蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

夜毎の競演

2012年07月26日 | 季節の便り・虫篇

 
 コーラスなんて気取った表現のレベルは、とっくに超えている。テレビの朝ドラの声が聞こえない。庭先の父の形見の松にとまったクマゼミが、渾身の声を張り上げて姦しく鳴きたてる。
 薄明のヒグラシを夢うつつに聴き、ニイニイゼミに起こされ、クマゼミにベッドから追い立てられる豪快な夏が来た。アブラゼミが少なくなり、その分クマゼミが勢力を増しているよう思えるのは気のせいだろうか。南九州で育てられた街路樹が関東で植えられ、根の土と共に運ばれたクマゼミの幼虫が羽化して、関東圏にクマゼミが急増しているという記事を、もう10年以上前に読んだ記憶がある。光ケーブルに産卵管を差し込み、通信障害を起こしているとか、ちょっと信じがたい記事だった。

 毎晩、数匹の蝉が我が家の庭で羽化する。2年前に数時間かけて連続写真を撮って、もう感動はおさまってる筈なのに、やっぱり命誕生の瞬間を見たくて、33.9度の昼間の暑熱がようやく夜風に払われ始める頃、カメラ片手に闇に立った。昨夜は八朔の枝先にクマゼミが3匹、それぞれ微妙に羽化のステージを変えながら誕生しつつあった。長い待機を経て背中が割れる瞬間、大きくのけぞって上半身を抜き出す瞬間、目を見張る速さで淡い緑の翅が延びていく瞬間、伸びきった翅が幻想的に輝く瞬間……幾つもの感動を重ねながら、命誕生のドラマが夜毎繰り返されていく。
 佇んでカメラを構える脚を、絶好の獲物と藪蚊が苛む。それさえ厭わぬワクワク感がある。パソコンに落とした絵を見ながら、透明な翅に淡い翅脈を輝かせる神秘を見詰めて飽きることがない。

「昆虫巡査」の佐々木茂美さんが、近くの朝倉市で「みぢかなう虫(ちゅう)の小さな展覧会」を開いた。現役警察官の頃、山中の身元不明の遺体に付いた虫で死亡時期を割り出したという、最近流行のテレビドラマCSIを地で行く虫好きお巡りさんだった。今は退職して、在野の昆虫研究家である。平戸に住む世界的に著名な昆虫生態写真家で、虫の目レンズを開発して凄い写真を撮る栗林慧さんも駆けつけたという。栗林さんには一度お会いして言葉を交わしたし、写真集にサインもいただいている。佐々木さんも一度はお会いしてみたかった虫キチさんである。早速出かけてみることにしよう。

 平凡社新書の「昆虫食入門」(内山昭一 著)という本を見つけた。帯封に「アブラゼミはナッツ味」というキャッチコピーが書かれている。「飽食の時代」から「選食の時代」に移りつつある中で、生命維持に最も大切な「食」を自ら選び取ることは、実は自然で自明な行為であり、昆虫もその選択肢一つであるという論理。戦後の食糧難の子供時代、田んぼでイナゴを捕って、から煎りにして食べた経験があるから、何となく頷ける理論ではある。イナゴ10匹で卵1個分の滋養があると言い聞かされて、蛇に脅されながら1升瓶抱えて田んぼを這いずり回って捕った。時にはお弁当のおかずにも入っていた。もう少し触れてみたいテーマだが、命誕生の感動の後に「アブラゼミはナッツ味」というのは、ちょっとセミ達に申し訳ないから此処までにしよう。

 今日も、苛烈な熱風が急速に気温を上げていく。心にわだかまりがあるとき、結局虫の話題に癒されるのは私の本性。前世は、きっと虫だったに違いない。(呵呵)
            (2012年7月:写真:クマゼミ誕生!)
  

追い打ち

2012年07月19日 | つれづれに

 左肩に脱臼したような痛みが走ったのはいつだったろう?初めは寝違えたと思った。自堕落にソファーに寝そべってテレビを見る姿勢に無理があったとも思った。ちょっとした弾みで、いつの間にか元に戻って痛みが消えている。……そんな繰り返しが数か月続いた。癖になったのが気になって、行きつけの整形外科にかかった。レントゲンを撮っても、骨には全く異常がないし、関節の隙間も綺麗だという。「たくさんの筋(腱)が走ってるから、そのうちのどれかが炎症起こしているのでしょう」と、湿布薬とリハビリの指示を受けた。電気治療はかえって痛みが増すし、ついつい湿布だけに頼って2か月が過ぎた。
 しかし、痛みの断続は次第に慢性化し、左腕を上げるのが苦痛になり、夜も痛みで目覚めるようになって、再度医師の門を叩いた。九州だけが梅雨明けに取り残され、連日34度、35度の猛暑が続く一日だった。
 「左肩関節腱板断裂の疑いがあります。当分、週1回のヒエルロン酸関節注射と抗炎症剤服用と湿布で様子を見ましょう。それでも痛みが消えない場合は、MRIを撮って診断の上、場合によっては外科的処置(手術による断裂部の縫合)を取ることになります」という診断結果だった。甘く見すぎていたのかもと、今更の臍をかむ。かなり痛いヒエルロン酸関節注射は、この暑さの中でも、その日一日シャワーも浴びることができない。
 ネット情報によれば(素人が、すぐにネットで詳細を見てわかってしまうのも善し悪しだが)「40歳以上の男性に多く(男62%、女38%)、右肩に好発します。発症年齢のピークは60代です。肩の運動障害・運動痛・夜間痛を訴えますが、夜間痛で睡眠がとれないことが受診する一番の理由です。運動痛はありますが、多くの患者さんは肩の挙上は可能です
 腱板断裂の背景には、腱板が骨と骨(肩峰と上腕骨頭)にはさまれているという解剖学的関係と、腱板の老化がありますので、中年以降の病気といえます。明らかな外傷によるものは半数で、残りははっきりとした原因がなく、日常生活動作の中で、断裂が起きます。男性の右肩に多いことから、肩の使いすぎが原因となっていることが推測されます。
 手術には、関節鏡視下手術と通常手術(直視下手術)があります。関節鏡視下手術の方が低侵襲で、手術後の痛みが少ないので、普及してきていますが、大きな断裂では、縫合が難しいので、直視下手術を選択するほうが無難です。どちらの手術も、手術後は、約4週間の固定と2~3ヵ月の機能訓練が必要です。」

 とんだ追い打ちだった。左手の痛みが全方位にあるから、運転や日常の家事、着替えに少し不自由する。作業に支障があっては仲間に迷惑をかけるから、博物館ボランティアも当分休止し、治療に専念することにした。それにしても、何故利き腕じゃない左肩なんだろう?
 先日の炎症指数の異常な高騰の成り行きを確認するため、再度、内科クリニックの血液検査を依頼した。その医師が「腱板手術は痛いよ¬~!」と脅す。「腱板炎症くらいでは、あんな高い炎症指数は出ないよ。」と、結局まだ原因は明らかではない。やっぱり、今月は厄月らしい。

 クマゼミとアブラゼミの姦しい合唱が鎮まり、何か懐かしいヒグラシの声に変わる夕暮れ、今年も夕顔がひっそりと咲き始めた。庭の片隅、仏間の窓に掛けたネットに蔓を絡ませ、かすかに甘い匂いを夕闇に漂わせながら風に揺れる。その風情が好きで、もう10年以上咲かせ続けている。その根方に、蝉の幼虫が抜け出した穴がいくつも開いて、蟋蟀庵の庭はいよいよ真夏へのステップを踏む。スミレのプランターに、数頭のツマグロヒョウモンの幼虫が育ち始めた。
                (2012年7月:写真:風に揺れる夕顔)

原因不明??

2012年07月16日 | 季節の便り・花篇

湿舌、ニンジン雲……聞き慣れない言葉を連ねながら、梅雨末期の記録的、そして想定をはるかに上回る豪雨が北部九州を叩きのめした。近年、異常が異常でなく、人間の想定なんて何の意味もなさないような事態が続く。自然の猛威の前に、もう人知が及ぶ余地がなくなってきているのだろう。
 見舞いのメールが舞い込む中を、7月14日、29年前に74歳で彼岸に渡った父の命日を迎えた。その歳まであと1年。繰り返し書いたように、そこを乗り越えることが子供としての最後の親孝行であり、そこからが私の本当の余生と思っている。
 残された人生に、右顧左眄してつまらないことに時間を費やす余裕はもうない。断ち切るものは断ち、本当に大切なこと、生きているうちに出来ること、しなければならないことだけを見つめながら生きていこうと思う。

 此処に来て、身体に自制を促すような異変が続いた。昨春から時折頻脈が走る。月に1回とか、週に1回とか、まったく不規則で、時間も数秒から30分。普通に行動しているのに突然脈が走り出す。そして、何もしないのに唐突に元に戻る。24時間心電図計を付けて、医師の診断を仰いだ。心エコーを受けて、73年間休みなく働き続けている健気な自分の心臓の動きを、生まれて初めて見た。「がんばってるなァ…!」と、感動してしまった。「心筋の収縮を司る微電流の回路の悪戯で、心機能には全く問題ありません。心筋の動きも、冠動脈の流れもきれいですよ。気になるなら、予防薬や起こった時に鎮める頓服があります。電気ショックで止める方法もありますけど、どうします?」不安を拭うには、専門医の言葉が何よりもの薬になる。当分、投薬なしで様子を見ることに決めた。

 先週、原因不明の高熱で3日間寝込んだ。風邪の症状もないままに一気に39度まで熱が上がり、まだ近くの保育園などで流行っているインフルエンザの検査も受けたが2度とも陰性。白血球が3倍、炎症指数が4倍…どこかに炎症が起こっているのは確かなのに、その部位を特定できないままに3日間の点滴だけで凌いだ。原因不明という後味の悪さだけが残った。
 39度の高熱は、おそらく十数年ぶりだと思う。娘をバンクーバーまで呼び寄せてカナディアン・ロッキーを旅する途中、コロンビア大氷原のツアーバスの中でもらった激烈なインフルエンザが、ナイアガラ瀑布を経て、当時娘が住んでいたアメリカ南部ジョージア州アトランタの家に着いた途端に発症した。親子3人が高熱に苦しみ、お互いに冷やし合いながら数日を過ごし、その高熱を押して帰国の途に就いた。眼下に過ぎていく氷河の眺めもうつつに、本当に死ぬ思いで帰り着いた。それ以来の高熱だった。

 3年ぶりにキレンゲショウマが綺麗に咲いた。山仲間のNさんからいただいて1度は咲かせたのに、元々が深山の渓流沿いや湿った林間に稀な山野草である。日差しや温度管理の難しさを押して平地の庭で育てる無謀に懲りて殆ど諦めかけていたのに、今年は4輪もの蕾を着けた。蕾の期間が1か月ほど続き、やがてそのまま枯れてしまうことが多かった。寒冷紗をかけた半日陰で、打ち続く異常気象にもめげることなく、鮮やかな黄金色の花を開いて見せてくれた。やっぱり、自然の営みの逞しさに人は敵わないと思い知る。

 豪雨の後、一斉にクマゼミが鳴き始めた。薄明に眠りを覚ます遠い石穴稲荷の杜のヒグラシの声もも、気付いたら団地の中まで広がり、次第に我が家に近づいている。大雨の中でも泥まみれのまま地中から這い出した幼虫が羽化し、庭の木立の枝先にはもう10個以上の空蝉が風に揺れている。
 夏が、もうすぐそこまでやってきていた。
              (2012年7月:写真:キレンゲショウマ)