ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。日々の生活、旅する心、アメリカ滞在のつれづれを書き綴っていきたいと思っています。

さあ、夏だ!山笠終わり、蝉しぐれ、

2016-07-16 06:03:08 | 日々の中で

15日早朝の「追い山」で、15日間の山笠が終わった。今年も各地に瞬間豪雨をもたらした梅雨もソロソロ開けることだろう。

幸い、従弟がチケットを入手してくれたので、なんと!半世紀ぶりにお念願の櫛田サンでの【追い山ならし(12日)】をご隠居と見ることになった。(15日の「追い山」はチケットを手に入れるのは無理)夜来の豪雨も櫛田神社に向かう頃には、雨も上がり、青空も覗いて、蒸し暑いとはいえ良い祭り日和となった。

 

山笠は幼い頃からの思い出に繋がる。無邪気で日々楽しく過ごしていたあの頃。浴衣を着て祖母に手を引かれての【飾り山見物】櫛田神社迄走って行ってあの熱気を感じた朝、疾風の如く駆け抜ける【曳山】を担いだ男達、【勢い水】がかかると一瞬にして湯気となって舞い上がるあの光景・・・夏が来ることを肌で感じる季節にはいつも山笠があった。

結婚して転勤はじめ人生の諸々の道筋の中で、太宰府を終の棲家と定めて、いつの間にか山笠は遠い想い出の中で息づく祭りとなった。

追い山」に行きたいなと思いながらも、気が付くと山笠は終わっていた、そんな感じで年月が流れていたのだが、今年は思いがけず【清道旗】の前で、間近に見ることが出来、人生でやり残したこと、見残したことの一つが完結(大げさだが)そんな気持ちを味わった。15日本番に向けての「追い山ならし」は距離が短いだけ、勢いも本番さながら。

ルーツを辿れば、私の実家の父方は川端流れ、母は東流れだった。私が育った頃は父は福岡天神近くに住んでいた(だから空襲で家は消失。戦災時の恐怖を体験した)が、祖父母からの博多っ子気質は受け継いでいるような気がする。ご隠居の父は関東出身だが、母は千代流れの人である。

  

 

山笠限定の【祇園饅頭】などを境内でお土産に買う。高揚したお祭り気分に包まれながら、祖父母のことや幼い日の博多の街のことなどが、胸を熱くする。私は周りに可愛がられ、幸せな幼い日を過ごしていたんだなと、改めて感謝の気持ちが溢れた祭りの日だった。

 

女の子も小さな子は締め込み水法被で、祭りに参加。子供達の祭り姿はほんとに可愛い。

今朝、ご隠居が6月29日に初めての蝉が生まれて以来、今日7月16日で95匹目の誕生だと話している。昨年は80匹だったそうだ。今夏の蝉しぐれ、庭を覆い尽くすことだろう。

夏が来る!

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蒸し暑い!ひたすら蒸し暑い!

2016-07-05 05:10:02 | 日々の中で

7月に入った。目覚めてまずシャワーを浴び、庭に出る。【石穴神社の杜】のあたりの雲は、暁の色に染まり始めている。頬を撫でる風は心地良い。梅雨の合間のひと時の清涼感。月下美人も次の蕾を膨らませ始めている。

もう少し歩行に自信がついたら、いつもの【早朝散歩】を始めたいと思っているのだが、治ったようでまだ何となく違和感があったり、足首の腫れが引かなかったり。

<6月の観劇>

 博多座での【中村雀右衛門襲名披露公演】が久々に役者さんの層も厚く、演目も充実していて、仲間と何度か足を運んだ。御隠居サンも【掛け声】掛けるのを楽しみに。

特に仁左衛門サンの「熊谷陣屋」(平家物語に描かれる若武者敦盛と熊谷次郎直実の物語)は、時代を超えて胸迫るものがあった。深い色合いの口跡(台詞)の見事さ、動きの一つ一つに演じる者の心が行き届いていて・・・良い舞台を見たなあと満足だった。

五郎サンの「身替り座禅」はじめ昼夜とも充実していた。新・雀右衛門サンは、きっちりと丁寧な赤姫を見せてくれた。6月歌舞伎に関しては、自分自身の観劇記録の「歌舞伎】ブログに、UPしておきたいと思っている。

    

<6月の温泉> 熊本・平山温泉へ。

熊本大地震で客足が落ちた温泉地から【来て下さることが救援!】との葉書が舞い込む。まずは医者の『温泉の中で足をぐるぐる動かすのもリハビリに良いですよ』を実行。本当は治療には滞在型でないといけないけど、”気は心”(笑)

湯質が気に入っている熊本・平山温泉へ。宿の人の話では「このあたりは直接の被害はなかったけど、やはりお客様が少なくなって」とのことだった。

 

最近は部屋に露天風呂が付いた、離れ屋様式が気に入っているというか、煩わしさもなく、好きな時に何度もお風呂を楽しめるし、大風呂などで隣国の人達と一緒になることもない。我が家の延長のような時間にお風呂と食事が付いたそんな感じが、心地よくなった。これもトシかなあ。煩わしいことが嫌いなご隠居は勿論、こういう形式の宿がお気に入りである。

食事は別室の一部屋で。料理も品数はともか、一つずつの量が私達に程よいくらいで地産食材中心に用意されている。気が付いたら完食。戦中・戦後に育った私達は、出された料理を残すことに罪悪感を覚える世代だから、このくらいが程よくて。食べ過ぎ感がないのが心地よかった。

    

部屋付き露天風呂の写真撮り忘れたので、『湯の蔵HP』より拝借しました。

デザートのあと、おにぎりが二つ屋形型の入れ物に入って【お夜食用に】と渡された。夜食までは入らないよ・・・なんて思っていたが、お風呂に入ったりしていると小腹がすいて、おにぎりも感触、美味しかった。良い配慮だと思う。

お風呂はかけ流し。とろりと肌に柔らか。温度42度。外気に当たるので程よい温度となっていた。気楽に出たり入ったり出来るのが、何よりものんびり感と湯治感がある。

 

帰路は例によって、道の駅経由で帰宅。次は南阿蘇あたりに・・・と思っているが、よく出掛けていた温泉は休業?らしい。余震がおさまり、ドカ雨の梅雨が明けて仮設住宅などが一日も早く経って、皆さんの生活が少しでも落ち着きますように、願うしかありません。

<6月人との往来>

親しい友人夫婦が泊まりに来て、彼女達お気に入りのミニ・フレンチのレストラン「きくち亭」で私のC型肝炎消滅祝いをしてくれた。遠方より我が家に来泊して、一緒に歌舞伎観劇を楽しもうと張り切っていた友人は、急に心臓のMRIを受診する羽目に来福取りやめ。落ち着いたら又機会があるからね。

知友人の入院や友人のご主人様の訃報やなど、世代的にそういう出来事に遭遇することが多くなった。

義妹も階段踏み外して(高いところからではなかったのだが)右足・右手骨折。ご隠居の妹は、若い頃映画界にという声がかかったりするほどに愛くるしい顔立ちで、望まれて結婚。恵まれた環境でゆったりと暮らすだろうと思われていたのだが、3番目の子を産んだ時に妊娠中毒症になり後年透析を受けることとなった。

義妹は兄・弟(ご隠居)の下の一人娘。私も結婚前ご隠居と付き合っていた頃、彼女がまだミッションスクールの制服の頃から、姉代わりのようなものだった。勤めの経験のない彼女が「働いてみたい」というので、私の勤め先の会社でのアルバイトを紹介したり。ご隠居は卒業t同時に婚約、就職して名古屋の新人研修生活に入り、私はその間も姑に頼まれて、ご隠居の実家で義妹とお布団並べて泊まって、色々相談を受けたり、話を聞いたり。

その妹が透析を受ける身体となり、40代で夫を亡くし、経済的には豊かな家に嫁いでいたので働かなくても良かったけど・・・人生には時として思いもよらない出来事が待っているものだなとしみじみ思う。

幸い3人の子供に恵まれ、1人は同居、2人は結婚して福岡近辺暮らし。幼い頃毎夏我が家で林間学校のように過ごしていた甥や姪も40代となった。独居ではないから安心はしているのだが。やはり気になって仕方がない。と言って姑の時のようには気を配ることは出来ない。私自身が年をとってしまったし。

先日「H子さんを見舞いに行こうよ』ご隠居はやはり妹の入院姿を見るのは切ないのか、なかなか神輿が上がらない。前に行った時がかなり酷かったので、気になって気になって、急きたてて見舞いに行った。

思ったより元気で、差し入れのお寿司を喜んでくれた。病院生活の無聊をかこっていたらしい。暫くお喋りなどして、元気が戻ってきた姿にほっと安心した。二階での寝起きを一階に。介護ベッドを使って、とにかく無理のない生活を心がけることだと私も思う

<やがて梅雨明け>

今年初の蝉の羽化。昨年は庭で70匹生まれた(これは昆虫大好き老年の御隠居サンが記録をとった数)庭には丸い穴がアチコチ沢山開いていたが、今年はどうだろう?

 

 

御隠居サン、撮影。6月29日羽化 第一号 ヒグラシ。さあ、夏がやってくる。

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今年も咲きました。一夜限りの月下美人。

2016-06-30 08:05:02 | 日々の中で

6月26日、今年初めての月下美人が咲きました。

40年前こっそり沖縄から持ち帰った社宅庭の月下美人の葉2枚。

庭いじりの好きな舅が育て、夫が引き継ぎ、幾つもの鉢に増えました。

この南国の花は、ご近所や友人達にも差し上げ、花が開きそうな日には【月下美人の宵】

銀白の花びらが少しずつ開いていく様子を眺めながら・・・馥郁たる香りに包まれて。

夜明けとともに、花は一夜限りの命を終えます。しぼんだ花弁は、

チョット茹でて甘酢で和えたり、冷凍して鍋物にいれたり。薬膳食材でもあるんです。

梅雨が終わると、灼熱の夏が始まります。

 

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山笠準備中 ちょっと見。

2016-06-27 11:04:59 | 日々の中で

 先日22日でしたか、博多座【夜の部】に行く前に、ちょっと【櫛田神社】と【博多町屋ふるさと館」へ立ち寄りました

間もなく【博多山笠】が始まりますので、それにちなんで、”愛らしかあ、赤ちゃんの山笠化粧まわし展”が企画されてそれに叔父や従弟達の幼いころの写真や衣装などが展示されているとのことでしたので。

 

  

博多独楽などの郷土玩具や、【どんたく松囃子】を人形で・・・。博多織や曲げ物の実演も披露、外人(白人さんが多かった)や観光客に、【博多御寮人サンの会】の方やボランティアの方が説明していらっしゃった。

お櫛田さん(櫛田神社)にちょっと立ち寄りました。

山笠見物席(スタンド)準備中。街中ですから狭い神社の境内に、こんなのを組み立てて・・・昔は、気楽に走って【追い山】見に行っていました。なんか・・・時代変わったなあ。どこにっても【観光国日本】になっています。良いことなのかどうなのか?

ついでにすぐ近くの実家の菩提寺【萬行寺】さんにお詣り。ご先祖様にご挨拶。

  

川端商店街を通って博多座へ。この商店街は、中洲が近いせいか、衣料を扱う店は殆どがお水系のお姉さま方用の、派手なのドレスの様な服ばかり「わあ、こげん、短かかドレスば着んしゃっちゃろうか!!」

 担ぎぐあいはどげんやろうか」と試しているようです。これは曳山。動きます。【飾り山は】別に。文字通り飾って皆さんが眺める山です。制作は博多人形師。山笠が終われば、一気に壊されてしまいます。

8番山笠の曳山は博多座で襲名披露の雀右衛門丈の演目【本朝二十四孝】でした。

見上げるとこんなのが!色んな博多弁が。

 

好いと~】(遠くから見つめて、好いと~・・・現代っ子はまだるっこしいでしょうね)

【好か~~ん】(ほんとに嫌いではない時も、若い子が照れくさそうに言うと可愛い・・・と思うんだけど)

山笠迄あと数日・・・・今年は太宰府から懐かしの博多へ…山笠見物に行こうかなあ。

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想い新たに。

2016-06-26 08:27:09 | 日々の中で

 

6月23日 沖縄慰霊の日

 私がご隠居の転勤で沖縄に移り住んだのは、もう40年以上前の春だった。3月というのにノースリーブで過ごせる南国、陽光はあくまでキラキラと眩しく、もくもくと雲は白銀に輝き、海はエメラルドグリーンにどこまでも透明で、優しい波が寄せる足元には小さな色鮮やかな熱帯魚達の姿があった。

 そんな明るい強烈な南国の自然の中に、深い哀しみがあることを、子供の学校や生活を通して沖縄の人達と親しくなるにつれ、また、娘の通う学校には図書室がなかったので、太宰府時代に関わっていた【子供文庫】を週に一回自宅解放して始めたので、それを通じて子供達やそのお母さん達やおばあさんたちとも話す機会が多くなった。戦跡などををみるにつけ、沖縄の悲惨な過去を知ることになった。 かって琉球という穏やかな小さな独立した王国だった沖縄は、中国と日本のはざまで揺れ動くこととなった。鹿児島の薩摩藩のもとに降ることとなり、日本国の植民地と化した。そして戦争に巻き込まれ、本土決戦を避けるための捨て石となった。

住民の4人に1人の死者。アメリカ軍に追われ追われて、逃げ惑うしかなかった島の人達、ジメジメしたガマ(鍾乳洞)に隠れ潜み、集団自決をした人たちの痕跡がまだ生々しかった。生き残って指や腕をなくした野菜売りのオバンなど、身近かにそんな人たちが。切ない想いや申し訳ない想いに何度馳られたことだろう。

暖かな南国の人達は、もともとのびやかで心優しい。私は嫌な想いをしたことはなかったが(ダメな医者に巡り合ったことで、ひどい目にあったことは別として)ご隠居は、本土(ヤマトンチュ)への反発の最も激しい時期の会社立て直し目的での転勤だったので、非常にキツイ体験・想いをしたようだ。それでも、仕事を離れての個人的な付き合いなどでは、沖縄を理解しようとする姿勢があれば、素直に暖かく迎えてくれる、本来の沖縄の人の優しさに魅せられている。

観光で訪れる人達は、自然の美しさを愛でるとともに、独自の文化(紅型染めはじめ壺屋焼きなどの陶芸、漆器、ガラス工芸、琉球舞踊、芝居、民謡などなど色々な文化)を育ててきたこの島は、基地問題など、71年経っても戦後は終わっていないことを、観光だけでなく日本の抱える問題として見て来て欲しいなといつも思う。

 観光地となった戦跡【摩文仁の丘】からは美しい海が広がるが、その海に向かって崖から集団で飛び込んだ人達のいることを。「捕虜になるのは恥。男は殺され、女は犯される」と教え込まれた住民たちは、自らそういう道を選ぶしかなかった。日本兵は沖縄の人を同じ日本人とみてくれず、土着民扱いで、アメリカ兵より日本兵の方が怖かったという人たちも多い。暴力や凌辱も多かったようだ。聞くに忍びない話だった。個人個人は良い人なのだろうが、戦争は人を変えてしまうのかもしれない。

 広島や長崎は身近かであっても、沖縄は、どこか遠い存在と本土に住んでいる私達は、無意識に思っているのではないかということを。この日改めて思った。

 

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