蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

早春の木立

2011年04月28日 | 季節の便り・花篇

 久住・長者原。一面、寂しいほどに刈り込まれた広大な「たで原湿原」の木道の傍らに、原種・日本サクラソウと、眩しく黄金色に輝くリュウキンカの花が風に揺れていた。九重連山の星生山(1762m)、三俣山(1745m)の頂は、夜来の風雨を白雪に変えていた。4月下旬というのに、高原はまだ早春の風の冷たさである。
 
 連休前の静寂に期待しながら、時折強く吹き募る雨と風の中を、大分道・日田ICで降りて、いつものように「ファームロードWAITA」に乗った。日曜日の午後、帰りを急ぐバイカーの集団や走り屋の車が対向車線を走り下っていくのを見ながら、ひたすらアップダウンの激しいワインディング・ロードのドライブを楽しむ。途中、お馴染みの店でヨーグルトを飲んで小休止し、黒川温泉、瀬の本を経由して、2時間半で久住高原コテージに着いた。雨と烈風の露天風呂で渦巻く湯煙に包まれながら、明日の山野草の花達との出会いを心待ちする夜だった。

 明るい日差しが高原を照らす中を、まだ咲き揃わないアセビを横目に見ながら牧の戸峠を越え、長者原で湿原を覗いてサクラソウとリュウキンカに出会った。この日の数々の小さな花達との再会の序章だった。
 やまなみハイウエーを右に折れ、崩平山(くえんひらやま1288m)を左に見ながら、曲折する道を黒岳(1587m)の登山口・男池(おいけ)に下る。毎年、欠かすことのない山野草撮影のポイントである。
 透明な湧水が豊かに溢れる男池水源を過ぎると小さな橋を渡る。キツネノカミソリが緑の葉を広げ、遊歩道から登山道にかけて、まだまだ小さな芽吹きの木立が静まっていた。渓流沿いの樹の根方に真っ先に姿を見せたのは、小さな人形の上着のボタンにしたいような瑠璃色の五弁花・ヤマルリソウだった。早春の男池周辺に咲くのは、殆どが子指の爪にも満たない小さな花である。ドライブの目が、一瞬にして観察の目に切り替わる。白く小さな穂を立てるハルトラノオ、少し行くと、淡い水色のヤマエンゴサクの群落、その間に紅色のジロボウエンゴサク、思いがけず鎌首をもたげていたのは濃い紫色のマムシグサだった。雨上がりの湿った土も厭わず、蹲ったり腹ばいになったりしながら、両肘を三脚代わりにして、クローズアップ・レンズと接写リングを使い分けて、次々とファインダーに捉えていった。
 ひとつの期待があって、かくし水に向かう登山道にはいった。錆色の葉に白い花弁と黄色い花芯のサバノオ、四角いお菓子を並べたような黄色のネコノメソウ、つんつんと尖った花弁で赤い花芯を包むシロバナネコノメソウ、枯れ木の陰に一輪のキスミレ、昔懐かしいチャルメラのような小さな花穂を立てるチャルメルソウ、時折エイザンスミレがこぼれ咲いている。
 木漏れ日が新芽の木立に注ぐ。山道を辿りながら、期待していたユキワリイチゲを探した。黒岳から下ってきた登山者が「登る時、蕾をふたつ見ましたよ。ヤマシャクヤクはまだ小さな蕾です」と教えてくれる。かくし水まで400m辺りで、岩道の急な登りがある。ヤマシャクヤクの群落はその先だが、家内の脚をいたわって今日は此処までとした。残念ながらユキワリイチゲは咲き終わり、侘しくしぼんだ花を2輪見ただけで終わった。寒暖激しい今年は、山野草の花時を読むのが難しい。
 男池まで戻る途中で、家内が清楚な2輪のシロバナエンレイソウと、慎ましく花穂を立てるヒトリシズカを見つけた。今日の山野草探訪の終わりを飾るに相応しい、心躍る瞬間だった。日常を忘れ去り、まだ春浅い山路の散策を惜しみながら車に戻った。やがて此処は、眩しいほどの新緑に包み込まれる。
             (2011年4月:写真:シロバナネコノメソウ)
 
文章にある山野草の画像は 観たり 聴いたり 旅したり(家内のブログ) 
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ハナニラに寄せて

2011年04月04日 | つれづれに


 本当に、なんという子ども達だろう!その健気さに、こみ上げるものを抑え切れなかった。12歳と10歳の姉妹が、大きな籠を背中に負い、自発的に避難所から50個のお握りと水を受取って、避難所に来れず救難物資も受取れないお年寄りの家に配って回っている。坂道の多い地域を1日3度、重い荷物に息を喘がせながら黙々と奉仕している。東日本大震災以来、幾度となく子ども達の健気な頑張りを見て涙した。震災の地獄絵はあまりにも凄惨過ぎて、もう涙さえ出ない。瞼を熱くするのは、親を失い、祖父母を失い、家族を失い、家を失い、夢を失い、思い出さえ押し流された人たちの、懸命に、そして時には明るくさえ見える「生きようとする姿」である。特に子ども達の、なんという健気さだろう。

 それに引き換え…ここから、怒りの連鎖が始まる。天災はまだ、諦めの底から立ち直ろうとする気力を呼び起こすことが出来る。しかし、想定を怠った言い訳に「想定外」を繰り返す東電の無様な右往左往、これは明らかに人災である。
 唯一の被爆国でありながら、算盤勘定の狭間で危機管理意識を薄めていったツケが、周辺住民に来た。安全を言い続けた連中が、現場に来ない。真っ先に言った台詞が「私達も被害者だ」…「ふざけんな!」と吐き捨てた住民の声が耳に残る。打つ手打つ手が全て実らず、場当たりとしか見えない不手際の中で、時だけが過ぎていく。
 天皇皇后が跪いて被災者の目線で語りかけているのに、立ったまま詫びて20分で去っていった東電副社長、高濃度の地域に屋内退避させられている避難民をよそに、病院に逃げ込んだ東電社長、情報コントロールしているとしか思えない政府、東電の対応…ツケは下手すると数年、数十年、あるいは数世紀の単位で残るかもしれない非常時である。「FUKUSIMA」は、最早日本だけの緊急事態ではないのだ。
 次第に情報が希薄になっていく中で、国と東電の巨大な陰謀さえ疑いたくなるような日々が空しく過ぎていく。正しい情報開示と的確な指示さえ為されていれば、数百株のキャベツを市場に送り出せずに自ら命を絶つ人もいなかった。
 政治が見えない。これほどの非常時なのに、相変わらずそれを政権争いの具に利用する愚かさ、こんな時に政党に何の意味があろう。今問題を露呈している事柄の多くは、今の野党が与党時代に始めたことではないか。二世三世の政治屋が、七光りの威光や持ち回りでこなしている大臣職に、何の力が期待出来よう。無知無能をさらけ出して途方に暮れている大臣もいる。何の実績も残していない泡沫政党が、したり顔で論を張る。憤りを超えて、殺意さえ抱きたくなる。

 乏しい年金から何度も義捐金の箱に投じながら、まだ満たされない自分がある。食卓に並ぶ料理の品数に後ろめたさがある。術後の湯治に温泉に走りながら、経済速度以上にスピードを上げられない自分がいる。チャラチャラと遊びまわっている若者達に憤りがある。そして、腹を立てるばかりで何も出来ない自分に苛立たしさがある。

 ……キーボードに過激に鬱憤を吐き出したところで、穏やかな春日がいっぱいに注ぐ庭に降り立った。変ることなく、陋屋は爛漫の春。庭のあちこちで、ハナニラが青紫の六弁の花を開いた。クサボケがオレンジの花びらを並べる。ヒメウズの小花が立つ。ヒゴイカリソウがうな垂れる。市民権を得た野草たちの花の季節である。ミスミソウ、エイザンスミレが盛りを過ぎ、咲き揃ったムスカリの横では、チャルメルソウの葉陰からジロボウエンゴサクとサギゴケの花が覗いている。はびこることを許したムラサキケマンが野放図なまでに花を咲かせている。ユキヤナギが日差しに眩しい。キブシがすだれのように無数の花穂を下げる。
 満開を迎えた桜が、やがて北上して被災地も花時を迎えることだろう。原発のめどがつき、ささやかな慰めの花吹雪が荒野と化した瓦礫を覆う日を待ちながら、今日も祈りの時が過ぎていく。
                    (2011年4月:写真:ハナニラ)

九博の杜から

2011年04月03日 | つれづれに

 早く書かなければと思いながら、キーボードに向かう気持の高ぶりが確かめられないままに1ヶ月が過ぎていった。それほどに、思い入れが強いテーマだった。
 九州国立博物館環境ボランティア第2期の任期が間もなく終わる2月末、1冊の小冊子が刷り上がった。「~周辺の自然との共生をめざす博物館~九博の杜から」(九州国立博物館 環境ボランティアから、市民目線のレポート)と表題を掲げたA4カラー刷り8ページの冊子である。およそ30人の第2期環境ボランティアの中から8人の有志が編集チームを組み、ほぼ8ヶ月掛けた労作である。

 地味な裏方の仕事・ミュージアムIPM(総合的有害生物管理)に携わる環境ボランティア…地球環境に配慮し、化学薬剤による燻蒸に頼らず、市民の目で隈なく館内を見守りながら、温度・湿度・埃・黴・虫などから貴重な文化財を守る…そこに生かされるのは、様々な人生経験を積んだ仲間達の、個性的な研ぎ澄まされた五感である。そして、第2期環境ボランティアに課せられたテーマは、そのミュージアムIPMについて広く一般市民に知らしめる為の外部への発信だった。
 昨年2月、館内活動を紹介する冊子「みどりの広報」を刊行し、好評を得た。その編集後記に、こんな一文を寄せた。「環境ボランティア全員のIPMへの熱い思いを寄せ合って小さな風を起こし、それが草の葉をそよがせ、木々を揺すり、やがて地球上に隈なく吹き渡って欲しい…そんな祈りを籠めて、この『みどりの広報』を作りました。私達の思いは届いたでしょうか。」

 第2作は、館周辺の自然環境に目を移すことにした。私が担当した一部、32種類の生き物の写真(その28枚は私が撮った)を並べた2ページに及ぶ図鑑「いのち育む豊かな里山・九博の里山に息づく生物より」の言葉を引用しよう。
 「かつてここは、天神の杜を包む豊かな里山でした。東に宝満山、西に四王寺山が控え、これらの山々の緑豊かな樹林には、数多くの野生生物が生息・生育しています。それらを背景にした九博周辺は、シイやクスノキ、竹林、調整池の水辺空間などがあって、餌も豊富な上に外敵から隠れる場所もあり、生き物の生息には非常に良好な環境が整っているのです。
 ベニイトトンボやオオルリ、キュウシュウムササビ、ニホンアカガエルなど、貴重な生き物が生息し、北側の湿地にイノシシが出没したり、裏山でノウサギを見かけたり、夕暮れの車道を小走りに駆け抜けるタヌキの姿に接することもあります。その豊かな自然をずっと守り続けたい……。ここに紹介するのは、ほんの一部です。九博に足を運んだついでにちょっと足を伸ばし、みどりの風に吹かれながら、ぜひ葉陰に息づく数々の命の息吹を感じ取ってみてください。」
 貴重なオオルリの写真は、家内のネット仲間の森田さんから、カワセミ、キビタキ、キュウシュウムササビの写真は、九州環境管理協会からそれぞれ提供いただいた。

 波乱の8ヶ月だった。志半ばにして仲間の一人が急逝し、巻末に追悼の一文を入れた。追い込みの段階で、編集方針や文言で館側との激しい応酬があって、挫けそうにもなった。殆どの仲間が傷つきながらも、励ましあって刊行に漕ぎ付けた。だからこそ、思い入れは一段と強い。この冊子を置き土産として、3年間のボランティア活動を閉じ、仲間の多くは去っていく。
 迷い、悩んだ挙句、もうしばらく一年更新の登録ボランティアとして残ることにした。3年前の情熱はかなり冷めてしまっているが、今度こそ誰の為でもなく、自分の為だけに楽しんで行こうと思う。何故ならば、「おらが町の博物館」だから。そして、何よりもこの博物館が好きだから。第3期の皆さんが、又新たな視点でこの活動を引き継いでいくことだろう。

 「九博の杜から」の巻末をこんな言葉で閉じた。
 「いつの日か、九博の建物そのものが大きな一本の木立となって、周囲の豊かな樹林の景観の中に溶け込むことを期待しながら、環境ボランティアの新たな第一歩を踏み出したいと思います。」
             (2011年4月:写真:「九博の杜から」表紙)