蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

冬籠りを愚痴る

2018年02月12日 | 季節の便り・花篇

 また雪が来た。目覚めたら、庭は一面の銀世界。キシキシと雪を踏みながら測ったら、積雪5.5センチ。雪を頂いて、庭木が重たげに枝を垂れて耐えていた。
 今冬、もう何度目の寒波だろう。伸び太った極太のツララが蹲踞に下がったのも、もう4度目?過酷な豪雪に耐える北国の人なら鼻で笑う程度の積雪でも、普段雪に慣れない太宰府では、思いがけない制約が生じる。我が家から下界(?)に下る50メートルほどの坂道が、娑婆を隔てる大きな障害となって冬籠りを余儀なくさせるのだ。
 ノーマルタイヤの車は横滑りするし、股関節を傷めてリハビリ中の我が身は真っ直ぐしか歩けないから、雪道で滑って身体を捻ったら厄介なことになるのだ。明日は博多座、勘九郎、七之助、松也……歌舞伎界期待の若手俳優たちが集う二月花形歌舞伎に行けるだろうかと気を揉みながら、鈍色の空から舞い落ちる雪を見上げていた。
 「磯異人館」、「お染の七役」、「義経千本桜・渡海屋、大物浦」、「鰯賣戀曳網」…お馴染みの演組を、珍しく奮発してA席を確保、美しいし七の助の七役早変わりを側近くで観ようと張り切っている。登山靴にトレッキング・ポールに縋ってでも行かねばなるまい。

 「79年も使い続けたんだもんなァ、機械だったらとっくにぶっ壊れてるよ。」人間の身体の強かさを思い知りながら、自宅で朝晩12種類のストレッチを続け、週2回整形外科で40分のマッサージを受けている。快復の足取りは遅いが、それでも真っ直ぐ歩くのに支障はなくなったし、階段や坂道も上り下り出来るようになった。長く坐っていると却ってよくない。3000歩までと制限された歩きを、家の中や庭先をウロウロしながら、温かくなって近在を散歩できる春を待っている。
 すり減った股関節軟骨は元には戻らないから、捻らないように気を付けるしかないようだ。このまま周辺筋肉を強化して補助し、何とか部品交換に至らないように、騙し騙ししながらでも天寿を全うしたいものだ。

 「冬に生まれたら、寒さに強い!」なんて俗説は、私にとっては嘘八百に過ぎなかった。福岡市のこの冬(12月~2月9日まで)の平均気温は6.6度。昨年より2度も低いという。雪が降った日は25日にも達し、昨年(11日)の2倍強。平成に入って最多の日数を記録した……但し、半世紀前までは12月~2月の平均気温は4~6度前後で推移し、最低気温マイナスの日はざら。降雪日数は40日を超えた冬もあった……こんな記事を読むと、余計に寒さがこたえる。そういえば此処太宰府に住み始めた40年前は、20センチ以上の積雪は当たり前だったし、長靴や登山靴で駅まで出て革靴に履き替え、ロッカーに預けて天神に出社することがよくあった。曰く、「太宰府は福岡の豪雪地帯」と。
 それを思うと、やはり間違いなく地球温暖化は加速しているのだろう。28度や29度で海に飛び込み、30度超えるとニュースになっていた子供の頃に比べたら、最近の夏の暑さは半端じゃない。34度や35度が当たり前で、たまに体温を超えるような熱波が天頂から苛烈な日差しを叩きつけてくる……それでもいいから、早く冬将軍が陣を畳んでほしい!……これが、1月生まれで冬が苦手なご隠居のホンネなのである。

 今日も、記録更新の雪が降っている。明日は積雪15センチと予報に出た。それでも、真っ白に覆われた雪景色は美しい。一句捻る雅趣はなくとも、何か書いてみたいと思う心はある。それがこの今朝のブログになった。些か愚痴っぽくなったが……博多の町育ちのカミさんは、もっと愚痴りたいことだろうが……フッフッフ、後の祭りである。

 暮れに下枝から咲き初め、次第に上に向かって開いて行ったソシンロウバイが、真っ盛りの上枝の花に雪を載せて冬の朝を飾っていた。
                  (2018年2月:写真:雪を頂くソシンロウバイ)

飽食……ワンコインの威光

2018年02月03日 | 季節の便り・旅篇

 開催期限が終わろうとしていた。無駄には出来ない厚意が籠った一枚だった。
 「立花宗茂と柳川の武士たち」500円……東京・立川の国文学資料研究所で働く長女が、正月帰省の折りに「お土産!」と持ってきた一枚である……何故か二枚ではない。
 「勿体ないから、柳川名物の鰻のせいろ蒸しを食べに行こうか」

 美味しいものには目がないジジババである。衰えない寒波に震える日々が続いた。蹲踞のツララを眺めて冬籠りし、夫婦そろってリハビリに通うだけの退屈な日々に、束の間の薄日が差す少し穏やかな一日が還ってきた。脚を引き摺りながら寒風の中を歩き、シネマ歌舞伎で玉三郎、七之助が眩しい「京鹿子五人娘道成寺」、「二人椀久」を観た翌々日だった。
 九州道を55キロ、およそ一時間で水郷柳川に着く。通行料1190円。柳川城址を右手に左折すると、柳川藩主立花邸「御花・松濤園」の入り口に「立花家資料館」がある。平日で人影も少なく、やれやれ、原色で川下りに群がるアジア系団体客の姿もない。追加の入場券をもう一枚求めて入館した。500円。
 「1567年に生まれ、争乱の九州でその名をとどろかせた戦国武将、立花宗茂。生誕450年を記念して初代柳川藩主となった宗茂と、その奇跡的な柳川復活劇を支えた家臣たちにスポットを当てた特別展」とある。大切に保存された文書や、刀剣、槍、鎧、兜などの美術工芸品を時系列に並べて、宗茂の生涯を綴った展示は見応えがあった。いずれNHKの大河ドラマにしたいという地元の願望があるというのも頷ける。

 歩いて1分のところに、目当ての鰻屋Mがある。お気に入りの店……といっても、初めて訪れたのは学生時代。先に社会人になっていたカミさんとデートで訪れ、沖の端の北原白秋生家や詩碑を訪ね、その折に立ち寄って食べた味が舌に沁みついた……55年前である。大卒初任給19000円の当時は、多分1000円もしなかったのではないだろうか。その後、長女が学生時代か社会人ほやほやの頃、再びここでせいろ蒸しを食べた……35年前である。いずれにしろ、55年も35年も、今となっては遥か遥か大昔の記憶になってしまった。しかし、舌に残るあの味は今も絶品である。

 川下りの船が行き交う窓際の席に座椅子を借りて痛む股関節を労わりながら坐り、メニューを開いて愕然!せいろ蒸しセットが並で4000円、特で4400円!むむ、これが観光価格なのか。
 「鰻と胆吸いだけでいいよね」と言いながら、単品のせいろ蒸しを、並の3300円でなく、せめて特の3600円で手を打った。
 艶やかに照りを光らせる鰻の蒲焼の上に錦糸卵、たっぷりタレを染み込んだご飯の間にも蒲焼が潜んでいて、美味なることこの上ない。遥か昔の思い出も載せて、せいろの間に詰まった飯粒まで掘り起こして食べ尽くした。
 御花・松濤園の隣りにある結婚式場のティールームが、美味しい珈琲を喫ませてくれる。ウインナー珈琲が一杯540円と良心的である。ひとときのブレークを陽だまりの窓際で楽しんで帰路に着いた。

 今日のドライブにはもう一つの狙いがあった。九州道「柳川みやまIC」にほど近い所に「道の駅みやま」がある。此処は全国有数のセロリの産地であり、12月から2月の寒の厳しい間だけ、今時スーパーで一本199円もするセロリが株のまま、ひと株300円~400円で買うことが出来る。バラせば2000円以上になる大株である。いつも病院の帰りに立ち寄り、10株ほど買って、ご近所や友人たちに半株ずつお土産に届けるのが恒例になっていた。
 遠方から来た客が、5株10株単位で箱に詰めて買い求めていく人気の野菜である……であるが故に、この日は残念ながら午前中で完売になっていた。こんなことなら、柳川に行く前に買っておくのだったと、臍を嚙んで後悔しても後の祭り。仕方なく、そのほかの野菜などを3000円ほど買って高速に乗った。

 一枚の500円の入場券が招いたドライブ。ガソリン代を含めると、都合15000円を超える大散財になった。出た脚の太さは30倍!しかし、久々のせいろ蒸しを満喫する機会を作ってくれた娘に感謝しながら、ご満悦のジジババ二人ドライブだった。
 戦国武将・立花宗茂の威光、450年を経ても、いまだ衰えることがない。(呵呵)
                    (2018年2月:写真:M屋の特せいろ蒸し)