蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

居直れず、抗う!

2020年11月22日 | つれづれに

 もう20年近い付き合いだった。リタイアして程ない頃、徒歩10分の近場に新しいクリニックが開院した。医師の気さくな人柄に加え、いつも明るい笑い声が絶えない看護婦さんに惹かれ、我が家のホームドクターと決めた。
 診察券の番号がまだ二桁の若い番号で、今ではもう古株の患者になってしまった。風邪気味で駆け込むと「あなたが来たから、そろそろ風邪の季節だね!」と戯れ合うほど馴染みになり、カミさんの日常のケアも安心して任せるまでになった。
 私の好きな山野草の写真の画廊でもあり、毎月3枚の写真を季節毎に選んで待合室の壁に展示し続けて、これももう15年以上続いている。
 数年前に6階建ての大きな病院を居抜きで買って移転し、入院可能な病院となった。高齢者を中心に多数の入院患者で常に満室状態だが、カミさんが腸閉塞を起こしかけたときの駆け込み入院先として、いつでも部屋を用意してくれる。居抜き故の古い空調や照明、トイレ、壁紙など、苦労しながら徐々に改築が進んでいた。
 移転しても我が家からの距離は変わらず、ホームドクターとして、いずれは此処で看取ってもらう約束まで交わしている。

 1週間前、いつも出してもらっている薬をもらいに行ったところ、平日なのに「休診」の看板がかかり、「定期的に出している薬の処方発行だけ受け付けます」と掲示されていた。
 待合室は無人、受付カウンターに二人の職員がいるだけで閑散としており、時折職員が慌ただしく廊下を行き来している。処方を受け、会計を済ませるときに小声で訊いてみた。
 「急なお休みですね。何かあったんですか?」
 「実は、入院患者さんにコロナの陽性が出まして……」

 返してもらった保険証と診察券も出口で消毒、帰ってすぐにマスクも廃棄、うがい、手洗い、鼻うがいして、やっと胸を撫でおろした。
 足元でのクラスターの発生だった。以来1週間で、陽性者は22人に増え、とどまるところを知らない。足元に火が付いた。燃え広がるかもしれない、不気味な火である。

 世界的に、そして全国的にも第3次感染が拡大している。そんな中で、GoToキャンペーンだ、オリンピックだと、信じられないような政府の姿勢は変わらない。
 スガは無能な人間にありがちな人事権をひけらかす恐怖政治で権威・権力を守ろうと汲々としており、都合の悪い質問には決して答えない。「自助・共助・公助」といかにも立派に聞こえるが、要するに「自分で決めなさい。罹っても私は知りません」という責任逃れであるし、都道府県知事に丸投げして「GoToキャンペーンで感染が拡大しても、私は、知ったことじゃありません」という愚劣な姿を、国民に曝しているだけである。(怒)
 東京都知事も、相変わらずマスク・ファッションと言葉遊びに酔い痴れている。

 「これだけ用心しても、罹る時は罹る!」という諦めにも似た居直りの半面、「ここまで生きて来て、コロナ如きでくたばってたまるか!」という怒りにも似た抗いが気持ちを奮い立たせる。

 季節外れの汗ばむほどの日差しに誘われて、いつもの散策路に歩きに出た。ツマグロヒョウモン、キチョウ、モンシロチョウ、ヤマトシジミなど、中にはこの季節にいる筈のない蝶までが飛び交っている。もう蛹で冬越しに向かっている季節なのに!?
 昨日の新聞の投稿欄にも、越冬に備えていたアゲハチョウの蛹が、この陽気に羽化してしまったという記事があった。今頃生まれても、伴侶に巡り合うチャンスは少ない、子孫を残せないままに、戻ってくる寒波に曝されてしまうのだろう。
 束の間の日差しを浴びながらタンポポの蜜を吸う蝶が、いつになく愛おしかった。

 野うさぎの広場への山道は、今日も木漏れ日が溢れていた。コロナと政治を忘れた、1万歩の昼下がりだった。
                      (2020年11月:写真:木漏れ日の散策路)
    

初冬を走る

2020年11月12日 | 季節の便り・旅篇

 運転を任せ、助手席でのんびりと景色に見惚れる幸せを久しく忘れていた。濃霧を抜けてひたすら南下する車窓から、うっすらと色づき始めた紅葉のはしりを眺めながら、旅が始まった。

 GoToキャンペーンの一環、Gotoトラベルで、殆どの温泉ホテルが11月いっぱい満室だった。安くなる分は税金の戻りだから(娘に言わせれば、そのツケは孫たちが担うという)後ろめたさが少しある。長女も次女も、一人で帰って来た時は温泉というのが我が家の定番だった。しかし、長女とはまだ一度し行ったたことがない。こちらにゆとりが出来て旅を楽しむ頃には長女は既に上京していたし、やがて結婚して家族ぐるみの旅となった。
 空き室を求めて、散々ネットや電話で探し回って諦めかかっていたが、帰省前の娘が、ネットで高い宿を見付けてくれた。この際だから、上限なしという条件である。露天風呂付離れ7室だけの超高級な温泉、GoToキャンペーンで35%引いて25,000円(通常だと、一泊36,000円!!)、更に地域クーポンが一人6,000もらえるという。これはもう、行くしかない。

 立冬翌日、黄砂注意報が出る中を、筑紫野ICから九州道に乗った。運転は全て娘任せである。目指すは霧島温泉郷。薄日が差したり、強風注意報が出たり、初日の天候はあまりいいものではなかった。
 八代から東に回り込んで人吉に向かう。曲折蛇行する急流・球磨川沿いを貫く高速道は、トンネルとカーブ、アップダウンの繰り返しとなる。最長6.3キロを筆頭に、24本ものトンネルが続く。かつては熊本県人吉市と宮崎県えびの市の県境には、「加久藤越え」という難所があった。舗装もないカーブが続く峠道で、時折崖下に転落した車が転がっていた。やがてループ橋で難所は回避され、今では高速道路のトンネルが貫いている。

 小林ICで下り、100万本のコスモスで有名な生駒高原を訪ねてみた。天の逆鉾を頂に刺した霊峰・高千穂峰が見下ろす高原は既に花時を終え、荒涼とした中を寒風だけが吹き募っていた。
 近くのワイナリーでピザのランチを摂り、余った時間で霧島神宮を目指した。高千穂峰の裾を大きく回り込んで、色づき始めた木々のトンネルを潜った先に巨大な杉を従えた社殿があった。月曜の午後なのに、思いがけないほどの人混みである。小さな池の畔に、コロナ退散のアマビエの像が立っているのが可笑しい。

 宿の感染防止対策は完璧だった。駐車場まで係が迎えに出て、フロントを通さずに直接部屋に案内される。そこでチェックインの手続きが済めば、あとはチェックアウト迄誰も来ない。ベッドと布団は既に敷いてある。
 7室は全て内風呂と露天風呂が付き、食事も部屋と同じ名前が付いた個室がそれぞれ用意されているから、ほかの客との接触もない。宿泊費の割引より、この「安心感」がGotoトラベルの売りだろう。
 少し鉄の匂いがする茶色がかった温泉は、24時間かけ流しである。内風呂も露天風呂も、大理石の贅が尽くされていた。それぞれに3度ずつ、6度も温泉独り占めを楽しむ癒しの旅だった。

 帰路、ハプニングが待っていた。

 車で10分の丸尾滝を訪れ、熊本県裏阿蘇の高森で田楽のお昼を摂って、阿蘇神社に詣で、阿蘇大観峰から小国経由で日田に下る予定で高速に乗った。地域クーポンは、鹿児島、宮崎、熊本、沖縄4県限定であり、使い切らないと無駄になってしまう。
 八代を過ぎた辺りのSAで、余裕を見て給油に寄ったところ、係員から左後輪のタイヤにエア漏れがあると指摘された。調べてもらったら、何と新品のビスが1本、もろにタイヤに突き刺さっている。このまま気付かずに山道を走り回っていたら、いやその前に高速でバーストしたら大惨事になるところだった。
 応急処置をしてもらい、言われた通り80キロ以下で慎重に走らせ、北熊本SAで遅めのランチを摂ってお土産などでクーポンを使い果たし、予定を切り上げてまっすぐ帰って来た。
 その足でホンダの工場に持ち込んで検査してもらったところ、完璧な処置がされているから、このまま普通に乗っていいという。
 ホッと胸を撫でおろした途端、3人とも俄かに疲れが出た。532キロの娘任せのドライブだった。

 翌日、「鬼滅の刃」の聖地のひとつである竈門神社近くの地鶏専門店で、死ぬほど地鶏の全てを食い尽くして、慌ただしく娘は帰っていった。
 コロナは第3次感染拡大の様相を呈してきている。今度いつ「生存確認」に来てくれるか……そう思うと、いつになく心寂しい娘との別れだった。
                     (2020年11月:写真:霧島・丸尾滝)

生存確認

2020年11月12日 | つれづれに

 戸建てばかりの小さな住宅団地である。20年前から6年間自治会長を務め、全ての世帯の住民台帳を管理していた。子供たちから高齢者まで、道端で会う人たちのほとんどが顔見知りとなり、「どこで倒れても大丈夫だね!」と軽口を叩くほど、住民同士の交流があった。
 住民の訃報は組長を通じて自治会長に届けられ、すぐに享年、通夜葬儀の日時を全世帯にメモとして配布、交流の密度に応じて、それぞれが仏事への参列などを行って来た。

 個人情報に煩くなって以来、徐々にそんな情報交流が薄れていった。そして、ここ数年で、殆ど町内の訃報を知ることがなくなった。今年、一段と「誰にも言わないで!」という訃報が、ひそかに囁かれることが増えた。コロナのせいばかりではないだろう。
 気功の集まりで、メンバーが耳にした訃報の噂をまとめてみた。今年になってから10月までに、既に12人が物故者となっていた。私が担当した6年間の物故者は36人、年平均が6人だから、その倍!ほぼ10軒に一人が亡くなっていることになる。しかも、昨年から歴代自治会長が3人も亡くなった。年齢的には次は我が身と思うと、さすがに少し滅入るものがある。
 高齢化、世代交代が進んでいるだけの当たり前の現象ではあるが、あまり気持ちのいいものではない。

 コロナ籠りが、一段と人と人とのナマの交流を希釈していく。特に高齢者にとっては、人との交流が断たれることは、認知機能の劣化につながる由々しい事態である。まして、情報弱者と言われるアナログ人間が多いから、若い人たちのように、ネットの中で世界を広げることも出来ない。
 我が家は、カミさんと二人共そこそこにパソコンとスマホを使いこなして(?)いるが、所詮は指先でつながる小世界であり、ナマの交流とは比べようがない。気が短く、弱くなっていく自分を感じながら、狭い日常生活圏の中で、マスク・手洗い・うがいを重ねる短い余生を愛おしんでいる。

 そんな老親の日常を心配して、長女が横浜から「生存確認」にやった来た。昨年亡くなった私の妹の一周忌の日、丁度1年振りの帰省だった。(その一周忌も、時節柄お寺が合同で執り行い、参列者は家族だけに制限されて行くことが出来なかった。)
 航空券だけ買うより、ホテル1泊付きの方が安くなるという不可解な仕組みを使い、福岡市内のホテルで「自分一人の時間」を楽しんで、翌日やって来た。

 パソコンとスマホの「情報弱者サポート」だけでほぼ一日分の時間が費やされる。高いところがついつい疎かになる年寄り所帯の台所周りの片付けや掃除など、てきぱきと済ませてくれた。おそらく私の母の時代からと思われる、昭和時代のベーキングパウダーが戸棚の奥から出てきて、これはもう笑うしかない。
 横浜から立川まで、電車を乗り継いで1時間半の通勤をこなしている娘である。コロナへの感染対策は徹底しているから、微塵も心配はしなかった。それでも、食事の時以外は家の中でもマスクを外さない徹底振りだった。

 親として感謝の気持ちを表すには、結局美味しいものを食べさせるくらいしか出来ない。歩いて10分の近場にある、糸島の新鮮な魚を食わせてくれる店で、河豚のフルコースを奢った。鰭酒から始まって、刺し身、唐揚げ、ちり、雑炊、デザートで五千円ほどという、都会では信じられないほどの値段である。刺身も、絵皿の下地が透ける薄造りではなく、豪快な厚切りの歯ごたえがたまらない。下戸なのに、このコースの香ばしい鰭酒は外せないのだ。

 冬が立った。驚くような速さで、師走が走りこんでくる。
                    (2020年写11月:写真:河豚刺し)

近付く足音(晩秋徒然)

2020年11月03日 | 季節の便り・花篇

 「ピチン!」と弾ける音が微かに聞こえそうなほど、ピンクが跳ねる、白が揺らぐ。直径7ミリほどの小さな花が輪状に開き、まるで秋の花火のようだった。

 たった今まで、眩しいほどに差し込んでいた日差しで、部屋の中は春のように温かい。ガスストーブ、ホットカーペット、加湿器……我が家の冬の「三種の神器」も、もう整えた。身体以外は、冬への準備万端である。後期高齢者講習修了証明書も手にした。

 スッと陰った日差しに、俄かに吹き始めた風が冷たくなる。今日の最高気温は午前中に出て、午後から次第に寒くなるとテレビが報じていた。「木枯らしのはしり」だと。霜月、もう木枯らしが悪戯小僧のように庭木立の影を奔り抜けてもおかしくない時節である。

 神無月師走の先週土曜日、8ヶ月半振りでJRに乗り、快速で15分の博多駅に出た。マスクで武装し、吊り革など車内のどこにも触れないように気を使いながら、空いていた席に座った。昼下がりのせいか、それほどの混雑ではない。しかし、博多駅構内は想像以上の混雑だった。稀に、マスクなしの非常識な若者の姿も見える。人混みに流されながら早々に横断歩道を渡り、目的の建物に入った。
 久し振りの人混みは、何となく緊張感に包まれ、すっかり疲れてしまった。コロナに倦み、コロナに疲れ、いつの間にかコロナに毒されてもいる。

 そんな中に、嫌いな冬がやって来る。コロナを伴い、インフルエンザを連れて。1兆数千億円を掛けたアメリカ大統領選挙が終わる。醜い罵詈雑言を交し合う選挙運動の中で感染に歯止めがかからず、ヨーロッパでも危機的状況が再来しつつある。
 そのアメリカの次女から「GoToキャンペーンなんて、日本は何てバカなことやってるの!」と呆れ果てたようなメールが届く。「アメリカに、何にも学んでないの?」
 確かに、今後爆発的感染拡大があるとすれば、その元凶はGoToキャンペーンということになるだろう。
厳戒地区のカリフォルニアに住み、さらに史上最悪の山火事の煙と灰に悩まされながら、ひたすら自粛している次女だが、PCR検査は近くの薬局でいつでも無料で受けられる環境にある。進化しない日本の検査体制も、彼女には「信じられない事態」なのだろう。
 先日、掛かり付けのホームドクターに、インフルエンザの予防接種を受けながら訊いた。「政府は、掛かり付けの医療機関でPCR検査が出来るようにすると言ってるけど、先生の所もOK?」
 答えは「NO!」だった。「院内感染を防ぐ為の万全の体制なんて、一般の病院で出来るわけないよ!」
 いつものことながら、政治家の目と実態には、これほどの大きな開きがある。総理が変わっても全く変わらない中途半端な政策に踊らされながら、厳しい冬がやってくる。

 娘たちにも、もう1年会ってない。アメリカの次女は勿論当分絶望的だが、横浜の長女に「そろそろ、老親の生存確認に来ないか?」と謎を掛けたら、こっ酷く拒否された。「ここまで用心して自粛してるいのに、関東から行って親に感染させたらどうするの!わたしは、親殺しにはなりたくない!!」
 そう啖呵を切った長女が、実は帰ってくることになった。完全武装で1時間半かけて横浜から八王子まで働きに通っている娘である。感染防止するすべは知り尽くしている。「十分用心して帰るから、大丈夫だよ!」と、やはり、老いた両親のことは気に掛かっていたのだろう……これが、娘心。
 会える時に会っておかないと、これ以上感染が拡大して再び緊急事態宣言が出るような事態になったら、もういつ会えるかわからない。こちらも、さらに用心しながら迎えることにした。
 河豚コースを食わせ、温泉にでも連れて行ってやろう……これは、親心。
 
 45年前に仕事を共にした沖縄の仲間から、思いがけないコメントが届いた。皆に羨まれながら娶った可愛い奥様も同じ仕事仲間だった。半世紀近い歳月が、一気に折り畳まれて懐かしかった。

 13年間、旅を共にした一眼レフが壊れた。「この年で新調して、あと何年使える?」と散々迷った挙句、回りからの勧めと励ましもあって「アベの10万円」を使って買い替えた。私の最後の道楽である。「アベの10万円」は、財源としてはもう使ってしまっているが、口実としてはまだ何度も使える(呵々)
 小型軽量を求めて、初めてミラーレスの一眼レフにした。標準レンズと200ミリの望遠レンズがセットされて、ほぼ「アべの10万円」で賄えた。しかも、1万円ほどのマウントを買い足すと、今まで使っていたカメラの標準ズーム、60ミリのマクロレンズ、300ミリの望遠レンズも使えるようになった。

 マクロレンズに接写レンズを噛ませて、初めてファインダーに捉えたのが、開き始めたイトラッキョウだった。白とピンクの花が、弾けるように輪状に開き、まるで花火のように鉢の中で輝いていた。
 3鉢に増やした1鉢を友人に贈り、「形見分けの先渡し!」とふざけながら、近づく冬の足音を遠くに聴いていた。
                         (2020年11月:写真:ピンクのイトラッキョウ)