蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

夏山の幻想

2013年06月30日 | つれづれに

 どこからともなく谷川の清冽なせせらぎを送ってくる薫風にそえて、木立を巡るツクツクボウシの哀愁味を帯びた声が、盛り上がった夏の陰にひそむ秋の気配を、ほのかに感じさせていた。
 草いきれがむらむらと立ち昇る山径にしゃがみ込んで、五郎は半透明の絹の捕虫網をしぼるようにして、片隅に一疋の蝶を追い込んだ。枯葉色のその蝶は、次第に迫ってくる五郎の掌に鱗粉を空しく散らせながら、最後の足掻きを繰り返した。その足掻きが、沈黙以外にすべを持たぬ虫であるだけに、却って五郎に一抹の憐れみを感じさせた。
 しかし、中学1年生の単純な心を支配するある意志は、その憐れみをたちまち逞しい力で抑圧してしまった。五郎の手はネットの隅で羽ばたく蝶を容赦なく捕え、2本の指の間に、その胸を押しつぶした。 
 無言の恨みをこめて2本の触覚が哀しげに痙攣した。パラフィンの三角紙に包みながら、五郎の頭の中に「ヒオドシチョウ」という名前が、事務的に閃き去った。

 そんな五郎の背に頭に深緑の反映を投げかけながら、真夏の陽光がギラギラと照りつけた。小径の腐葉土の上を慌ただしく右往左往する山蟻の黒い一疋が、鮮明な光沢をもって暑さにうるんだ五郎の眸に映じた。じりっと吹き出る汗を無意識に手の甲で拭いながら、五郎はしばらく山蟻の背のつややかな光沢に心を奪われた。
 (厳冬に泣かねばならぬ愚かさを本能的に悟る蟻は、この酷暑の中で勤労に励んでいる。もし彼らに耳があるとすれば、梢に高らかに歌い続ける蝉の声を何と聴くことだろう。……しかし、無感動に蟻は往来する…)
 
 五郎の無意識の思索は、その時つと山蟻の上に差した人影によって破られた。白い靴の足が伸びて、山蟻を踏みにじった。五郎は突然の狼藉をなじる目で、影の人を見上げた。
 背景の入道雲と蒼空の中に立つ女の姿があった。この暑さに汗をかいている様子もなく、焔のようなルージュに彩られた唇の端に、ゆがめたような皮肉な笑いが漂っていた。半ばの驚きを表す五郎の無言の顔に、ピンクのブラウスに純白のスラックスを着けたその若い女は、挑むような目で言葉を浴びせた。
「あんた、水持ってない?」
 五郎は、返事が喉につかえたように、まばたきをして女を見上げた。そんな五郎に構わず、女は言葉を続けた。
 「彼氏にはぐれて、道に迷っちゃった。喉が渇いたんだけど、水もってないかな」
 五郎は、言葉を忘れたように無言のまま、水筒を肩から外してそっと女の前に差し出した。その水筒の上を、真っ赤なトンボが一疋スイと流れて去った。
 女は水筒を受け取って、ものも言わずに飲んだ。目を閉じて喉を鳴らす女の姿に、五郎は人間離れした不思議な空気を感じて、ぶるっと身震いした。それでいて、何か心が魅かれるようでもあった。女は顔をあお向いて喉を鳴らし続けたが、その無くなっていく水のことよりも、女の白い喉にギラギラと照りつける陽光が何故か気になった。緑の木立のせいか、蒼白いほどに透明な喉元だった。そして、ピンクに盛り上がる両の胸。……
 「あゝ、おいしかった。ありがとう」
 女は飲み終わると、そう言った後で、思い出したように水筒を耳元で振った。
 「あら、なくなってしまったわ」
 一瞬、女は遠いところを見詰めるような目で、無感動に五郎の顔を見下ろした。笑いのない冷たい顔……これがさっきと同じ顔なのだとは、およそ想像も出来ないような激変した顔に、五郎は再び寒々としたものを感じた。しかし、女はすぐに元の、あの皮肉な笑いの漂う顔に戻った。
 「悪かったわね」
 そう言われても、五郎はまだ無言だった。不思議に女に怒る気持ちはなかった。
 「虫採りか、楽しそうね。……はい、水筒」
 女は五郎の沈黙を非難する様子もなく、その顔に視線を一瞬とめた後、ちらりと微笑んでから水筒を返して、くるりと山径を去って行った。純白とピンクの姿は、たちまち緑の中に没した。……

 五郎は依然としてしゃがみ込んだまま、茫然と女を見送った。女の去った向こうから、湧くような蝉の声が一段と高くなった。五郎の心の中には、まだ女の白い喉元が焼き付いていた。挑むような皮肉っぽい唇や目の色が、鮮やかな残像を保っていた。
 ……と、再び真っ赤なトンボが五郎の視野をかすめた。奇妙な喜びと、名残惜しい気持ちが五郎の心に湧いてきたのはその時だった。
 五郎はのろのろと立ち上がると、何かを求めるように小径を歩き始めた。足は自然に女の去った方に向かった。
 (あの人は、何故蟻を踏みにじってしまったのだろう?)
 蝉の声の溢れる中を掻き分けるようにして歩きながら、五郎は答えのない疑問を自問し続けた。

 山径をうつろに歩いていく五郎の頭の上に、掴みかかるような勢いで夕立雲が広がってきた。                              (完)

       …………………… …………………… ……………………
 高校3年の時に書いた掌編である。狐か、はたまた物の怪か、思春期の少年にとって、女とは謎の生き物だった(笑)
 
 これを載せた「北斗」という修猷館高校文芸部の同好誌に、「春雷」と題した原稿用紙40枚ほどの小説と、「初秋」という詩まで書いて……多感な思春期の、まだ昆虫少年だった頃の自分がいた。……60年の昔である。
             (2013年6月:写真:今年初めての月下美人)
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通り過ぎた時間

2013年06月29日 | つれづれに

 時間には重さがある。そして、その時その時の速さがある。

 少年の頃、一日はアッという間に過ぎた。遊び疲れる間もなく迎える夕暮れの速さに、いつも時を惜しんだ。70歳過ぎた今、また違う意味で駆け抜ける時の速さと、ずっしりくる時の重さに深い感慨がある。

 6月26日、長い長いリハビリが終わった。最後の揉みほぐしと滑車運動を終えた後の診察で、「ここまでくれば、もういいでしょう」という整形外科K医師のお墨付きをもらった。
 12月20日の「左肩腱板断裂修復手術」から、ちょうど27週189日目。術後150日までという決まりを、敢えて1か月以上伸ばして丁寧なリハビリを続けてくれた。同級生の整形外科医や義弟の陰の支援を受けたお蔭もあるが、毎日汗を流しながら筋肉の1本1本を探って揉みほぐしてくれた理学療法士G先生の献身が何よりも大きい。5人の理学療法士と二人の助手の女性に「長い間ありがとうございました」と頭を下げて回りながら、不覚にも目頭が熱くなった。「あと少しなんですけどねェ」と、ある角度でまだ少し痛みが出る肩を、担当の理学療法士のG先生が悔しそうにいたわってくれる。もう、感謝の言葉がない。

 術後2週間目に転院し、1日2回のリハビリが始まった。そして、6週間過ぎたところで三角巾が取れ自力リハビリを開始。病室の壁に貼った10センチ刻みのテープを指梯子で辿り、目の高さの150センチで痛みに呻吟したあの頃。滑車で引き上げる左腕の拳が耳までしか上がらず切歯したあの頃。リハビリ計画に「ラジオ体操が出来るようになりたい」「スクーバダイビングが出来るようになりたい」と書き続けたあの頃が、今では夢に思える。もう、腕立て伏せしても痛みを殆ど感じないまでに回復した。
 6ヶ月あまりの本当に長いリハビリだった。1度風邪で休んだ以外は、欠かすことなく通い続けてきた。60年の余生を残す10代の6ヶ月と、もう10年しか残されていない70代の6ヶ月では、6倍の重さの違いがある。相対速度は6倍の速さの差がある。それだけに、過ぎてみれば愛おしい189日だった。思い返せば、毎日の生活のリズムがリハビリを中心に回っていた。

 最後のリハビリを終えて帰る途中、駐車場の傍らの児童公園に寄った。誰一人遊んでいる子供を見たことがない不思議な児童公園で、先日の新聞記事を思い出しながらカタツムリを探した。盛りを過ぎたアジサイの葉の上に、一匹のツクシマイマイがいた。それを見付けて、どこかホッとしている自分がいた。

 その夜、家内が主宰する「たまには歌舞伎を観よう会」の仲間たちと、博多座大歌舞伎「市川猿之助襲名披露」の舞台を観た。「義経千本桜~川連法眼館の場」で、存分に「澤瀉屋(おもだかや)!」と声を掛けた。これはもう、快感だった。

 翌日夜、今年初めての月下美人が絢爛と咲いた。部屋に馥郁と香りを拡げる大輪の四輪。この花にも、父から母へ、そして私に連綿と繋いできた37年の重く長い時間がある。
 その花に励まされながら、翌日再び家内は入院した。

 それぞれに通り過ぎる時間は、限りなく重く、そして速い。
       (2013年6月:写真:アジサイの葉に憩うツクシマイマイ)

雨の瞑想

2013年06月24日 | つれづれに

 九州上陸をしきりに脅しながら、呆気なく東シナ海で消え去った台風4号。台風一過、束の間の薄日を半日落とした後、また雨が還ってきた。梅雨本番はこれから、7月中旬の梅雨明けまで、まだ1か月近い雨の季節が残っている。
 
 雨に似合う風物詩の一つ・カタツムリが急激に減っているという記事を見た。また一つ、喪われていくものがある。
 先年訪れた際に、カリフォルニアに住む娘のコンドミニアムの玄関先にパンジーを植えた。ひと晩で食い荒らされていた。「カタツムリだよ」と娘が言う。夜、懐中電灯を片手にパンジーの側に蹲って驚いた。わらわらと芝の間や立木の間から群がり寄るカタツムリの列が出来ていた。片端から拾い採って、遠くの藪に投げ捨てた。その数実に数十匹。
 「無駄だと思うよ」と娘が笑う。翌朝、やっぱり食い散らされたパンジーの哀れな姿があった。その夜、再び蹲った目の前に、「押し寄せる」と表現したいほどのカタツムリの群れがいた。駆除する薬剤はあるのだが、愛猫サヤのお散歩コースであり、薬は撒きたくないと娘が言う。帰国するまで、毎晩不毛の戦いを続けた。殺せないのは、私の性分である。

 そのカタツムリが滅びつつあるという。原因の一つは、20年ほど前に貨物に紛れて侵入した外来種・地中海産のオオクビキレガイという細長い殻のカタツムリだという。薄暗く湿った所を好む日本産と、乾燥に強く、ほぼ年中活動する外来種との戦いは、都市化が進んで乾燥した場所が増えた戦場では、おのずと勝負は見えている。殻を捨てたナメクジも交えて、これからの推移を見守ってみよう。
 翌日の記事にあった。カタツムリのように殻を背負うと、乾燥や外敵から身を守るには都合がいいが、殻を作るために余分な養分を必要とする。だから、食べ物が少なくても生きていけるように、ナメクジは殻を捨てたという。進化の妙に、改めて感心する。
 蝸牛(カタツムリ)、蛞蝓(ナメクジ)……漢字を見ているだけでも楽しくなってくる。

 都議選が勝った負けたと喧しい。僅か43%の投票率しか取れない民の絶望感を顧みず、昨日までやる気もない公約を掲げて二つ折りになるほど最敬礼していた候補者が、権力を手にした途端に反り返り、上から目線で傲岸に党利・党略・権勢欲に明け暮れる。こんな争いを「蝸牛角上の争い」という。カタツムリの左の角にある触氏と、右の角にある蛮氏とが、領地をめぐって争ったという寓話(「荘子」)から、「つまらない争い」のことを言う。言い得て妙である。

 ラカンマキの垣根の上を、今年もせめぎ合いながらカラスウリが蔓を延ばしている。その葉裏に、一匹のアマガエルが目を閉じて瞑想していた。雨を待っているのだろうか、「われ関せず」と超越し、じっと雨を待つ姿に心鎮まる思いだった。カメラを近づけたら、「…るっせえなァ」と言わんばかりに、目を開いて睨みつけてきた。

 行きつけのクリニックの待合室の写真を入れ替える。暗闇の中に浮かぶツクシカラマツと、今盛りのオオバギボウシ、アメリカの娘が一昨年の母の日に贈ってくれた斑入りシラサギカヤツリで爽やかさを演出する。

 雨の季節の徒然である。
                   (2013年6月:写真:睨むアマガエル)

Pipistrellus abramus

2013年06月16日 | つれづれに


 子供の頃、夏の夕暮れの空は、一面襤褸をぶちまけたような蝙蝠の群舞に覆われていた。細い竹竿をビュンビュン振り回したり、タオルに石を包んで放り投げたりすれば捕まえられると誰かに教えられ、夕闇の迫る中で近所の悪餓鬼たちと遊んだ。それで捕獲出来た記憶はないが、濡れ雑巾を掴んだような不思議な感触が今も残っているから、手に取ったことはあるのだろう。
 「コウモリ来い、豆やるぞ」…そんな歌を歌いながらタオルを投げ上げていた記憶がある。ユスリカ、ヨコバイ、ウンカ、小型甲虫を食べる肉食動物だから、豆を食べる筈もないのだが…。
 日本では唯一家屋を棲家とする蝙蝠で、正しくはアブラコウモリ、別名イエコウモリ、学名をPipistrellus abramusという。シーボルトが長崎で捕えた頃、北部九州ではアブラムシと呼ばれていた。abramusという学名の由来である。この名前は、江戸時代には全国的な呼称だったという。 それほど身近だった蝙蝠を、夕空に見なくなってから久しい。雀が減った理由と同じく、日本家屋が軒下を塞ぐ工法に変わっていったことにもよるのだろうが、この激変ぶりは、それだけではあるまい。

 数年前から我が家に1頭のアブラコウモリが棲むようになった。飛び立つ姿は1度見かけただけだが、今年もいつもの軒下の犬走りにお馴染の糞が散らばり始めた。一緒に1匹の小さな虫の死骸が転がっているのは単なる偶然か、餌の取りこぼしなのか不明である。失われた風物詩の復活を祈りながら、毎朝糞を確かめるのが日課になった。

 朝6時前…。空気は湿っているが、まだひんやりと涼しい朝風の中で道路の落ち葉を掃く。このところしきりに散る山椒の葉に混じって、1匹のアオナブンが潰れていた。クヌギの樹液に寄る虫たちを採集していた頃の常連である。
 見上げれば、高い梢の先で数十個の八朔が青い実を育て始めている。庭木の間を小さな狩蜂が数匹、餌を探して飛び回っている。ベッコウバチやクロアナバチ、ジガバチなど大型の狩蜂が飛び始めるのは、餌が育つ梅雨明け後の真夏である。
 風の吹くままに隣の棒に巻き始めたオキナワスズメウリの蔓を外して巻き替え、玄関から庭の奥に連なるラカンマキの上を、今年もせめぎ合いながら伸びるカラスウリの蔓を確かめる。
 蔓延り過ぎたミズヒキソウを思い切って間引きし、ミヤコワスレやシュウメイギクの風通しを良くする。今年初めての月下美人が、とげとげの蕾を9つ伸ばし始めた。

 ひと汗流して縁から上がったら、明日の入院を前にした家内が起きてきて、朝ご飯を用意してくれていた。ガステーブルの火口を点検に来たガス屋さんが持ってきてくれた自家製のレーズン・パン1枚をトーストし、友人が300坪の畑から朝採りして届けてくれた新鮮なキュウリと紫玉ねぎにトマトとウインナーを添えたサラダ、そして牛乳…人の厚意に支えられたいつもの朝ご飯である。

 朝晩かき混ぜている糠床が、ようやく美味しい香りに熟成してきた。ラッキョウ、梅酒、梅サワー、そして糠床。すっかり漬物づいた蟋蟀庵ご隠居である。
 朝食を終えて洗濯物を干す頃、日差しは一気に苛烈さを増していた。今日も暑くなりそうな「父の日」の朝である。
                    (2013年6月:写真:アブラコウモリの糞)

のちのおもひに

2013年06月13日 | つれづれに

 ホタルガが黒地の翅の縁の白線を車輪のように閃かせながら、庭木の間を舞った。梅の木陰を飛ぶユウマダラエダシャクが、例年になく多い。今朝は5羽が縺れるように舞っていた。
 鉛色の梅雨空が、早めの黄昏を引き寄せる。高湿度の大気が不快指数を煽り、昨日は遂に今年の最高気温32.4度を記録した。今日は4度も低く、28.5度までしか上がってないのに、滲み出る汗は昨日に勝り、半端ではない。少し体を動かすだけでも、全身に汗が滴ってくる。
 細い蔓が伸びはじめたオキナワスズメウリのプランターを玄関脇のフェンスの下に移して、7本の棒を立てた。俯いて作業する額から眼鏡の裏に落ちる汗に苛立ちながら、棒をフェンスに括り付ける。
 その傍らに野放図に蔓延るミズヒキソウの葉が、不規則な半円形に切り取られていた。ハキリバチの仕業である。どこか近くの庭石の下などの、自然の隙間に巣作りしているのだろう。暇に任せて数えてみたら、二十数枚の葉から165枚が見事に切り取られていた。勤勉な蜂にとっても、巣作りは決して楽ではない。一葉ごとの微妙に異なった切り口は、それなりの自然の幾何学模様である。

 ミズヒキソウ…油断すると庭中が乗っ取られそうな繁殖力だが、秋に真っ赤な小花をつけるこの花は嫌いではなく、適度に間引きしながら庭のあちこちにわざと蔓延らせている。「水引草」という名前に惹かれることもあるのだろう。そして、以前にも書いたように、立原道造の好きな詩に詠われた草花だから、余計に愛着がある。

      のちのおもひに      立原道造

    夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
    水引草に風が立ち
    草ひばりのうたひやまない
    しづまりかへつた午さがりの林道を

    うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
    ――そして私は
    見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
    だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた……

    夢は そのさきには もうゆかない
    なにもかも 忘れ果てようとおもひ
    忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

    夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
    そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
    星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう

 
 繁りすぎたキブシの枝を少し剪定する。庭先のアナバチの砂山は15個に増えた。梅雨の合間の、ささやかな造形の世界である。
                    (2013年6月:写真:ハキリバチの造形)

存在の希薄

2013年06月12日 | つれづれに

 「父の日」が近付くたびに、今日まで自分が父として祝われるに足りる生き方をして来たのかと、ふと慙愧の念に駆られる。ショッピングセンターの「父の日」特売のチラシに、「2980円のポロシャツ1000円!」などと出ていると、「ああ、やっぱりな」と「母の日」の特売との歴然とした格差を思い知らされる。
 「これって、一種のセクハラだろう」と空しく遠吠えしながら、台風の余波の蒸し暑い不快指数の中で、洗濯物を干していた。「父の日」とは、父が反省するための日かもしれない。(呵呵!)
 生理学的にも、命を宿した雌が身体を張って育み、雄は獲物を狩って外敵から種族を守りながら時々種付けするという太古の時代から、母と父の存在感の違いは否定しようがない。近頃頑張る「イクメン」たちが、この地位を引き上げていってくれることだろう…多分。歳をとって、既にもう娘たちの役に立つ場も少なくなってしまった…。

 横浜の長女に刷り込まれたことが二つある。1つは旅、もう一つは本。
 アジアの旅にのめり込み、インドネシア・バリ島にハマったきっかけは、この娘の先駆けだった。ジャワ島の世界最大の仏教遺跡・ボロブドゥールやプランバナン、バリ島のベサキ寺院、タイ・バンコックの暁の寺ワット・アルン、水上マーケット、アユタヤの廃寺…長女の旅の後追いで、アジアの旅にのめり込んでいった。食わず嫌いでいた海外旅行への道は、こうして開かれていった。
 「阪急電車」「県庁おもてなし課」「空飛ぶ広報室」…近年映画化され、いまドラマが進行している作品の著者・有川 浩(「ありかわ ひろ」と読む。「ひろし」と呼んで男と思っている読者も少なくないらしいが、れっきとした女流作家である。)長女の家で勧められて読んだ「図書館戦争」に始まる様々な分野の作品群を全て読みつくし、「ブックオフに持っていかない本」として書棚に並んでいる。 
 「自衛隊オタク」を公言してやまない作風は、時として殺人と破壊の集団・自衛隊賛美と叩かれることもあるようだし、憲法を改正して軍隊と認めようとする昨今の政治家の動きに利用されかねない危惧は消しがたいが、ここでは深くは追うまい。勿論、「60年安保闘争」の戦士のはしくれのなれの果てとしては、憲法改悪反対・第九条尊重の立場を堅持している。
 災害救援は既に自衛隊抜きでは語れないし、全ての無駄を排して設計された武器・兵器・航空機・艦船は、確かに機能美の極致にある。取りあえず「災害救援の一企業」の人間ドラマと自分を騙し、大いに楽しんでいる。
 「植物図鑑」「阪急電車」のほのぼの感はたとえようがないし、「三匹のおっさん」の痛快な世界は快感でさえある。「空の中」「海の底」「塩の街」というファンタジックなSFの世界が、実は一番のお気に入りであり、唯一好きな作品を挙げよと言われれば、ためらいなく「塩の街」と答える。
 本当は、七十路で読む本ではないのかもしれず、もっともっと若い世代向けの作品なのだろうが、何故か我が家は進化しかねている部分があるのか、ためらいなく楽しんでいる。旧冬、アメリカから帰国した次女のお供で雪の札幌ドームに「嵐」のライブを聴きに行ったし…「だから、同世代の人と話題が合わないのよね~」と家内が言って、Skypeの向こうで次女の爆笑をかった。

 何はともあれ、もう残りわずかな歳月を、希薄な存在感の「父の日」を慙愧の念でいたぶっていくことにしよう。
               (2013年6月:写真:有川 浩「塩の街」角川文庫)

砂山の謎

2013年06月06日 | 季節の便り・虫篇

 例年になく早い梅雨入り宣言から10日、二日ほどにまとまった雨が降った後、青空が戻って気温だけが上がっていく。近年の豪雨禍に怯えた気象庁が、ちょっと北上して様子を窺った梅雨前線の斥候(梅雨のはしり)に慌てて、宣言を急ぎ過ぎたような気がする毎日が続いている。
 そんなある朝、庭先に幾つもの砂山が出来ていた。直径5センチにも満たない小さな砂の塊が、洗ったような白さで盛り上がっている。そっと砂を払ってみると、小さな真円の浅いトンネルが現れた。何かの虫が這い出た跡だろうか?しかし、蛹らしい抜け殻も見当たらず、ただ砂の山だけがある。見回せば、砂山のない穴も幾つかある。5ミリに満たない綺麗な円形のトンネルだが、周りを探してもそれらしい虫もいない。何だか気になって、幾つも掘り起こしてみたが、それ以上のことはわからなかった。背中に滲む汗を感じながら、暫く蹲って遊んでいた。
 庭石から犬走りにかけて、曲がりくねった蟻の道が浅く穿たれていた。雨の季節の前に、必ず現れる長い長い移動の道である。こんな大自然のさりげない仕草に、いつもながら癒される。

 大分県姫島村でマーキングされて放されたアサギマダラが、北海道で見付かったという記事が新聞に出ていた。移動距離、実に1,160キロ!僅か翅を広げて10センチほどの蝶である。人間の身長170センチに置き換えると、19,720キロに相当する。地球1周が赤道周で43,077キロ(極周40,009キロ)というから、ほぼ地球半周の距離である。これはもう、脱帽するしかない。その距離を、春に北上し秋に南下する。往復すれば、地球1周の旅である。
 ところが、上には上がある。北米カナダから南米メキシコまで、片道5,000キロを翔ぶオオカバマダラという凄い蝶がいる。3世代から4世代かけて北上し、何と、カナダで生まれた世代は寿命を延ばして、1世代で5,000キロの南下を為し遂げる。北米では、別名モナーク蝶「蝶の帝王」という。卵から孵り、幼虫の時代を経た薄緑色の宝石のように美しい蛹は、やがて黒とオレンジのダイナミックな色に変わり、オレンジの地色に翅の縁を黒の斑であしらい、黒い翅脈を走らせて見事な蝶に変身する。
 大陸を越え、海を渡る途中、力尽きて墜ちる蝶も数知れないことだろう。それでも、レーダーに映るほどの大群が大空を渡っていく。人はその長距離移動を「驚異の大冒険」といい、「死者の魂が戻る奇蹟」というが、蝶にとっては本能に従う無心の営みでしかない。だからこそ、脱帽して、ただただ素直に感動してしまう。

 水無月6月。暦の上の入梅は11日、北部九州の平年の梅雨入りは6月5日…今がその時である。向こう1週間の予報に、雨マークはない。降れば降るで鬱陶しく、降らなければ福岡大旱魃の水不足の過去が頭をよぎる。人知を尽くしても、まだ気候・天候の支配には及ばない。それが又、大自然への畏敬の念を甦らせ、人間の卑小さを思い知らせもする。そして、その謙虚さこそ、決して喪ってはならない大切なものなのだろう。制御出来ない原子力に、懲りることもなく又依存しようとする愚かさも、憲法に「軍隊」と謳うことを公言する政治家が急増している怖ろしさも、その謙虚さを喪った証しに思えてならない。
 …と、今日も愚痴で終わってしまった。

 文学講座で「歎異抄」を読む。煩悩・三毒の一つは「愚痴」と学んだ。「愚痴」とは「物事の筋道が見えなくなること」という。
                    (2013年6月:写真:謎の砂山)

<追記>
 数日後、さらに増えた砂山の穴に出入りする小さな蜂がいた。アナバチの一種と知れたが、図鑑で特定出来ずに断念した。蜂の種類は多く、まだ同定されない種も多いという。ツユムシなどのキリギリス科を狩るクロアナバチや、蜘蛛を狩るベッコウバチ、蛾の幼虫を狩るジガバチなど、いずれも地中に穴を掘り、毒針で麻痺させて狩った獲物を引き摺り込み、卵を産み付ける。これらの狩人蜂に比べると、はるかに小さいアナバチである。
 中学生の頃、真夏の日差しに焼かれながら、何日もクロアナバチの巣作りを観察したことがあった。懐かしい「遠い日の花火」である。