ととろサンのひとりごと

【観たり聴いたり旅したり】からこちらへ。日々の生活、旅する心、アメリカ滞在のつれづれを書き綴っていきたいと思っています。

役者の心貫いて・・・仲代達矢サンの話を聞く。

2016-07-24 04:48:15 | 日々の中で

今年度の市民大学のゲストメンバーを見て、ご隠居さんが受講したいと。昆虫老年憧れの昆虫写真家栗林慧さんが講師に名を連ねていたから。私は1月の片岡仁左衛門さんの話も楽しみだったが、生憎の大雪。やむなく断念した。

7月の講師は俳優の仲代達也氏。アクロス・ホール(会場)に行く前に久しぶりに中洲でランチ。那珂川沿いのホテル13Fのレストラン(ご隠居サン同窓会幹事会会合に使っている)からの眺望はなかなかのものだ。

昼の部の会場は、シニアの人達で満員(笑)

話の進行役は、市民劇場を立ち上げて(当時は労演)企画や運営に長年携わって来られた川述サン。その功績で賞を受けられたりもしている。仲代さんとは個人的にも深い交流がある人。

私は福岡労演が始まった頃(確か東中洲の小さなビルの階段を上ったところに事務所があったような記憶があるが)から、職場での【演劇サークル】の世話をしていたので、事務所にも出入りして、川述さんのお若い頃を存じているので、とても懐かしかった。

仲代さん83歳。川述さん90歳!!年を重ねても凄い人達がいるものである。

仲代さんが何故新劇俳優を目指したか。幼年期からの人生と舞台と映画を年代を追って振り返りながら、演劇好き・映画好きなら嬉しくなるようなエピソードも披露してくれた。

少年期に父親を亡くし、苦労をしている時に俳優座養成所へ。競馬場で働いていた時に、先輩から「お前は顔がいいので役者になったらいい」と言われて。夜学で学びながらの役者修行だったようだ。

1957年の小林正樹監督【黒い河】映画出演二作目。私が初めて仲代さんを観たのはこの映画。物凄く印象に残っている。のちに成人向き映画になったくらいだから、高校生の私が観て衝撃的だったのは当然(なんで見たのか?多分小林正樹監督作品だったからだろう)だけど、現在の映画に比べるとシーンそのものはなんてことない・・・ものである。以来出演映画は殆ど見ている。舞台も福岡に来演したものは。ただし結婚前のことだが。

仲代さんの役は【人切りジョー】という当時の愚連隊と言われるような。ガラス玉のように黒く底の知れない【目】が凄かった。(のちの黒沢監督の【用心棒】の悪役の原形はここにあったように思う)こんな目をした俳優さんは、他にはいないと思う。

現在の仲代さんは、照れくさそうな笑顔が魅力的、あの独特の目も優しげになられていた。

歌舞伎で云うなら【四谷怪談】で女房のお岩を殺す、田宮伊右衛門という二枚目の【色悪】のちに仲代さんは、小沢栄太郎さんの演出の舞台【四谷怪談】で伊右衛門を演じている。歌舞伎で云うなら【任に合う】(役柄に合う)ピッタリだったことだろう。その頃はもう私は結婚したので、映画や演劇とは遠ざかることとなって、観ていない。

新劇で歌舞伎通りの台詞での舞台化。中村歌右衛門丈はじめそうそうたる歌舞伎役者さん達が見に来たので、緊張したとのエピソード。

この【黒い河】には山田五十鈴さんが強欲な家主のオバサンになって出ていたが、その演技や顔のやつし方(歯は出っ歯にして、品のない顔に作り変えて)に若い私は圧倒されたのを覚えている。なんと凄い女優さんだろうと。

  

ネットから拝借しました。(右端は【炎の人、ヴァン・ゴッホ)

高校生の頃新聞部に籍を置いていたので、【広告取り】も仕事の一つ。福岡市内の映画館・映画支社まわりをしているうちに、試写を見せて貰ったり、当時は福岡にも映画や演劇評論家の人達がいて、そのオジサマたちに【映画・演劇好きな女子高校生】はオモシロイ存在だったのだろう。可愛がっていただいて、映画評書いたり、ラジオに出たり。この10代半ばから結婚するまでに見た映画・演劇は、私の財産?なのかもしれない。高校生の時のバイト代(夏休みの博多大丸でとか、家庭教師とか)は演劇見たりするのに消えたのかも知れない。母が【若い頃に良いものを見ておくのが良い】と言う考えの人だったので、「モスクワ芸術座」とか「朝日五流能」とか「文楽」とか、高校時代に観たものは鮮烈に記憶に焼き付いている。

仲代さんと奥さんの宮崎恭子さん(後に舞台女優をやめて、脚本・演出家隆巴に転身)との結婚、そして【無名塾】立ち上げ。役所広司サンもこの塾の出身だ。

講演の中で心に残ったのは「あくまで自分は役者でいたい」だから、日活などから専属のオファーがあったり、良い映画の話(どちらも金銭的には舞台に出るのの10倍以上)結婚した時も【家を建ててやるから】の話もあったが、恭子さんに相談すると『貴方の好きなようにしたらいい』・・・・どんな良い話があっても一年の半分は舞台に専念する姿勢を貫いたこと。モヤ(仲代さんのあだ名)を理解していた奥さんだったからだろう。

「自分はあくまで役者でいたい」が信念だという。そして『良い役者を育てたい」それが役所広二などを生み出した【無名塾】の誕生、今も続いている所以だろう。そう言うところが凄いなと思いながら話を聞いた。

自分のやるべき目標をしっかり持った人の、存在感と人生観!!賞賛!!

更に戦争体験や五味川純平著作の【人間の条件】の話の時に【戦争はあってはならない、やってはならない】との気持ちを現されたこと。

【人間の条件】は第6部迄あって、当時中州に合った松竹座で一挙上映の時は、お弁当持って御隠居サンと観に行った記憶がある(まだ結婚前のこと)映画と観劇と山歩きと喫茶店が私達の時代の青春だった。しかし今もう一度観るか?と言われると・・・きついなあ、精神的にも時間的にもと思ってしまう。

 用心棒(ネットからお借りしました)

仲代さんは舞台では、いわゆる洋物(シェークスピアー劇など)を演じるにベストな俳優さんだと思う。映画・ドラマも黒沢監督や小林正樹監督にいつも登用されて、演じるものが大きな賞を貰っている。ドラマでも【大地の子」なども。存在感の強い大きな役者さん、ある意味三船敏郎にも重なるような。上手いと言うなら宇野重吉さんや滝沢修さんなどの方が演技力を感じるが、仲代さんは役そのものを一つの凄い存在として感じさせる力がある。

話を聴き終った後も、昔の若い頃の事や映画や演劇のことが思い出されて、心が高揚し、気持ちが落ち着かなかった程であった。

益々お元気で、役者道を貫いて下さい。

  それにしても…福岡市中心部に中型劇場欲しいなあ。

 

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さあ、夏だ!山笠終わり、蝉しぐれ、

2016-07-16 06:03:08 | 日々の中で

15日早朝の「追い山」で、15日間の山笠が終わった。今年も各地に瞬間豪雨をもたらした梅雨もソロソロ開けることだろう。

幸い、従弟がチケットを入手してくれたので、なんと!半世紀ぶりにお念願の櫛田サンでの【追い山ならし(12日)】をご隠居と見ることになった。(15日の「追い山」はチケットを手に入れるのは無理)夜来の豪雨も櫛田神社に向かう頃には、雨も上がり、青空も覗いて、蒸し暑いとはいえ良い祭り日和となった。

 

山笠は幼い頃からの思い出に繋がる。無邪気で日々楽しく過ごしていたあの頃。浴衣を着て祖母に手を引かれての【飾り山見物】櫛田神社迄走って行ってあの熱気を感じた朝、疾風の如く駆け抜ける【曳山】を担いだ男達、【勢い水】がかかると一瞬にして湯気となって舞い上がるあの光景・・・夏が来ることを肌で感じる季節にはいつも山笠があった。

結婚して転勤はじめ人生の諸々の道筋の中で、太宰府を終の棲家と定めて、いつの間にか山笠は遠い想い出の中で息づく祭りとなった。

追い山」に行きたいなと思いながらも、気が付くと山笠は終わっていた、そんな感じで年月が流れていたのだが、今年は思いがけず【清道旗】の前で、間近に見ることが出来、人生でやり残したこと、見残したことの一つが完結(大げさだが)そんな気持ちを味わった。15日本番に向けての「追い山ならし」は距離が短いだけ、勢いも本番さながら。

ルーツを辿れば、私の実家の父方は川端流れ、母は東流れだった。私が育った頃は父は福岡天神近くに住んでいた(だから空襲で家は消失。戦災時の恐怖を体験した)が、祖父母からの博多っ子気質は受け継いでいるような気がする。ご隠居の父は関東出身だが、母は千代流れの人である。

  

 

山笠限定の【祇園饅頭】などを境内でお土産に買う。高揚したお祭り気分に包まれながら、祖父母のことや幼い日の博多の街のことなどが、胸を熱くする。私は周りに可愛がられ、幸せな幼い日を過ごしていたんだなと、改めて感謝の気持ちが溢れた祭りの日だった。

 

女の子も小さな子は締め込み水法被で、祭りに参加。子供達の祭り姿はほんとに可愛い。

今朝、ご隠居が6月29日に初めての蝉が生まれて以来、今日7月16日で95匹目の誕生だと話している。昨年は80匹だったそうだ。今夏の蝉しぐれ、庭を覆い尽くすことだろう。

夏が来る!

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蒸し暑い!ひたすら蒸し暑い!

2016-07-05 05:10:02 | 日々の中で

7月に入った。目覚めてまずシャワーを浴び、庭に出る。【石穴神社の杜】のあたりの雲は、暁の色に染まり始めている。頬を撫でる風は心地良い。梅雨の合間のひと時の清涼感。月下美人も次の蕾を膨らませ始めている。

もう少し歩行に自信がついたら、いつもの【早朝散歩】を始めたいと思っているのだが、治ったようでまだ何となく違和感があったり、足首の腫れが引かなかったり。

<6月の観劇>

 博多座での【中村雀右衛門襲名披露公演】が久々に役者さんの層も厚く、演目も充実していて、仲間と何度か足を運んだ。御隠居サンも【掛け声】掛けるのを楽しみに。

特に仁左衛門サンの「熊谷陣屋」(平家物語に描かれる若武者敦盛と熊谷次郎直実の物語)は、時代を超えて胸迫るものがあった。深い色合いの口跡(台詞)の見事さ、動きの一つ一つに演じる者の心が行き届いていて・・・良い舞台を見たなあと満足だった。

五郎サンの「身替り座禅」はじめ昼夜とも充実していた。新・雀右衛門サンは、きっちりと丁寧な赤姫を見せてくれた。6月歌舞伎に関しては、自分自身の観劇記録の「歌舞伎】ブログに、UPしておきたいと思っている。

    

<6月の温泉> 熊本・平山温泉へ。

熊本大地震で客足が落ちた温泉地から【来て下さることが救援!】との葉書が舞い込む。まずは医者の『温泉の中で足をぐるぐる動かすのもリハビリに良いですよ』を実行。本当は治療には滞在型でないといけないけど、”気は心”(笑)

湯質が気に入っている熊本・平山温泉へ。宿の人の話では「このあたりは直接の被害はなかったけど、やはりお客様が少なくなって」とのことだった。

 

最近は部屋に露天風呂が付いた、離れ屋様式が気に入っているというか、煩わしさもなく、好きな時に何度もお風呂を楽しめるし、大風呂などで隣国の人達と一緒になることもない。我が家の延長のような時間にお風呂と食事が付いたそんな感じが、心地よくなった。これもトシかなあ。煩わしいことが嫌いなご隠居は勿論、こういう形式の宿がお気に入りである。

食事は別室の一部屋で。料理も品数はともか、一つずつの量が私達に程よいくらいで地産食材中心に用意されている。気が付いたら完食。戦中・戦後に育った私達は、出された料理を残すことに罪悪感を覚える世代だから、このくらいが程よくて。食べ過ぎ感がないのが心地よかった。

    

部屋付き露天風呂の写真撮り忘れたので、『湯の蔵HP』より拝借しました。

デザートのあと、おにぎりが二つ屋形型の入れ物に入って【お夜食用に】と渡された。夜食までは入らないよ・・・なんて思っていたが、お風呂に入ったりしていると小腹がすいて、おにぎりも感触、美味しかった。良い配慮だと思う。

お風呂はかけ流し。とろりと肌に柔らか。温度42度。外気に当たるので程よい温度となっていた。気楽に出たり入ったり出来るのが、何よりものんびり感と湯治感がある。

 

帰路は例によって、道の駅経由で帰宅。次は南阿蘇あたりに・・・と思っているが、よく出掛けていた温泉は休業?らしい。余震がおさまり、ドカ雨の梅雨が明けて仮設住宅などが一日も早く経って、皆さんの生活が少しでも落ち着きますように、願うしかありません。

<6月人との往来>

親しい友人夫婦が泊まりに来て、彼女達お気に入りのミニ・フレンチのレストラン「きくち亭」で私のC型肝炎消滅祝いをしてくれた。遠方より我が家に来泊して、一緒に歌舞伎観劇を楽しもうと張り切っていた友人は、急に心臓のMRIを受診する羽目に来福取りやめ。落ち着いたら又機会があるからね。

知友人の入院や友人のご主人様の訃報やなど、世代的にそういう出来事に遭遇することが多くなった。

義妹も階段踏み外して(高いところからではなかったのだが)右足・右手骨折。ご隠居の妹は、若い頃映画界にという声がかかったりするほどに愛くるしい顔立ちで、望まれて結婚。恵まれた環境でゆったりと暮らすだろうと思われていたのだが、3番目の子を産んだ時に妊娠中毒症になり後年透析を受けることとなった。

義妹は兄・弟(ご隠居)の下の一人娘。私も結婚前ご隠居と付き合っていた頃、彼女がまだミッションスクールの制服の頃から、姉代わりのようなものだった。勤めの経験のない彼女が「働いてみたい」というので、私の勤め先の会社でのアルバイトを紹介したり。ご隠居は卒業t同時に婚約、就職して名古屋の新人研修生活に入り、私はその間も姑に頼まれて、ご隠居の実家で義妹とお布団並べて泊まって、色々相談を受けたり、話を聞いたり。

その妹が透析を受ける身体となり、40代で夫を亡くし、経済的には豊かな家に嫁いでいたので働かなくても良かったけど・・・人生には時として思いもよらない出来事が待っているものだなとしみじみ思う。

幸い3人の子供に恵まれ、1人は同居、2人は結婚して福岡近辺暮らし。幼い頃毎夏我が家で林間学校のように過ごしていた甥や姪も40代となった。独居ではないから安心はしているのだが。やはり気になって仕方がない。と言って姑の時のようには気を配ることは出来ない。私自身が年をとってしまったし。

先日「H子さんを見舞いに行こうよ』ご隠居はやはり妹の入院姿を見るのは切ないのか、なかなか神輿が上がらない。前に行った時がかなり酷かったので、気になって気になって、急きたてて見舞いに行った。

思ったより元気で、差し入れのお寿司を喜んでくれた。病院生活の無聊をかこっていたらしい。暫くお喋りなどして、元気が戻ってきた姿にほっと安心した。二階での寝起きを一階に。介護ベッドを使って、とにかく無理のない生活を心がけることだと私も思う

<やがて梅雨明け>

今年初の蝉の羽化。昨年は庭で70匹生まれた(これは昆虫大好き老年の御隠居サンが記録をとった数)庭には丸い穴がアチコチ沢山開いていたが、今年はどうだろう?

 

 

御隠居サン、撮影。6月29日羽化 第一号 ヒグラシ。さあ、夏がやってくる。

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今年も咲きました。一夜限りの月下美人。

2016-06-30 08:05:02 | 日々の中で

6月26日、今年初めての月下美人が咲きました。

40年前こっそり沖縄から持ち帰った社宅庭の月下美人の葉2枚。

庭いじりの好きな舅が育て、夫が引き継ぎ、幾つもの鉢に増えました。

この南国の花は、ご近所や友人達にも差し上げ、花が開きそうな日には【月下美人の宵】

銀白の花びらが少しずつ開いていく様子を眺めながら・・・馥郁たる香りに包まれて。

夜明けとともに、花は一夜限りの命を終えます。しぼんだ花弁は、

チョット茹でて甘酢で和えたり、冷凍して鍋物にいれたり。薬膳食材でもあるんです。

梅雨が終わると、灼熱の夏が始まります。

 

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山笠準備中 ちょっと見。

2016-06-27 11:04:59 | 日々の中で

 先日22日でしたか、博多座【夜の部】に行く前に、ちょっと【櫛田神社】と【博多町屋ふるさと館」へ立ち寄りました

間もなく【博多山笠】が始まりますので、それにちなんで、”愛らしかあ、赤ちゃんの山笠化粧まわし展”が企画されてそれに叔父や従弟達の幼いころの写真や衣装などが展示されているとのことでしたので。

 

  

博多独楽などの郷土玩具や、【どんたく松囃子】を人形で・・・。博多織や曲げ物の実演も披露、外人(白人さんが多かった)や観光客に、【博多御寮人サンの会】の方やボランティアの方が説明していらっしゃった。

お櫛田さん(櫛田神社)にちょっと立ち寄りました。

山笠見物席(スタンド)準備中。街中ですから狭い神社の境内に、こんなのを組み立てて・・・昔は、気楽に走って【追い山】見に行っていました。なんか・・・時代変わったなあ。どこにっても【観光国日本】になっています。良いことなのかどうなのか?

ついでにすぐ近くの実家の菩提寺【萬行寺】さんにお詣り。ご先祖様にご挨拶。

  

川端商店街を通って博多座へ。この商店街は、中洲が近いせいか、衣料を扱う店は殆どがお水系のお姉さま方用の、派手なのドレスの様な服ばかり「わあ、こげん、短かかドレスば着んしゃっちゃろうか!!」

 担ぎぐあいはどげんやろうか」と試しているようです。これは曳山。動きます。【飾り山は】別に。文字通り飾って皆さんが眺める山です。制作は博多人形師。山笠が終われば、一気に壊されてしまいます。

8番山笠の曳山は博多座で襲名披露の雀右衛門丈の演目【本朝二十四孝】でした。

見上げるとこんなのが!色んな博多弁が。

 

好いと~】(遠くから見つめて、好いと~・・・現代っ子はまだるっこしいでしょうね)

【好か~~ん】(ほんとに嫌いではない時も、若い子が照れくさそうに言うと可愛い・・・と思うんだけど)

山笠迄あと数日・・・・今年は太宰府から懐かしの博多へ…山笠見物に行こうかなあ。

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