極まりない検察官の定年延長でもしないと、自己満足が得られないのだろう。
 もう、やる気さえ感じられなくなった醜顔を、毎日メディアで見せられるのもウンザリである。
 ……と、今朝もひとしきりうっぷんを晴らした。払底していたマスクが、薬局の店頭に山積みされ始めた。50枚入りで1,980円。昨年よりかなり割高だが、取り敢えず安心が帰ってきた。
 
 昨日、島根県松江市の親しい電気屋さんから、畑で採れたてのニンニクの茎をどさっと送って来た。自家製の西条柿の巻柿まで添えた。現役リタイアして20年にもなるのに、いまだに家族ぐるみのお付き合いをしている電気屋さんである。徳島や北九州にも、同じようなお付き合いをしている電気屋さんがある。ありがたいことだと思う。今ではカミさん同士のお付き合いの方が濃くなった。
 少しお裾分けしようと、Y農園の奥様に届けに行った。こちらは、リタイア後の九州国立博物館ボタンティアで知り合い、家族ぐるみのお付き合いをするようになって8年になる。お返しに、朝採りのスナックエンドウと紫玉葱をいただいた。
 逼塞し、鬱積したこんな時には、やっぱり人と人のナマのお付き合いが何よりもの救いになる。ネットで飲み会なんて、なんと侘しい姿だろう!

 時節柄、剪定も消毒も滞っている侘助に、びっしりと毛虫が付いた。チャドクガ(茶毒蛾)の幼虫である。1枚の葉を数十匹が並んで埋め尽くし、大変な状態になっていた。肌の弱いカミさんが誤って触れると、悲惨なことになって皮膚科に通う羽目になる。
 「毒針毛」という体毛は、直接触れるのは勿論、風に飛ばされた毛に触れても皮膚炎を引き起こす。産んだ卵塊にも毒針毛があるから始末に悪い。
昆虫少年だった頃、無謀にもチャドクガを飼育しようと試みたことがあった。怖いもの知らずだった、あの頃の若さがちょっぴり懐かしい。
 殺虫剤を振り掛け、思い切って数百匹の葉とともに剪定して袋に詰めた。伸び始めた梅の枝も払い、梅雨時の傘を邪魔しないように庭を拡げた。これもまた、うっぷん晴らしである。
 市の指定可燃ごみ袋に2つ、ほかに落ち葉の袋が2つ、アルバムの整理で埋まった8袋とともに、2ヶ月がかりでごみ回収に出すことになる。
やっと片付け終わったアルバムなのに、昨夜棚の奥から更に10冊ほど出てきた!

 今朝の西日本新聞に、こんな川柳を見付けた。
        自粛中 コロナがさせた 大掃除

 庭石の周りに、ユキノシタの花が群舞している。小さな山野草の写真撮影に開眼させられた花である。
 雨が来た。梅雨の足音が近づいてくる。
                             (2020年5月:写真:ユキノシタ乱舞)

緑陰に風を聴く

2020年05月09日 | つれづれに

 新緑から、深緑へ……季節の移ろいのはざまで、眩しいほどに緑が濃くなり始めていた。黄砂もPM2.5もない今日の空は、幾つかの雲の欠片を浮かべてどこまで青く広がっていた。
 名ばかりのゴールデン・ウィークも、自粛自粛で呆気なく終わった。私たちにとっては、相変わらずの日常に過ぎない。しかし、テレビも新聞もコロナ一色に染まり、友人知人と向き合ってお喋りする機会も乏しく、精神的な逼塞間は少しずつ淵に沈み込み始めている。生活に変化がないから、ブログネタにも少々悩む。
 若い恋人たちは、毎日の逢瀬もマスク越し、社会的距離を開けてデートでは切ないだろう。家庭内暴力や、果てはコロナ離婚の危機さえ話題になり始めている。
 追いつめられると、普段は隠されているものがあからさまに表に浮かび上がってくる。10ヶ月後、世界の出生率は上がるか下がるか……カミさんと、そんなか賭けをして笑い合ったりもする。かつて、ニューヨーク大停電の10か月後に、出生が急増したという歴史的事実もあるし……。
 カミさんとお喋りしながら、歳のせいだけでなく、少し苛立ち怒りっぽくなっている自分に気付く。怒りはアベにだけ向けていればいいものの、それさえもう飽き飽きして食傷気味である。

 断捨離……数百冊のアルバムの始末を始めた。娘たちや孫たちの成長の記録、数々の海外旅行やクルーズの思い出、山野草や虫たちとの出会い……残しておいても、いずれは捨てられる運命にある。数枚ずつ葬式用(?)に残し、思い切ってごみ袋に破り捨てる。昔のアルバムは重くて、扱いに難儀する。とにかく捨てる、捨てる。
 ここまで生きてきた痕跡を消し去るようで切ない思いはあるが、そんな思いで一枚一枚を見ていては埒が明かない。娘たちや孫たちの分は、いずれ本人たちに整理を委ねて、あとはひたすら破り続けた。肩や背中がバリバリいうほど断捨離を続けても、まだ数日は掛かりそうな量に疲れ果てた。

 こんな時は自然と触れ合うに限る。手近なコンビニお握りとお茶をショルダーバッグに入れて、カミさんと「交通費ゼロ」のミニピ・クニックに出掛けた。
 初々しい命誕生の「山笑う」春から、たくましく躍動を感じる「山滴る」夏へ移ろうこの季節は、呑み込まれるような緑の海である。カミさんペースで30分歩き、いつもの「野うさぎの広場」にシートを拡げて、お握りの包みを開いた。
 ここで笑えるハプニング……カミさんの分のお弁当を忘れてきた!仕方なく、お握りを一つずつ分けて緑陰のランチとする。カミさんは梅干し、私は日高昆布、幸い白菜の浅漬けと、薩摩揚げはふんだんにある。食べ終われば、あとはシートに寝転んで木漏れ日を浴びるひと時だった。
 風の音と、遠くで「ツピン、ツピン!」と初夏を弾くシジュウカラ、「一筆啓上仕り候!」と囀るホオジロ……吹き抜ける緑の風が額の汗を拭い去り、野生の静寂だけが私たちを包み込んでいた。

 大きな山蟻が這い上がり、剥き出しの腕や顔を擽る。シーパンの裾から脚に這いこんでくる不届きな奴までいて、なかなか転寝させてくれない。この季節、まだ藪蚊の襲来もなく、ゆっくりと時が流れた。
 広場の木漏れ日の下に、格好のマイベンチを見付けた。以前使っていた倒木はすっかり朽ち果て、もうベンチの用をなさない。今後は、この程よい切り株を、私の秘密基地のマイベンチとしよう。

 帰り道を、小振りのアオスジアゲハに送られ、ハンミョウが道案内してくれて、すっかり葉桜となった枝垂れ桜のトンネルを抜けて博物館の正面玄関に出た。休館が続き、今日も無人の空間である。どこからか、栗の花が匂ってくる……。

 朝の散策、買い物を合わせて、この日の歩数は13,000歩……時々、人工股関節であることを忘れる。シャワーを浴びて、「リオ・ブラボー」を観る。こうして、ミニ「脱日常」の一日が暮れた。
 遠くから「バイバーイ!」と叫ぶ女の子の声が聞こえてきた。心和む夕暮れだった。

 明けて、雨の一日の夜、遠くの杜でアオバズクが鳴いた。
                          (2020年5月:写真:木漏れ日のマイベンチ)

波の記憶

2020年05月06日 | 季節の便り・花篇

 松の古木の足元、庭石の前にタツナミソウ(立浪草)が一面に立った。白波の中に、いつの間にか消えてしまった生き残りの紫の波が1本立つ。一昨年、町内の土手で咲いていた野生の紫を鉢に植えた。今年、二つの鉢に群れ咲いた。秋になったらこの紫の種子を白波の間に散らせば、来年はきっと楽しい海が波立つだろう。
 波、浪、涛……、それぞれの文字に、異なる響きがある。そして、それぞれに因む記憶がある。

 75年前の11月だった。引き揚げ船、歴戦の生き残りの駆逐艦「雪風」の上部甲板の主砲の下で、荒れ狂う玄界灘の波濤に苛まれていた……記憶に残る最初の、そして最悪の濤である。青空を流れる雲を見ながら、激しい船酔いに苦しんでいた。この原体験が、いまだに船に対する抵抗を消せないでいる。
 尤も、その後船に酔ったのは、知多半島沖の篠島で舟釣りした時だけだから、本当は船には強いのだろう。カリブ海クルーズでマイアミからバハマに渡った時も、今話題の「ダイアモンド・プリンセス号」での1週間のアラスカ・クルーズで、就航以来最大の嵐に見舞われて船員さえ船酔いした時も、能登・隠岐のクルーズで4日間波浪に揺られた時も、カミさんは酔っても、私は平気だった。

 大学生の時、親友と二人で博多港から平戸まで船に乗った。「太古丸」という小さな船は揺れに揺れ、乗客の殆どが洗面器を抱えて船室で、へたっていた。親友とともに、甲板で浪を見ながら揺られているとき、初めてトビウオが波をかすめて飛ぶ姿を見た。
 平戸に泊まり、九十九島を巡り、佐世保から長崎に出た。以前、私たちがクラシックを聴きに通っていた喫茶店があった。そこに勤めていたが、今は帰郷して長崎に住む女性が迎えてくれた。彼女は、後に親友と結婚することになる。カミさんと、初めて雇われ仲人を務めたが、その二人も既に彼岸に渡ってしまった。

 仕事で沖縄を担当していた頃、石垣島の取引先の招待で西表島に渡った。波浪注意報が出ていた悪天候で、水平線が見えなくなるほどの深いうねりの中を1時間、頭の中が真っ白になるほどの大揺れだった。120人乗りの高速船は殆ど新婚さんだったが、船酔いで帰りの船まで待合室で寝込んでしまったカップルが何組もいた。

 12年前、カリフォルニア沖2時間のサンタ・カタリナ島の島陰に30人乗りのダイビングボートを泊め、18人の多国籍の高校生に交じって、3日間のスキューバダイビングの特訓を受けた。船室の蚕棚のベッドの枕元が丁度喫水線に当たり、水温16度の冬のカリフォルニア海での厳しい訓練に疲れ果てて眠る耳元で、夜通し夢うつつにチャプチャプと鳴る波の子守唄を聴いていた。
 訓練を終えて帰る船は、横波を避けてジグザグに奔る。澪を横切って、たくさんのイルカの群れが、車輪を転がすようにジャンプを繰り返しながら、夕日の中を北上していった。

 その1週間後、私はメキシコ・バハカリフォルニア半島の最南端の海の底にいた。太平洋とコルテス海が交わる岬の先端は、ランズエンド(地の果て)という。
 ネプチューンフィンガー(海神の指)という鋭く天を指す岩の先の、シー・ライオン(カリフォルニア・アシカ)のコロニーの底に潜ると、20メートル上の海面の波の余波で、揺り籠のように身体が揺れる。目の前でアシカが身をくねらせて遊び、時折好奇心に誘われてフェースマスクを覗きにやってくる。
 仰向けになって見上げた海面は、岩に砕ける波が眩いほどの光の渦を幾つも湧き立たせていた。そこに向かって、レギュレーターから呼気の泡が立ち昇っていく。
 振り返って見た目の前に、ギンガメアジの大群が海を埋め尽くしており、思わず声を上げてマウスピースを外しそうになった。想像を絶する魚影に囲まれ包まれ吸い込まれて、ダイビングの至福に酔った。

 海は、少し荒れ始めると三角波が立ち、やがて白く砕ける。これを、漁師言葉で「兎が跳ぶ」という。庭石のそばで、何匹もの兎が跳んでいた。

 花言葉は、「私の命を捧げます」とある。
                             (2020年5月:写真:タツイナミソウ)

初夏……豆を刈る

2020年05月03日 | つれづれに



 5月の声を聴くのを待っていたように、殴り込むような初夏の訪れだった。1週間前と10度以上の温度差は、訪れというより、むしろ急襲、昨日までヒートテックの下着と暖房カーペットを使っていたのに、今日は半袖の下着に替えて汗を流している有様である。追っかける身体が、対応出来ずにに悲鳴を上げている。
 28.1度!……県下一番の、そして今年一番の最高気温となった。

 「スナックエンドウを刈りにいらっしゃいませんか?」というお誘いのメールが来た。
 解放された広い畑での遊びである。濃厚接触はないからマスクも必要ないが、礼儀としてポケットにマスクを忍ばせる。そのマスクも、この畑の主の奥様が贈ってくれた手作りである。

 いつも車を置く観世音寺の駐車場は、この連休の間閉鎖されていた。脇道に回り、畑の前の草っ原に車を止めた。3方向は小山に囲まれ、そこは新緑の杜。クス若葉がモコモコとブロッコリーのような淡い黄緑色を盛り上げていた。突然の初夏の日差しは強烈で、額に痛いほどだった。しかし、吹く風は優しく、黒いマルチで覆われて植え付けられたばかりのジャガイモの苗には、早くも薄紫の花が咲いていた。

     馬鈴薯の薄紫の花に降る雨を思へり都の雨に  啄木
 
 そんな歌を懐かしみながら、畑を歩きまわった。

 もう収獲期真っ盛りを迎えているスナックエンドウ、もうしばらく見守りたいグリーンピース、そしてトマトや茄子、ジャガイモ、里芋、胡瓜などは、まだ植えたばかりの苗であり、楽しみは夏から秋に訪れる。日照りが、もう2週間近く続いているから、朝晩の水遣りも大変だろう。
趣味と言うにはあまりにも深い造詣であり、我が家の食卓を助けていただくようになって、もう8年にもなるだろうか?こうしてご夫妻と共に、豆狩りや、玉葱、胡瓜、トマトなどを捥がせていただいたり、ジャガイモ、サツマイモを掘ったりさせていただいている。

 今日は、カミさんとスナックエンドウの収獲をさせていただいた。伸びた蔓の間の葉蔭に、もう採り放題というほど、程よくぷっくりと膨らんだスナックエンドウが下がっていた。
 「1回分いただきます」と言いながら、気づいたらカミさんと私の袋はいっぱいになっていた。友達に分けても、1週間はビールのつまみに事欠かない量だった。
 鮮やかに色づいたイチゴの初物を3つ、若いアスパラガスを3本……草取りの手伝いもろくにやってないのに、収穫の欲だけは浅ましいと自嘲しながら、それでも楽しくて仕方がない。

 房のようにたくさんの蕾を着けた晩白柚の陰に置いた椅子に座って、淹れてきた珈琲を喫みながら、お互いに2メートルの距離を取っておしゃべりが弾んだ。
 コロナ疲れを忘れる、癒しの2時間だった。

 夕方、思いがけなくご夫妻が我が家に立ち寄ってくれた。頼んでいたパセリの苗10本を、「ホームセンターで見付けたから」と届けてくれたのだ。
 このパセリ、実は人様が食べるための物ではない。やがて舞い遊びに来てくれるキアゲハの餌である。早速2つのプランターに植え込み、さらにもう一つのプランターには、庭中から集めたスミレを植えた。これは、ツマグロヒョウモンの餌である。
 なまじ和風庭園に設えているため、我が家の庭には畑を作る余地がない。好きな蝶のための餌場を作る……変な昆虫老人は、今年も健在である。

 翌日、気温は28.8度まで上がった。もう遅霜の心配もないだろうと、広縁に置いていた月下美人3鉢を、梅と椿の間の半日陰に出した。
 こうして、慌ただしく恒例の我が家の季節行事が進んでいく。
             (2020年5月:写真:初物のイチゴ)