蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

木漏れ日の野性 高原ドライブ(その2)

2021年03月31日 | 季節の便り・旅篇

 無人の大浴場を独り占めした。肌がつるつるするわけでもなく、硫黄の匂いがするでもない単純温泉だが、露天風呂に移ってさらに鈍い日差しを浴びて部屋に戻ると、いつまでも肌のぬくもりが消えなかった。琉球畳にベッドが置かれ、山間の冷え込みに対応した床暖房もしつらえてる。
 とにかく、可愛らしさ溢れる宿である。女性客の満足をひたすら追求しているという女将の信条に、男として(ましてジジイとして)は、少し落ち着かない風情だが、アメニティーなど実に女性に行き届いた配慮がなされていた。
 70歳になる女将手書きの書が、優しくいたるところに散りばめてある。料理の素材、調理、味全て申し分なかった。そして、お給仕してくれたのは、来日4年目という瞳が可愛いベトナムの女性だった。
 女子従業員は全てアジア系、男性は若い(マスク越しだが多分)イケメン日本人、女性客には嬉しい宿だろう。感心したのは、コロナ前まではアジア系観光客で溢れかえっていた湯布院にありながら、この宿は一切外国人客を受け入れなかったという
 多少たどたどしいながら、ひたむきに勤めるベトナムの彼女の給仕は楽しかった。

 寝る前に部屋付き露天風呂に入る。二方向に畳める窓を開くと、木立越しに由布岳が圧し掛かる。夜明けて再び部屋の露天風呂を楽しんで、朝食をお替り迄した。

 宿を後に、水分峠を越えて「やまなみハイウエー」を、再び九重飯田高原・長者原に走り戻った。今日も黄砂に濁った空に、三俣山や硫黄山にいつもの精彩はない。
 たで原湿原から木道に入り、長者原自然研究路を辿る。坊ガツルでキャンプしたのだろうか、雨ケ池越えから女子大山岳部の一団が重装備で降りてくる。若さに圧倒されそうだった。昔、坊ガツルでキャンプして九重連山を登りまくった男も、いまは老いて自然研究路散策に甘んじるばかりである。三俣山の裾に、今盛りのコブシが数本、ひときわ冴え冴えと妍を競っていた。
 硫黄山から流れ出る水は赤茶けた湿原を作り、魚は住めない。この水質に強い草木だけ繁ることを許されている。一周1.2キロ、ゆっくり歩いて40分ほどの散策路だが、深い木立の中で小鳥の囀りを聴きながら木漏れ日を仰ぐひと時は至福の命の洗濯であり、ふと野性に還りたくなるひと時だった。
 シキミ、ツルシキミ、ミヤマシキミ……3種のシキミが、早くも花時を迎えていた。時がくれば、真っ赤な玉のような実をつける。早春の、数少ない花の一つだった。

 ストックを納めて再び車に戻り、アセビ真っ盛りの牧の戸峠を越えた。平日なのに、車やバイクの走り屋が多い。競わずに道を譲りながら、アップダウンと曲折の多い峠道を、ギアチェンジを繰り返しながら出来るだけブレーキを踏まないように走り抜ける。女性的な山が多い九州の中でも、この「やまなみハイウエー」は最も運転を楽しめるコースの一つである。
 瀬の本の交差点を走り抜け、さらに阿蘇に向かう。さすがに阿蘇周辺は野焼きが済んでいた。間もなく、山野草が芽吹き始めることだろう。
 外輪山に右折し、大観峰を脇に見て、その先を右折し南小国に下る。行きつけの蕎麦街道の「吾亦紅」で蕎麦粥定食を摂って遅めの昼餉とした。蕎麦粥にざる蕎麦に小鉢が付く。いつも旅先では旺盛に食が進むカミさんは、朝餉のお替り満腹で、「まだおなかが空かない」と、地鶏蕎麦の一品にとどめた。

 大山町の「木の花ガルテン」で少し買い物をして、日田から大分道に乗る。黄砂はまだ晴れない。帰り着いた大宰府も、白濁の底にあった。
 二日間の走行距離327キロ!「後期高齢ドライバー頑張った!」と自画自賛しながら、春が深まったら、もう一度男池に行って、ユキワリイチゲ、ヤマルリソウ、ヤマエンゴサク、ネコノメソウ、サバノオ、シロバナエンレイソウ、ヒトリシズカ、フタリシズカ、ワダソウ、ワチガイソウ……ついでに由布高原でエヒメアヤメと、バイカイカリソウ……疲れも忘れて夢を見ている自分がいた。
                     (2021年3月:写真:ヤマルリソウ)

早春鷲掴み 高原ドライブ(その1)

2021年03月31日 | 季節の便り・旅篇

 身体が覚えていた。もう何年ご無沙汰したのだろう?何度も何度も通い慣れた道なのに、しばらく走ることが叶わなかった。昨年の豪雨で、ひどく痛めつけられた道である。今まで通り、通じている保証はない。曲がり角も多く、一つ間違うと、九重(ここのえ)に下ったり、小国に上ったり、大吊橋に曲がりこんだり、とんでもない方向に進むことになる。私が行きたいところは、そこではない。多少の不安を抱えながら、玖珠ICで大分道を降りた。

 昨年7月、「平日一組限り露天風呂付き1泊、特別価格お一人様15,000円」という湯布院の温泉宿の抽選に当たった。通常、33,000円の部屋である。コロナの感染が拡大し、やがて福岡県も緊急事態宣言が出た。他府県Noで走ると白い目で見られる嫌な時代である。ずるずると引き延ばしていたが、ようやく有効期限切れ直前の月末に訪れることにした。

 春はまだ浅いが、桜をはじめ花時が10日ほど早くなっている。「もしかしたら」という期待で、九重・飯田高原の長者原に寄り道して湯布院に向かうことにした。
 白濁した黄砂濃い朝だった。晴れている筈の日差しも遮られ、視界3キロ足らずの高速道から見る山並みは、どこも微かな影さえも見えない悲惨な有様だった。
 玖珠町のコンビニでお握りとお茶を買い、しばらく東に走って、川沿いの道を斜めに曲がりこむ。水害の跡はまだ生々しく、河原に累々と積もる岩に目を奪われる。「この先を右に折れて、すぐ左だったよな。トンネルが見えてくれば正解!その先をすぐ右に上がった四季彩ロードを駆けあがる……」頭の中で復習しながら走った。湯坪温泉への岐路を左に巻いて曲折を繰り返して、泉水山の裾に出た。よかった、体が覚えていてくれた!
 
 しかし……嘘だろう!山肌が枯草のままなのだ。例年なら3月のうちに野焼きして、真っ黒になった大地からキスミレが溢れるように咲き始め、山肌を黄色の絨毯で飾る。その間に延びる蕨を摘むのが、春の高原ドライブの楽しみだった。
 人手不足のせいなのか、阿蘇では既に野焼きが済んでいるというのに、この時期まだなのか!本来の花時には確かに10日ほど早いが、丈高い枯れすすきに覆われた山肌には、一輪のキスミレさえ咲いてはいなかった。

 諦めて、長者原から「やまなみハイウエー」を東進、牧場の脇の信号から右折して、黒岳登山口の男池(おいけ)に向かって南下した。
 駐車場で降りたところに、黒岳から吹きおろす風にブルっとする。高原はまだ冬枯れ、早春の芽吹きのはしりはあるが、初々しい早緑の新芽で木立が輝くまで、まだまだ時間が必要である。
 男池の透明な流れのそばのベンチでお握りを食べながら、気もそぞろだった。数々の山野草に癒されるために、何度此処を訪れたことだろう!どれほどのシャッターを切ったことだろう!まだ早すぎるとわかっていても、やはり這うように木立の下を探っていた。
 バイケイソウやキツネノカミソリの若い群生が枯れ野を飾っていた。その中に、いたいた、慌て者の山野草が幾つかちらほらと姿を見せる。ネコノメソウ、ハルトラノオ、ジロボウエンゴサク、ヤマエンゴサク、そして小人のボタンのようなヤマルリソウが、枯葉の間から恥ずかしそうに5ミリ足らずの姿を現した。
 此処に、お気に入りの一本の木がある。巨大な岩を鷲掴みにした古木である。
 荒々しく心を鷲掴みされるような快感!コロナの気鬱を掴み取って、早春の木立に解き放ってくれるような気がした。

 僅かな花影だったが十分に満たされて男池を去り、再び「やまなみハイウエー」に戻って東に走り、15時に湯布院の宿に着いた。我が家を出てから160キロ、メインの観光散策路「湯の坪街道」のど真ん中の宿だった。卒業旅行なのか、若い観光客の雑踏を車で分けながら、コロナ自粛の気配さえ感じられない人並みに、早速「温泉三昧の宿籠り」と決めて宿に入った。
 かつての、湯治場の名残を残した湯布院の風情は今はない。俗っぽく観光地化して場末感の漂う今の湯布院で、「天井桟敷」の珈琲以外、行きたいところはない。
                    (2021年3月:写真:鷲掴みの木)

芽吹きの季節

2021年03月25日 | 季節の便り・花篇

 カサカサと落ち葉を踏みながら、山道を辿る。竹林から吹きおろす風が、耳元で囁く。勝手に「囁きの小径」と名付けた。野うさぎが遊ぶ姿を見たから、私の秘密基地の一つは「野うさぎの広場」と名付けた。訪れる人も少なく、マスク無用の自然の風をほしいままに出来るマイ散策路である。

 昨日、友人夫妻と満開の桜を満喫した。いつものようにコンビニお握りを買い込み、太宰府市図書館の駐車場で落ち合って、御笠川の川沿いの桜並木の散策路に出た。カメラのシャッターを落としながら、「あ、このアングル去年も撮ったな!」と何度も思い当たる。川面のさざ波と、赤い橋と、青空と……満開の桜の絢爛を、これでもかと煽り立ててとどまるところがない。三分咲きかと思ってるうちに、一気に満開となった。福岡でも、昨年より11日も早いという。コロナ禍の下、花よ、何を咲き急ぐ!

 川面をカルガモが滑り、中流の石の上で何と3匹のスッポンが日向ぼっこをしていた。大きな緋鯉真鯉が、底の砂に影を落として泳いでいく。シラサギが低く飛ぶ。
 ふと見やった枯れ葦の上に、カワセミがいた!たまに見かけることもあるが、久しぶりの出会いだった。しかも、いつも一瞬で飛び去るのに、じっと葦の上で魚影を探す姿を留めてくれていた。残念、今日は望遠レンズを噛ませていない。桜景色を撮る標準レンズと、足元の小さな花を狙う接写レンズだけである。さすがに、標準レンズでは最大に引いても、美しい翡翠色を撮ることは叶わなかった。

 朱雀大橋から右に折れ、都府楼政庁跡の広場に抜ける。手前の交差点横のコンビニに、缶ビールを買いに寄り道する友人のご主人。羨ましいが、私は運転しなければならないから、夕飯迄お預けである。
 政庁跡を通り抜けた向こう、令和発祥の地として一躍有名になった坂本八幡宮を見下ろすちょっとした高台の枝垂れ桜の下の四阿が、今日のお握りピクニックのテーブルだった。
 お握りを頬張りながらも、足元に散らばる様々な春の山野草の花が気になって仕方がない。四つん這いになり、這いずり回り、いつもの「ご隠居スタイル」でファインダーを覗き続けた。目の下には、菜の花とレンゲソウが一面に拡がっている。

 カミさんから「レンゲソウも忘れないで!」と声が飛んでくる。昔、学生の頃、背振山系の「鬼が鼻」という岩峰が好きで、足しげく登った。岸壁の上から脚を垂らしながら福岡方面を見やると、一面の菜の花と一面のレンゲソウが絨毯のように織り敷いていた。かつてのような絨毯は少なくなり、レンゲソウは一輪をクローズアップで撮ることが増えた。
 見上げても花、見下ろしても足元は花、花、花。つややかに黄色を跳ね返すウマノアシガタ(キンポウゲ)、紫のサギゴケとキランソウ、キジムシロ、オオイヌノフグリ、小さなスミレ、九重連山・黒岳の登山口にある男池(おいけ)でお馴染みのヤマルリソウそっくりの3ミリほどの小花がある。
 友人の奥様が、スマホで花の名前を同定できるアプリを教えてくれた。カメラマークを押すと、検索して花の名前が出てくる!これはビックリだった!ただし、限界はあるようだ。
 坂本八幡宮に参って、裏道を観世音寺に戻った。友人の畑に寄った後、観世音寺の裏で群れ咲く濃い紫色の大ぶりのスミレを見つけた。スミレは種類が多く、同定が難しい。早速アプリで尋ねてみたら、出た答えは「スミレ」だった。うん、間違いではない。(笑)

 そして今日、カミさんは別の友人と3人で、再びお花見に出掛けた。留守番の私は、一人でまたコンビニお握りを持って、「野うさぎの広場」にハルリンドウを探しに出ることにした。
 しかし、「囁きの小径」で一輪、「野うさぎの広場」で一輪……見かけたのは、たった2輪だけだった。もう咲き終わったのか、それともこれから咲くのか、山野草の花時は数日で様相を変える。週末の雨の後、もう一度来てみよう。
 ハルリンドウやスミレの花をカメラの納める一方、様々な芽吹きに目が吸い寄せられた。中でも、楓と羊歯類の芽生えの何と可愛いことだろう!
 ホオジロの囀りに浸りながら、広場の切り株をテーブル代わりに一人お握りランチを済ませ、風の囁きの中を帰途についた。帰り着いた自宅の近くの庭先から、アゲハチョウが舞って出た。今年の初見だった。

 初夏を思わせる強い日差しに、気温は21.3度まで上がった。
                      (2021年3月:写真:羊歯の芽生え)

アブラゼミはナッツ味

2021年03月23日 | 季節の便り・花篇

 草むらに腹ばいになって、両肘の三脚を立てた。ほんのりと昼下がりの温もりが伝わってくる。かすかに懐かしい土の匂いがした。紛れもなく、春の匂いだった。マクロに接写レンズを噛ませたカメラを、10センチほどに近づけた。ファインダーの向こうに、懐かしい春色がぱっと広がった。ハルリンドウ、毎年お馴染みになった春告げの花の一つである。

 1年前の昨日、ブログに観世音寺のハルリンドウの便りを書いていた。もうそんな時節なのだ!転寝の午後、友人が「天婦羅にどうぞ!」と、畑に伸びたタラの芽をどっさり届けてくれた。先日は、土筆も届けてくれた。茨城の方では「便所草」といって食べないそうだが、やはり春告げの品である。袴まで取って届けていただいた土筆を卵綴じにする。ほろ苦いフキノトウの天婦羅も食べた。食べたい春告げ食の一つが、タラの芽だった。
 「観世音寺のハルリンドウ、まだ見てませんか?去年は、昨日咲いてましたよ」と問う。「え?気が付きませんでした」
 実は去年のその日、散策の途中でハルリンドウを見付け、写真を撮りまくった。そして、カミさんがカメラケースを花のそばに置き忘れて帰ってきた。観世音のすぐ前に住むこの友人からメールがあり、「奥様のカメラケースじゃありませんか?」

 30分後、畑に向かう彼女から「ハルリンドウ、咲いてます!」というメールが届いた。ハルリンドウの写真が2枚添えられていた。さっそく、カメラを担いで車のキーを掴んだ。戻り寒波の冷たい風が吹き募る午後だった。
 ところが、確かにいつもの場所に蕾がいっぱい散らばっているが、何度目を凝らしても、どこにも花がない。畑の彼女に、「蕾しかないけど、どの辺りですか?」とLineした。「すぐ参ります!」
 駆け付けた彼女が言う、「これ、さっきまで咲いてましたよ!この蕾もです!!」まだ3時半、春の日差しは高く、日暮れには程遠い時間だった。不思議な体内時計があるのだろう、もうすべての花が蕾んで、夜に備えていた。

 温かさが戻った今日、午後早く観世音寺を訪れた。紛れもなく、日差しをいっぱい受けていくつものハルリンドウが優しさを繰り広げていた。コロナに怯えながら、いつの間にか季節は一巡し、花は忘れることなく春を告げにやってきてくれた。明日へ元気をもらって、日差しの中を走り戻った。

 1週間ほど前の新聞のコラムに「このまま環境破壊が続けば、2048年には海から食用魚が消えるとの研究もある」とあった。そうだろう、抵抗なく受け入れている自分がいた。「人類が豆にたよらなくてはならない時代が必ず来ます」という料理家の言葉もあった。いやいや、とんでもない、豆さえ食べられない時代も予想されているのだ。そして、そこに登場するのが「昆虫食」である。温暖化で畑が干上がり、穀物が消える。それを餌とする牧畜が壊滅する。肉や乳製品も手に入らなくなり、一時的には大豆が代替肉となる。ソイ(大豆)ミートや、ソイバーガーは、近未来小説では当たり前であり、すでにハンバーガーショップやスーパーで、大豆の代替肉が登場しているという。さらにその先を読んで、究極の蛋白源として存在感を増しているのが「昆虫食」である。それを研究する学者や、試食を重ねる団体もある。手元に「昆虫食入門」という本もある。

 終戦後、何もない時代の貴重な蛋白源はイナゴだった。一升瓶を抱えて田圃の中を這いずり回り、瓶いっぱいのイナゴを採った。乾煎りしたり、飴炊きにしたり、一日10匹食べたら、必要な蛋白質が取れると親に説得されて、弁当のおかずに10匹(それだけ!)が入っていたこともある。信州ではザザムシ(トビゲラの幼虫)や蚕の蛹を食べるし、蜂の子を食べる地方は多い。カンボジアではタガメ、タイではサソリを食べる。アリストテレスの「動物記」には、「羽化する前のセミの幼虫が一番おいしい」という記述もあるという。さらに「セミならまず雄で、交尾後がよく、ついで白い卵がいっぱいの雌がおいしい」と。

 「昆虫食入門」のキャッチコピーに、「アブラゼミはナッツ味」とあった。「本当においしいんですか?」「はい、カミキリムシはクリーミーでふんわり甘く、ハチの子はウナギの味そっくりで……」
 食料自給率は40%という日本、笑い事ではない時代が、もうそこまで来ているのかもしれない。

 「野うさぎの広場」にも、そろそろハルリンドウが開き始めるころである。
                 (2021年3月:写真:観世音寺のハルリンドウ)

ヤな時代だね!!

2021年03月19日 | つれづれに

 二日続けて、「太宰府外生命体」と非濃厚接触することになった。昨日、博多座「藤山寛美没後三十年喜劇特別公演」、今日、春のお彼岸の三寺参り、そして事の序でに、まともなランチを自分に奢った。

 コロナ禍、コロナ禍と、連日のようにテレビや新聞が現実を突きつける。下げ止まった感染者数に第4次へのリバウンドの暗い影を引き摺りながら、間もなく首都圏の緊急事態宣言が解除されようとしている。
 自粛に倦んだ。自粛に疲れ果てた。1年を超えて、さらに変異種が牙を剥き始めた中で、これを抑え込める人知があるのだろうかと、諦観さえ芽生え始めている。精神の破壊は、肉体の破壊以上に怖い。歯科医に行ったことをきっかけに、思い切って「大宰府籠り」から抜け出してみた。そして、思った。病院も劇場も飲食店も、やるべきことは十分にやっており心配はない。問題は、訪れる方の意識と行動であると。。

 歯科医――入り口に一つ、待合室に二つ、手指消毒スプレーがおかれ、受付で検温、待合室は患者が出入りする度に殺菌拭き上げられている。
 劇場――間隔を置いて並び、入り口で手指の消毒と検温、チケットも自分でもぎり、受付の女性と触れ合うことはない。座席は一つおきに交互に配置されており、隣りや後ろを気にすることはない。舞台かぶりつきの席は空席、役者の飛沫を気にすることもないし、10分毎に全館換気される。
 気になる客がいた。通路を隔てた席に、高齢の男性。マスクから鼻を出したまま、しきりに咳をしている。空席の見やすい席に替わっていいかと、係の女性に無理を言っている。こんなマナー知らずの輩こそ、「禍」であろう。笑いと涙の藤山直美の演技に、この客の存在が傷になって残念だった。

 舞台がはねた後、久しぶりに本格中華懐石のランチを摂った。用意された個室の窓からカモが遊ぶ川面を眺めながら、行き届いたサービスに舌鼓を打った。これで1000円なんて、なんと贅沢な時間だったろう!

 1年間自粛していたお寺参りだった。黄砂で霞む山並みを見ながら、都市高速を走った。我が家の菩提寺と、カミさんの父方と母方、あわせて三つの寺を、いつものように4時間で一気に回る。いずれも福岡市内の街中にある。車で街中を走るのが嫌いな私は、いつも「お寺がもっと田舎にあったらいいのになぁ」とぼやく。このぼやきも、カミさんは「年中行事」と歯牙にもかけない。
 いつもB級グルメのご近所ランチでお茶を濁しているから、二日続けて今日もまともなランチをしようと、昔なじみのロシア料理の店に寄った。創業1960年の老舗であり、私が20歳、カミさんが19歳の頃のデートコースの一つだった。「ボルシチランチ」と「つぼ焼きランチ」にはそれぞれ食べたかったピロシキが付いている!食後の甘いロシアンティーを添えて、懐かしさをかみしめながらのランチだった。

 東京都、新たに303人の感染という。福岡で40人。亡くなるのは殆ど70代80代、紛れもなく私たちの世代である。ちょっと切なく、「ヤな時代だね~!!」とぼやいてしまう。
 緊急事態宣言が意味をなさない事態になった。総理の発言には、相変わらず説得力がない。これほど存在感が希薄な総理も珍しい。
 こうなれば、もう笑い飛ばすしかない。笑いのネタを二つ仕入れた。一つは、前に書いた「パルスオキシメーターである。
 もう一つ、ドラッグストアでおかしな器具を見つけた。先端にゴムが付けられており、エレベーターのボタンなどに直接触れなくていいという。電車やバスのつり革用のフックも付いている。ポケットに忍ばせて、早速博多座に持っていった。指にはめてエレベーターのボタンに触れながら、クスクスと笑いが出た。ホントに「おかしな時代」、そして「ヤな時代」である

 5月上旬、大型連休の頃の暖かさの一日だった。すぐに雨が来る。そして、気温も急降下するという。雷大好き人間にとって、「春雷」の予報だけが心をときめかせていた。
                           (2021年3月:写真:コロナお笑いグッヅ)

眩しい復活

2021年03月13日 | 季節の便り・花篇

 季節の変わり目の年中行事、寒暖目まぐるしく変わる陽気に体が音を上げて、数日グダグダと臥せっていた。否応なしに、後期高齢者というか、末期高齢者というか、寄る年波への虚しい抵抗を続ける昨今である。
 漸く人心地が戻って、薄日差す庭に下り立った。春が奔っていた。雪柳が満開のしぶきを振りまき、キブシが黄色い花穂をぐんぐん伸ばし始めている。六光星のハナニラにも、蕾が着いた。既に、桜の開花宣言も出た。11日早いというニュースに、少し複雑な思いがある。
 もちろん、春が嬉しくないはずがない。しかし、季節には必要なリズムがある。長い間積み重ねてきた大自然の営みの波動がある。そのリズムが、年々崩れていく。
 暖冬という言葉の裏に「地球温暖化」という恐ろしい刃が潜んでいる。破壊し続けた地球環境は、すでに折り返し可能な地点を超えたという見方がある。今更「カーボンニュートラル」などと言葉で飾っても、まして制御しきれない原発にしがみつこうとする国に、未来などあるのだろうか?

 歳とともに、「人類の英知」を信じられなくなっている自分に気付く。哀しいことである。
 庁や大臣まで置いてデジタル化を叫び続けているが、人間が地球と共存する生物であろうとするなら、アナログへの回帰しかないのではないだろうか?……などと、殆ど可能性のない夢を語っても、所詮は老いた狼の遠吠えであろう。

 現代小説が浅薄になり、芥川賞の権威も喪われた。時代小説がもてはやされているのも、ある意味アナログへの回帰かもしれない。そんなことを思いながら、あさのあつこの「弥勒シリーズ」や、辻堂魁の「風の市兵衛シリーズ」を読み耽っている。。

 行き付けの薬局で、パルスオキシメーターが売られているのを見附けた。入院手術の後に、必ず人差し指に装着された。数値が低くなると、しばらく酸素吸入器が装着される。
 「検知器(プローブ)を指先や耳たぶなどに装着し、侵襲(外的要因によって生体内の恒常性を乱す事象)を伴わずに脈拍数と経皮的動脈血酸素飽和度 (SpO2)をリアルタイムでモニターするための医療機器である」と、難しく定義されているが、要するに、血中酸素濃度を監視するもので、96~98あれば正常である。コロナの自宅療養中に、95(?)を切ったら救急車を呼べと言われるらしい。
 半分冷やかしで買った。2000円余りである。持っていれば、何となく安心というおまじないである。

 昨年、横浜港でコロナの集団感染を起こしたダイヤモンドプリンス号。15年前、就航したばかりのこの11万6千トンの豪華客船で、10日間のアラスカクルーズを満喫した。船旅が、まだ最高の贅沢だった時代のことである。船内のカジノでスロットマシンを楽しみ、勝った80ドルで指輪を記念に求めた。それが今、私の右手薬指にある。 
 早朝のウォーキングには、同じく船内で買ったシャチの絵と「ALASKA」のロゴが入ったリバーシブルの防寒着を着ていく。暗い朝だから、車のヘッドライトに反射度の高い黄色を表に着る。いずれも、コロナ除けのゲン担ぎのつもりである。
 
 独りよがりのおまじないやゲン担ぎで武装し、用意周到の備えをしていても、やっぱりコロナ感染への憂いは消えない。

 ツマグロヒョウモンの幼虫に2度も丸裸にされたスミレが復活し、美しい紫色の花をいくつも開いた。眩しいほどの、命の復活である。その生命力に励まされながら、理屈抜きで春に飲まれてみよう。
                     (2021年3月:写真:復活したスミレ畑)