蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

宴の終わり

2013年07月25日 | 季節の便り・虫篇

 早朝6時、ツマグロヒョウモンが羽化した。
 
 二週間ほど前、庭に用意した2箱のプランターにミッシリと繁ったスミレの葉裏から、突然のように10頭の幼虫が姿を現した。ふんだんに繁ってるとはいうものの、さすがにこの数は厳しい。餌を食い尽くすまでに、いったい何頭が生き残るだろう?
 団地内でスミレの草叢を探すのは容易ではない。山に運んで移す?何頭か間引きする?……いくつかの選択肢がないではないが、しかし、生存競争も大自然の掟、ここはじっと見守るしかないのだ。
 旺盛な食欲で、日毎スミレの葉がが蚕食されていく。日毎幼虫が大きく育ってくる。ハラハラしながら見守る毎日が続いた。
 やがて、プランターの縁で1頭が前蛹を経て蛹になった。指で触れるとピクピクと身をくねらせる。それが実に可愛い。茶褐色の棘とげの蛹に、不思議なダイヤモンドのように透明な突起がキラキラと輝いている。どんな役目を果たすのか、羽化した時にどこにその痕跡が現れるのか、いまだに私は解明出来ていない。

 3日前、スミレの葉が全て食い尽くされ、茎だけがツンツンと立つプランターから、幼虫の姿が消えた。もう殆ど成長しきっていた9頭だったが、いったい何処にいったのだろう?

   可能性①何処かの葉の陰で蛹になっている。
   可能性②スミレの株を探して、放浪の旅に出た。
   可能性③鳥に食べられた。
   可能性④狩り蜂の犠牲になった。

 このところ、幾種類かの狩り蜂が飛び回り、庭に巣穴を掘り始めている。狩られた可能性は皆無ではない。
 周辺の葉をめくり、枝を覗きながら蛹を探した。出窓の下に一頭、立てかけた園芸用の棒に一頭、プランターの縁の1頭と合わせて、計3頭の蛹の姿があった。あとの7頭はいまだ見つけられないでいる。

 7月24日朝6時、最初の1頭が羽化した。まだ縮こまったままの翅を引き摺りながら、足場を探していた。何度も滑りやすいプランターの縁から落ちるのを見かねて、本来許されないことだが、八朔の枝にそっと移した。しっかりと足場を確かめると、やがてみるみるうちに翅が伸び、垂れていた触角がピンと立っていく。時々翅を大きく広げたり閉じたりしながら、3時間。9時18分に、ひらりと飛び立った。羽化は成功した。ツマグロヒョウモンの雌だった。

 不思議ないじらしい動きを見せ始めたのはそれからである。何度も飛翔を繰り返しながら木立の間を飛び回るのに、何故か生まれた場所の周辺から飛び去ろうとしない。我が家の庭から離れようとしないのだ。
 11時半、折からの突風に煽られて、ようやくフェンスを越え、隣家の庭の向こうに運ばれていった。
 ところが数時間後、どうやって探したのか、再び我が家の庭に帰って来ていた。まるで、親の側から離れない子羊のように、とうとうその日は夕方薄暗くなるまで、我が家の庭で舞い遊んでいた。
 残された時間は少ない。早く伴侶と巡り合って交尾し、どこかのスミレの草叢を探して子孫を残さないといけないのに……。
 気を揉みながら、何かいじらしく、ほのぼのした一日だった。

 鎮まる気配を見せない猛暑の中、7月20日の夜を最後に、セミの羽化が見られなくなった。夜毎の宴は終わった。
          (2013年7月:写真:生まれたばかりのツマグロヒョウモン)

<追記1>翌日、ツマグロヒョウモンの蛹のダイヤモンドのように透明な突起は、左右5個ずつ二列に並んだ、見事な黄金色に変わった。これはもう驚異である。

<追記2>28日、どこか見えないところで蛹になっていたのだろう、雄雌それぞれ1頭が羽化し、庭の木の枝に止まって翅を揺らしていた。やはり、暫く庭の中だけで舞い遊んでいた。生命は逞しい。

<追記3>29日夕刻、鉛色の空の下で、夕顔のネットに下がっていた4頭目(雄)が誕生した。
 体調を壊して2階のベッドで臥せっていたら、家内がおろおろと涙ぐみながら知らせに来た。翅が伸びきれないまま地面でバタバタしているという。「何か障害があったのかしら?」と心配する家内を「そのままにしておきなさい」と宥めた。暫くして見に行ったら、松の枝に飛び上がり、しっかりとつかまって翅を伸ばしていた。まだ触角が垂れ下がり、身体が固まるのを待っている様子だった。夕闇が迫る。今夜はこのまま一夜を過ごすのだろう。
 翌朝7時40分、ヒラリと飛び立ってしばらく辺りを舞い、コデマリの葉先にとまって優雅に翅を開閉させた。羽化を無事終えた、感動の瞬間である。

<追記4>7月末までに確認できた羽化は、最終的に7頭になった。7割、自然界の確率としては、決して悪くないのではないだろうか?健気に大空に飛び立って行った彼や彼女にエールを送りながら、この章を閉じる。
 来年もきっと来てくれるだろう。

思い思いの夏

2013年07月21日 | 季節の便り・虫篇

 岩を割り裂く勢いでセミが鳴く。「蝉しぐれ」というには、あまりにも烈しく、土砂降りのクマゼミの合唱だった。

 早朝、朝飯前に参院選の投票に走った。気持ちの高揚など皆無の、そして支持政党も支持候補者もいない苛立ちの朝である。そういえばこの小さな団地で、候補者の声を一度も聞かなかった。
 一党独裁のリスクが日々高まる中で、せめて牽制し拮抗する第二党の復活を期待しながら、貴重な一票を投じた。参政権を辛うじて堅持し、自分の意見を反映するには、この一票しかない。若者を中心に、多分半数以上の国民が、その一票さえ行使しないのだろう。
 朝の投票所には、お年寄りの姿ばかりが目立った。その醒めきった隙間に、右傾化する与党が不気味に触手を拡げつつある。

 せめて空しさを洗い清めたくて、観世音寺に足を伸ばした。朝の散策を楽しむ人たちと「おはようございます」と声を交わしながら、境内を囲む杜を抜ける。
 高い木立から、土砂降りの蝉の声が降る。叩きつけるように降り注ぐ。傍らのコスモス畑には、早くもたくさんの花が開いていた。あれ?「秋桜」と書くのに、と思いながら、連日の暑さに倦んだ目に、優しいピンクが嬉しい。
 朝の静謐に浸りながらお賽銭をあげ、合掌して、自宅静養中の家内の回復を祈る。隣りの戒壇院にも手を合わせ、束の間の散策を終えて、クゥと鳴るおなかを宥めながら走り戻った。

 早くも日差しは苛烈さを増し、今日も34度を超える酷暑が予報されている。あと半月余りで暦の上の立秋を迎えるが、容赦ない烈日に衰えの気配はない。
 例年になく早い梅雨明けで夏が長い。果てしなく長く感じられるのは、決して加齢のせいだけでもあるまい。……と負け惜しみを言いながら、今日もしとど汗にまみれるのだろう。
 一昨日、6時に起きて気になっていた庭の草毟りに2時間を掛けた。入梅以来の草が生い茂り、梅雨明けしても突然の暑さの殴り込みに怯んで放置していた。汗をかくのも身体の学習期間が要る。学ばないうちに襲い掛かった暑さについて行けずに、全国で熱中症が拡大した。
 漸く身体に馴染み感が出てきて、庭の手入れに取り掛かった。一本一本引き抜くなんてまどろっこしい。スクレーパーで根こそぎに削り取っていく。連日の照りつけに固まった土をホースの水で和らげ、陣取りゲームのように端から削っていく。
 そのまま一日放置して乾燥させ、日差しが陰った夕暮れに掃き寄せ、篩にかけて乾ききった草だけをごみ袋に回収する。見違えるように綺麗になった庭に散水しながら自己満足に浸る。温度計を見ながら耐えるだけの汗よりも、思い切り身体を動かして豪快にかく汗は心地よい。
 こうして、ようやく身体に夏のリズムが還ってきた。

 夜毎の命誕生のドラマは、まだ続いている。葉先にしがみつく抜け殻は、もう40個を超えた。
 微笑ましい光景がある。前の夜に羽化した抜け殻にしがみついて翌日もう一匹が羽化し、翌々日に又その上で次の一匹が団子のように重なって羽化したり、一つの枝先でそれぞれ違う方向を見ながら、3個が飄然と風に吹かれて思い思いの夏を見詰めていたり……枝は無数にあるのに、何故か一つの枝に群がることが多い。先に歩いた痕跡が何かあるのか、たまたま登りやすいコースなのか、そんなに「おしくらまんじゅう」しなくてもよさそうなものなのに、と可笑しくなる。
 蝉には蝉の事情があるのだろう……。真っ盛りの夏である。
                   (2013年7月:写真:思い思いの抜け殻)

体内時計の不思議

2013年07月10日 | 季節の便り・虫篇

 一羽のアオサギが「ギャッ、ギャッ」と鳴きながら、夕日の最後の残照を翼の下に受けて南の空を渡っていった。梅雨明け後の酷暑を引き摺った黄昏は涼風とは程遠く、早目の夕飯を終えて片付ける額に容赦なく汗が滴る。

 今年も小学生を集めて開く「夏休み平成おもしろ塾」が近付いた。12年目を迎え、「塾長、老いたり」と自嘲しつつも、ボランティアとしてここまで続けられた果報を思う。ご町内のお年寄りの技を借りながら、お習字、お点前、大正琴、野の花の生け花、飯盒炊爨、火吹き竹体験、西瓜叩き、将棋、五目並べ、竹とんぼ飛ばし、割り箸鉄砲作り、ゲーム、九州国立博物館バックヤード・ツアー、町内探検と地図作り、夏野菜カレー作り、戦争体験語り、畑の野菜採り体験…幾つもの試みを、子供会のお母さんとお父さん達が惜しまず力を貸してくれて、いつしかこの塾は子供会主催に発展していった。第1回の生徒は既に社会人、鬼籍に入った先生方もいる。「わがまち」の一つの歴史である。
 そんな中で、欠かさず続けてきた一つに、「塾長先生の昆虫講座」がある。「怖い!と思ったら、逃げないで一歩近づいてよく見てご覧。きっと可愛いと思うようになるよ」そんな話で、何人もの虫好きの子供たちを育ててきたという自負がある。脱皮したばかりのカマキリが、抜け殻と対峙している姿を畑で見せたのが始まりだった。
 
 今年は「脱皮するセミの連続写真を参加賞にしよう」と決めた。そして、脱皮が始まったらお母さんたちに知らせて、希望者だけ我が家の庭に集まって、特別講座「セミの脱皮鑑賞会」を開こう。
 黄昏時から鳴き始めたヒグラシの声が漸く鎮まった8時半、盃一杯の梅酒でホロホロした気分で庭に降りた。毎年、八朔の根方から這い上がったセミが脱皮を繰り返し、ひと夏で40個ほどの抜け殻を残していく。アブラゼミ、ヒグラシ、そして最も多いのがクマゼミである。今年もその季節が来た。
 セミは、深い地面の下にいて、どうやって日暮れを知るのだろう?生物の体内時計の不思議さには、いつものことながら心がときめく。もう既に2匹のセミが枝先の葉末で脱皮の体制にはいっていた。

 その1匹に狙いを定めて低い木の椅子を持ち出し、両膝に両肘を三脚に見立ててカメラ位置を定め、撮影の体制を固めた。しっかりと葉にしがみついて、耐えるように動かない時がしばらく続いた。懐中電灯の灯りで捉え、息を凝らして待ち続けた。幸い、今夜は藪蚊も寄ってこない。
 いつの間にか背中が縦に割れて、せり出すように頭が伸びあがってきた。じりっ、じりっと上半身が乗り出してくる。風もないのに、その葉だけが微妙に揺れるのは、殻の中で懸命にせりあがる力をかけているのだろう。産みの苦しみさえ感じさせる、命誕生のドラマの始まりだった。前足が出る、らせん状に巻き込まれている鮮やかな緑色の翅が出てくる。やがて徐々に頭を下に海老反りになって垂れ下がった。そのままの姿勢がしばらく続く、後ろ脚はまだ殻の中でしっかり掴まっているのだろう。螺旋がほどけるように、緑の翅がゆっくりと拡がっていく。
 ある瞬間、一気に頭を持ち上げて下半身を抜き、前足で殻にしがみついた。それからの翅の伸展は、目を見張るように速い。翅脈を輝かせながら、体液がみるみるうちに翅を伸ばしていく。最も感動的なひとときである。

 こうして、ストロボを焚き続ける1時間半の命誕生のドラマが終わった。伸びきった翅の美しさは、もう譬えようがない。明日の朝、飛び立つ瞬間を確認するまで断定は出来ないが、多分クマゼミ、そして胸の共鳴板の大きさから、間違いなく雄である。
 2匹のクマゼミの無事な誕生にふっと溜息をついて、この夜のドラマに別れを告げた。

 「夏休み平成おもしろ塾参加賞」は、こうして一夜にして完成した。
              (2013年7月;写真;クマゼミの羽化)

<追記>
 翌朝5時に起きて、羽化の現場の枝先を見上げた。そこには、すっかり乾ききって色づき、飛び立つのを待つ精悍な姿があった。紛れもなく、クマゼミの雄だった。そっと指先に挟んで、くぐもったクマゼミ特有の鳴き声を確認して枝先に戻した。
 4時間後、「ワ~シワシワシワシ…」と元気に鳴きはじめた。我が家の庭での初鳴きである。

夏への扉

2013年07月08日 | 季節の便り・虫篇

 6月30日、アブラゼミの初鳴きを聴いた日の朝、我が家の庭の八朔の枝に、今年初めて脱皮したセミの抜け殻がとまった。
 7月3日、石穴神社の杜で昨年より4日遅れてヒグラシが初鳴きを聴かせた。薄明の5時頃には、明けやらぬ梅雨の雨音が束の間途絶えた中に、涼やかな声を送ってくる。日増しにその数は増えた。
 7月8日、いつの間にか抜け殻が7つに増えて、その傍らに動かない雌のヒグラシの姿があった。カメラを向けてシャッターを押した瞬間、声もなく朝の空気を切って飛び立っていった。

 ……もう3度目である。すっかりお馴染みになった待合室で、外の屋上庭園の木立を揺する風を見ていた。7月2日13時40分、手を振りながら歩いて手術室に入っていくのを見送りながら、やっぱり落ち着かない気持ちに追い込まれていった。
 直前に「簡単な腹部瘢痕修復手術ですから、心配いりません」と言う傍ら、麻酔中の心停止などとあらゆる可能性を克明に説明されると、心配しない方がおかしい。万一の場合の事故の際の医療過誤の訴えを恐れるのか、たとえ10万分の一でも可能性があれば、患者と家族に説明するのが決まりらしく、説明は克明を極める。
 「99%聞き流していいんだからね」と言い聞かせながら、不安を鎮める自分自身が落ち着かない。
 「術法は、開けた状態で3つの選択肢があります」冷静に聴こうと努めた。

 ……刻々と時が過ぎる。手術室の入口に掲げられた時計の運針が、いつになく遅く感じられて、片手の文庫本を開く気にもなれず、足を組んでは伸ばし、腕を拱いてはほどき、時折吐息をつきながら空調の音を聴いていた。
 後から待合室にはいった3組の家族が、次々に「終わりましたよ」と呼び出され、そそくさと部屋から消えていく。15時半を過ぎると、とうとう一人ぼっちの待合室になった。
 これまでは、いつも長女が横浜から駆けつけて一緒にいてくれた。それがどれほど心強かったかを、今更のように痛感していた。
 木立が揺れる。烈風が吹き抜ける。外は嵐の前のような不穏な様相である。

 ……16時15分。ようやく待合室のアコーデオン扉が開いた。「終わりましたよ。説明しますか ら、こちらへどうぞ」と若い執刀医が呼びに来た。膝頭がカクンと折れるような安堵感に、一瞬立ち上がれなかった。
 現代医学の凄まじいまでの術法に圧倒されながら説明を聴いた。じわっと湧いてくる安堵感に包まれながら聞き漏らすことがないように、身を乗り出して聴いた。頭から血が引きそうな術法に耳を塞ぎたい思いだが、シッカリ聴いて、遠くで気を揉んでいる娘たちに詳しく報告する責任が私にはある。
 30分後、麻酔から覚めてベッドのまま運ばれてきた。「お帰り!」掛ける言葉は一つだった。

 回復期にはいった個室に通う。季節は乱調、関東甲信地方が15日も早く梅雨明けして連日の猛暑が続き、搬送される熱中症患者がうなぎ上りに増え続ける。取り残された西日本は梅雨末期の豪雨が続いた。
 そんな豪雨の中でも、泥まみれになりながら地中から這い上がり脱皮して、ヒグラシが誕生する。命の再生のドラマが、しばらくこの庭で繰り広げられる。例年になく嬉しい命の輝きだった。

 昨日の激しい雷雨が嘘のように、苛烈な日差しが叩きつける朝だった。梅雨明けも指呼の間、今日の予報は34度とある。過激に「夏への扉」が開こうとしていた。我が家にはジンジャーエールが好きな猫はいないけれども、明るく開く夏への、渇望にも似た想いがある。

           (2013年7月:写真:ヒグラシの誕生)

「夏への扉」:ロバート・A・ハインラインのタイムトラベルSFラブストーリー。

 我が家では家族全員の愛読書だった。その中に、ジンジャーエールを好む「ピート」という名のユニークな猫が登場する。主役を食ってしまう重要な存在である。
 和室の障子の一番下を1枚切り取り、そこに「夏への扉」というシールを貼った。当時飼っていた愛猫の、外への出入り口である。

(ブログを書き終えるのを待っていたかのように、九州地方の梅雨明け宣言が告げられた。油照りの熱波の中でアブラゼミがジリジリと鳴いて、本格的な「夏への扉」が開いた。)