蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

せせらぎの宿

2022年05月09日 | 季節の便り・旅篇

 悍馬のように気紛れに乱高下する季節の変動に翻弄され、すっかり疲弊してしまった。コロナ禍の警戒が緩んだ中に、制約なしのゴールデン・ウィークも終わり、もう来週には梅雨の走りが現れるという。昼間の庭仕事で汗にまみれるというのに、朝晩の風の冷たさに、この時期になってもまだ暖房カーペットを片付けられないでいる。こんなことは今までなかった。
 かつて、沖縄慶良間諸島・座間味島のダイビングを楽しんでいた頃は、5月の連休にはビーチベッドを庭に広げ、海パンで日焼けオイルを塗って身体を焼いていた。6月末の沖縄の梅雨明けと同時に島に渡る。観光客も少なく、絶好のスキューバ・ダイビングやシュノーケリングの時期だった。ただ、いきなり南国の日差しに曝されると、火傷に近い日焼けに苦しむことになる。だから、5月の連休の間にしっかりと「下焼き」をしておくのが、私の流儀だった。もう、遠く霞み始めた思い出である。

 4か月振りの「生存確認」に、横浜の長女と、浜松の自動車会社で車の内装デザイナーとして働く孫娘が、空路と新幹線で来てくれた。力仕事や押し入れの片付けなど申し出てくれるが、半ば老々支援状態の私たちにとっては、元気な顔を見せてくれるだけで嬉しい。
 連休中休みの日曜日・月曜日に、4人で温泉に出掛けることにした。「ゴールデン・ウイークは遠出しない!」と決めて40年、2キロの渋滞でも嫌という大宰府原人を、30キロ渋滞に慣れた関東人が「それは、渋滞と言わない!」笑う。午後に走り始めた九州道は渋滞もなく、更に鳥栖JCから長崎道に乗っても、呆気ないくらいスイスイだった。佐賀大和ICで降りて山道を20分ほど走り、54キロを1時間足らずで走り抜けて、2時前に宿に着いた。
 春の確定申告の還付金を、全額使い切ると決めて、檜露天風呂付離れの宿を奮発した。私たちはツインベッド、娘と孫は和室、シニアプランだから、チェックインも2時である。娘が探してくれた温泉だった

 標高200メートル、嘉瀬川のせせらぎに包まれる山間の温泉は、多発性関節リュウマチに苦しむ亡き母がよく逗留していた。福岡と佐賀の県境の尾根、背振~金山山系の南の山間にある。齋藤茂吉や、青木繁も好んで通ったという。加えて、笹沢左保記念館があると聞き、ひと風呂浴びる前に訪ねることにした。
 上州新田郡(ごおり)三日月村で生まれた渡世人の木枯し紋次郎、宿場町で巻き込まれた厄介ごとを片付け、流行語となった「あっしにはかかわりのないことでござんす」と言いながら道中合羽を翻して去って行く。去り際に、5寸の長楊枝で何かを吹き刺すのが約束事の、一世を風靡したテレビドラマの原作者である。
 せせらぎを2度渡り、川沿いに上流に15分歩いたところに立派な記念館があった。ボランティアの館長に、小一時間楽しく話を聴いた。1960年(昭和35年)から2014年(平成14年)まで活躍した著名な作家、笹沢左保の旧邸の書斎に、貴重な直筆原稿や出版された初版本が多数並んでいて圧巻だった。

 その往復を楽しませてくれたのが、いろいろな種類のトンボだった。清流がカワトンボやオハグロトンボ、イトトンボ、チョウトンボなどを足元に送ってくる。マクロも望遠レンズも持ってきていないし、標準ズームで腹這いになって狙ったが、ピントが合わない。後ろに立った娘が、最新のスマホのマクロレンズで肩越しに撮った一枚の方が鮮明なのが悔しい!

 湯に浸かる。少ない客足を見て、大風呂の露天に浸った。今回も独り占めだった。泉歴は古く、38度のぬるめの泉温と、ぬるぬるした心地良い肌触りという特徴から、「ぬる湯」と呼ばれているという。
 吐口からの湯音に、鶯の冴えた声が混じる。そして何よりもの癒しは、せせらぎが届けてくれた、黒川温泉以来30年振りに聴くカジカガエルの鳴き声だった。清流に住む小さな蛙である。繁殖期の4月から7月にかけて、渓流の石の上などで縄張りを主張する雄の声が、男鹿の鳴き声に似ているから「河鹿」と書く。「繁殖音」と書くと何だか切ないが、清流のせせらぎに混じって届く声は、限りなく優しかった。

 いつまでのほくほくと暖かい身体をベッドで休めた後、夕暮れ迫る食事処の個室で摂った夕飯は豊かだった。地酒を3種並べた利き酒セットにほろほろと酔いながら、娘と孫と過ごすせせらぎの宿の至福!

 やすむ前に、部屋の檜露天風呂で身体を癒した。山道のドライブに揺すられた肩の神経痛が、優しい「ぬる湯」で解されていく。「キキキキ!」と鳴く澄み切ったカジカガエルの声は、眠りにつく耳元迄届いて来た。
                      (2022年5月:写真:娘が撮ったカワトンボ)

避密の旅、三度

2022年04月21日 | 季節の便り・旅篇

 コロナ禍に窮した旅行業界に差し伸べた、福岡県の支援である。旧秋の企画に、娘の手を借りながらスマホで申し込んだ。50,000円分の旅行クーポンが、25,000千円で手に入った。一度の旅で、一人10,000円まで使え、更に地域クーポンが2,000円分付いてくる。
 普段泊まることのない高級な宿を探し、筑後川温泉で1回、原鶴温泉で1回、それぞれ露天風呂付個室を利用した。例えば、25,000円の宿が15,000円、地域クーポンを加算すれば実質1万3,000円で利用できる仕組みである。もちろん、コロナ禍の中での企画だから、県を跨ぐ利用は出来ず、福岡県内という制約が付く。
 いずれも先輩の勧めに誘われて、料理と泉質に優れた一夜を満喫した。二つ目の宿では、豪勢な食事を摂っているときに、救急車が走り込んできた。個室の露天風呂で転倒し、頭を打った高齢の客が運ばれていった。岩風呂の怖さを思い知りながら、「やがて我が身」と気持ちを引き締めた。

 「緊急事態宣言」、「まん延防止等重点措置」が相次ぎ、利用制限や期限延長が何度も続いて、残る1万円の利用は年を越した。ようやく4月7日に解禁となり、しかも利用期間は4月28日までという。慌てて、取り扱いの旅行社に駆け込んだ。最後は新鮮な魚を食べる宿にしようと、候補地の中から民宿を選んだ。糸島市の芥屋漁港の傍の民宿である。一人1泊8、800円に旅行クーポン5,000円が使え、更に地域クーポンが1,000円付くから、実質一人1泊2,800ということになる。

 旅立ちの日は生憎の曇り空だった。「旅」というには恥ずかしく、僅か50キロ、都市高速と西九州自動車道を使えば、1時間ほどの近場である。翌日の晴天予報に期待し、一番の楽しみは明日に残して午後1時に家を出た。
 「二見ヶ浦」―――伊勢湾の夫婦岩で有名な観光地と名を同じくし、糸島半島の北に夫婦を並べた岩があり、しめ縄が張られている。曇天の海の色は冴えないが、少年時代の10年間を海辺で育った私にとって、海には懐かしい匂いがある。昨年の春も、佐賀県呼子の宿で伊勢海老や烏賊の生き造りなどの海鮮を満喫した帰りに、此処に立ち寄った。1年振りの海に、カミさんもはしゃいでいた。
 
 カリフォルニアに住む嵐ファンの次女にせがまれて、以前訪れた「櫻井神社」、カミさんは初めてだったが、静謐な古い神社の佇まいにご満悦である。そのあと、「芥屋の大門」の岩峰を望み、展望台に続く「トトロの森」の木立のトンネルを覗いていたところに、宿から電話が入った。チェック・インの1時間前だが、部屋の用意が出来たからいつでもどうぞ、と。そこから民宿迄は車で2分だった。
 芥屋の大門遊覧船の乗り場の脇にある民宿は、客は2組だけで、3階1フロアを独占した。海鮮尽くしの夕飯を、壮麗な夕日が飾った。唐津と壱岐の狭間の海に真っ赤な太陽が落ちた。右手遥か遠くには、対馬も見えるという。
 
 カリフォルニアには、数多くの夕日の記憶がある。ロングビーチで見た夕日、ラグナビーチで見送った夕日、ヨシュアツリーパークで沈んだ夕日。さらに、メキシコ・ロスカボスでダイビングの後、砂浜に寝っ転がって浴びた夕日―――数知れない夕日の記憶の中でも、サン・ノゼ・デル・カボ空港からロサンゼルスに帰る機上から、遥か太平洋の水平線を真っ赤に染めて沈む夕日が、最も鮮烈な記憶だった。あれほど濃い深紅の夕焼けは、前にも後にも、これに勝るものは見たことがない。
 歳をとるほどに、夕日への思いが深くなるのは何故だろうか?

 一夜明けて快晴の春の空の下、べた凪の海を「芥屋の大門」遊覧に出た。客は僅か4人、海風が吹き抜ける中では、もうマスクも要らない。玄海国定公園を代表する「日本三大玄武洞」の中でも最大のもので、六角形や八角形の玄武岩の柱状節理が玄界灘の荒波をガシっと受け止めている。海蝕洞窟は高さ64メートル、開口10メートル、奥行き90メートル。べた凪のこの日、遊覧船は洞窟の中まで滑り込んだ。「避密の旅」の掉尾を飾る圧巻の景観だった。

 興奮覚めやらないままに、「志摩の四季」で魚と花を、「伊都菜彩」で野菜を買い込み、楽しみにしていたイチゴのソフトクリームで締めくくって、一気に帰途についた。112キロの春旅だった。
 「Withコロナ」―――長く閉じていた気功教室も読書会も、今月再開する。私たちの人生に、「怯えながら、ただ耐えるだけ」の時間はもう残されていない。一歩、踏み出そう!
                       (2022年4月:写真:芥屋の落日)

「避密の旅」――帰らざる「日常」

2021年11月17日 | 季節の便り・旅篇

 忘我の淵に沈みこんで、夜の眠りはいつまでも訪れなかった。部屋に付いた檜風呂から、かけ流しの湯音がかすかに耳元に転がってくる。ひと時、ふた時、輾転反側する中に夜が更けていった。左手首を捻ると、反応して腕時計に光が灯り、浮かび上がった時刻は午前1時を過ぎていた。

 6月30日、福岡県が「避密の旅」観光キャンペーンを発表した。コロナで打撃を受けた県内の観光業を支援するため、県民に限り5割引きの宿泊券と旅行券を売り出すというものだった。1泊当たり最大5千円、日帰り3千円の割引となる。わかりやすく言えば、1万円買えば、2万円のクーポンが来るということだった。早速、帰省していた長女に手伝ってもらいながら、スマホでリストにある旅行社に申し込もうとしたが、すでに大手は全て売り切れ、ようやく農協のJA筑紫旅行センターで2万5千円を払い込むことが出来た。折り返しスマホに、5万円のクーポンが表示された。利用期間は7月12日から12月31日までである。
 ところが、直後に福岡県にも緊急事態宣言が出た。解禁になったのは、10月20日だった。2ヶ月14日間先延ばしになり、2月14日、バレンタインデーまで有効という。

 解禁を待って、船小屋温泉に走った。旅行も、クルーズも、温泉も、外食も、この2年近く殆ど我慢して自粛してきた。せめて、県民の特権を使い、日ごろの鬱憤を晴らそうと、二つの温泉旅館の特別室で贅沢することにした。
 船小屋温泉――凝った料理は美味しかったが、バリアフリーを無視した大理石のつるつるの階段や、ぬるい湯に落胆。矢部川を渡る白鷺の群舞を楽しんだだけで終わった。

 立冬を過ぎて10日、寒波の後の小春日に、原鶴温泉を目指した。古い「サンパチロク」と親しまれる386号線を避けて、田園の中の裏道を、大宰府市から筑紫野市、筑前町から朝倉路へと南下する。時たま路傍に見る紅葉は彩り悪く、既に多くが枯葉色だった。
 リニューアルして2年、バリアフリーを施した「ほどあいの宿」と謳う筑後川沿いの宿が、今夜の贅沢だった。4階の準特別室「夕月」、半露天檜風呂付客室は、8畳のツインベッドに8畳のリビングルームが付き、1泊一人2万8千6百円。1万以下の宿を探していた2年前が嘘に思えるほど、今回は贅を尽くした。
 同じ狙いと思われる高齢家族が多い日だった。露天風呂を覗いたが、すでに先客が4人ほど浸かっており、引き返して部屋の半露天檜風呂で足を伸ばすことにた。吐口から注ぐ湯音に、1時間のドライブの緊張がほぐれていく。ベッドと部屋付き露天風呂、この組み合わせを知ると、もう病みつきになる年代である。
 「雅」と謳う料理も、申し分なかった。鮑の刺身を食べたのは、もう20年振りだろうか。赤のグラスワインを添えて、下を向けないほど飽食の限りを尽くした。
 2度目の露天風呂に温まってベッドに入ったが、喪われた「日常」の数々を思い浮かべ偲ぶうちに、我を忘れ、眠りを忘れた。

 コロナが急速に鎮まっている。日常回帰への様々な試みが始まっているが、もうあの「日常」が帰ってくることは決してないだろう。次の波は必ずやってくる。コロナと共に生きることが、新たな「日常」になる。マスクが、下着と同じように人前では決して脱げない、そんな「日常」――。
 かつて、カナディアン・ロッキーを二日がかりで南下し、古城のようなバンフ・スプリングス・ホテルに泊まって、近くの『帰らざる河』(River of No Return)のロケ地の河を見た。マリリン・モンローとロバート・ミッチャムが演じた1954年のアメリカの西部劇である。「No Return  No Return♪」と繰り返すフレーズが耳に蘇る。

 翌朝、寝起きと朝食後、計4度の露天風呂三昧を満喫して、10時に宿を出た。チェックアウトのあと、「お気をつけてお帰り下さい」と書かれたキャンディーを渡される。こんな、さりげない心遣いが嬉しい。
 50キロ足らずの近場である。まっ直ぐ帰れば、昼前に帰り着いてしまう。「そうだ、K子ちゃんに頼まれた梅干を買いに行こう」とカミさんが言う。K子ちゃんとは、カミさんの小学校と高校の同窓生で、生涯歌うことを生き甲斐とする、市井の声楽家である。

 果物の郷・杷木から、天領・日田を抜けて、30分足らずで大分県の梅の郷・大山町の「木の花ガルテン」に着き、紅葉の下に車を停めた。平日で、此処も客は少なく、買い物を済ませ、日田ICから大分道に乗って、13時過ぎに「避密の旅」を終えた。
 結局、我が家の庭の紅葉が一番綺麗だった。

 師走が、もうそこまで近付いていた。
                 (2021年11月:写真:「木の花ガルテン」の紅葉)

水の真珠

2021年07月15日 | 季節の便り・旅篇

 夜明けの露天風呂は、いつも寛ぐ。夜来の雨が嘘のように、穏やかな朝だった。美味しい「久木野米」で贅沢な朝食を済ませ、胃袋が落ち着いたところで、4度目の露天風呂で名残を惜しんだ。

 食事処で配膳してくれた若いネパール人の男女に見送られて、三たびの隠れ宿を後にした。今日中に大宰府に帰ればいいという、あてもない気紛れ旅である。昨日、「道の駅阿蘇」でもらったガイドブック「あかうしのあくび」を開いたら、もう20年近く前にみんなで行った「高森湧水トンネル公園」を見つけた。ナビで探ると、最短19分とある。
 途中、「あそ望の郷くぎの」で、娘のソフトクリーム巡りに付き合い、東に向かった。ナビは利口なようで不親切な面もある、南阿蘇の外輪山中腹を巻く道は、時に離合困難な農道になったり、突然道が消えて、その向こうに新しく出来た綺麗な道にぶつかったりする。このナビが搭載されたころには、まだ新道が出来ていなかったのだろう。いきなり、湧水トンネルの駐車場に出た。目の下が、トンネルの入り口だった。

 パンフに歴史が書いてあった。
 熊本~延岡間を結ぶ鉄道が昭和37年に認可された。昭和48年、高森~高千穂の間に6480メートルのトンネル工事が始まったが、約2キロほど掘ったところで毎分36トンの出水が起こり、町にある8つの湧水が涸れ、水道が使えなくなる事態となった。鉄道建設は断念され、代わりにここを親水公園として整備、平成6年にトンネルの550メートルが一般公開された。
 激しく流れる水に沿って、両側に歩道が続き、クリスマスや七夕には、美しい飾りつけがされる。コロナの為、今は過去の優れた飾り物が作品として並べられていた。
 肌寒いトンネルを進むと、一番奥に細い流れを滝のように落とす壁面に辿り着く。ストロボが点滅し、シンクロすると小さな流れが水玉となって停止したり、逆に上に上って行ったりして、まるで輝く真珠のように見える。「ウォーターパール(水の真珠)」と名付けられた光のイリュージョンである。
 
 トンネルを戻る途中、天井にごろごろと響く雷鳴を聴いた。入口を抜けたら、ちょうど雷雨が通り過ぎた後だった。いつの間にか、お昼を過ぎていた。
 ナビ任せで、小国に向かうことにした。予想通り、高森から阿蘇五岳の北端・峩々たる岩山の根子岳を巻く道だった。高千穂峡でボートを漕いだり、炭火に焙られながら名物の高森田楽を食べたり、何度も走り慣れた道だった。十数年振りに辿る道は、峩々たる岩峰を左右に見る曲折多い道に両側から木や草が覆い掛かり、路肩が見えないほど緑が深くなっていた。

 ヘアピンを重ねる道を娘のハンドルに委ね、やがて阿蘇市に出た。内牧に曲がる道を少し通り抜け、「山賊旅路」という面白い店で、山賊飯や団子汁で遅めのお昼を食べた。店の天井いっぱいに、全国から集めた無数の土鈴が下がっていた。
 世界最大の阿蘇カルデラを一気に走り抜け、内牧から紆余曲折する外輪山を駆け上がり、大観峰に寄ることもなく小国に抜けた。
 途中、娘の希望で大山ダムの下からダムの上にのしかかる「進撃の巨人」を見上げるエレン、ミカサ、アルミンの少年期の銅像を見に寄り道した。「進撃の巨人」を知らないジジババは、ちんぷんかんぷんだったが、娘は大喜びである。原作者が、ここ大山の出身らしい。

 大山の「木の花ガルテン」でトイレタイムを取って日田に抜け、大分道~九州道を走って、雷雨明けの太宰府に夕刻無事に帰り着いた。
 「雨女」と言っていた孫娘は、実は「雨の神」だったらしく、この二日間の観光や走行中に豪雨に見舞われることがなかった。いつも雨上がりを追いかける幸運なドライブだった。
 翌日、お土産で膨らんだキャリーバッグを引き摺りながら、孫娘は博多駅から帰っていった。自動車メーカーの本社工場で、内装デザイナーとして3年目の仕事が待っている。下の孫娘は、留守番しながら就活の真っ最中である。

 昭和、平成、令和と、三世代生きた私たちは、もう「歴史」になろうとしている。いい時代を生き、いい娘たちや孫たちを残したという、ささやかな自負と喜びがある。
                    (2021年7月:写真:ウォーターパール)

露天風呂雨情

2021年07月15日 | 季節の便り・旅篇

 35.3度!!梅雨明け後の散発的土砂降りの後に、茹だるような暑熱がやってきた。高齢の両親の、2回目のコロナワクチン接種の副反応を心配して駆けつけてくれていた娘を、昨日空港に送り、またジジババ二人の日常が戻ってきた。上の孫娘まで助っ人に駆けつけてくれて、久し振りに三世代の家族の温もりに、ほっこりと癒された。その孫娘も、一日前に帰っていった。

 7月9日、昨年より5日早く庭で羽化し始めたセミは、すでに10匹を超え、今朝も庭の木立から「ワ~シ、ワシ、ワシ、ワシ!!」と、けたたましく鳴きたてて炎熱を呼び込んでいる。
 昨日と同じ朝の気温なのに、湿度が下がって今朝は爽やかだった。洗濯物を干していても、汗をかかないのは久し振りだった。

 「まん延防止等重点措置」が解除されたのをきっかけに、三世代の温泉ドライブを楽しんだ。選んだのは、我が家一押しの隠れ宿・南阿蘇俵山温泉「竹楽亭」。3年ぶり、3度目の訪問だった。5000坪の緩やかな山腹に、竹あかり(竹燈)で飾られた回廊が、全室露店風呂付離れを連ねる宿である。熊本大地震で一部傷んで休業していたが、2017年初夏にリニューアルを終えて再開した。翌年訪れた時には、まだ途中の道路やトンネルが崩壊し、大きく迂回して辿り着く状態だった。

 豪雨の予報が残る中を、娘にハンドルを託して早めの出発とした。筑紫野ICから九州道に乗り、広川SAで早めのランチを摂った。しかし、雨の気配はない。時間に余裕があり過ぎるから、益城熊本空港ICで降りる予定を変更し、熊本ICで降りて、帰りに寄る予定だったカミさん希望の阿蘇神社を先に訪れることにした。
 57号線を東に走る途中、この春開通した新阿蘇大橋を右に見た。その先に、地震で崩落した旧阿蘇大橋の残骸を見下ろす崖の上に、慰霊碑が建てられている。残された「負の遺産」が痛ましく、車を停めずに走り抜けた。

 火振り神事で有名な阿蘇神社が震災で倒壊してから5年3ヶ月、拝殿がこの12日に復活したばかりである。日本三大楼門の一つとされる楼門など、国指定重要文化財6棟が損壊した。楼門は今も組み立て工事が進められており、23年12月の完成を目指している。その工事建屋の壁面に、在りし日の楼門がリアルに描かれていた。本物と見紛うほど、圧倒される迫力だった。
 新阿蘇大橋を超えて宿に向かう途中、激しい豪雨が来た。しかし、瞬間的走り雨で、3時半に宿に着いた頃には雨も上がり、回廊を下って和洋室離れ「さつき」に入った。

 部屋付きの露天岩風呂は食後の楽しみに残し、ほかの客が到着する前に大浴場と露天風呂を楽しんだ。女湯からは賑やかな声が聞こえるが、男湯は今日も独り占めだった。
 身体を洗い、大浴場で身体を温めて庭園露店風呂に出る。岩を敷き詰めた足元の危うさに、この3年間の足腰の衰えを実感させられた。カミさんも「露天岩風呂は怖い」と言っていた。
 立てられた何枚もの巨岩の間から、幾筋もの湯が流れ落ちる。一角に突き出た岩には碁盤が刻まれ、碁石も配してある。腰湯で碁を楽しむ設えだが、のぼせないだろうかと気になる。いつまでも浸っていたい、癒しの湯音だった。

 霜降り馬刺しと赤牛ステーキ、ヤマメなどの会席料理を、ワインと共に満喫した夕飯だった。夕闇を呼び込むヒグラシの声が、山の澄んだ空気のせいか、鋭いほどに冴えわたる。
 酔い覚ましのうたた寝に、激しい雷雨がやってきた。雷鳴轟き稲妻が奔る空から、大粒の雨が降り注ぐ中を、部屋付き露天風呂に浸かった。半露天だから、頭は濡れない。湯の面に弾ける雨粒も、得難い夜の露天風呂風情だった。

 まだ7月半ばでこの猛暑!昨日は、また県下一の最高気温だった。ジジババにとって、長く厳しい大宰府の夏が始まった。
                    (2021年7月:写真:庭園露天風呂)

木漏れ日の野性 高原ドライブ(その2)

2021年03月31日 | 季節の便り・旅篇

 無人の大浴場を独り占めした。肌がつるつるするわけでもなく、硫黄の匂いがするでもない単純温泉だが、露天風呂に移ってさらに鈍い日差しを浴びて部屋に戻ると、いつまでも肌のぬくもりが消えなかった。琉球畳にベッドが置かれ、山間の冷え込みに対応した床暖房もしつらえてる。
 とにかく、可愛らしさ溢れる宿である。女性客の満足をひたすら追求しているという女将の信条に、男として(ましてジジイとして)は、少し落ち着かない風情だが、アメニティーなど実に女性に行き届いた配慮がなされていた。
 70歳になる女将手書きの書が、優しくいたるところに散りばめてある。料理の素材、調理、味全て申し分なかった。そして、お給仕してくれたのは、来日4年目という瞳が可愛いベトナムの女性だった。
 女子従業員は全てアジア系、男性は若い(マスク越しだが多分)イケメン日本人、女性客には嬉しい宿だろう。感心したのは、コロナ前まではアジア系観光客で溢れかえっていた湯布院にありながら、この宿は一切外国人客を受け入れなかったという
 多少たどたどしいながら、ひたむきに勤めるベトナムの彼女の給仕は楽しかった。

 寝る前に部屋付き露天風呂に入る。二方向に畳める窓を開くと、木立越しに由布岳が圧し掛かる。夜明けて再び部屋の露天風呂を楽しんで、朝食をお替り迄した。

 宿を後に、水分峠を越えて「やまなみハイウエー」を、再び九重飯田高原・長者原に走り戻った。今日も黄砂に濁った空に、三俣山や硫黄山にいつもの精彩はない。
 たで原湿原から木道に入り、長者原自然研究路を辿る。坊ガツルでキャンプしたのだろうか、雨ケ池越えから女子大山岳部の一団が重装備で降りてくる。若さに圧倒されそうだった。昔、坊ガツルでキャンプして九重連山を登りまくった男も、いまは老いて自然研究路散策に甘んじるばかりである。三俣山の裾に、今盛りのコブシが数本、ひときわ冴え冴えと妍を競っていた。
 硫黄山から流れ出る水は赤茶けた湿原を作り、魚は住めない。この水質に強い草木だけ繁ることを許されている。一周1.2キロ、ゆっくり歩いて40分ほどの散策路だが、深い木立の中で小鳥の囀りを聴きながら木漏れ日を仰ぐひと時は至福の命の洗濯であり、ふと野性に還りたくなるひと時だった。
 シキミ、ツルシキミ、ミヤマシキミ……3種のシキミが、早くも花時を迎えていた。時がくれば、真っ赤な玉のような実をつける。早春の、数少ない花の一つだった。

 ストックを納めて再び車に戻り、アセビ真っ盛りの牧の戸峠を越えた。平日なのに、車やバイクの走り屋が多い。競わずに道を譲りながら、アップダウンと曲折の多い峠道を、ギアチェンジを繰り返しながら出来るだけブレーキを踏まないように走り抜ける。女性的な山が多い九州の中でも、この「やまなみハイウエー」は最も運転を楽しめるコースの一つである。
 瀬の本の交差点を走り抜け、さらに阿蘇に向かう。さすがに阿蘇周辺は野焼きが済んでいた。間もなく、山野草が芽吹き始めることだろう。
 外輪山に右折し、大観峰を脇に見て、その先を右折し南小国に下る。行きつけの蕎麦街道の「吾亦紅」で蕎麦粥定食を摂って遅めの昼餉とした。蕎麦粥にざる蕎麦に小鉢が付く。いつも旅先では旺盛に食が進むカミさんは、朝餉のお替り満腹で、「まだおなかが空かない」と、地鶏蕎麦の一品にとどめた。

 大山町の「木の花ガルテン」で少し買い物をして、日田から大分道に乗る。黄砂はまだ晴れない。帰り着いた大宰府も、白濁の底にあった。
 二日間の走行距離327キロ!「後期高齢ドライバー頑張った!」と自画自賛しながら、春が深まったら、もう一度男池に行って、ユキワリイチゲ、ヤマルリソウ、ヤマエンゴサク、ネコノメソウ、サバノオ、シロバナエンレイソウ、ヒトリシズカ、フタリシズカ、ワダソウ、ワチガイソウ……ついでに由布高原でエヒメアヤメと、バイカイカリソウ……疲れも忘れて夢を見ている自分がいた。
                     (2021年3月:写真:ヤマルリソウ)

早春鷲掴み 高原ドライブ(その1)

2021年03月31日 | 季節の便り・旅篇

 身体が覚えていた。もう何年ご無沙汰したのだろう?何度も何度も通い慣れた道なのに、しばらく走ることが叶わなかった。昨年の豪雨で、ひどく痛めつけられた道である。今まで通り、通じている保証はない。曲がり角も多く、一つ間違うと、九重(ここのえ)に下ったり、小国に上ったり、大吊橋に曲がりこんだり、とんでもない方向に進むことになる。私が行きたいところは、そこではない。多少の不安を抱えながら、玖珠ICで大分道を降りた。

 昨年7月、「平日一組限り露天風呂付き1泊、特別価格お一人様15,000円」という湯布院の温泉宿の抽選に当たった。通常、33,000円の部屋である。コロナの感染が拡大し、やがて福岡県も緊急事態宣言が出た。他府県Noで走ると白い目で見られる嫌な時代である。ずるずると引き延ばしていたが、ようやく有効期限切れ直前の月末に訪れることにした。

 春はまだ浅いが、桜をはじめ花時が10日ほど早くなっている。「もしかしたら」という期待で、九重・飯田高原の長者原に寄り道して湯布院に向かうことにした。
 白濁した黄砂濃い朝だった。晴れている筈の日差しも遮られ、視界3キロ足らずの高速道から見る山並みは、どこも微かな影さえも見えない悲惨な有様だった。
 玖珠町のコンビニでお握りとお茶を買い、しばらく東に走って、川沿いの道を斜めに曲がりこむ。水害の跡はまだ生々しく、河原に累々と積もる岩に目を奪われる。「この先を右に折れて、すぐ左だったよな。トンネルが見えてくれば正解!その先をすぐ右に上がった四季彩ロードを駆けあがる……」頭の中で復習しながら走った。湯坪温泉への岐路を左に巻いて曲折を繰り返して、泉水山の裾に出た。よかった、体が覚えていてくれた!
 
 しかし……嘘だろう!山肌が枯草のままなのだ。例年なら3月のうちに野焼きして、真っ黒になった大地からキスミレが溢れるように咲き始め、山肌を黄色の絨毯で飾る。その間に延びる蕨を摘むのが、春の高原ドライブの楽しみだった。
 人手不足のせいなのか、阿蘇では既に野焼きが済んでいるというのに、この時期まだなのか!本来の花時には確かに10日ほど早いが、丈高い枯れすすきに覆われた山肌には、一輪のキスミレさえ咲いてはいなかった。

 諦めて、長者原から「やまなみハイウエー」を東進、牧場の脇の信号から右折して、黒岳登山口の男池(おいけ)に向かって南下した。
 駐車場で降りたところに、黒岳から吹きおろす風にブルっとする。高原はまだ冬枯れ、早春の芽吹きのはしりはあるが、初々しい早緑の新芽で木立が輝くまで、まだまだ時間が必要である。
 男池の透明な流れのそばのベンチでお握りを食べながら、気もそぞろだった。数々の山野草に癒されるために、何度此処を訪れたことだろう!どれほどのシャッターを切ったことだろう!まだ早すぎるとわかっていても、やはり這うように木立の下を探っていた。
 バイケイソウやキツネノカミソリの若い群生が枯れ野を飾っていた。その中に、いたいた、慌て者の山野草が幾つかちらほらと姿を見せる。ネコノメソウ、ハルトラノオ、ジロボウエンゴサク、ヤマエンゴサク、そして小人のボタンのようなヤマルリソウが、枯葉の間から恥ずかしそうに5ミリ足らずの姿を現した。
 此処に、お気に入りの一本の木がある。巨大な岩を鷲掴みにした古木である。
 荒々しく心を鷲掴みされるような快感!コロナの気鬱を掴み取って、早春の木立に解き放ってくれるような気がした。

 僅かな花影だったが十分に満たされて男池を去り、再び「やまなみハイウエー」に戻って東に走り、15時に湯布院の宿に着いた。我が家を出てから160キロ、メインの観光散策路「湯の坪街道」のど真ん中の宿だった。卒業旅行なのか、若い観光客の雑踏を車で分けながら、コロナ自粛の気配さえ感じられない人並みに、早速「温泉三昧の宿籠り」と決めて宿に入った。
 かつての、湯治場の名残を残した湯布院の風情は今はない。俗っぽく観光地化して場末感の漂う今の湯布院で、「天井桟敷」の珈琲以外、行きたいところはない。
                    (2021年3月:写真:鷲掴みの木)

初冬を走る

2020年11月12日 | 季節の便り・旅篇

 運転を任せ、助手席でのんびりと景色に見惚れる幸せを久しく忘れていた。濃霧を抜けてひたすら南下する車窓から、うっすらと色づき始めた紅葉のはしりを眺めながら、旅が始まった。

 GoToキャンペーンの一環、Gotoトラベルで、殆どの温泉ホテルが11月いっぱい満室だった。安くなる分は税金の戻りだから(娘に言わせれば、そのツケは孫たちが担うという)後ろめたさが少しある。長女も次女も、一人で帰って来た時は温泉というのが我が家の定番だった。しかし、長女とはまだ一度し行ったたことがない。こちらにゆとりが出来て旅を楽しむ頃には長女は既に上京していたし、やがて結婚して家族ぐるみの旅となった。
 空き室を求めて、散々ネットや電話で探し回って諦めかかっていたが、帰省前の娘が、ネットで高い宿を見付けてくれた。この際だから、上限なしという条件である。露天風呂付離れ7室だけの超高級な温泉、GoToキャンペーンで35%引いて25,000円(通常だと、一泊36,000円!!)、更に地域クーポンが一人6,000もらえるという。これはもう、行くしかない。

 立冬翌日、黄砂注意報が出る中を、筑紫野ICから九州道に乗った。運転は全て娘任せである。目指すは霧島温泉郷。薄日が差したり、強風注意報が出たり、初日の天候はあまりいいものではなかった。
 八代から東に回り込んで人吉に向かう。曲折蛇行する急流・球磨川沿いを貫く高速道は、トンネルとカーブ、アップダウンの繰り返しとなる。最長6.3キロを筆頭に、24本ものトンネルが続く。かつては熊本県人吉市と宮崎県えびの市の県境には、「加久藤越え」という難所があった。舗装もないカーブが続く峠道で、時折崖下に転落した車が転がっていた。やがてループ橋で難所は回避され、今では高速道路のトンネルが貫いている。

 小林ICで下り、100万本のコスモスで有名な生駒高原を訪ねてみた。天の逆鉾を頂に刺した霊峰・高千穂峰が見下ろす高原は既に花時を終え、荒涼とした中を寒風だけが吹き募っていた。
 近くのワイナリーでピザのランチを摂り、余った時間で霧島神宮を目指した。高千穂峰の裾を大きく回り込んで、色づき始めた木々のトンネルを潜った先に巨大な杉を従えた社殿があった。月曜の午後なのに、思いがけないほどの人混みである。小さな池の畔に、コロナ退散のアマビエの像が立っているのが可笑しい。

 宿の感染防止対策は完璧だった。駐車場まで係が迎えに出て、フロントを通さずに直接部屋に案内される。そこでチェックインの手続きが済めば、あとはチェックアウト迄誰も来ない。ベッドと布団は既に敷いてある。
 7室は全て内風呂と露天風呂が付き、食事も部屋と同じ名前が付いた個室がそれぞれ用意されているから、ほかの客との接触もない。宿泊費の割引より、この「安心感」がGotoトラベルの売りだろう。
 少し鉄の匂いがする茶色がかった温泉は、24時間かけ流しである。内風呂も露天風呂も、大理石の贅が尽くされていた。それぞれに3度ずつ、6度も温泉独り占めを楽しむ癒しの旅だった。

 帰路、ハプニングが待っていた。

 車で10分の丸尾滝を訪れ、熊本県裏阿蘇の高森で田楽のお昼を摂って、阿蘇神社に詣で、阿蘇大観峰から小国経由で日田に下る予定で高速に乗った。地域クーポンは、鹿児島、宮崎、熊本、沖縄4県限定であり、使い切らないと無駄になってしまう。
 八代を過ぎた辺りのSAで、余裕を見て給油に寄ったところ、係員から左後輪のタイヤにエア漏れがあると指摘された。調べてもらったら、何と新品のビスが1本、もろにタイヤに突き刺さっている。このまま気付かずに山道を走り回っていたら、いやその前に高速でバーストしたら大惨事になるところだった。
 応急処置をしてもらい、言われた通り80キロ以下で慎重に走らせ、北熊本SAで遅めのランチを摂ってお土産などでクーポンを使い果たし、予定を切り上げてまっすぐ帰って来た。
 その足でホンダの工場に持ち込んで検査してもらったところ、完璧な処置がされているから、このまま普通に乗っていいという。
 ホッと胸を撫でおろした途端、3人とも俄かに疲れが出た。532キロの娘任せのドライブだった。

 翌日、「鬼滅の刃」の聖地のひとつである竈門神社近くの地鶏専門店で、死ぬほど地鶏の全てを食い尽くして、慌ただしく娘は帰っていった。
 コロナは第3次感染拡大の様相を呈してきている。今度いつ「生存確認」に来てくれるか……そう思うと、いつになく心寂しい娘との別れだった。
                     (2020年11月:写真:霧島・丸尾滝)

飽食の秋旅

2020年10月29日 | 季節の便り・旅篇

 真っ青な空に、斜めにひと刷けの薄い雲が浮かぶ。二つの岩に張られたしめ縄、そう此処は福岡県糸島の二見ヶ浦。温かい日差しを浴びて、まるで春の海のように長閑だった。
 1年と8日振りの海だった。「海が見たい!」というカミさんを乗せて、今日は行き先を告げずに、呼子の加部島から走って来た。貝殻を踏みしめながら砂浜を歩く。楽しそうに戯れる若いカップルが眩しい。岩に囲まれた潮溜まりに遊ぶ小さなフグの魚影が、くっきりと砂地に映っていた。何という透明な海だろう!

 飽食の限りを尽くした。気功仲間の先輩から耳寄りな情報をもらった。早速宿に電話を入れて、3階の海が見える部屋を予約した。
 水城から都市高速に乗り、金の隈から環状線を西に走る。西九州道を過ぎ、いったん下に下りて浜玉から虹の松原を走った。海を恋しがるカミさんの希望に応え、途中から唐津シーサイドホテルに寄って、ロビーから砂浜に下りた。かつて孫たちと泊まって花火をやった思い出のホテルである。

 4時過ぎに呼子の老舗旅館に着いた。今日の狙いは、「伊勢海老アワビ 豪華海鮮尽くしプラン」
 その名の通り玄界灘の贅を尽くした食材を使用し、素材の良さを十分に引き出した料理の数々、しかも夕食・朝食共に、近頃稀な部屋食である。
 新鮮な呼子のイカの活き造り(この日は、アオリイカの姿造りだった)、プリプリの伊勢海老の活き造り(2人に1尾の姿造り)、旬の天然魚刺身の盛り合わせ(真鯛、石鯛など)、季節の前菜5品、アワビの刺し身(小ぶりながら、一人1枚)、サザエのつぼ焼き、煮魚(真鯛の煮付け)、げそ天、蒸し豚、ウニ風味の炊き込みご飯、潮汁など。
 新鮮な魚介類を中心とした会席料理の締めは、加部島名物、おばちゃんたちが作る甘夏ジュレである。

 これで、一人1万からお釣りがくる。所謂35%引きのGoToキャンペーンだった。しかも、一人3千円の地域クーポンが付いてくるから、実質一人7千円!伊勢海老1尾の値段である。
 もう一つ、宿の女将が間違えてオーバーブッキングとなり、部屋を替わることになった。しかし、半分海が見えるし、食が目的だから拘りはない。そのお詫びに、地酒「太閤」の冷酒1本がサービスされるというハプニングまであった。

 呼子の海を挟んで、真正面に加部島が横たわり、その頂に「風の見える丘」公園の建物が見える。
 伊勢海老の刺身の甘い食感、アオリイカの優しいコリコリ感、アワビの胆のほろ苦さ……会話も忘れて、文字通り海鮮に酔い痴れ、ひたすら舌鼓を打ち続けたが、あまりのボリュームに、イカのげそ天、蒸し豚、ウニ風味の炊き込みご飯を半分残してしまった。

 朝、一番の楽しみにしていた伊勢海老の頭の味噌汁で朝食を済ませ、車で4分の「呼子朝市」に立ち寄った。
 この時節、いつもの賑わいはなく、出店の数も少なかった。店番のお婆ちゃんたちも歳を取った。たくさんの生イカを吊り下げ、モーターで傘のように回して生干しを作る呼子名物の「イカぐるぐる」が、道の片隅で回っていた。
 テレビでお馴染みの名物お婆ちゃんの店で鯵の味醂干しを1パック500円で買うと、おまけが2枚ついてくる。生きて泳いでいた鯵子30尾が300円!アラカブ3尾が200円!
 こんなに安いと、6千円の地域クーポンが使いこなせない。地酒「太閤」や、壱岐の麦焼酎などを土産に買って、漸く使い果たした。

 呼子大橋を渡って加部島に寄り、「風の見える丘」公園で景色を愛でた。此処の駐車場でいつも甘夏を売っていた無口なお婆ちゃんは、まだお元気だろうか?ひと籠買うと、おまけを4個ほど乗せてくれた。

 二見ヶ浦で脱・海鮮とピザのランチを摂り、帰り着いたのは2時半。丁度24時間の飽食の旅だった。
 舌先に残る伊勢エビやアワビの甘い余韻を思い出しながら、快晴の秋旅を終えた。
                    (2020年10月:写真:二見ヶ浦・糸島)
  

小さな大旅行

2020年06月16日 | 季節の便り・旅篇

 久々の温泉だった。昨年12月に、アメリカから帰省した次女を連れて、熊本県平山温泉の露天風呂付離れに泊まって以来のことである。隠忍自重、雌伏半年?!……温泉好き、旅好き、ドライブ好きの我が家が、こんなに長く温泉から遠ざかったのは、リタイア以来20年で初めてのことかもしれない。
 例年ならば、大分県男池に春の山野草探訪をして、帰り道に貸切り露天風呂に立ち寄ったり、九重高原をドライブして、長者原の湿原から樹林を回遊する木道を歩いて、そのまま山宿に泊まったり、南阿蘇の隠れ宿で部屋付き露天風呂を楽しんだり……それが我が家だった。
 不要不急の外出自粛、県を跨ぐ旅行の自粛と、コロナに縛られる日々が、もう4ヶ月も続いている。もやもやが日ごと鬱積し、いい加減くたびれ始めていたそんな中に見付けた新聞の折り込みチラシに、間髪を入れずにカミさんが反応した。365日24時間亭主が居て、三度三度の餌を与えなければならない主婦にとって、旅=外食=他人がが作った食事をあげ膳据え膳でいただき、後片付けをしないで済むということは、貴重な「骨休め神事」なのだ。

 11時、誰一人いないロビー。カウンターにただ一人いたマスク姿の女性がチェックインを受けてくれる。温泉宿にしては、部屋に案内する人もいない。部屋に入って着替えを済ませようとしたが、日帰り客に部屋の提供はあっても、浴衣のサービスはない。そのまま、取り敢えず大浴場に向かった。
 広い展望大浴場には、高齢の人影が一つ、背中を丸めて頭を洗っていた。つまり、老人ふたりの貸切り状態なのである。地下200メートルから汲み上げるアルカリ性単純ラジウム温泉の熱源は50度、仄かに硫黄の匂いが混じる掛け流しの湯船は40度ほどに保たれ、滑らかな肌触りに疲れが一気にほぐれていくようだった。少し軋るようなつるつるした肌触りは、嬉野、武雄、原鶴、平山、別府、鉄輪などの温泉とも、ひと味違う感触で心地よかった。
 腱板断裂手術を受けた左肩、山鹿の八千代座での海老蔵公演で痛めた右膝、人工股関節置換手術を受けた左脚股間、帯状疱疹後神経痛が続く右腕……それらの古傷がゆっくりと癒されていく。振り返れば、私の病歴は全て整形系ばかりである。幸い、内臓も脳も、まだ(かろうじて?)今のところ健在である。
 太もものすべすべした肌触りを、女体の太ももに置き換えて妄想するのも毎度のこと(呵々!)幸四郎ほどの逞しい色気はないが、近ごろのアイドルのようなカマキリ脚ではない。毎朝のストレッチと散策で、それなりに引き締まった太ももである。(誰も褒めてくれないから、取り敢えず自画自賛!)

 展望大浴場の窓から遠く、高校から大学を通してひたすら歩き回った健脚向け「三郡縦走コース」の宝満山―三郡山―砥石山―若杉山と連なる山並みが望まれ、部屋のソファーに座れば、目の前に天拝山が迫る。手前を横切る九州道……そう、ここは太宰府市の隣り、筑紫野市湯町の「二日市温泉」の「D荘」。我が家からひた走って、何と6.3キロ、15分の最も近い温泉である。小さい旅行だが、我が家にとっては大旅行にも相当するリッチな時間だった。
 かつては、大宰府天満宮詣、所謂「宰府まいり」の宿場であり、芸者遊びも出来る温泉場だった。しかし、JRや私鉄が伸びたことによって、福岡から僅か20分ほどで結ばれるようになり、宿場としての存在価値を失っていった。柳が揺れていた川も暗渠となり、万葉の時代から守られてきた風情も喪われていった。宴会や団体客も、このコロナ騒ぎが一切を奪い、大々的に折り込みチラシを撒いた今回の企画も、平日の今日は僅か2組だけだった。

 近年稀な部屋食というのがいい。決して高価な食材ではないが、有田焼の器の数々に盛られた料理は手綺麗で美しく、自宅食を続けていたカミさんにとっても、嬉しく、楽しく、美味しいランチとなった。
 福岡市内出身ながら、すでに20年この旅荘の寮に暮らす仲居さんが気安くもてなしてくれた。食後の憩いのあと、再び大浴場を独り占めした。3時間、期間限定の夏ランチ「彩(いろどり)紀行」、温泉と部屋食付きでまったりと寛いで、3,800円の満ち足りた時間を堪能した。

 因みに、目前に迫る天拝山……かつて都から大宰府に左遷された菅原道真公が、都に帰ることも叶わぬままに亡くなり、この天拝山から龍神となって京都に飛んだ。京の街の諸所に雷を落として暴れまわったが、唯一菅原家所領の「桑原」という所には雷が落ちなかった。後世人々が、雷が鳴ると「くわばら、くわばら!」と唱えながら頭を抱えて身を伏せるようになった所以の逸話である。桑原という地名は、今も京都の道路脇の小さな空き地として残っている。

 梅雨の合間の夏空には、小振りな入道雲が幾つも湧き立ち、天拝山の裾をシラサギが斜めに飛んだ。梅雨本番は、まだまだこれからである。
                        (2020年6月:写真 夏ランチ「彩紀行」)