蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

木漏れ日の微睡み

2020年03月25日 | 季節の便り・花篇

 青空が抜けた。それほどの戻り寒波もなく、いつの間にか冬将軍の背中は遠くなっていた。雲一つなく、最高気温22度という予報に、気持ちの中にもぞもぞと蠢くものがある。

 冬物のコートもトレーナーも、シャツもジーンズも、パジャマも全て片付けて洗濯機を2度も回し、2階のクローゼットに何度も行き来しながら、春から初夏に衣替えを済ませた。この晴天も今日まで、明日からしばらく雨模様が続く。浴槽を洗い、天婦羅蕎麦で昼餉を終え、ビデオで映画を一本観て……。
 ショルダーバッグにカメラを担いで歩き始めた。観世音寺のハルリンドウが盛りを迎えたから、そろそろ「野うさぎの広場」にも咲き始めているかもしれないと、期待が膨らんでいた。怒りのブログにも倦んだ。気分転換に、小さな春と戯れて来よう!

 午前中動き回ったせいか、博物館への89段の階段を上る足が少し重い。休館が続き、今日も人っ子一人居ない博物館を右に回り込んで、自販機で珈琲を買った。桜がそろそろ見ごろである。早速迎えてくれたのはシャガの花だった。
     紫の斑(ふ)の仏めく 著莪の花  高浜虚子
 もう40年以上昔になるだろうか、取引先招待の旅の途中、天の橋立で初めてこの花に出会って名前を知った。その時書いたミニエッセイに、この句を添えたことを思い出す。
 山道に入る手前には、濃いピンクの色鮮やかな西洋石楠花が満開である。

 木立の下に置いたマイストックの枯れ枝を拾い、少し息を切らしながら山道を辿った。静寂の中に、時折カーンと竹が弾ける音が聞こえるのも、いつもの通りである。ほどなく上りあがった「野うさぎの広場」に、残念ながらハルリンドウの姿はなかった。山野草の花時は短い。もう咲き終わったのか、まだこれからなのか、それは花だけが知っている。久住高原・御池のほとりの山野草も、1週間のタイミングで姿を見せてくれない。今年はきっとキスミレもヤマルリソウも、例年より早いだろう。4月になったら走ってみようと思った。
 
 木漏れ日の中に、一人用のシートを拡げる。畳めば手のひらサイズになり、ショルダーの脇ポケットに収まる優れものである。缶コーヒーで喉を潤し、シートに横たわった。
 静寂を感じるのは、決して無音ではない。風の音、転がる枯葉、かすかな鳥の声……そんな中にこそ静寂がある。それは、20メートルの海の底でも同じだった。サンゴをかじるブダイの歯の音なのか、絶えずどこかでカチカチと音がする。岩礁にぶつかる涛の騒ぎ、レギュレーターから泡となって湧き上がる呼気のざわめき……そんな音に包まれてこそ、静寂があった。
 風が葉末を揺するたびに、瞼の裏で影が踊る。耳元を何かの羽音が掠める。手の甲を、山蟻が歩きまわる。束の間、微睡んでいた中で、かすかな野生の叫びを聴いたような気がした。30分ほどの憩いに、コロナ騒ぎも何もかも忘れて、至福の時間が過ぎていった。

 汗が引いたところで立ち上がり、マイベッドを片付けて広場を去ろうとしたが、ハルリンドウに未練が残る。咲き残りか咲き急ぐ慌て者の花が一輪でもないかと、広場をうろつきまわった。キチョウが戯れてくる。小さなスミレにカメラを向けて蹲ったとき、目の前に蕨を見つけた!十数本を摘み取り、今夜の味噌汁で味わうことにした。広場が用意してくれた、ささやかなお土産だった。
       早蕨の にぎりこぶしを振り上げて
           山の横つら はる風ぞ吹く   (四方赤良:太田蜀山人)
 ほほえましくなる、江戸時代の狂歌である。

 息が上がる登りと違って、帰りは足元を見るゆとりが増える。可愛いスミレや、初々しい新芽を見つけてカメラに収めた。博物館への106段の階段を降りようとしたとき、視野の隅をを青い色が掠めた。やっと見付けたハルリンドウだった。
 ジロボウエンゴサク、ムラサキケマン、土筆、枝垂桜などをカメラに収めて、2時間半の散策を終えた。

 マスクも要らず、交通費ゼロ、缶コーヒー140円だけで、コロナも怒りも忘れて、こんな至福の時がある。

 新聞に見た、1月生まれの今日の運勢
       「激しさが消えてマイルドになり、自己主張しない」
 ハハハ、すっかり見透かされていた。
                          (2020年3月;写真:九州国立博物館の桜)

疑心暗鬼

2020年03月24日 | つれづれに

 つい先頃まで、大型クルーズ船が着くと、観光バスが雪崩のように太宰府に押し掛けていた。天満宮の参道は、通り抜けるのも難儀するほどの雑踏となり、日本語を聴くのが稀なほど、アジア系観光客であふれていた。もはや観光公害となっていたから、福岡県でコロナが発症するとしたら、それは太宰府からだろうと覚悟していた。だから、1月2日に初詣でに行って以来、ここは近寄ってはならない鬼門となっていた。

 実は、その参道に近接して、20年来我が家のホームドクターとなっている病院がある。定期的に処方してもらっている薬が、カミさんも私もなくなった。10日ほど様子を見ていた。発症の知らせはない。しかし、疑心暗鬼が町内でも根拠ない噂を生む。
 「参道の商売に差し障りが出るから、きっと隠してるんだよネ!」
 もちろん、根拠なんて何もない。ただ、高齢者は重篤になりやすいというコロナウイルス肺炎である。「80代高齢者死亡」というニュースは、連日のように放映される。そのうちに、「コロナ弱者」という言葉も生まれるかもしれない。気持ちの底には、すでに覚悟を決めて居直っている部分もある。
 我が家は後期高齢者どころか、もはや末期高齢者。先天性再生不良性金欠(!)という不治の病(?)を抱え、懐ではいつもシジュウカラが鳴いている(笑)。
 主治医に電話した。私の分は電話で処方出来るが、カミさんの分は2ヶ月経っているから、診察しないと処方出来ないという。諦めて、イヤだイヤだと渋るカミさんを乗せて病院に走った。
 驚ろいた!待合室には、マスクしていない患者が何人もいるではないか!おまけに、マスクしていない事務員までいる!!息を潜めて、処方が出来るのを待つしかなかった。

 世界的パンデミックが拡大し、東京オリンピックも延期が必至になった。克服出来なければ、本当に人類存亡の危機になるかもしれないというのに、まだまだ日本では危機意識が低い。若者の無責任な行動も続いているし、「要請」を無視して全国から数千人を集めてK1大会を開いたり、地下アイドルのライブが開かれたり、信じられない事態が続いている。
 後手後手に中途半端なことを「要請」し続けるだけの政府だから、そして、嘘に嘘を重ねる鉄面皮の首相の「要請」だから、徹底するわけがない。だから、弱者は自衛するしかないのだ。
 メルケル独首相の演説の深さに比べ、日本の為政者の言葉のなんという貧しさだろう!

 「安倍晋三首相は22日午前、防衛大学校(神奈川県横須賀市)の卒業式で、自衛隊最高指揮官として訓示し、憲法9条に自衛隊を明記する憲法改正に改めて意欲を示した。」産経新聞の記事を見たアメリカの次女が、「信じられない!」と言って、こんなネットの投稿を送ってきた。
 「ちょっと待て。全国の小中高大(うちの大学もそう)が、代表者だけの簡素な卒業式を行う最中、ここだけは通常開催か?しかも自粛を呼びかけた当の総理が出席。しかも、そこで改憲をぶち上げる、二重三重の異様さ」
 気が付かなかったが、テレビや新聞で、この記事は出ただろうか?見た覚えがないし、出ていればきっと騒ぎになっていると思うのだが……。
 先日の首相記者会見も異様だった。予め提出された質問に対し、(多分官僚が書いた原稿を)一方的に読み上げるだけで、背中を見せて去った首相。これは、茶番の「朗読劇」であって、「会見」ではない。官僚の人事権だけでなく、マスコミの報道まで規制し始めているのだろうか?それとも、ここにも「忖度」が影を落とし始めているのか?……これは、コロナ以上に恐ろしい「疑心暗鬼」である。
 「絶筆」になる一抹の不安を感じながら、毎回こんな怒りに満ちたブログばかりを書くのも、ホントしんどいなぁ~!

 マスクが店頭から消えてしまって久しい。「使い捨てマスクは、不織布を使っているから洗って再使用は出来ません」と言われても、無いものは無いのだ。手に入らないのだから、せめて洗って使うしかない。殺菌洗剤にひと晩漬けて、押し洗いして天日に干し、最後にガスストーブの熱風に曝す。ウイルスの吸引遮断は無理にしても、せめて自らの咳やクシャミや会話による飛沫を振り撒かないように、騙しだまし使っている。
 在庫が乏しくなった新しいマスクは、街中や人混みに止む無く出掛けなければならない時のために、大事に温存してある。

 そんな折に、古希を迎えた親しい友人が、手作りのマスクを4枚も届けてくれた。カミさんには花柄を、昆虫が好きな私にはトンボ柄の黒い布を選んでくれた。手に入らない市販のマスクまで5枚添えてある。
 応えるすべがない私たちは、せめて珈琲を淹れて感謝の気持ちを表すしかなかった。
 先日は、博多に住むカミさんの従弟のお嫁さんが、やはり手作りのマスクを4枚送ってくれた。この8枚は洗って使える貴重品である。
 市井の弱者は、こんな温かい思い遣りに支えられて日々を生きている。
                             (2020年3月:写真:手作りマスク)

観世音寺の春

2020年03月21日 | 季節の便り・花篇

 閉じた瞼に、一段と濃いオレンジが弾けた。コンビニお握りと浅漬けで飽食してシートに横たわり、ふっと睡魔に襲われる。まだ3月なのに、照り付ける日差しはもう5月だった。
 
 ……新型ウィルスの感染拡大を防ぐため、政府は「要請」の名の下に日常生活や企業活動にかかわるさまざまな自粛を国民に促している。本来は法的根拠のない「お願い」にすぎないが、自治体が全国ほぼ横並びで一斉休校に応じるなど、政府の「要請」は強制措置と同様の効果を発揮する。しかも、過剰自粛で社会的影響が生じれば、政府は「強制していない」と逃げられる。都合のいい「要請」は根拠も責任もないまま、長期化の様相を帯びる……
 
 朝の西日本新聞の記事である。「又か!」「やっぱり!」と思う。これが、無責任な安倍政権の実態である。
 やがて、桜の開花を迎えようとしている。しかし、「モリ・カケ・サクラ」のお蔭で、今年の桜は薄汚れて見えることだろう。
 
 そんな鬱陶しいことを忘れたくて、カミさんと散策に出た。昨日、観世音寺の参道で待ちかねていたハルリンドウの群生を見付けた。先週訪れたときは、誰かが掘り起こした痕跡だけで、毎年のように繰り返される心無い花盗人に情けない思いをしたものだった。
 暖かすぎる日差しに、きっと花たちも咲き急いでいるだろうと再訪し、ようやく巡り合ったハルリンドウだった。いつものように、蹲り腹這いになってカメラを向けた。
 私だけ独り占めにしては申し訳ないから、今日はカミさんへのお披露目である。
 コンビニでお昼を用意し、観世音寺の駐車場に車を置けば、もう目の前が春竜胆の群生地である。

 「春竜胆」と漢字で書いてみて、ふと「なぜ、竜の胆?」という疑問が沸いた。こんな時は、ネットに尋ねるに限る。
 ……和名のリンドウは、中国植物名の竜胆/龍胆(りゅうたん)の音読みで、中国では代表的な苦味で古くから知られる熊胆(くまのい)よりも、さらに苦いという意味で「竜胆」と名付けられたものである。リンドウの全草は苦く、特に根は大変苦くて薬用になる……
 なるほど、こんなかわいい花の名前にも、そんな謂れがあったのか。此処まで長く生きても、まだまだ学ぶべきことがある。

 キンポウゲ(ウマノアシガタ)、サギゴケ(変換したら、「詐欺後家」と出て苦笑い)、ホトケノザ、オオイヌノフグリ(これは、漢字では書きたくない!)……さまざまな野草の花をカメラにおさめて、太宰府政庁跡まで歩いた。
 広場は、折からの三連休で家族連れや学生たち、老夫婦など、コロナ騒ぎで遠出を避けた人たちで、そこそこ賑わっていた。草地にシートを敷いて、お握りの包みを剥いた。サクッとした海苔の歯ごたえに、南高梅の優しい酸味が口に溢れる。
 日差しの季節外れの容赦なさが心地よかった。後ろの土手の木立の中で、ヒヨドリが姦しく鳴く。先年、星野道夫写真展で買った鳥呼び笛をキュルキュルと鳴らして、ヒヨドリと戯れた。

 「隗より始めよ」という言葉がある。中国の戦国時代、郭隗が燕の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという(「戦国策」燕策の故事から)大事業をするには、まず身近なことから始めよ。また、物事は「言い出した者から始めよ」ということ。

 無責任な誰かに聞かせたい言葉である。しかし、隗から始めても、隗ばかりを集めると、こんなざまになる。「任命責任は私にあります!」と言いながら一度も責任を取らない総理だから、下の大臣や議員たちも、支離滅裂な回答をしようと、おバカなことをやろうと、誰も責任を取らず、大臣や議員に居座り続ける。
 愚者のもとには、愚者しか集まらないのだ。
                              (2020年3月:写真:ハルリンドウ)

早春散策

2020年03月12日 | 季節の便り・虫篇

 キリッと引き締まった早朝の空気を切るように、ウグイスの初鳴きが耳に届いた。昨年より12日早い!まだ7時前というのに、早起きのウグイスである。それも、舌っ足らずの幼い声ではなく、見事に整った練熟の鳴き声だった。いつものように、寝起きのストレッチの後のクールダウン散策の朝、半ば歩いたのり面の向こうの林の中から届いた春の便りだった。今日は、いいことがありそうな予感がした。

 朝食を済ませ、少し日差しに温もりが兆した頃、庭に降りて伸び始めた雑草を抜き始めたら、葉の上で憩うテントウムシを見つけた。
 「おや?誰か産まれたの?」……「テントウムシのサンバ(産婆)」……そんな馬鹿なオヤジギャグを呟いて、一人クスリとする。それほどに長閑でうららかな日差しだった。
 6日に、モンシロチョウを初見、昨年より6日早い出会いだった。プランターの隙間から、今年初めてのハナニラが開き始めていた。いいことがありそうな予感が、さらに高まる。

 雲一つない青空に誘われて、昼餉を済ませたところで、一眼レフのマクロに接写レンズを噛ませて早春散策に出た。今年初めての、秘密基地「野うさぎの広場」探訪に向かう。お向かいの玄関先にバイモが咲いていた。久し振りの出会いだった。早速、しゃがみこんでカメラを向ける。下を向いて咲く花だから、這い蹲らないと花芯をファインダーに捉えられないのだ。
 九州国立博物館への階段を上がる。例年、この土手で見付けるカマキリの卵塊を、この冬はとうとう見付けられないままに春が来てしまった。
 スッと日差しを切ったのは、アカタテハだった。成虫で冬を越すから、冬場でも晴れた日には庭先をかすめることがある。西洋では、Red Admiral「紅の提督」という異名を持つ。颯爽と躊躇いなく飛び過ぎる姿は、その名に相応しい。

 休館が続く博物館周辺は人っ子一人見えず、マスクもしないで早春の日差しを独り占めして歩くのは快感だった。雨水調整池を巡る散策路を元気なカエルの声に導かれながら辿る先に、お馴染みのネコヤナギが立つ。この暖かさに、見ている方が恥ずかしくなるほど、花芯をおっぴろげて花開いていた。イノシシの狼藉は相変わらずだが、今日は猪除けの鈴を着けていない。ポーンと打った柏手に、竹林を揺する風が応える。

 急な階段を息を弾ませながら車道に上がり、すぐに山道に折れる。珍しく枯れ枝が見事に払われていて、ちょっとびっくり!いつもの木陰に置いたマ・イストックの枯れ枝がそのまま残っていた。
 緩やかなアップダウンをゆっくり辿りながら、さまざまな新芽にワクワクして何度もカメラを向けた。ピントを合わせてシャッターを落とす間は息を止めるから、山道での撮影は結構胸が苦しくなる。
 途中の道端で、しっかりした形の良い枯れ枝を見付け、2年ぶりで杖を新調した。

 「野うさぎの広場」は、木漏れ日の静寂だった。さすがに、ハルリンドウには早すぎる。
 木漏れ日に立つ……木立に背中を預けて目を閉じると、瞼の裏にオレンジ色の春が弾けた。風が過ぎる。下の鬼すべ堂の辺りから、微かに人声が聞こえる。
 
 コロナを忘れ、マスクを忘れた一日だった。明日も、きっといい日になるだろう。こんな長閑な日々が、いつまでも続いてほしい。
                           (2020年3月:写真;葉末に憩うテントウムシ)

今、変わらなければ……

2020年03月11日 | つれづれに

 真っ青な空をバックに、沢山の花房を下げたキブシの黄色が映えた。記録的暖冬に背中を押されて、花の足取りも異様に早い。週明けには、もう桜の開花が予想されている。その桜を祝う卒業式は、多くが縮小したり中止されて、寂しい春を迎えようとしている。センバツ高校野球も、今日中止が決まった。
 日差しを散らすように吹く風は、まだ冷たい。平年並みの気温なのに、気持ちは既に春に切り替わっているから、余計に寒く感じられるのだ。

 薬局やスーパーの店頭からマスクが姿を消してから、もうどれだけになるだろう?我が家のマスクも心細くなってきた。根拠ないデマで、トイレットペーパーまで消えた。マスコミがどんなに否定しても、いったん煽られた人の不安は消えない。
 アメリカに住む次女から、こんなメールが届いた。コロナ感染が拡大するアメリカでも、非常事態宣言をする州が増えた。次女が住むカリフォルニア州もその一つである。
 「こっちも急にトイレットペーパーとサニタイザーのネット購入&配達がなくなって、お店に買いに行かなきゃいけなくなってきた。転売防止かなぁ? 配達に慣れきってるから、行くのが面倒!
 普段の生活は、全く変わりなしだけどね
 こっちはかえってマスクは禁止されてる。 咳や風邪の症状が出てる人のみ使って、感染予防の為のマスクは誤解を招くので使わないように… ってメールが、保険会社とか医療機関から出てるよ。 もともとマスクに対する考え方がだいぶ違うしね。
 ジムとかでは、使った器具をちゃんと消毒するよう、インストラクターが注意喚起するようになったくらいが最近の違いかな?」

 体調が悪かったら、仕事や学校を休んで家にいるのが当たり前。だから、マスクも使わないし、店頭から消えるなんて想像出来ないという。確かに、散歩中の人もマスク、マイカーの中でもマスク、どちらを向いてもマスクだらけの日本は、アメリカ人には異様に見えるだろう。マスクすべき病人がマスクをしないという不信・不安が、こんな状況を生み出しているのかもしれない。
 風邪を引いて熱があっても、無理して出社して働くことを良しとする日本人の価値観、そして「風邪ぐらいで休みやがって!」と謗る日本の企業の風潮を、もういい加減で変えなければならないということだろう。
 「俺が休んだら、会社の業務に支障が出る!」そう思うことで、自分の存在価値を確かめる……実は、そんなことで会社が立ちいかなくなるなんてあり得ないのだ。もしそれが事実であるとしたら、それはその人の働き方が間違っている。いつ自分が居なくなっても、業務に支障が出ないようにすることが、本当に「仕事が出来る人」の働き方であろう。現役時代、いつもそのことを心掛けてきた。だから、長期休暇を取って海外旅行などを楽しんでも、後ろ指を指されることはなかった。(一度だけ、有休をとって金毘羅歌舞伎を観に行ったら、ニュースで木戸を潜る姿が全国放送され、出社して部下からからかわれたことがあった。それもご愛敬だった)

 今回のコロナ騒動、社会活動や経済に大きな影響が出ているが、いろいろな意味で私たちの価値観を変える機会かもしれない。

 日本中で観光公害が生じて、現地の人々の生活を脅かし、文化遺産が痛めつけられ、日本人が静かに楽しめる観光地が喪われていっているというのに、政府が「さらに外国人観光客を、4000万まで増やす」と豪語していたのは、つい先頃のことである。それに乗せられた多くの企業が、今や倒産の危機に追い詰められている。

 観光地や水資源の山地が、ダミー会社を通じて中国に買い占められているという話も聞く。政財界は気付いているはずなのに、何の動きもないように見える。

 東京電力福島原子力発電所の事故から9年の今日、廃炉に携わる人が「登山に例えると、今何号目あたりですか?」と訊かれ、「山の姿も大きさもわからない状態」と答えていた。メルトダウンした原発の廃炉は、9年経ってもまだこの状態である。
 40年で、本当に終わるのだろうか?今年成人式を迎えた孫娘が還暦を迎える頃、双葉町には平穏な生活が蘇っているのだろうか?それでも、原発は一番低コスト言い張るのだろうか?

 価値観を変えるとは、生き方を変えるということ。しかし、もう私達には変われるほどの余生は残っていない。せめて「蟷螂の斧」を振り上げて、為政者を叩き続ける。それは、幼少ながら敗戦後に外地から引き揚げて、どん底の生活を経験した人間の責務であると思っているから。
 政府というのは、常に厳しい批判に晒しておかないと、とんでもない方向に舵を切ることがある。そのことは、無謀な太平洋戦争で310万人もの国民の死を齎した悲惨な歴史が実証している。

 夜空に輝くオリオン座をかすめて、夜間飛行の航跡が過ぎていった。今夜起きてもおかしくないベテルギウスの超新星爆発、それも既に700年以上前の出来事を見るに過ぎないのだが……。
                         (2020年3月:写真:青空に映えるキブシの花)

土筆立つ……腹も立つ

2020年03月09日 | つれづれに

 映画「Fukushima50」を観た。(座席指定が、一人置きになっていた!入り口での、チケットのもぎりもなかった!!)
 『原作は、90人以上の関係者の取材をもとに綴られた門田隆将の「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」。2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という、日本の観測史上最大の地震が発生した。全てが想定外の大地震が引き起こした太平洋からの巨大津波が、福島第一原子力発電所を襲う。全ての電源を失ったことで原子炉の冷却が不可能となり、原子炉建屋は次々に水素爆発を起こし、最悪の事態メルトダウンの時が迫りつつあった。1・2号機当直長の伊崎は、次々に起こる不測の事態に対して第一線で厳しい決断を迫られる。所長の吉田は現場の指揮を執りつつ、状況を把握していない本社とのやり取りに奔走する。緊急出動する自衛隊、そして“トモダチ作戦”の発動とともに米軍もついに動く。福島第一を放棄した場合、避難半径は250km、対象人口は5,000万人。その中で現場に残り続けた約50人の作業員を、海外メディアは“Fukushima 50”と呼んだ。避難所に残した家族を想いながら、作業員達は戦いへと突き進む……』(イオンシネマの映画紹介欄より)

 福島原発事故から9年、当時の首相の菅直人が、ある会で「最悪回避は、神のご加護だった」と述べた。冗談じゃない!この言葉で逃げた卑劣さが、この映画であからさまにされる。死を覚悟しながら現場で放射能の恐怖と戦い続けた50余人の人たち、その足を引っ張る首相以下政府と東電幹部の愚かさは、目を覆うばかりである。あわや首都圏を含めた関東・東北が死の放射能で覆われる危機的状況であったことに、改めて戦慄する。折角政権を奪い取ったのに無為無策、人材不足(むしろ人材ナシ)と政治を取り行う技量の無さを露呈し、あっという間に崩壊して安倍政権に奪還された主因となった事故だった。

 今、新型コロナウィルスで右往左往する政府の愚かさの原点がここにある。「モリ・カケ・サクラ」……隠蔽と欺瞞と虚言と偽造を繰り返した果てに、行き当たりばったりの後手後手の策を繰り返している中で、コロナウィルスは不気味に蠢き続けている。
 「盗人を見て縄を綯う」という言葉があるが、そもそも「盗人」であることさえ認識していないのではないか?とさえ思ってしまう。人の命の危機さえも、彼らは政治的に利用することを優先する……そんな思いに情けなさが募る。

 この映画が世界各国で上映されたら、おそらくオリンピック開催は崩壊するだろう。こんな日本、怖くて行けたものじゃない。そもそも、招致自体に大変な嘘があった。ある記事を引用する。
 『安倍総理がオリンピック招致プレゼンテーションで、福島原発問題を「アンダーコントロール(管理下に置いており)」、今までも現在も過去も「Safe(安全)」と強く述べたことで、今後、日本は海外に支援を要請することも、また汚染水を海に流すこともできない状況に自ら追い込んだ事になります。
 また、福島原発の「不都合な事実」は報道することも禁止されるはずであり、海外のマスメディアや特定のインターネット情報に頼ることになり、大方の国民は、本当の福島原発の姿を見ることが出来ないようになります。
 なぜなら、一国の総理が「アンダーコントロール」と国際会議で述べた以上、コントロールできていないという「不都合な事実」を報道することは、政府の意向に反することになり、風評被害を生んだとして懲罰を受ける可能性があるからです。
 これで東電は大手を振って今まで通りの情報発信で行くでしょうし、官僚も総理が問題ないと言っている以上、問題なく、それを覆す(否定する)のであれば、その事実を示せとなり、漏れ出した核燃料がどこにあり、どうなっているか、誰も分からない状態である以上、証明などできるものではないからです』

 東北3県の被災者の85%が、東京五輪が復興の役に立つとは期待していない。(共同通信の昨年12月のアンケート)
 7日、首相が福島県を訪問した。「いよいよ聖火リレー。この双葉町からの発信が、復興のシンボルになる」と挨拶した首相に、住民は冷ややかだった。「五輪のための見せかけの復興アッピールだ」。4日に双葉町の駅前など一部が避難指示解除された。しかし「五輪に間に合わせるために駅の周りだけ解除しても、俺たちは住めないのに」
 オリンピック招致時に総理が述べた「アンダーコントロール」という言葉に対し、「原発が近くなければ、俺たちはとっくに戻ってる。何を見てそんなことを言えるんだ」

 これが、今の日本の政治である。この9年で、政府はいったい何を学んだのだろう?「Fukushima」は、決して終わっていない。しかし、「瞋恚の焔(ほむら)」に身を焦がしてばかりいるわけにもいかない。「今が瀬戸際」と言われた2週間も過ぎた。

 早朝の散歩。石穴稲荷の参道脇の土手に、数本の土筆が立っていた。季節の移ろうままに、さりげなく立つ姿に癒される。今夕の膳に添えて、小さな春を味わうことにしよう。
                            (2020年3月:写真:春を告げる土筆)

啓蟄のドライブ

2020年03月05日 | 季節の便り・旅篇

 冬籠りしていた虫たちが這い出る時が来た。コロナ籠りのご隠居も、そろそろ這い出さずばなるまい。

 カミさんが「蟹、カニ!」と耳についた蚊のように言い続けていた。「30年、あの蟹を食べてない!」
蟹と言っても、我が家にとっての蟹はただの蟹ではない。北海道で食べた毛ガニやタラバガニも、島根で寒さに震えながら食べた松葉ガニも、わざわざ取り寄せて食べた花咲ガニも、上海で観光客価格でぼったくられた上海ガニも、カリフォルニアのサンペドロ ~ポーツ・オコールで、カモメに睨まれながら食べた名も知らぬ蟹も、マイアミで食べたスト-ン・クラブも……それぞれに懐かしい思い出を背負っている。
 しかし、カミさんが言う蟹は違う……。

 うらうらと日差しが降り、車窓一面に七寸ほどに伸びた麦が緑の絨毯を拡げていた。目に映る景色は紛れもなく春だった。しかし、一歩外に出ると、戻り寒波の冷たい北風が吹いて身体を縮こまらせる。筑紫野ICから九州道に乗り、鳥栖JCで長崎道に右折する。ひたすら西に走り、武雄北方ICで一般道に降りた。ナビの示すままに、武雄、嬉野、鹿島を経ておよそ100キロ、2時間のドライブの後に辿り着いたのは佐賀県藤津郡太良町……「竹崎カニ」というブランドの蟹どころである。

 太良町のホームページに、こう書いてある『竹崎カニは、太良町を代表する特産物です。カニの種類は全国的には「ワタリガニ」として知られているものですが、太良町の竹崎地区近海で獲れるものは特に「竹崎カニ」とよばれて珍重されています。有明海の干満の差でできる広大な干潟、その干潟に棲むプランクトンや小動物は、1日1回は潮の引いた干潟の上で日光を浴びます。食べ物をおいしくする遠赤外線を多く吸収したそれら小動物は竹崎カニの格好の餌であり、それを食べる竹崎カニはそれゆえに、格段に美味であるといわれています。』

 30年ぶりに、なじみのY荘を予約、ひた走ってきた。夏場は雄、冬場は雌が美味いという。この啓蟄の時期はもちろん雌。サイズによって一匹4000円から8000円ほどの幅がある。
 コロナ旋風を吹き飛ばそうと、思い切った。大きなカニを選んで会席を付けて一人9000円!かつて、長崎支店長のころ、諫早に住んだ。太良町は、そこから45分の距離にある。あの頃は、5000円でこのサイズの蟹が食えた……過ぎ去った歳月を思う。
 いいじゃないか、30年分と思えば、1年当たり300円は安い!(呵々!)

 若女将が、自ら給仕してくれた。「コロナ騒ぎでキャンセルが多くて」という。平日のこの日、客は私たちだけだった。
 カニの甲羅に日本酒を注いで飲む「甲羅酒」も美味い。しかし、今日は車、思い出をお互いに振る舞いながら、なりふり構わずひたすら貪り食った。有明海の滋養で育った竹崎カニは、味が深く濃い。
 蟹は、決して会話が弾まない。かつて口うるさい取引先の接待に、この宿を選んだことがある。蟹を毟り啜り食べることに集中すると、話をするいとまがないのだ。作戦は成功した。

 顔中で蟹を食べ、飽食に酔った。帰途、「道の駅太良」で買い物をし、満腹が誘う眠気晴らしに矢沢永吉を顎で聴きながら、うららかな日差しの下を走り帰った。
 今夜は、着ていったもの全てと、その中身をシッカリ洗わないと、カニの匂いは3度替えてくれたお絞りでも、石鹸で手洗いしても消えない。それが、味の濃さでもある。

 念願を果たしたカミさんに言う。「次は、30年後だね!」

 今日は啓蟄である。
                             (2020年3月:写真:竹崎カニ)