蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

終(つい)の車

2006年10月07日 | つれづれに

 10年ぶりの新車の匂いは心地よかった。秋の日差しに照り映えるシフォン・グリーンのメタリックな輝きに目を細めながら、これが我が人生最後の新車になるんだなと、ひそかな感慨があった。沖縄で中古の車を初めて買ってマイカー族となって以来、31年目である。
 ブランド・イメージやサービス網の充実から、これまでT社、N社の車ばかりに乗ってきた。勤め先に縁のあるMi社やMa社の車はどうしても好きになれず、頑として乗らなかったこだわりもあった。10年乗ったT社の車もお気に入りの愛車ではあったが、2,500cc、ハイオク・ガソリンの車は、この高燃費時代に少しお荷物になり始めていた。それに、ジジババの下駄代わりにするには大きすぎるし、孫達が帰ってくれば6人乗りでないと対応できない。それじゃあ、ということで10年目の車検を前に1,500ccに乗り換えることにした。
 年齢を考えれば、安全に乗りこなせるのはあと10年だろう。折から帰省していた娘夫婦にも一緒に試乗してもらい、「終(つい)の車」として選んだのがH社の車である。流れるように美しいスタイルのステーション・ワゴンである。最後の車だけは少し遊んでみたかったから、せめてもの贅沢にカーナビとリア・モニターを付け、アルミホイールを履いた。6年間の中国道45本のトンネルで真価を発揮したオート・ライト・コントロールも欠かせない。1ヶ月待って手に入れた新しい愛車は、ハンドル、アクセル、ブレーキ共に鋭敏に反応するし、これが1,500cc?と、昔を知る身にとっては驚くほどの加速性能である。その名も「エア・ウエーブ」…なんともロマンを感じさせるではないか!風の波となってハイウエーを疾駆する夢を見る日々が訪れた。
 納車の翌日、町内のK.Tさんが亡くなった。毎月お年寄りに公民館を開放する井戸端サロンの常連として、お得意の煮豆を持ってやってきていた。「区長さんが好きな煮豆、また持ってきたよ。」風呂場で倒れ、そのまま意識が戻らないままに彼岸に去った。72歳の若すぎる旅立ちだった。4日前、道端で30数キロの軽い体をいつものように風に吹かれるように飄々と歩くTさんとすれ違った。「Tさん、大丈夫?」「大丈夫やなかとよ。今、病院に行きようと。」私が交わした最後の言葉だった。
 町内全戸に訃報を配り歩いた朝、児童公園脇の階段で珍しくコミスジが舞った。褐色の羽に三筋の白線を流した小さな蝶である。風の吹くままにひらひらと流れていく蝶の姿に、思わずTさんの面影をダブらせていた。
 彼女の通夜に走ったのが、終(つい)の車の初めてのドライブとなった。日差しが日毎やわらぎ、秋風が立つ夕暮れだった。
            (2006年9月:写真:我が新車)