蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

スズメが消えた!

2012年01月06日 | つれづれに

 穏やかというより、少しばかり気掛かりと寂しさが付きまとうお正月が終わった。「今年も、残すところ362日になりました」などと戯れメールを、気の合ったボランティア仲間「五人会」に送って、お雑煮とお節料理に訣別した。

 「過激なお父さん」と呼ばれる最長老の私、優しさの中にも、それなりの熱い血を持っている多趣味のお母さん、それに3人の娘達はそれぞれの世代で独身を謳歌しながら、しっかりと自分の道を見極めて歩いている。博物館の3年間の第2期環境ボランティア活動を共にした仲間達…館内外の環境保全に関する事柄を市民目線でまとめた3冊の小冊子の編集を通じて結ばれた、気の置けない仲間達である。お互いに尊敬し合いながら、それぞれの個性と領域を侵さない大人のルールで結ばれている。だから、お互いのメールは常に全員に公開する。
 1年前の任期満了直前、最後の編集会議で館側との信じられないような意見の食い違いで激しい応酬を重ねた時には、一日に100通を超えるメールが飛び交った。時折集ってランチと会話を楽しみ、帰りに我が家で珈琲ブレイクをしてお開きにする…そんな仲間が出来たことが、3年間のボランティア活動の最大の収穫だったかもしれない。
 お母さんは、NPO法人で本格的に博物館の環境メンテナンスに取り組んでいるが、3人の娘達は忙しい日常業務の為にボランティアを辞め、一年毎に更新される登録ボランティアに残ったのは私一人となった。8ヶ月は数人の登録ボランティアだけで、月に6~8回通い詰めて作業を続けた。あとに続く第3期環境ボランティアが、長い研修を終えてようやく12月から現場作業に参加し始めた。本来、環境ボランティアは来館者と直接接点を持たない陰の黒子である。その黒子のその又黒子として、出しゃばらないように一歩退いて、第3期をサポートしながら見守っている。

 暮れから異常に気が付いた。あれほど姦しく鳴き騒いでいたカラスやカササギはどこに消えたのだろう?梅の花の蕾が膨らむ頃、群れを成して啄ばんでいたスズメが1羽も見えない。お向かえの庭木を「スズメのお宿」にしていた数百羽は、いったいどこに消えてしまったのだろう?澄んだ空気を弾かせていたシジュウカラも、いつも雌雄番いで電線からくぐもった声を落としていたキジバトも山に帰ったのか、もういない。風で落ちた八朔を半分に切って塀に差しても、去年群がっていたヒヨドリもメジロもまだ現れない。鳥の声が全く聞こえない日々がずっと続いている。
 山の木の実が今年は豊かなのだろうか?それとも、季節の狭間の単なる偶然の事象なのだろうか?大震災や異常気象、加えて原発の安易な安全管理による人為的放射能災害で痛めつけられた昨年の記憶がまだ血を流している中で、ともすれば悪い予兆を心配してしまう。
 静寂は決して嫌いではない。しかし、さりげない物音や生き物の声が時たま聞こえてこそ、その静寂はひと際冴える。スキューバ・ダイビングで潜る20メートルの海底の静寂は決して無音ではない。マウスピースから吐き出される呼気が泡だって水面に上っていく音は勿論だが、そのほかにも小石が触れ合うようなカチカチという音やきしむような物音、頭上で砕ける波音や、理由の知れない不思議な音が絶えず聞こえている。それが、一層静けさを深まらせるのだ。高齢者の多いこの団地の静けさも、時折聞こえてくる子供の声で深みを増す。いつも聞こえていた鳥の声が一切聞こえない静けさは、逆に心細さや不安感を助長してしまう。

 何事もない平穏な一年であって欲しいと切実に思いながら、夫婦揃ってこの月、それぞれ歳を重ねる。3日、太宰府天満宮の雑踏に初詣した。御神籤は、それぞれ小吉【鶯山に入るが如し】と末吉【雪に埋る梅の花の如し】とあった。…それでいい。多くを求めず、多くを欲せず、ただその日その日の平穏を大切に生きよう。
 父が彼岸に渡った歳まで、あと1年半あまりとなった。そこを越えた時から、私の本当の余生が始まる。
            (2012年1月:写真:太宰府天満宮・初詣の雑踏)

1月6日、このブログを書き終えて庭に降り立った瞬間、4羽の雀が屋根をかすめて飛んだ。そして、団地の裏の石穴稲荷の杜で、1羽のヒヨドリが鋭く鳴いた。オチがついてしまったが、心のどこかに安堵感がある。