ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。日々の生活、旅する心、アメリカ滞在のつれづれを書き綴っていきたいと思っています。

日めくり時計登場!

2016-05-23 11:50:30 | 日々の中で

 正式にはなんという時計かは知らないけど・・・我が家に登場。

何故って・・・

「今日は何日だっけ?」

毎朝カレンダーに書き込んだ予定をチェックすることにはしているのだが。

【毎日が日曜日】でも、曜日の確認ちゃんと出来ていた筈なのに、最近は怪しくなった(苦笑)

友人は日めくりカレンダーを毎朝一枚ずつ破って「今日は何日」と確かめていたけど「二度破ってしまって」とぼやいていた。最初に破ったことを、コロッと忘れていたそうだ。

そうなんだよね、私達世代って余程の頭脳明晰な人でない限り、まず【何日何曜日?】「え〜と、この女優さんの名前は、ほら、あれに出てたあの人」ほんとに名前と曜日が怪しくなった。で、我が家に登場したのが題して【ひめくり時計」

一番目につくところに置いている。これならまず、大丈夫?だよね。隣にはアメリカの同時刻を指す小さい時計も。アメリカ在住の次女の今の時刻が解るので。

   

 30度を超す真夏日が続いている。太陽は光の矢を鋭く降り注ぎ、それでも風は爽やかに吹き抜けて、木陰はひんやり。庭のつつじが咲きはじめ、隅には山野草をはじめ、自然なままに若い緑が日増しに色濃く生い茂り、どくだみが白い可愛い花をつける。青梅も。今年一番の朝顔が咲いた。白地に薄い紫色が一はけ。夏の前触れを告げる。

洋花のない(ご隠居の好みは山野草)小さな我が家の庭は、ミニ・ミニ・山庭の風情。

ガラス戸越しに眩しさに目を細めながら、光と影のくっきりとした、小さな庭の初夏を眺めて、過ごした午後だった。梅雨に入らないうちに、少しでも被害地の復興が進みますように!!

    

今頃、初夏の眩しい陽射しの頃になると思いだす詩がある。

佐藤春夫の【望郷五月歌】

故郷和歌山を詠った詩。いつも今頃になると思いだす。(トシヨリは昔のことは覚えているというが、確かに・・・。中・高生の頃に覚えた詩歌は、長くても今もけっこうスラスラ出てくるのに・・・ワタシやっぱりトシヨリ・・・かなあ)

塵(ちり)まみれなる街路樹に  哀れなる五月(さつき)来にけり
石だたみ都大路を歩みつつ   恋ひしきや何ぞわが古里 あさもよし 

紀の国の牟婁(むろ)の海山 夏みかんたわわに実のり                       

橘の花さくなべにとよもして啼くほととぎす 心してな散らしそかのよき花を

朝霧か若かりし日の わが夢ぞ そこに狭霧(さぎ)らふ
朝雲か望郷の わが心こそ そこにいさよへ

空青し山青し海青し 日はかがやかに
南国の五月晴(さつきばれ)こそゆたかなれ

心も軽くうれしきに海(わだ)の原見はるかさんとて
のぼり行く山辺の道は くすの芽吹きの  花よりもいみじく匂ひ

 かぐはしき木の香(か)薫じて
のぼり行く路(みち)いくまがり・・・・・(以下略)

和歌山のみかん畑を登り切った向こうに、穏やかに光る初夏の海の広がる風景が目の前に浮かんでくる。佐藤春夫にとっての故郷は?どんな存在だったのか、そんなことを想い描く。

作家は心彷徨う人。室生犀星や石川啄木はじめ、望郷の歌を詠んだ詩人は多い。彼らの心に故郷は懐かしく切なく、時として帰りたくても帰れない、絶望の果ての地であったかも知れない。

10代のワタシ、沢山の作家、詩人、俳人などの作品に巡り合った若い時代。いささか青臭く生意気ではあっても、そこには切ないばかりの青春があった。今も胸の中深く、小さくキラキラ輝いているものを感じる。

今日は結婚記念日。昨年が50周年。半世紀過ぎてしまった。縁って不思議なものですね。

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”祝うたあ”−2.今も残る博多町屋で稚児舞い、厳かに。

2016-05-07 13:44:38 | 日々の中で

5月2日

櫛田神社で松囃子の出立を見送って、「博多町屋ふるさと館」へ。と言っても、神社のすぐ斜め前だが。【松囃子歴史展示】中だったので。残念でした。10時開館。まだ10時には間がありましたので、目的地の吉住家宅迄行く途中で「お茶でも」と。

私にとっては櫛田神社から西門橋にかけての道は、子供の頃の頃の想い出がある場所。Fさんにそんな昔話しながら、呉服町の【千鳥屋】(本店は新天町、博多お菓子の老舗の一つ)でお茶タイム。丁度博多小の子供のどんたく隊が来店。ロビーでしゃもじ叩きながら♪ぼんち可愛いやねんねしな♪踊ってくれた。こんな風に沢山のどんたく隊が思い思いの芸を披露しながら、パレードや舞台を廻る。子供達のお祭り姿は、いつみても可愛いなあ。

10時半、吉住家に着く。築80年を超した【博多町屋】国の有形文化財に指定されている。今もご家族の皆さんが生活なさっている。

  

 京都の町屋のような、奥に長い二階家。長年踏み固められた硬い土の土間が奥まで続く。町屋の奥には”お坪”と呼ばれる庭があった。梁もしっかりしていて、天井も高い。私にも懐かしい昔ながらの家である。

稚児流れを迎える吉住家では、昆布するめ(こぶするめ)他もてなしの食べ物を用意して待つ。”祝おうたあ”松囃子ちご流れの到着。出迎えの吉住家の方ガタは、皆さん揃ってきちんと正座し手向かえる。

、稚児流れの代表が祝いの言葉、貴家のますますの繁栄をと挨拶。厳粛なしきたりに従って、子供達による舞楽が始まった。

いいものを見せて頂きましたと吉住さん(福神流の代表)にお礼申し上げて、近くの博多路地を散策。Yさんは太宰府歴史検定で”帥”(最高位)の資格を持つ人、博多の歴史にも関心が深く、博多町屋での稚児舞、喜んでくれた。

 

以前TV朝ドラ、【走らんか】に出て来た路地。今は道はコンクリートに。角の酒屋さん、昔の儘ですねえ。

こんな看板も、懐かしいですねえ。

 記念に頂きました(唐人うちわ)

 どんたくは、もともと福神・恵比須・大黒の三福神と稚児舞、通りもんから成る「博多松囃子」が源流なのですが最近は・・・そげな歴史的意義やらどげんでもよか、楽しけりゃあ、それも良か、良か…ということでしょうか。おしまい。

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"祝うたぁ!”−1.博多松囃子、雨の中、櫛田神社から町へ・・・その1.

2016-05-06 07:55:33 | 日々の中で

5月3日

【博多山笠】と並ぶ博多の二大祭り【博多どんたく】が始まった。

どんたくには必ず一日は雨が降る!のジンクスは今年も健在。朝から雨がぱらつき、昼ごろには風雨となり、パレード中止。たいていの雨天では取りやめになるということはないのだが、今年は特に雨風激しかったから、中止せざる得なかったのでしょう。

従弟が福神流の代表を務めた年には、所用が入り、見に行けなかったので、今年は!と8時半頃に櫛田神社(博多っ子の守り神)へ。

稚児舞奉納。

 

 

雨が激しくなったので、馬に乗った三福神<大黒・恵比寿・福神(福禄寿)>も雨避けのビニールを着用。ちょっと寂しいけど、天候には勝てません。

お祓いを受けた後、稚児流の稚児舞奉納、子供達舞も笛なども上手でした。この日のために随分練習したのでしょうね。

この後、【松囃子】一行700人程、、子供達”は言いたて”(祝言)を唄いながら、市内に繰り出し、県市庁舎・寺社仏閣・商店・個人宅などにお定まりの【祝うたぁ!】の掛け声とともに巡ります。

 

   中村信喬さん。

新しくなった傘鉾は、6月博多座中村雀右衛門丈の演目【熊谷陣屋】にちなんで。博多人形師の中村信喬さんが描かれました。)熊谷直実と妻相模、

行列の中の傘鉾の下をくぐると、【無病息災】赤ちゃんは元気に育つと、昔から若いお母さんが幼子を腕に傘鉾の中に潜ったものです。今も見かける風景です。あ、大人も潜って御利益を受けます。

雨で傘鉾もビニールを着用(苦笑)だったので、当日櫛田神社で一緒だった森弘子先生のFaceBookからお借りしました。

森弘子さん  のHP。(学校が制作したもの)

ともすれば、パレードやどんたく隊が目立ちますが、江戸時代の豪商神谷宗湛の日記には、筑前領小早川秀秋の居城【名島城】(現在の名島)に、博多の人々が松囃子を仕立てて、年賀の祝いを行ったと記されています。

戦後の昭和21年、まだ瓦礫の残る無残な博多の街に活気をと【博多復興祭り】としてどんたくが行われ、現在のように商業都市福岡市ならではのお祭りとなっておりますが、どんたくの源流は博多松囃子、歴史ある行事と言えましょう。

ちなみに、【どんたく】とは、オランダ語の【ゾンターク(休日)】という言葉が語源と聞いておりますが・・・。博多商人が中心となって貿易などに、門戸を開いていた博多ならではのネーミングでしょうね。

さて、友人と私は、これから西門通りの博多町屋にお邪魔して、稚児流の舞を間近かでみせて頂きます。

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これでおしまい、結婚50周年セレモニー

2016-04-27 21:06:55 | 旅のつれづれ

2月半ばのある日。

新聞を読んでいたご隠居が『これ、いいね。C型ウイルス退散と50周年祝いを兼ねて申し込もうか』

昨秋から今年2月迄、C型ウイルス退治のために、ハーボニー錠を毎日薬飲み続け、外出など控えて、紅葉にも温泉にも縁のない日々が続いていましたから。

【飛鳥兇嚢劼春の博多・横浜4月の企画。「四月だったら観たい歌舞伎もあるし」と遊ぶことに否やはない私。2月20日ホテル・オークラでの説明会に参加。その場で申し込みました

歌舞伎【明治座花形公演(菊之助・勘九郎・七之助)】は、久しく菊之助さん、博多に来演していないので、観たくて。NHK講座で親しくなったSさんが音羽屋(菊五郎劇団)さんの後援会に入会していらっしゃるので、とても良い席をゲットしていただきました

 荷物は小さ目のキャリーバックそれぞれ一つずつ。身軽に行きましょう!長い船旅ではないので。

 4月18日 博多港乗船。19日終日クルージング。

 20日朝 9時横浜下船、フリータイム。ホテルニューグランド泊。

 21日羽田空港から帰宅

    

 クルーズと言って【超】の字が付く、船泊2日間だけの船旅ですが、穏やかで明るい春の海を、船内も料理も評判の良い飛鳥兇任罎辰燭蟆瓩瓦垢里郎嚢發世覆抜待感も高まりました。

・・・がその後、チョットした事件(前に書いた足くるぶしの捻挫+ヒビ)で、孫のブラスバンド演奏会に上京の予定も直前キャンセル。

医者から「クルーズに行ってもいいが、サポーターをして足に負担のかからぬ靴で」と。わあ、それじゃあ、お洒落出来ないじゃない…折角のクルーズなのに。(でも、短いクルーズなので、フォーマルの日はなく、【イン・フォーマル】だった)

更に4月14日、突然の震度7の地震が熊本を襲い、余震で納まると思っていたのに翌15日夜半に又大きな揺れが(こちらが本震だった由)。その災害の混乱状態の中、遊びに出かけるのはチョットと躊躇う気持ちも大きかったのですが、経費やチケット代もすでに納金済み。心を被災者の人達に残しながらも、太宰府市役所で義捐金をして、出かけることにしました。

ネット仲間のなえもんさんは、何度も飛鳥兇鯊慮海靴進で、色々情報を下さいました。それを参考にまず乗船したら、部屋に行かず11階の【パームコート】でウエルカム・ドリンク。ワインを片手にのんびり。鵜来島(うぐしま)を傍に見て、シーホークホテルなどもだんだん小さくなって、さあ、博多湾を抜けて春のうららな空の下、波もなく穏やかにキラキラ光る海を眺めながら。余り足に負担を掛けられないので、出来るだけゆっくり過ごすつもりです。

さあ、出発です。

(シーホークホテルや福岡ドーム・福岡タワーが遠ざかります)

春の海は穏やか。

乗客の人達は、シニア夫婦、親孝行でしょう、車椅子にはお母さん、押しているのは娘さんでしょうか。若い女性達のグループ、やはり多いのは私達世代かそれ以上の方達。とにかくみんな日本人というのが、何だか変な感じでした。前に経験した【カリブ海クルーズ】【アラスカクルーズ(2006年)】が殆どヨーロッパやアメリカの人達ばかりで、日本人はほんの僅か。カリブ海クルーズの時は、もう20年以上前で、日本人の姿はなかったように思います。

けれど、日本人ばかりだから、安心できるとおっしゃっていた方もありました。

乗務員さん、レストランのボーイさん達は、フイリッピンの人が多く、ウエイトレスは白人の女性達も。皆日本語での丁寧な応対。たどたどしいところはあっても、きちんとした日本語です。感心しました。

夕食の時間まで身軽な格好で、船内一通り見学。エレベーターで11階まで上がるとデッキ。プール・アルコール以外は飲み物・ミニケーキ無料の【ビスタラウンジ】【パームコート】レストラン・寿司などが。12Fには大浴場やスパ・美容室・フイットネス・バトルテニスコートなども。

  

 (二日目はちょっと波が出て、プールの水もこんなにローリングしていました)

10階から7階までが客室。6階にはお店・ラウンジ・図書室・映画館・大ホール(アトラクションやショーなど)・カジノ・将棋や囲碁室など楽しめるようになっています。ダンス教室など習い事?も。乗客が終日楽しめるようにと、まあ、あれこれ企画が並んでいて、のんびり・ゆったりクルーズが好きな私達は、だいぶ割愛しました。

それでも、私が「あ、もう一つお土産を」とついお店に入り浸ったりするので、今度もご隠居さんから「お土産買いに来たんじゃないぞ」、でも私にとって、差し上げる人の顔を思い浮かべながらの買い物は、旅の楽しみなんです(笑)

 

(お定まりのらせん階段での記念写真、御隠居サンいささか酔っています)(図書室)

毎日部屋に届けられる船内新聞の中から、観たいもの、したいことなどをチェックして。なえもんさんが「部屋にいる時間は少ないから、デッキ付きでなくてもいいわよ」と仰っていた通り、部屋で過ごすのは入浴と就寝。お風呂の湯量もたっぷりでした。

 昼は水平線の彼方、広がる優しい光の海を眺め、空を染める壮大な夕焼けが夜の帳へと変わって行くさまを楽しみ、夜はきらめくライトの中でのピアノやジャズの生演奏を、カクテル片手に楽しみました。至福の時が流れます。ワインやカクテル片手にというと、呑み助みたいですが、一杯でご隠居さん真っ赤な顔に変貌。2人とも雰囲気を楽しむというだけです

 

(夕焼けが海を染めて)

 

夕食時間は2回に分かれていて、私達は後半の19:45からなので、ちょっと小腹がすくと、お寿司をつまんだり(ここは有料)、リドカフェでコーヒーやデザートを。

  

   

 ショーは大ホールの舞台で、飛鳥専属の歌手やダンサー達によるクルーズエンターテーメント。一日目はミュージカル映画などをテーマのショー。二日目はマジシャンを中心の舞台。洒落た趣向で音楽・色彩・光のきらめきの中で外人タレントによるショーを楽しみました。

夜のピアノバーでは、曲をリクエストOK。ふと思い出したのが最初の【カリブ海クルーズ】のこと。アメリカに住む娘がマイアミから出るクルーズに招待してくれました。私達の最初のクルーズです。もう20年以上前の事ですが。

その時、同じようにピアノバーで「ジョージア・オン・マイマインド(わが心のジョージア)」を娘がリクエスト(その頃アトランタで勤めておりました)。その後さりげなくピアニストにカクテル進呈したことがあります。

我が娘ながら【粋なことするなあ】と感心したことを思いだし、御隠居から同じ曲をリクエストしてもらい、バーテンダーさんに彼女(ピアニスト)の好みを聞いて貰ったら【赤ワインを】とのこと。リクエスト曲を聞いた後、プレゼント。ちょっと真似してしまいました。

他に同じ会場での【大ビンゴ大会】なども、ビンゴ!の商品は飛鳥兇砲舛覆鵑隻平А后私達は・・・聞かないで下さいませ。あはは、宝くじ同様籤運には縁のない夫婦です。

部屋は9階のバルコニー付きの部屋。それほど広くはありませんが、シャワーのお湯も豊富で清潔な部屋でした。バルコニーに立つと潮の匂いと何処までも広がる海、四国足摺岬の灯台も遠くに見えました。二日目はかなり風が出て、海面には兎が飛んでいました。

夕食の時にお話ししたご年配のご夫婦は、北九州からとのことで、軽い船の揺れに地震を想いだして眠れなかったとか。

今度のツアーは旅行何社かが、飛鳥競ルーズを入れて、それぞれに企画しているらしく、横浜下船後、横浜一日観光や他の観光地へというようなプランもあったようです。私達は横浜フリータイムなので好きなように動けて良かったなと。横浜には娘一家がいるので、今更観光ツアーというのは・・・。

何しろ船中二泊の短い船旅ですから、あっと言う間に横浜桟橋へ。

横浜ベイブリッジの下をくぐりました。

今回は食事など食べ物の写真がありません。意識してとらなかったわけではないけど。

飛鳥兇離張◆爾砲弔い討蓮∋郵餾濬擦里覆┐發鵑気鵑何度も乗船体験があって、写真もとても上手な方で、克明な素敵な画像をブログに掲載しておいでです。船内の様子やお料理など色々、詳細に解ります。是非ご覧ください。

   なえもんのポケット

19日 9時下船。桟橋には従弟が迎えに来てくれていました。従弟は青学の理学部卒、IT関係の会社に就職したのですが、高校の時にバンドを組んでいて、音楽の道断ちがたく、歌とドラムで著名な【つのだ・ひろ】さんのところでドラム叩いています。もう何回か飛鳥兇砲魯▲肇薀ションで乗船。海外のクルーズの時も乗っているようです。丁度スケジュールが空いていたので車で。私の足が今一つ、不安な状態なので、ほんとに助かりました。ランチしながら喋ったりして、新橋の明治座迄送ってくれました。有難う!

19日は【夜の部」を。翌20日には、娘夫婦がホテル(山下公園前のニューグランドホテル)迄来てくれて、一緒に朝食。婿は仕事。娘は休みとってくれて久しぶりに歌舞伎【昼の部】一緒に観劇。嬉しかったぁ。羽田迄送ってくれました。午後6時の飛行機で帰宅。

 

ととろサンのC型ウイルス撲滅祝いと、結婚50周年記念セレモニー、これにて幕と致しましょう。

<ととろサンのドジ>

船の中ではドジもなく、迷い子にもならずに済みましたので、今回は大丈夫!と思っていたら、横浜泊の夜、明治座から戻ってホテルで、服をハンガーに掛けようとしたら・・・

「あ、上着がない!」

アンサンブルの上に、コートを羽織っていたのですが、アンサンブルの上着がなく、コートだけしか着ていません。

「何処で?」よくよく考えたら、迎えに来た従弟とまず【ティタイム】した時に、店内が暖かだったので、上着を脱いでブラウスだけに。その時椅子の背に掛けたままだったようです。慌てて従弟に筺2箸傍△辰突茲討襪ら(従弟の家も横浜)取りに行ってくるよ」

お店は締りかけていたそうですが・・・ホテルに届けてくれました。「ごめん!」「まあ、よくあること」と笑っていました。Kちゃん、N姉ちゃんドジでごめんなさいね。

翌日娘に「お母さん、認知症になったのかしらん、情けない」言ったら、娘笑って「昔からよく旅先で忘れ物したじゃない。阿蘇の大観峰のお店に携帯忘れたのは、どなたでしたっけ。雲仙にカメラ忘れたのは?」と次々に。いやですねえ。

私が忘れていることを、よくまあ、覚えていること(笑)忘れ物事件、もっとあります!

『認知症じゃなくて、もともと忘れっぽいのよ』と。これは慰めですね。それにしても私の旅にはやっぱりドジがつきものです。

・もう一つのクルーズ 

2005年の【アラスカクルーズ】(ダイヤモンド・プリンセス号)、カリブ海クルーズですっかりクルーズに魅了されたのと、アラスカは星野道夫さんの写真やエッセイで、一度行きたかった!それに費用が安かった!もう一つ大事なことは丁度積立保険が満期になって…。サラリーマンの私達には贅沢かも知れないけど、思い切って出掛けました。

クルーズの魅力は、船の個室が旅の間は自分の部屋。そこからオプションで興味のあるところを選んで、又船へ帰ってという、住居自体が動いて運んでくれ、船の中でも色々な楽しみがあるというのが魅力ではないでしょうか。

 アラスカ・クルーズで。フォーマル。ご隠居も

ドレスシャツなどで決めておりますが、ロングドレス、その時だけで・・・ドレッサーに眠っております(苦笑)

飛鳥兇脇本船籍のクルーズ船。日本人向きの料理など、趣向を凝らして。でも、長いクルーズはお値段も高いですね。それでも毎回楽しむ人達もいるというから、日本にもオカネモチがいるんだなあ。今回はチョット飛鳥教なを味わうツアー旅。参加しやすいプランだったようです。

 ととろさんのアラスカ・クルーズ   

クルーズの魅力は【脱日常】【非日常性】いろんな国の人達が周りにいる【異邦人感覚】グローバルとまでは云いませんが。船旅の間中個室を我が住居として。そこから出かけ、又船に戻る。荷物も着替えなども移動させる必要なし。 そんなところかなと私は思いますが、飛鳥兇里茲Δ法日本人だけ、あるいは日本人が殆ど…ということで安心できるからいいとおっしゃる人もいます。

旅に対する考え方もヒトそれぞれですね。

TVでは熊本から大分方面まで広がった地震の報道が!目が離せず、何だか飛鳥粁垢皀▲奪廚垢覽せちにならず、今日までグダグダしておりました。私には何が出来るか、長い復興の間に、私が出来ることを・・・考えていきます。周辺の湯布院始め温泉や観光地も、キャンセルが続きいているとか。訪れるのも救援、今日も買い物に行くと、熊本や阿蘇産地の食品に手が出ます。それも救援かと)

嬉しいメールが。ネットを通じて親しくなったネット仲間、お会いしたことはなくても、その人柄などに触れて長年のお付き合いがある方達が、少数ですがあります。Hさんが病いに倒れられて、心配な状態で案じていましたが、症状に変化が。明るい明日が見えて来ました。

友人の中にも抗癌剤投与の辛さに耐えている人がいましたが、頑張って投与終了、自宅で暮らせるようになったとのこと、こんな変化が数日留守した間に起こっている、これも嬉しい知らせでした。

喜びや悲しみ、辛さ、様々なことが交錯して現れます、それが人生なのだけど、希望の見える知らせはほんとに嬉しいものです。地震も収束して、少しでも明るい明日がやってきますように。

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4・16眩しい陽光、晴天が怖いような・・・

2016-04-16 09:05:50 | 日々の中で

4月16日 朝

一昨日の最初の熊本大地震、今朝の2回目の地震、皆さんからお見舞いのメールやお電話をいただ来ました。有難うございました。

酷い状態の熊本地方の方達には申し訳ない気がするけど、太宰府はお陰様で夜中の大きな揺れ(一昨日より大きかった。震度5)や余震のみで、何事もありませんでした。ご心配お掛けいたしました。

  お見舞いの電話やメール、ほんとに有難うございました。

害で出てくる地名は、私達にはとても馴染みの深いところ、気軽にドライブや登山などで何度も足を運ぶあたり。何度も渡った阿蘇大橋も破壊されてしまった。美しい自然、温泉、豊富な農産物などなど、穏やかで優しい土地柄、それが無残にも破壊されてしまい、人々の生活が奪われてしまいました。

今朝は眩しすぎるほどの陽光、風もく、穏やかな明るい晴天が広がっていて、庭の隅では、山野草のタツナミソウやホウチャクソウなども咲き始めました。何だかそんな【何事もない明るさ】が怖いような気がします。天災には人間の力では抗うことは、出来ないのだなと改めて思います。今回の地震が【本震】で、一昨日のはその余震だったと報道している。余震が早くおさまり、天気予報が外れますように(熊本地方には大雨が降るかもと)

被害救助の動きがスムーズに運び、1人でも多くの人が救出され、逃げ延びた方達が少しでも良い状況で避難生活を始められますように。ひたすらに祈ることしか出来ません。

  

 

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