ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。日々の生活、旅する心、アメリカ滞在のつれづれを書き綴っていきたいと思っています。

山笠準備中 ちょっと見。

2016-06-27 11:04:59 | 日々の中で

 先日22日でしたか、博多座【夜の部】に行く前に、ちょっと【櫛田神社】と【博多町屋ふるさと館」へ立ち寄りました

間もなく【博多山笠】が始まりますので、それにちなんで

”愛らしかあ、赤ちゃんの山笠化粧まわし展”が企画されて、それに叔父や従弟達の幼いころの写真や衣装などが展示されているとのことでしたので。

 

  

博多独楽などの郷土玩具や、【どんたく松囃子】を人形で・・・。博多織や曲げ物の実演も披露、外人(白人さんが多かった)や観光客に、【博多御寮人サンの会】の方やボランティアの方が説明していらっしゃった。

お櫛田さん(櫛田神社)にちょっと立ち寄りました。

山笠見物席(スタンド)準備中。街中ですから狭い神社の境内に、こんなのを組み立てて・・・昔は、気楽に走って【追い山】見に行っていました。なんか・・・時代変わったなあ。どこにっても【観光国日本】になっています。良いことなのかどうなのか?

ついでにすぐ近くの実家の菩提寺【萬行寺】さんにお詣り。ご先祖様にご挨拶。

  

川端商店街を通って博多座へ。この商店街は、中洲が近いせいか、衣料を扱う店は殆どがお水系のお姉さま方用の、派手なのドレスの様な服ばかり「わあ、こげん、短かかドレスば着んしゃっちゃろうか!!」

 「担ぎぐあいはどげんやろうか」と試しているようです。これは曳山。動きます。【飾り山は】別に。文字通り飾って皆さんが眺める山です。制作は博多人形師。山笠が終われば、一気に壊されてしまいます。

8番山笠の曳山は博多座で襲名披露の雀右衛門丈の演目【本朝二十四孝】でした。

見上げるとこんなのが!色んな博多弁が。

 

【好いと~】(遠くから見つめて、好いと~・・・現代っ子はまだるっこしいでしょうね)

【好か~~ん】(ほんとに嫌いではない時も、若い子が照れくさそうに言うと可愛い・・・と思うんだけど)

山笠迄あと数日・・・・今年は太宰府から懐かしの博多へ…山笠見物に行こうかなあ。

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想い新たに。

2016-06-26 08:27:09 | 日々の中で

 

6月23日 沖縄慰霊の日

 私がご隠居の転勤で沖縄に移り住んだのは、もう40年以上前の春だった。3月というのにノースリーブで過ごせる南国、陽光はあくまでキラキラと眩しく、もくもくと雲は白銀に輝き、海はエメラルドグリーンにどこまでも透明で、優しい波が寄せる足元には小さな色鮮やかな熱帯魚達の姿があった。

 そんな明るい強烈な南国の自然の中に、深い哀しみがあることを、子供の学校や生活を通して沖縄の人達と親しくなるにつれ、また、娘の通う学校には図書室がなかったので、太宰府時代に関わっていた【子供文庫】を週に一回自宅解放して始めたので、それを通じて子供達やそのお母さん達やおばあさんたちとも話す機会が多くなった。戦跡などををみるにつけ、沖縄の悲惨な過去を知ることになった。 かって琉球という穏やかな小さな独立した王国だった沖縄は、中国と日本のはざまで揺れ動くこととなった。鹿児島の薩摩藩のもとに降ることとなり、日本国の植民地と化した。そして戦争に巻き込まれ、本土決戦を避けるための捨て石となった。

住民の4人に1人の死者。アメリカ軍に追われ追われて、逃げ惑うしかなかった島の人達、ジメジメしたガマ(鍾乳洞)に隠れ潜み、集団自決をした人たちの痕跡がまだ生々しかった。生き残って指や腕をなくした野菜売りのオバンなど、身近かにそんな人たちが。切ない想いや申し訳ない想いに何度馳られたことだろう。

暖かな南国の人達は、もともとのびやかで心優しい。私は嫌な想いをしたことはなかったが(ダメな医者に巡り合ったことで、ひどい目にあったことは別として)ご隠居は、本土(ヤマトンチュ)への反発の最も激しい時期の会社立て直し目的での転勤だったので、非常にキツイ体験・想いをしたようだ。それでも、仕事を離れての個人的な付き合いなどでは、沖縄を理解しようとする姿勢があれば、素直に暖かく迎えてくれる、本来の沖縄の人の優しさに魅せられている。

観光で訪れる人達は、自然の美しさを愛でるとともに、独自の文化(紅型染めはじめ壺屋焼きなどの陶芸、漆器、ガラス工芸、琉球舞踊、芝居、民謡などなど色々な文化)を育ててきたこの島は、基地問題など、71年経っても戦後は終わっていないことを、観光だけでなく日本の抱える問題として見て来て欲しいなといつも思う。

 観光地となった戦跡【摩文仁の丘】からは美しい海が広がるが、その海に向かって崖から集団で飛び込んだ人達のいることを。「捕虜になるのは恥。男は殺され、女は犯される」と教え込まれた住民たちは、自らそういう道を選ぶしかなかった。日本兵は沖縄の人を同じ日本人とみてくれず、土着民扱いで、アメリカ兵より日本兵の方が怖かったという人たちも多い。暴力や凌辱も多かったようだ。聞くに忍びない話だった。個人個人は良い人なのだろうが、戦争は人を変えてしまうのかもしれない。

 広島や長崎は身近かであっても、沖縄は、どこか遠い存在と本土に住んでいる私達は、無意識に思っているのではないかということを。この日改めて思った。

 

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足のヒビ、一応完治ということになりました(ほっ)

2016-06-18 17:14:07 | 日々の中で

6月18日

 6月も半ばを過ぎた。今日の太宰府、午後には32度!毎年「今年は猛暑です」とTVでは言っているような気がする。暑さも毎年加速化、冬はドカ雪、火山は微妙な動きをまだ続けている。、地球温暖化の遠因は、人間のなせる業にあるのだが・・・。

夏にはアメリカの次女が帰省することになり、久しぶりに沖縄座間味島でダイビングが出来るとご隠居サン、嬉しそうである。こう蒸し暑いと、いっそのことこんな沖縄の美しい海辺や太陽、銀色に輝く雲などが懐かしい。馴染みになった民宿を予約。座間味在住の(神戸より移り住んだ知人)からも【お待ちします】とメールが。孫達と一緒に潜るというご隠居の楽しみは、もう少し先のことになりそうだ。孫達の夏休みはまことに多忙、故になかなか実現しない夢である。

結婚50周年記念Part4での【超短い飛鳥Ⅱクルーズ】に出かける前、美容院で不慮の事故、足首にヒビという事態が起こり、整形外科医から『サポーターをして参加するのであれば』との”但し書き”付きでの許可がおり、足に負担のかからぬ歩きやすい靴での参加。余りお洒落も楽しめなかったが、『車椅子をご用意致しましょうか』の旅行社の申し出は、さすがに断り、スロースローの歩行で、日程は無事にこなせた。

そのハプニングから3ヵ月が経った。

レントゲン検診などで、一応完治ということに。痛みなどはないが、足首のあたりがまだ腫れている。この腫れは半年以上とれないかも知れません。何かあったら又来て下さいとのことだった。

医者が最初の診察で言っていた『3ヵ月はかかりますよ』 その通りだった。

美容室の経営者の方が謝罪に来宅。感じの良い人だった『治療費や旅先でのタクシー代などは、お店の保険で』

治療費と言っても後期高齢者のこと故、大した金額ではないが、飛鳥Ⅱの旅に出かけた時のタクシー代や横浜での交通費なども請求して下さいとのこと。勿論領収書を添えて。私の事故以来、お店でも十分に気を付けて接客するよう、申し渡し、実行されているようだ。長年馴染んだ美容師さんがいるお店なので、今後も利用しようと思っている。

とにもかくにも、一件落着みたいな気持ちだ。ポッコリ腫れているのはみっともないが、日にちが経てば自然となくなることだろう。でも、まだ怖くて、ヒールの靴は履けないなあ。

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四王寺山を見上げる若夏の畠で。

2016-06-07 20:43:13 | 日々の中で

うりずん・・・沖縄の言葉で【若夏】のこと、柔らかい語感が好きだ。その眩しい初々しい季節もあっという間に6月入梅を迎えた。

 鉢植えの桔梗が今年も咲いた。私の大好きな花。秋の風情の花で、秋の七草のひとつだが、実際に咲くのは初夏6月ごろから。

花言葉は、永遠の愛・誠実・従順・清純~~(私にピッタリとは申せません・・AHAHA)

 広縁のガラステーブルに飾って悦に入って眺めている。(草木の手入れは、専らご隠居サンの丹精。私は花を愛でる専門だが)

外には少し深みを増して来た緑とまだつつじが紅白の彩を添えて美しい。椅子にゆったり腰を下ろして、本のページを繰る。ラジオからはピアノが・・・。遠くに足を運ばなくても、自分流の心地よい時間は創り出せるものだ。なんて、ちょっと格好つけてみた。何にしても、お気に入りのひとときである。

 平凡な人生だけど、私なりに精一杯走り続けたこれまでの人生だった。そろそろ残りの道は過ぎゆく時を気持ちよく味わいながら、歩きたいものだなと思う。

6月X日。

さんから『ラッキョウを掘りにいらっしゃいませんか?』とメールがあった。昨年御隠居との約束を果たして下さったのだ。が、あいにくその日はご隠居は季節変わり目の夏風邪か、ダウンしていたので、代わりに私が出かけた。

畠の向こうには、様々な色合いに萌えたつ緑の四王寺山が青空と光に包まれている。陽射しは眩しいが、吹き抜ける風は心地よい。Yさん夫婦とラッキョウを掘る。初めての体験。

楽しかった!我が家の分まで栽培して下さったYさんに感謝!

春には畔起こし?のための耕耘機を新しくされた。(マイペットという名前が可愛いので春にグリンピースなどを頂きに来た時にパチリ写しました)

 

トマト・キュウリ・茄子などの夏野菜は、これから育って行く。小さな姿や花が可愛い。この辺りの家庭菜園にしてはとても広い土地を、半分はコスモス畑に。猪が闊歩するので柵を作ったり、烏避けの網を張ったりするのは旦那様のお役目らしい。夫婦で土に親しむって素敵だと思うが、到底私には無理だな。

今年の梅雨、集中豪雨などがありませんように。特に余震がまだ続く熊本地方には。

朝顔・紫陽花・イトラッキョウ・ほたるふくろ・夕顔・秋桜・・・花達は優しげに、日々微笑んでくれる。猛々しい夏が来る前に。

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日めくり時計登場!

2016-05-23 11:50:30 | 日々の中で

 正式にはなんという時計かは知らないけど・・・我が家に登場。

何故って・・・

「今日は何日だっけ?」

毎朝カレンダーに書き込んだ予定をチェックすることにはしているのだが。

【毎日が日曜日】でも、曜日の確認ちゃんと出来ていた筈なのに、最近は怪しくなった(苦笑)

友人は日めくりカレンダーを毎朝一枚ずつ破って「今日は何日」と確かめていたけど「二度破ってしまって」とぼやいていた。最初に破ったことを、コロッと忘れていたそうだ。

そうなんだよね、私達世代って余程の頭脳明晰な人でない限り、まず【何日何曜日?】「え~と、この女優さんの名前は、ほら、あれに出てたあの人」ほんとに名前と曜日が怪しくなった。で、我が家に登場したのが題して【ひめくり時計」

一番目につくところに置いている。これならまず、大丈夫?だよね。隣にはアメリカの同時刻を指す小さい時計も。アメリカ在住の次女の今の時刻が解るので。

   

 30度を超す真夏日が続いている。太陽は光の矢を鋭く降り注ぎ、それでも風は爽やかに吹き抜けて、木陰はひんやり。庭のつつじが咲きはじめ、隅には山野草をはじめ、自然なままに若い緑が日増しに色濃く生い茂り、どくだみが白い可愛い花をつける。青梅も。今年一番の朝顔が咲いた。白地に薄い紫色が一はけ。夏の前触れを告げる。

洋花のない(ご隠居の好みは山野草)小さな我が家の庭は、ミニ・ミニ・山庭の風情。

ガラス戸越しに眩しさに目を細めながら、光と影のくっきりとした、小さな庭の初夏を眺めて、過ごした午後だった。梅雨に入らないうちに、少しでも被害地の復興が進みますように!!

    

今頃、初夏の眩しい陽射しの頃になると思いだす詩がある。

佐藤春夫の【望郷五月歌】

故郷和歌山を詠った詩。いつも今頃になると思いだす。(トシヨリは昔のことは覚えているというが、確かに・・・。中・高生の頃に覚えた詩歌は、長くても今もけっこうスラスラ出てくるのに・・・ワタシやっぱりトシヨリ・・・かなあ)

塵(ちり)まみれなる街路樹に  哀れなる五月(さつき)来にけり
石だたみ都大路を歩みつつ   恋ひしきや何ぞわが古里 あさもよし 

紀の国の牟婁(むろ)の海山 夏みかんたわわに実のり                       

橘の花さくなべにとよもして啼くほととぎす 心してな散らしそかのよき花を

朝霧か若かりし日の わが夢ぞ そこに狭霧(さぎ)らふ
朝雲か望郷の わが心こそ そこにいさよへ

空青し山青し海青し 日はかがやかに
南国の五月晴(さつきばれ)こそゆたかなれ

心も軽くうれしきに海(わだ)の原見はるかさんとて
のぼり行く山辺の道は くすの芽吹きの  花よりもいみじく匂ひ

 かぐはしき木の香(か)薫じて
のぼり行く路(みち)いくまがり・・・・・(以下略)

和歌山のみかん畑を登り切った向こうに、穏やかに光る初夏の海の広がる風景が目の前に浮かんでくる。佐藤春夫にとっての故郷は?どんな存在だったのか、そんなことを想い描く。

作家は心彷徨う人。室生犀星や石川啄木はじめ、望郷の歌を詠んだ詩人は多い。彼らの心に故郷は懐かしく切なく、時として帰りたくても帰れない、絶望の果ての地であったかも知れない。

10代のワタシ、沢山の作家、詩人、俳人などの作品に巡り合った若い時代。いささか青臭く生意気ではあっても、そこには切ないばかりの青春があった。今も胸の中深く、小さくキラキラ輝いているものを感じる。

今日は結婚記念日。昨年が50周年。半世紀過ぎてしまった。縁って不思議なものですね。

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